458 信頼し、信頼されること
「いい加減、シノさんの許可が出ないから無視して来てしまったよ」
「来てもらって嬉しいです」
ウォルトの住み家を訪ねて来たのは暗部の副長サスケ。
相変わらず格好いい黒装束だなぁ。「昼の森では逆に目立つのでは?」とは言わない。前に来てくれたときカフィが好きだと言っていたので、淹れてもてなす。
「命令を無視して大丈夫なんですか?ボクはシノさんには言いませんが」
まず会う機会もないけど。
「君は姉さんとも知り合いだし、秘薬のお礼もちゃんと言えてなかった。ずっと気になってたからね。シノさんにバレても逆にダメな理由を問い詰めることに決めたんだ」
「お礼なんて大袈裟です」
「改良した秘薬は好評で、俺が皆に感謝されてる。本当は君が作り出したのに心苦しいよ」
「役に立っているのならよかったです。ボクは改良しただけですから」
「謙虚だなぁ。ただ、新しい秘薬には……いや、いい」
「なにか問題でも?」
「ないよ。気にしないでくれ」
目しか見えないけど、ニコッと笑ってカフィを飲むサスケさんからはスザクさんと似た匂いを感じる。涼やかでスザクさんよりも冷たい風の匂いが。
シノさんと違って好戦的な人じゃない。でも、手合わせして相当な実力者だと知ってる。副長だから当然だけど。
「この間もクレナイさんにお会いしました。娘さんと遊びに来てくれて」
「ミーリャだね。久々に訪ねて聞いたよ。また姉さんを倒したらしいね」
「倒してないです。戦略を巡らせて成功しましたが」
「姉さんは悔しがってた。おかげで、手合わせの相手をさせられてゆっくり話せなかったよ」
サスケさんは苦笑い。ボクのせいで申し訳ない。
「すみません」
「謝らなくていいよ。ああいう姉だからどうせ話は続かない。ウォルト君は暗器って知ってるかい?」
「暗部が使う隠し武器ですよね。シノさんのクナイのような」
「そう。姉さんは現役のとき絶対暗器を使わなかったんだ。勧めても「猪口才な雑魚のやることだ!」って言い張って」
いかにも言いそう。「素手で充分だ!」とか。
「でも、今回の手合わせで暗器を使った。俺は驚いたよ。先代から習ったらしいけど、君は先代にも会ったんだろう?」
「はい。カケヤさんには茶飲みの友と呼んでもらってます」
「そうなのか。ウォルト君は珍しい人物だ」
「よく言われます」
「獣人としてじゃないよ。暗部に何人も知り合いがいる一般人は君ぐらいだ。王城関係者を除けばね」
「そうなんですか?でも、現役はシノさんとサスケさんだけですけど」
「俺達は衣装を脱げば一般人として生活してる。でも、親しい人はいない」
「素性がバレると任務に支障をきたす可能性を危惧して…ですか?」
サスケさんはコクリと頷く。やはり暗部で生きるというのは覚悟がいることだ。俗世との隔離…って、ボクも似たようなモノだけど。
けれど、ボクはやろうと思えばなんだってできる。サスケさん達はできることが少ないはず。大きな違いだ。
「素性がバレると情報が漏れる可能性も高くなる。常々制約が多いのは仕方ないし、誇りを持って過ごしているけど」
「想像はしていましたが、大変ですね」
「だから、君のように信頼できる人としか親しくなれない。いてくれて助かるよ」
「暗部に不利を与えるようなことはしたくないだけです」
リスティアや騎士、ひいてはカネルラの不利益にもなりかねない。
「既に訊かれてると思うけど、ウォルト君は暗部に入る気はないのか?」
「ないというより無理です。ボクに暗部は務まりません。栽培担当ならなれるかもしれませんが。カケヤさんにもお伝えしました」
「あはははっ!あくまで副業だからね。栽培専門の暗部はいないんだよ」
「じゃあ、余計無理です。ただ、協力できることがあるのなら是非させてもらいたいと思ってます」
「そう言ってもらえて有り難いよ。早速だけど、お願いしたいことがあるんだ」
「なんでしょう?」
「今日も俺と手合わせ願えないかな?」
「手合わせでいいのなら喜んで。でも、なぜ急に?」
サスケさんは覆面の中でニンマリ笑った。
「俺は、姉さんを変えた君の力を見たい。訪ねた理由でもあるんだ。先代が言おうとシノさんが言おうと、頑なに使わなかった暗器を持たせたのは君だ」
「勘違いだと思います。クレナイさんは、他人に影響されるような人じゃないですよね」
「俺もそう思うんだけど、そうとしか考えられないんだよ」
★
表に出てサスケはウォルトと対峙する。
彼は優秀な薬師であり、どういった経緯か不明だけど『気』を操る稀有な獣人。秘薬作りにおける暗部の恩人であり、改良した秘薬は彼の名を捩って『宇流斗薬』と名付けた。
部外者が改良したことは公にできないけど、せめてもの感謝の証。暗部で長く語り継がれるだろう。
そんな彼は決して強者には見えず、むしろ弱者の雰囲気を纏ってる。けれど、そうでないことを俺は知ってる。ただ、前回の手合わせでは姉さんに勝てるような実力を感じなかった。手加減して爪を隠していたということ。
「アイツに勝つにはただ鍛えるだけじゃ足りん!絶対に許さん!」と吠えた姉さんの悔しがり方からして、きっと完敗だったはずだ。あんな表情は現役の時でも数回しか見たことがない。だから、ウォルト君を倒したい一心で本気で訓練している。そうでなければ暗器に興味を持つはずがない。
全て推測であって根拠はない。ただ俺の勘が告げている。ウォルト君はまだなにかを隠していると。シノさんや姉さん、先代は知っていて俺は知らないなにか。無理強いする気はないが、今日見せてもらえるだろうか。
思考を巡らせていると、ウォルト君が口を開いた。
「手合わせの前にサスケさんに言っておきたいことがあります」
「なんだい?」
「ボクは魔法が使えます」
「なんだって…?」
いきなりの告白に面食らう。信じ難いけれど…噓は吐いてないな。所作から動揺が微塵も感じられない。もしかしなくても、彼が隠していたのは魔法のことなのか。
「信頼できる方にしか伝えていません。サスケさんには知っておいて頂きたいので」
「そうか…。決して他言しないよ」
「ありがとうございます。それだけです」
ニャッ!と笑う彼の気持ちが嬉しい。俺を信頼してると言ってくれた。驚いたけれど、今は深く考えるまい。
「では……いくよ」
「はい」
前回は、『気』を主体とした肉弾戦だった。お互い本気ではなかったけれど、いい勝負ができた。だが、魔法が使えるというのなら…獣人の操る魔法を見せてもらいたい。ウォルト君に掌を向け術を発動する。
『泥濘』
対象の足下を沼地のように変化させて、身体の自由を奪う術。現れるのは底なし沼。彼はこの術にどう対処するのか。
「……なっ!?」
跳んで躱すと予想していたのに、ウォルト君はゆらゆらと宙に浮かんでその場に佇む。足下は確かに変化しているのに沈む気配がない。
「凄い術です。驚きました」
「こっちの台詞だよ」
…どうなっているんだ?魔法だとしても見当もつかない。一瞬で術の性質を見抜き、対応したというのか。それとも、どうにでも対処できる自信があって、わざと術を受けたのか…。どちらにしても並外れてる。
「…コレならどうだ」
素早く懐から取り出したクナイを放つ。宙に浮かんだ状態からどう躱すのか注目していると、手を翳すと同時に『強化盾』が現れ躱すことすらせずに難なく弾かれた。
発動するスピードが尋常じゃない。しかも無詠唱。仮に…宙に浮かんでいる力が魔法だとしたら多重発動になる。
俺は理解した。彼は凄まじい魔導師だ。ただの魔法が使える獣人というレベルじゃない。
「驚かされるよ」
「ボクもです。では、こちらからもいきます」
ウォルト君が手を翳した瞬間、背後に嫌な気配を感じる。
「くっ…!?なんだっ?!」
背後を見るように身体を捻りながら素早く身を躱すと、まさかの『阿修羅』が拳を振り下ろしていた。先代の得意とした術だが、発動の気配に全く気付かなかった。ウォルト君は、そよ風に吹かれたかのように『泥濘』から逃れて着地する。
「さすがです。やはりボクの術では通用しませんね」
「君は……いや、話は手合わせのあとだ」
気を引き締めろ…。油断するなと自分に言い聞かせる。手合わせのつもりでは覚悟が足りない。これは、手合わせではなく死合い。必殺の気概で挑まなければ。
彼は間違いなく化け物の類。暗部として確信がある。
『草隠れ』
暗部に伝わる『遁術』を使用する。隠形術とも云われる相手から身を隠す手段。俺の姿は視認できないはず。この隙に接近して攻撃する。
足音もなく駆け出すと、ウォルト君は視えているかのように俺に掌を向け、即座に『火焔』を放った。
「ぐうぅぅっ…!」
詠唱の速さに加えて躱すことなど不可能な大きさ。まるで初めて目にする魔法だ。本当に『火焔』なのか…っ!?『魔喰』で防御しても消し去れない…!なんて魔力量だっ…!
死ぬ気でなんとか防ぎきった。滅茶苦茶な威力だ。信じられない…。それに、なぜ居場所を感知されたのか?間違いなく視認できていないはずなのに。
大きく跳んで間合いをとり、ウォルト君を見ると鼻と耳を忙しく動かしている。微かな匂いや音で俺の位置を掴んでいるのか。五感も鋭いということ。王都では俺のことを匂いで判別していた。
見えていないはずなのにまた目が合う。発見されてしまった。こちらから仕掛ける!
『火遁』
普段なら炎を操り逃走の時間を稼ぐような術だが、攻撃に使うことも可能。ウォルト君を中心に波紋が広がるように順々に火柱が上がり、それらを全て上空から身に降らせる。さすがに躱せないはず。
残された『気』を最大出力で放った術。どう防ぐのか……などという心配は見事に取り越し苦労に終わる。炎が消えた後、ウォルト君は平然と立って微笑んでいた。ダメージを与えるどころか焦らせることさえできていない。
「凄い術です。感動しました」
未だ姿を見せず、移動して位置も変えている俺を見つめて話しかけてくる。行動すら予測されている。
「君は大袈裟だよ。参ったな」
俺はとんでもない男に闘いを挑んだようだ。だが…負けられない。
その後、ウルト薬を飲みつつ、可能な限り術を繰り出して手合わせしたけれど、全てが跳ね返されて敗北宣言を口にするまで時間はかからなかった。彼が、地獄の魔導師サバトの正体であることに気付くのにも。
★
明くる日。
カネルラ王城地下にある暗部の詰所では、長による説教が行われている。説教の相手は副長であるサスケ。
シノは、ウォルトに会いに行ったことに勘付いていて、顔を出したサスケを即座に個室に呼び出した。
サスケを立たせ、椅子にかけたまま詰問する。
「俺は…許可なく森に行くなと言ったはずだ…」
「はい。命令違反です。なんなりと処罰を」
「お前……反省してるんだろうな…?」
「もちろんです」
そうは見えん。言葉と裏腹に妙な空気が黒装束から漏れ出している。だが、噓は見抜かれると知ったうえでこの態度。なにか企んでいるな。
「森で…なにをしてきた…?」
「彼と手合わせを。完敗でした。彼は俺が手の内を見せないようわざと負けを認めたと思っているようですが」
「そうか…。お前も…魔法を見たんだな…?」
「手合わせ前にわざわざ教えてくれて、実際に見て度肝を抜かれました」
「どこまでやれた…?」
「文字通り完敗です。赤子の手を捻るように」
背を丸めて前屈みだった身体を起こし、背もたれに寄りかかる。
「ならば…俺のやりたいことがわかるな…?」
「彼を倒したい。そして暗部に引き入れたいんですね?」
「そうだ…。今後…協力しろ…」
この程度は予想の範疇。予定が早まっただけのこと。
「できません」
「…なんだと?」
「彼は「シノさんとは闘いません。今度は死んでしまいます」と苦笑してました。再戦して、負けたら暗部に入れと言ったんですよね?」
「つまり…闘わなければ負けない…。だから…暗部に入ることはない…という理屈か…?」
「「シノさんには勝てない」と負けを認めていました。再戦する必要はないと思います。俺は協力できません」
コイツ…。まさか…。
「加入させる条件だ…。いいワケないだろう…」
「わざわざ追い込む必要を感じません。ただの傲慢です。彼はカネルラに仇なす敵ではなく、暗部の協力者でもあります」
くっ…。間違いない。アイツと結託したな。
「なにを条件に出された…?」
「質問の意味がわかりかねます」
「とぼけるな…。俺との再戦を…阻止する気だろうが…」
「そんなつもりはありません。敗北を認めたタダのカネルラ国民との再戦に必要性を感じないだけです」
「お前は…それで俺が納得するとでも…?」
「紛れもない事実を伝えています。納得して頂けませんか?」
「いい加減にしろ…」
サスケの表情が一変する。まるで、これから任務に向かうかのように。
「シノさん。どこまで本気なんですか?」
「なんだと…?」
「心中はお察ししますが、拳を交えた貴方が一番理解しているはずです。彼は優しい表情の裏に比類なき凶暴な爪を隠蔽しています」
「だからどうした…」
言われるまでもない。
「彼が暗部に入ればあらゆる意味で変革の時を迎えます。問題は多いでしょうが、彼を…新しい風を迎え入れること自体は賛成です」
「ならば…協力しろ…」
「ですが、彼と貴方が再び闘えば互いにただでは済まない。そのことに確信があります」
「ぬ…」
「俺は、暗部の副長として…そして彼の友人として看過できかねます。言いたいのはそれだけです」
真っ直ぐに俺を見据える。
なるほどな…。
「…もういい。出ていけ…」
「失礼します」
ドアが閉まり1つ息を吐く。結託されるよりも面倒なことになったかもしれん。
サスケは参謀だけあって謀略も得意とする。俺より頭が切れる。今後は本気で阻止してくる可能性が高い。
本気のアイツは国王様ですら簡単に巻き込みかねない。クソ真面目な性格はこうなるとタチが悪いな。さぁ……どうするか。
サスケが最後に見せた目が物語っていた。暗部の長として……部下に心配されたままではいられないんでな…。




