46 アイリスの胸中
目的を達成してウォルトさんの住み家に帰り着くと、陽が落ち始めていた。
小さな身体で長時間歩き続けた王女様は、途中からウォルトさんが背負った。今はベッドで気持ちよさそうに夢の中。
私は、居間でウォルトさんが淹れた絶品の花茶を頂く。もらって帰りたいほど美味な花茶を味わっている。
「アイリスさんもお疲れ様でした。明日には故郷に戻られるんですか?よければ今日も泊まって下さい」
労われたうえに、お願いしようと思っていたことを先回りして言われてしまって、思わず苦笑する。
「ありがとうございます。なにからなにまでお世話になってしまい申し訳ありません」
この人は、なぜ平然としていられるんだろう。
「…ウォルトさん」
「なんでしょう?」
「貴方は……私達が何者なのか訊かないんですね」
ウォルトさんは、出会ってから私達の事情や素性を訊いてこない。関心を示す様子もない。名前しか知らぬ者達の願いを、危険を冒して叶えてくれた。本人にとっては些細なことかもしれないけれど、私の感覚では普通ではない。
「誰だって言いたくないことや言えないことがありますから」
「貴方は…お人好し過ぎます」
「訊くのが怖いのかもしれません」
「怖い…と言うと?」
『そうだニャ…』とか言いそうな顔で思案している。薄々感じていたけれど、表情が可愛い人だ。
「実は…貴女とリスティアがとんでもない詐欺師で、ボクを騙して多幸草を入手したあと高く売り捌こうとしている…とか?」
首を傾げて『うまく言えニャいが…』とか言いそうな顔をしている。
「ふふっ…。あり得ません」
「笑ってくれてよかったです。冗談が苦手なので自分に参ってしまいます」
ホントに…この人は優しすぎる獣人。もう我慢できない。
「ウォルトさん。恩人に向かって言い辛いのですが、個人的にお願いがあります。私と…勝負して頂けませんか?」
「勝負…?まさか…闘うということですか?」
表情が険しくなったウォルトさんに向かってコクリと頷く。
「理由を教えてもらえますか?」
「私は話すのが下手なので、長くなるかもしれませんが…いいですか?」
「構いません」
自分を落ち着かせるように呼吸を整え、意を決して話し始める。
「既にお気づきかもしれませんが、私は騎士です」
「はい」
「私は…カネルラの民を守る使命を背負っています。ですが、貴方に守られて感じたんです。貴方の闘う姿は仲間を安心させる。正直、凄いと感じました」
「大袈裟ですよ」
本当に謙虚な人。
「そして、貴方と一緒に誰かを守れたら…と思いました。嘘偽りない気持ちです。でも…」
「でも?」
「その一方で、私は思ってしまったのです。それほどの力を持つ貴方に、純粋に騎士として挑んでみたいと。民を守るべき自分の力は貴方に通用するのか知りたい。私は……自分自身が貴方ですら守れるような存在であるかを確かめてみたくなったのです」
「そうでしたか」
「ウォルトさんは…昨日までの私の常識ではあり得ない存在です」
「ボクが魔法を操る獣人だからですか?」
頷いて続ける。
「失礼を承知で言えば、この目で確かに見たのに今でも信じられないという気持ちが完全に拭えない。それほど私にとって衝撃的な出来事だったのです」
「よく言われます。同じ獣人には特に」
ウォルトさんは「困ったもんです」と腕を組んで苦笑する。おかしくてクスリと笑った。
「それ以外でも貴方は獣人っぽくないですが」
「えっ!?まさか……獣人なのに尻尾が上手く動かせないのがバレましたか?」
「違います。初めて知りました」
異常に礼儀正しくて優しかったり、綺麗好きだったり、料理上手だったりするところなのだけれど、『ニャんで気付かれた?』とか言いそうな的外れの表情を浮かべている。話しやすい雰囲気を作ってくれていると解釈し、好意に甘えて言葉を続ける。
「私にはウォルトさんの過去はわかりかねます。けれど…これだけは言えます。貴方は相当な苦労……想像を絶するような努力を重ねて今に至っていると」
「そんなことないですよ。人とはちょっと違うかもしれませんが」
いや。あるはず。
あれほどの魔法を操るには、並大抵の修練では不可能。素人であっても理解できる。ウォルトさんの実力はおそらく宮廷魔導師よりも上。そのことに確信がある。
「私は、苦しむ者、力なき者を守りたいがゆえに強さを求めました。それが自分の使命だとも思っています。でも、貴方はそうではない」
「その通りです」
「私の見立てが正しければ、貴方は王都の魔導師と同等かそれ以上の力を持っています」
「買い被りです。ボクはそもそも魔導師ではなく、ただの魔法を使える獣人ですから」
なぜ異常なほど謙虚なのか。理解できないけれど、この人らしいとも思う。
「少し前までの私なら、「そうかもしれない」と自分の眼力に自信のないことを言っていたと思います。けれど、ある人に言われて…私は私を信じると決めました。自分を卑下しないと。だから、もう一度言います。貴方は素晴らしい魔導師です」
「光栄です。ありがとうございます」
「そして、私の常識の壁を壊してくれた。世界は広いことを教わりました。感謝しています」
「そんな大層な者じゃないですが…」
「私達は…明日帰ります。もしかしたら、二度とウォルトさんに会うことはないかもしれない。ならば、私の想いを叶えるのは今しかないんです」
なんて我が儘な言い草なのだろう。けれど、自然に笑顔になってしまう。
「色々と言いましたが、要約すると私の我が儘です!ただでさえお世話になっておいて…断られて当然だとわかっています。それでもお願いせずにはいられなかった!」
★
スッキリした表情のアイリスさんを見て、なぜか嬉しくなる。
きっと、アイリスさんは普段言いたいことを言えない立場にあるか、若しくはそういう性格なのだろう。そんな彼女が我が儘を言ってる自覚があるのに願望を素直に口にした。
訪ねてきてずっと申し訳なさそうに過ごしていたアイリスさんが「凄い」と…「一緒に誰かを守りたい」と言ってくれた。自分の常識が覆されたとも。
幼い頃から、蔑まれることはあっても褒められることのない日々を送っていた。だからかもしれない。お世辞ではなく純粋に褒められたことが嬉しい。アイリスさんは誠実で嘘を吐くような人じゃないのはわかっている。
そんなアイリスさんに昔の自分を救われたような気がして、純粋に気持ちに応えたいと思った。
「わかりました。ボクでよければ手合わせしましょう」