50 誰がために
騎士団控え室でアイリスが大立ち回りを繰り広げていた頃。
自分の部屋に戻り、ドレスに着替えたリスティアは足早に国王の部屋へと向かった。部屋の前に辿り着いて胸に手を置くと、深呼吸してコンコンとドアをノックする。中からメイドが顔を出し、驚きとともに国王にリスティアが帰った旨を伝えた。
「王女様。どうぞ、お入り下さいませ。国王陛下がお待ちです」
「ありがとう!」
促されて入室すると、入れ替わるようにしてメイドは退室した。お父様とお母様が寄り添うように椅子に腰掛けてる。
「お父様。お母様。只今戻りました」
「お帰り。このお転婆め」
お父様は苦笑い。
「お帰りなさいリスティア。今回は…どこでなにをしてきたのかしら…?」
対するお母様は、顔は笑ってるけど目は全然笑ってない。
「お母様…。黙って出て行ってごめんなさい…」
「お前が意味もなく城から出ないことは知っている。アイリスと『動物の森』でなにをしてきたのだ?」
「動物の森にしかないモノを採りに行ったの」
ウォルトの編んだ籠から多幸草を取り出す。
「コレを採りに行ったの!」
「なんだそれは…?花…?」
お父様は知らないんだね。ちょっと意外。
「……まさか、多幸草では…?」
お母様は知ってるよね。
「多幸草?」
「ナイデル様はご存知ありませんか?世界的に稀少な花で、貰った者に花の色に応じた幸福が訪れるという謂れがあるのです」
「そうなの!だから…お母様にあげる!」
驚いた顔してるけど採ってきた目的だから。私はこのタメに城を抜け出して動物の森に行った。
「私に多幸草を…?突然…なぜ?それに…2色あるのはどうして?」
「1つはお母様に、もう1つは……お腹の赤ちゃんにあげる!」
凄く驚いてるね。知らないと思ってたのかな。
「リスティア…。知っていたの…?」
「なぜわかったのだ?確かに、ルイーナは少し前に懐妊が発覚した。しかし、城の医師以外知らないはず。高齢出産になることもあって、体調が安定するまでは誰にも知らせぬと決めた。王子達にも伝えてない」
「お母様を見てればわかるよ!表情も全然違うし、城下町の妊婦さん達と同じ顔してるからね!だから、元気に生まれてきてほしくて多幸草をあげたかったの!私からの贈り物!」
「そうか…。よく人を見ているな」
渡したのは菫色と撫子色の多幸草。菫色はお母様に。撫子色は生まれくる私の弟妹に。菫色は『困難を乗り越える』、撫子色には『皆に愛される』とそれぞれ謂れがある。
「リスティア…。本当に…ありがとう…」
「どういたしまして!」
お母様の頬を一筋の涙が伝う。喜んでもらえてよかった!
「ルイーナ…」
「やはり……不安だったのです…。身籠もったことは心から喜ばしく…。それでも、私の年齢を考えたなら…母子ともに望まぬ未来を迎えることも…あり得ると」
「うむ…」
「多幸草は…欲するのがたとえ王族であっても手に入らないほど希少なのです…。私とお腹の子の困難を…少しでも軽減したいとリスティアは…」
「それほど稀少な花を一体どうやって入手したのだ?」
「動物の森に行って親友ができたの!多幸草の生える場所も知ってて、アイリスと私と一緒に採りに行ってくれた!」
「親友…?『動物の森』に?まさか魔物じゃないだろうな?」
「違うよ。さすがに魔物と親友になるのは無理だよ!」
お母様は指で涙を拭って私を見る。
「あなたの親友には感謝しないといけないわね…。いつか王城に呼ぶといいわ。私もお礼を言いたい」
「ありがとう!今は無理って言ってたからその内ね!」
その時は事情をウォルトに説明しなきゃ。
「ときにリスティア。その『親友』とやらは男か女か?」
「男の人!凄いんだよぉ~。優しくて強くて、身体も大きくて料理も上手いの!凄く格好いいんだから!」
お父様は小刻みに震えて、顔も引き攣ってる。その様子を見たお母様は、あらあら…と言いたそうな表情。
「あとね、触ったらもの凄く気持ちいいんだよ!」
「触ったら…?どういう意味だ?」
「抱きしめたら凄く気持ちよかったの!」
あのモフモフは獣人ならでは。またモフりたいなぁ。
「…リスティア!!俺がいいと言うまで外出禁止だっ!!」
鬼の形相で裁きを言い渡される。
「えぇぇ~!?お父様、なんで?!」
「なんででもだ!ダメと言ったらダメだ!」
私に対する庇護欲が爆発してる。嘘を吐きたくないから正直に話したけど、考えが甘かったね。でも、私も引けない。
「おーぼーだ!国王の権威を振りかざしたおーぼーだ!反対っ!!」
小さな拳を振り上げる。
「なんとでも言え!カネルラの王女が…どこの馬の骨かもわからん奴を抱きしめただと…?お前の親友とやらは子供好きの変人なんじゃないか?そもそもお前には貞操観念がないのかっ!?」
10歳の娘を相手に、子供みたいなことを言い出す国王陛下。けれど、親友のことを変人扱いされて頭にきた…。馬じゃなくて猫だし!
「お父様は、もっと大人になられたほうがよろしいかと思います。幾度となく助けられた親友との別れに抱擁を望んだことのなにが悪いと言うのです?器量が狭いのではありませんか?」
「ルイーナが言いそうなことをお前が言うな!どういう子供だ!とにかく俺はそいつをお前の親友とは認めん!…というか許さん!見つけ次第、国外追放してやるからそのつもりでいろ!」
私は…努めて冷静に言葉を続ける。
「お父様は多幸草をご存知なかったですね?多幸草を譲って頂くとしたら、どれほどの価値があるかご存じですか?」
「知らん!!花がなんだと言うんだ!?」
「100万トーブです」
「…なんだと?」
「多幸草を人に譲って頂くと、1株で100万トーブ以上の価値があると申し上げたのです」
お父様が『信じられない』といった目でお母様を見ると、コクリと頷いた。100万トーブはカネルラの年間国家予算の100分の1以上。それほどの価値がある。
ウォルトは価値を知っていたはず。私が多幸草を探してると伝えたときの反応が物語っていた。知っているのに私達を信用して協力してくれたの。
「私の親友は高潔な人です。彼はなにも聞かなかった。なぜ多幸草を欲しているのか、何者なのかすら尋ねなかった。なのに、私とアイリスを信用して場所を教えてくれた。多幸草の生える場所はダンジョンを抜けた先にあったにも関わらず、私が王女であることすら知らずに守り抜き、その場所へと同行してくれたのです」
「…むぅ」
「そして、「渡した人に幸せが訪れるよう願っている」と。思いつきで森を訪ねた私は彼に返礼すらできていません。だから、いつか必ず返します。そして、大恩ある私の親友を馬鹿にする発言はたとえお父様であっても許容することができないのです。勝手に城を脱走した罰を受けるのは当然であり、吝かではありません。ただし、以後も私の親友を貶めるような発言をしたり謀略を巡らせるというのであれば…」
「何だというのだ?」
「私は王族の籍を抜け、どんな手を使ってもカネルラを出ます。その後、持てる力の全てを以てこの国を傾けさせて頂きます」
「ぬぅっ!?」
戯れ言だと……馬鹿げていると笑われてもいい。子供の浅はかさだと嘲笑されても。けれど、私は至って真剣。そのくらいウォルトに感謝しているから。
カネルラの王女として生を受け、優しい家族に囲まれて幸せな生活を送っていると言いきれる。カネルラも、国民も、騎士団や城で生活する者達も大好き。まだ幼い私を気にかけてくれて、いつも褒めてくれる皆が大好き。ずっとカネルラで暮らしていたい。
でも…私は王女。いつかはカネルラを離れ、別の国に嫁ぐ。皆と離ればなれになる。それが悲しくて人と関わるときはいつでも縁を切れるよう線を引いてきた。
理解できないことなんかなかった。どんな問題であっても、ほぼ答えに辿り着けた。会えばどんな人物なのか直ぐに見破れた。
こんな能力なんてなんの自慢にもならない。自分の未来だって、もう結末まで予想できている。
でも、ウォルトとの出会いは予想できなかった。過去から現在まで世界に存在しないと云われている獣人の魔法使いとの出会いは、10年の人生で最も驚いて興奮した。これ以上の驚きがこの先あるだろうか。
数多くの魔法を見てきたけれど、その中でも断トツで美しく、色鮮やかで心に響いた。
優しく綺麗で使い手の心の内を映し出すような魔法。戦闘魔法であるのに見る者の心を虜にして魔法の素人でも凄いと言い切れる。
私が王女であろうがなかろうが関係ないと言って、別れのときまで少しも変わらず自然に接してくれて嬉しかった。なにも聞かずに一緒に笑ってくれて、並んで歩いてくれて、ときには叱ってくれて…幸せを願ってくれた。
強く思った。ウォルトはお互いの立場を超えて、私と生きてくれる存在だと。忖度なしに隣に寄り添って、怒り怒られながら共に過ごせる親友。根拠なんてない。ただそう思った。私は自分の直感を信じる。誰にも親友を馬鹿にさせたりしない。
お父様も、お母様も、お兄様達も、カネルラの皆も大切。天秤にかけるつもりはないけど、カネルラはお父様達が皆で守れる。
私は…たった1人でも親友のウォルトを守ってみせる。
★
さっきまで我を忘れて興奮していたナイデルだったが、リスティアの真摯な言葉を耳にして溜息を吐いた。
「お前の命の恩人といえる友人を、馬鹿にするような発言を詫びよう。そして、ルイーナが言うように俺も礼を述べたい。機会があれば王城に呼ぶといい」
「ありがとうございます」
表情がいつものリスティアに戻る。
「ところで、リスティア」
「なぁに?」
「お前はその男と親友なのだから、それ以上の感情はないのだな?」
「もちろん。今はそんなこと考えられないよ」
「ならばいい。外出禁止も必要ない」
「ありがとう、お父様!じゃ、ゆっくりしてね!ご機嫌よう!」
パタパタと足音を響かせながら、リスティアは部屋に戻っていった。
「ルイーナ。見苦しいところを見せてしまったな」
「いえ。私も、そしてあの子もナイデル様の気持ちは理解しています。聡明な子です」
「そうだ…。しかし、あの発言には驚いた」
「国を傾ける…ですか?」
「あぁ。俺達よりも知り合ったばかりの友人をとるとは。凄い者が現れたものだ。親友…か」
「本当に驚きしかありませんでした。さぞかし優れた人物なのでしょう」
「そうでなければ困るぞ」
ルイーナが微笑みながら冗談交じりに訊いてくる。
「あの子が本気を出したなら、この国を傾けることが可能だと思われますか?」
「できる。傾けるどころか滅ぼすこともできるだろう。今すぐは無理だが」
真顔で即答する。予想外の答えだったのかルイーナは驚きの表情。
「俺と王子達の意見は一致している」
「どういうことでしょう?」
「リスティアは…男に生まれていたなら間違いなくこの国を継ぎ、大きく発展させるだけの才能を持った器。序列や性別など関係ないと思わせる傑物だ」
「それほどとは初めて知りました…。聡明なのは間違いないと思っていましたが…」
「ゆえに、あの子が嫁ぐ国の発展は約束されている。伴侶になる男に耳を傾ける器量があれば…だが。だからこそ、あの子の嫁ぎ先は慎重に決める必要がある。なにをするかわからないという理由も当然あるがな」
「あの子の才能はそれほどなのですか…」
「其方にとっては、兄妹は等しく可愛い我が子。特に唯一の女児であるリスティアは元気に育ってくれたらそれでいい、くらいに思っていたのではないか?いずれ他国に嫁ぐのだからと」
「はい。王子達からも似たようなことを言われたことはあるのですが、仲のいい兄妹愛ゆえの言葉だと思っておりました」
「間違ってもカネルラを傾けさせるワケにはいかぬ。そんなことを本人も望んでいない。だが、さっきのリスティアは本気だった」
「平和なカネル、最大の脅威が我が子だなんて驚きです」
ルイーナは苦笑する。
「そういえば、さっきリスティアに『親友以上の感情はない』と仰られましたね」
「どうかしたか?考えられないと言っていただろう」
「あの子はナイデル様を試したのです。気付いてらっしゃいますか?」
「どういう意味だ?」
「わからないのならいいのです。問題はありません」
「一体、なんの話だ…?」
微笑んだルイーナは、まだ目立たぬお腹を優しくさすりながら、花瓶に生けられた2色の多幸草を愛おしそうに見つめた。