400 耽る白猫
外は生憎の大雨。
ウォルトは住み家の小さな書斎で花茶をお供に読書に耽る。
読んでいるのは、師匠の所有物である魔導書。最近、サラさんやマルソーさんと意見交換して、魔法理論と基礎の重要さを学んだ。真新しい魔法の修得や改良ばかりに現を抜かして、基礎的な理論を疎かにしていたことを反省し、暇を見つけては目を通している。
1冊読み終えて、ふぅ…と一息ついた。休憩しながら少しだけ思考の海を泳ぐ。住み家にある魔導書は一度読破してるけど、読み返す度に新たな発見に出会う。時期尚早ゆえに深く理解できていなかったり、反芻して違う解釈に気付いたり。
不明な文章や魔法も多くて、なにを書いてるのかさっぱり理解できない章もある。解読できない言語で書かれた本もあって、まるで絵本を読んでるみたいだ。
世の魔導師は凄い。どれ程の知識を身に付けているのか想像すらできない。以前より深く読み込めている実感はあって、一語一句見逃さぬよう理解できなくとも内容を全て記憶するつもりで読み進めている。いつかどこかで判明するかもしれない。
思い返せば、師匠はよく部屋に篭って魔導書を読んでいた。食事も摂らずに夜通しのときも。そんな大切な蔵書を置き去りにして、姿を消してしまった。
蔵書は古書から真新しい書物まで様々。年代物と思しき本は特に丁寧に扱っているけど、師匠の『保存』『堅牢』が付与されていて劣化する気配は皆無。言うまでもなく価値が高い魔導書は、時代を問わず高値で取引され希少な本はそこら辺の豪邸より高値がつくことも珍しくないらしい。ボクは鑑定できないけど、ナバロさんなら喉から手が出るほど欲しいのかな。
盗難の被害に遭って、闇ルートで売り捌かれることも多いと聞く。もちろん師匠が魔法で盗難防止策を講じているからこの住み家から盗むなら命懸け。
こんな所に盗っ人なんて来ないと思いきや、ボクが住むようになってから一度だけ玄関の鍵を壊されて空き巣に入られた。魔導書を盗もうとして見事に罠にかかった盗っ人は、この森で一生を終えた。
それ以降、書斎のドアには鍵を掛けてるし、4姉妹やオーレンには冗談でも魔導書を持ち出さないよう伝えてる。そういえば、最近は盗っ人が現れない。気分が悪いので現れないに越したことはないけど。
なぜなら、死体を処理する必要がある。原形を留めない灰を森に還すだけとはいえ気分はよくない。
ボクが盗まれないタメに罠を仕掛けるなら、命までは落とさない魔法を選定する。でも師匠は違う。自分の大切なモノを奪おうとする者は何者であれ容赦しない。文字通り灰にされる。同情はしないけど、住み家の周囲に人型の灰が残されている光景は気持ちよくはない。
ちょっと脱線したけど、魔導書を持ち出さなかったのはとにかく意外だった。あくまで推測で驕りの可能性も高いけど、師匠はボクのタメに本を残していったと思ってる。
魔導書だけでも数にして300冊は下らない。師匠ならどうにでもして持っていけるはず。だけどあえて残した。「魔導書を読め」とは一度も言われたことがないけど、読んでいて文句を言われたこともない。「雰囲気だけは一丁前だな。ゲロ猫が」と鼻で笑われただけ。
詳しく魔法理論を教えない代わりに、この蔵書を置いて去ったという予想。『自分で覚えろ』『人に頼るな』という意図だと思う。それに加えて、単純に教えるのが面倒くさかったから。そのおかげで凄く助かっている。
魔法理論の重要性に気付いたのは、マルソーさん達と修練したからだけじゃない。アニカ達に魔法を教えるようになって、初めて実感したこと。
他人に教えるなら2倍、3倍の知識がいる。ウイカやアニカは魔法に関する感性が鋭くて、質問もボクとは視点が違う。
彼女達の技量が向上するに従って、比例するように質問の難度も上がっていて、今後は答えに窮する場面も増えてくるだろう。だか ら自分自身の知識をもっと深める必要がある。
噓や下手なことは言えない。師匠と慕ってくれる皆に適当な答えを返したくない。追い抜かれるまでは教えてあげたい。だから、ちゃんと答えられるよう学び直すことが必要。知らないことや不明なことは正直に伝えてるけど、調べて判明したら教えてる。格好悪いけど教えるのに必死だ。
逆に成長させてもらって、魔法の知識が身に着いている部分が大きい。ずっと1人のままだったら今でも変化してない。完全な自己満足で修練して視野が狭いままだったろうな。
冷めないように魔法で保温した熱々の花茶をすする。こうして魔導書を読んでいると、改めて師匠の凄さに気付く。なぜなら、蔵書の何冊かは師匠が書いた本だ。製本が雑で著者名もなく、筆跡からして間違いない。
内容は、複雑な魔法理論から意味不明な応用まで様々。研究の成果を書き記した1冊もあって、ズボラな師匠が書いたとは思えないほど理路整然と丁寧に書かれている。最近では1番の愛読魔導書。
師匠に対して『悔しい』とか『負けたくない』と張り合う気概があったのも昔のこと。本人は頑として認めなくても、遙か高みに立つ大魔導師であり、ボクの中では世界最高の魔導師。存在を知る者からは畏怖されているだろう。
以前、ウイカに『一生修練したらお師匠さんに勝てると思いますか?』と問われたとき、「無理だ」と答えたのは本心。でも、魔法における最終目標の1つに『師匠の修練相手になりたい』という想いがあって、一度でいいから魔法戦で師匠に勝ちたい。やるからには師匠相手でも負けたくない。
魔法戦で師匠に勝てないのは、覆せない天命のようで蟻が象に挑むような無謀。それでも毎回勝つつもりで挑んでた。けど、圧倒的な実力差で箸にも棒にもかからなかったから数え切れない数の魔法を浴びている。
ボクが、魔法に関して唯一自慢できると思うこと。障壁なしの生身で魔法を被弾した数だ。明確に覚えてないけど、軽く千は超えている。万に近いかもしれない。カネルラでは間違いなく最も魔法を浴びている獣人だと思う。
魔導師であればそんなヘマはしない。誰よりも戦闘魔法に恐怖し、治癒魔法に救われて魔法の表裏一体を身を以て味わってきた。今思えばまぁまぁの拷問。
燃やされたら毛皮や皮膚は臭いし、喉まで灼ける。凍りついたら身動きがとれない中で心臓がゆっくり停止していくのを実感する。雷を受けたら、内臓が焼かれたようでしばらく動けない。『死にたくない』と考える余裕すらなくて、ただただ苦しい。味わった者にしか理解できない世界。おかげさまで、かなり痛みに対する耐性ができたと思う。
思い出すと胃液が逆流して吐きそうになるな…。やめとこう。とにかく自分なりに魔法理論を学び直して新たな魔法も考案できた。
スケさん達との修練で詠唱した『融合』は、『圧縮爆弾』と『鼬風』の複合魔法。エルフの魔法との融合には特殊な手法が必要だったけど、魔導書から発想を得て編み出せた。他にも組み合わせが無数にあるから、効果的な融合を探っていきたい。
書物に重要性を感じてから、修練で気付いたことや疑問に思うことを書き記すように心掛けてる。日記のような感覚だけど、いずれ見返したとき発見があるかもしれない。
アニカとウイカに話したら、「末代まで大切にするので、いつか私達に下さい!」って言われたのは意外だった。そんな大層な代物じゃないのに、2人はボクの特訓ノートや勉強ノートも大切に保管してくれてるらしい。いつでも燃やしてくれていい。
慕ってくれるのは嬉しい。でも、アニカ達の将来を見据えると早く魔導師に師事した方がいいに決まってる…んだけど、『これからも一生師匠』宣言をした。
修練と研鑚を重ねて、恥ずかしくない姿勢を見せることだけは心に決めてる。追い抜かれても追いつかなきゃならない。ホーマさんもこんな気持ちを感じたことがあるかな?今度会ったときに相談してみよう。これからも可能な限り彼女達の力になりたい。それは確かな意志だ。
さて…休憩はこのくらいにして、そろそろ次の魔導書を読むことにしよう。
気付けば夜を迎えていた。雨足も大分弱まっている。
肩も首も凝って目もしばしばする。そっと魔導書を閉じて、お茶を淹れがてら遅い夕食を作るために台所へ向かう。簡単にできる手抜き料理にしようかな。
……いや。日々の油断から綻びが生まれて、魔法でも手を抜いてしまうかもしれない。
よし。手を抜かずに作る!張り切って作り出すと結局楽しくて、手を抜くより気分も楽だ。何事も真面目が一番。
根拠のない持論だけど、料理は魔法に通じる。料理が上手いと魔法の上達も早い…ような気がする。逆もまた然り。
下ごしらえでは魔力精製のように細かい箇所まで気を配り、調理は詠唱と同じく様々な手順を経て料理を完成させる。より美味しく作るために試行錯誤するのも魔法の改良に似てる。ビスコさんのような凄腕料理人が魔導師を目指せば、凄い魔導師になれるような気がする………ん?
待てよ…。そうなると料理が全くできない師匠は……?
………即、反証終了。
料理と魔法に関連はなく、たとえ料理が下手でも大魔導師になれる!大魔導師でも料理は上手くならない!
それはさておき、今日はカネルラの南方にある『南蛮』と呼ばれる地方の料理を作ってみた。上手く出来たと思う。最近、世界各地の料理が載った本を何冊かナバロさんに仕入れてもらって、これまた愛読書に。
料理も魔法と同様で、皆と知り合えたから美味しさやバリエーションを追及するようになった。成長できた恩は食べてもらうことで還元する。
モノづくりもそうだけど、沢山の師匠に恵まれて充実した毎日。ボクは相当な幸せ者だ。南蛮料理を1口食べて、ちょっと物足りないので味を模索する。
これは…メリルさんの激辛嗜好に合う料理。ほんの少し辛味を加えると大きく化けそう。唐辛子の粉をほんの少し振りかけて食べると納得の美味しさ。ピリッとくる山椒や胡椒でも合う。この料理はメリルさんが訪ねてきたら皿を真っ赤に染めて振る舞おう。
知識を蓄えて、直ぐに反映されることもあれば全く役に立たない知識もある。それでも、古きを知り最新の情報に更新を繰り返す。古いから必要ないと切り捨てていいモノなんてない。それらもしっかり頭の中に留めておく。
引き出しの多さは新たなアイデアに繫がるし、若造過ぎるボクは魔導師を目指すには1つでも多く知識を増やさなきゃならない。
本を読むのは、読解力や魔法への理解力を高める修練。魔法を使って料理やモノづくりに励むのも魔法操作の修練。4姉妹の魅力に耐えて平常心を保つのも精神力を向上させる修練。
最近では最も困難な部類。本能との闘い。本当に毎日が修練尽くめ。死ぬまで学び続けるのは言うほど簡単じゃないけど、やりたいと思える。
獣人としての力も、魔法もまだまだ底辺。ボクに出来ることはずっと学び続けることだけだ。
いつも読んで頂き、ありがとうございます。
いつまで書くのか自分でも分かりませんが、まだ続けていきたいと思っています。
これからも、たまに読んで頂けると幸いです。
( ^-^)_旦~