459 青輝馬
夜も更けて、そろそろ就寝時間だと欠伸をしたウォルトの耳が近付く馬の蹄の音を捉える。
リリサイドかな…?いや、この蹄の音は…。
「この…バカたれぃ!」
聞き慣れた声により訪問者が確定した。居間から玄関を覗き込む。
「ヒヒーン!」
「やめんか!こらっ!」
声がした次の瞬間、玄関のドアがゴムのように室内へ伸びる。蹴破ろうとして怪我しないように仕掛けた魔法。
「ヒ、ヒヒ~ン!?」
どうやら驚いてくれたみたいだ。元通りになったドアを開けると、予想通りダナンさんとカリーが立っていた。
「ダナンさん。カリー。お久しぶりです」
「御無沙汰しており…うおぁっ!?」
「ヒヒーン!」
ダナンさんを振り落としたカリーは、勢いよく頬擦りしてくる。ボクも首から顔を優しく撫でた。
「ダナンさん。大丈夫ですか?」
「大丈夫です。私の言うことなど聞く耳を持たぬ困った娘です」
「ヒヒン!」
「中に入ってください」
「お邪魔いたします」
「ヒン!」
椅子にかけたダナンさんには酒を、行儀よく床に座るカリーに水を差し出す。
「酒は好物ですが、頂いてよろしいのですか?」
「余りモノで申し訳ないんですが。ボクは飲まないので」
離れの完成祝いをしたときの余り。ダナンさんにもお裾分けしよう。
「有難く頂戴します」
花茶と酒で乾杯する。
「変わらず元気そうでよかったです」
「我々は変わりありません。私から先に御礼を。テラへの槍の贈り物、感謝に堪えません」
「テラさんにはお世話になってばかりで、少しでもお返ししたくて作りました」
「闘気の回復薬だけでも礼には充分過ぎるほどですぞ」
そうだった。
「回復薬の効果はどうでしたか?」
「素晴らしい効果でした。ボバン殿も唸っておられましたぞ。希釈して使用しましたが、異常は起こらずテラはかなり修行を積むことができたのです。「槍をもらったことに浮かれてお礼を言い忘れた!」と後悔しておりました」
ははっ。テラさんらしいな。
「役に立ったのならよかったです。また作り置きしておきますね」
「槍はお見事でした。テラは日々訓練に励んでおります」
「なによりです。素人の作ったモノですが、一時的にでも役に立つなら」
「一生モノだと思いますぞ」
「大袈裟です。ところで、今日はなにか御用ですか?」
「久しぶりにお会いしたくて連れ立って来た次第です。夜分申し訳ありません」
「嬉しいです。近い内にこちらからも伺おうと思っていました」
「ほほう。なぜですかな?」
「カリーに会いたくて」
「ヒヒン!」
名を呼ばれて鼻息荒く頬擦りしてくる。お姉さんなのに可愛いなぁ。キャミィと同じだ。
「少しカリーと話していいでしょうか?」
「どうぞ。カリーと話せるなどこの世でウォルト殿だけですぞ。はっはっは!」
実はそうでもないけど、ダナンさんはカリーの魔法を知らない。
「カリー、ちょっといいかい?」
「ヒン!」
とりあえず寝室に2人で向かう。
『カリー。よければ教えてほしいことがあるんだ。言いたくなければ答えなくていいから』
『どうしたの?』
『君はグラシャンなのか?』
驚いたような表情のカリー。
『なぜウォルトが知ってるの…?』
『最近出会ったグラシャンが教えてくれたんだ。君もそうなんじゃないかと思って』
『そう…なのね…』
カリーは俯いて黙ってしまった。
『無理に答えなくていいんだよ。そのグラシャンも詳しく言いたくないみたいだった』
『どこまで知ってるの…?』
『グラシャンって言葉しか知らない。あとは魔法を使えることだけ』
『そう…』
鈍いボクでもわかる。軽々しく聞いていい話じゃなかったんだ。浅はかな失敗。
『カリーが何者でも構わないんだ。二度と訊かないから』
『…今は複雑な気持ちなの…。もう少し時間を頂戴』
『困らせるつもりじゃなかったんだ。ゴメンね』
『わかってるわ…』
なにか縁があるのならリリサイドと会ってもらいたいと思ったけど、ボクの我が儘。カリーは明らかに口にしたくない風だし、無理強いしたくない。
『ねぇ、ウォルト。そのグラシャンは…元気だった?』
『元気だったよ』
『私のことを教えたの?』
『他にも君のような馬に会ったことがある、とだけ』
『なんて言ってた?』
『カリーの名前を訊かれたけど教えてない。「でしょうね」って。今でも会ってると思ってないんだ』
勘が悪すぎるのかグラシャンについてなにも気付きはない。予想すらできない。でも、カリーが困っているのはわかる。
『そろそろ戻ろうか。ダナンさんが心配するかもしれない』
『そうね…』
目に見えてカリーの足取りが重い。もうこの話題に触れるのはやめよう。友達を困らせちゃいけない。
「話は終わりですかな?」
1人で飲み続けていたダナンさんはちょっとご機嫌な声色。
「ゆっくり話せました」
「はっはっは!さすがウォルト殿!……カリーの元気がないようですが、気のせいですかな?」
「ヒヒ~ン!ヒッヒン!」
「むっ……。気のせいでしたな!」
きっと、気を使ったカリーの空元気。申し訳ない気持ちで一杯だ。その後は近況についてダナンさんと言葉を交わす。チラッと視線を向けると、やっぱりカリーは考え込んでいるようだった。
今夜はここに泊まって、明日の早朝に王都へ戻ると言ってもらえた。話しただけでとんぼ返りしてもらうのは忍びない。寝る準備を終えて寝室に向かい、ボクとダナンさんはベッドで、カリーはベッドの間に毛布を敷いて床に寝転ぶ。
「では、おやすみなさい」
『発光』を解除して目を瞑ると、直ぐにカリーの『念話』が聞こえた。
『ウォルト』
『どうしたんだい?』
『貴方が会ったグラシャンに…会えたりするの…?』
『近くに住んでるけど訊いてみないとわからない』
『………』
『カリーは会ってみたい?』
『……そうね』
『わかった。今度訊いてみるよ。それか…』
「ンゴゴゴ…。ンゴゴゴ…」
眠ったダナンさんがイビキをかき始める。
『明日の朝早くに会いに行って…』
「ンゴゴゴ…。ンゴゴゴ…」
『その時に訊いてみるのも…』
「ンゴゴゴ…。ンゴゴゴ…」
『うるさいわねっ!』
身を起こしたカリーは素早くダナンさんの兜に噛みついて、引き千切るように床に投げ捨てた。一瞬の出来事。
転がった兜は壁にぶつかって止まる。目が合ってちょっと怖い…。棺に入った遺体のように寝相のいいダナンさんだけど、イビキをかいたのは初めてだ。毎日激務なのかな?
『ふぅ…。気が済んだわ。口も鼻もないくせに、イビキをかくなんて意味不明すぎるでしょ。そもそも寝なくてもいい身体なのに』
そう言われるとそうだ。でも、気分が晴れると言ってた。
『話は戻るけど、相手に確認してもいいかい?』
『お願いするわ。断られたら無理は言わないで』
『言わないよ。もし会ってくれることになったら、こっちから訪ねるかもしれない』
『気を使わせてごめんね』
『いや。ボクの方こそ事情も知らずに踏み込んだことを尋ねてしまった』
『いいのよ。ウォルトには知られてもいいと思ってる。ただ、ちょっと自分の気持ちが定まらなくてね…。悩んでる理由は大したことないんだけど』
『よくあることだね』
自分がなにをしたいのか、どうしたいのかが最大の難問だったりすることは多々ある。そして、なかなか結論が出ない。
『きっと、ウォルトには引き寄せる力があるの』
『なにを?』
『この世では非常識とされる事象を』
『そうかな?無縁だと思うけど』
至って地味で平凡に生きてる。これは間違いないはず。だって、ほぼ自給自足の生活で特に大事件も起こらない平穏な日々。非常識なモノや出来事なんて縁がない雑草のような人生。でも、とても充実していて森の生活を満喫している。
平坦なボクの人生で非常識なことを挙げるとすれば、師匠の存在とリスティアと親友になれたことの2つ。
『ウォルトは魔法使いだから、ちょっと珍しい獣人だという自覚はあるでしょ?言い換えるとちょっと非常識になる』
『非常識の定義が『大多数ではない』『珍しい』という意味ならそう言えるね。ただ、珍しいかもしれないけど自分では常識があると思ってて結構自信があるんだ』
『立ち振る舞いだけね。それ以外はどうかしら?たとえば、ダナンのイビキも『疲れてるのかな?』って思ったでしょ。普通ならありえないのに』
読まれてるなぁ。確かに、ダナンさんのイビキの原因は気にならなかったけど、甲冑なのにどうやって音が鳴ったんだろう?そもそも息をしてないような…。
まてよ…。
『もしかして……ダナンさんやカリーの存在って……非常識なのか…?』
『今さら?!気付くの遅すぎるわ!死者が蘇って王城で仕事してるなんてどう考えても非常識でしょ!』
『そうかな?滅多にないとは思うけど。カリー達に出会ったときは驚いたけど、深く考えたことはなかったなぁ』
『普通はあり得ないのよ。シオーネの存在だってそうよ』
あり得ないと言うけど、実際にダナンさんもカリーも存在してる。…ということは、紛れもない真実。
『森に住んでるのに知った風な口はきけない。ボクの知る『世界』は狭すぎるんだ』
大半はこの森と実家にあるボクの部屋で構築された。今は幾分か広がったけど、この森と幾つかの街やダンジョンを知った程度。
『この世に非常識なことはないと思う?』
『あると思う。凡人には思いも付かなくて、普通なら遭遇することがないような事象が存在してる。想像するのは好きだよ』
『過去にはなかったのね?』
『なかった。谷があっても山はないような、誰が見ても平凡な人生を送ってきたから』
『ふふっ。面白いわ…。話すのを躊躇っている自分がバカらしくなってくる』
『よくわからないけど、無理はダメだよ』
『はいはい。そろそろ寝ましょうか。ウォルトは眠いでしょ?』
『そうだね』
起き上がったカリーは、ダナンさんの兜を咥えて拾い、ちゃんと甲冑の定位置に戻す。
すると直ぐにイビキをかき始めたので、「どうなってるのよ!」と再び兜を床に投げ捨てた。




