391 野点
ウォルトは体力作りの鍛錬で森を駆けている。最近では、『身体強化』を纏って駆けたり、逆に『鈍化』で負荷をかける鍛練法も試したりしながら。
ライバルと認めてくれたボルトさんは会う度に成長しているので油断できない。負けないよう試行錯誤して鍛練する日々。かなり遠い場所まで駆けてきて、とりあえず休憩することに。
お茶を入れてきた水筒を取り出すと、風に乗った別の茶の香りを捉える。森の中で…?この香りはどこから…?
匂いのする方へ移動してみると、森の一部が住み家周辺のように拓けた場所に出た。木は生えておらず、円形に刈り揃えられた日が差し込む芝生。森の中では異様な光景。
そんな場所で4、5人が余裕で座れるスペースに茣蓙を敷いて正座で佇む男性の姿。鉄瓶を焚き火にかけてお湯を沸かしている。
綺麗に頭髪を剃り上げた人間で、初老に見えるけど伸びた背筋は姿勢正しく、紺の羽織がよく似合っている。右目を縦断するように顔に刻まれた傷が印象的。
「どなたですかな?」
ボクを見ることなく丁寧に話しかけられた。周囲に人の気配はないので、ボクに話しかけているのは間違いない。
「通りすがりの獣人で、ウォルトといいます。お茶のいい香りが気になったもので、覗かせて頂きました」
「ほぉ。それはそれは」
目を瞑っていた男性がゆっくり瞼を開いて、目が合うと笑みを浮かべる。
「よろしければ、1杯いかがですか?」
「よろしいのですか?」
「こちらへどうぞ」
「失礼します」
興味があるので招かれた正面に座らせてもらう。ボクのような若造に対しても言葉遣いが丁寧で腰の低い紳士。
男性は、粉末状にした鮮やかな緑の茶葉を小さな木匙で適量掬い、お湯で溶かしながら細い竹のブラシのようなモノでかき混ぜる。流れるような動き。初めて見るけど、おそらく『ノダテ』だ。
東洋ではお茶文化が盛んで、こういった屋外でお茶を楽しむ行為を『ノダテ』と呼ぶ…と本で読んだことがある。基本的には厳かな室内でお茶を楽しむらしいけれど。
さらに、お茶に『ワビサビ』という概念があるらしい。それに加えて茶の作法などについて極めようとする『サドウ』と呼ばれるモノまで存在する。本の知識だけでは到底理解できそうにない領域の話。
完成したお茶を差し出してくれる。器に対して少量で、水面がふんわり膨らんだような見映えは初めて目にするお茶の形。
「召し上がってください」
「ありがとうございます。無作法で申し訳ないのですが」
「ほっほっほ!お気になさらず。森の中で茶を点てている時点で作法などないも同然。気の向くままで構いません」
「では…。お言葉に甘えて…頂戴します」
厚みのある立派な茶器を両手で持ち、そっと口に含んでみると、苦味の中に茶葉本来のまろやかな旨味…。抜群に美味しい。茶葉を細かく摺り茶葉そのものを飲む。こんなに美味しいなんて知らなかった。
「美味しいです」
「ほっほっほっ!よかったです」
「なんというお茶ですか?」
「抹茶です。もしよろしければ、貴方も点ててみますか?」
「いいんですか?是非やってみたいです」
「どうぞ」
どうやって淹れたらいいのか…。さっきの見様見真似でやってみようか。いや、作法は気にしなくていいと言われたばかり。美味しく仕上がりそうなやり方で淹れてみよう。縦に素早く動かして…と。
「ほう…」
少しだけ感心したような声を漏らす男性に、出来上がったお茶を差し出してみる。
「どうぞ」
「頂戴します。……旨いです」
「ありがとうございます」
お世辞でも嬉しい。
「茶の心得がおありで?」
「いえ。まったく」
「なぜ細かく泡立てたのですか?」
「抹茶は苦味が強かったので、まろやかで口当たりがよくなるかと思いました。単にボクの好みです」
「なるほど。貴方の点て方は、茶道では『裏』と呼ばれるモノなのです」
「裏…ですか?」
「泡が少なめで仕上がりが美しい『表』。味がまろやかで柔らかいのが『裏』。それぞれによさがあります」
お茶に流派があるなんて奥が深いなぁ。
「勉強になります。ありがとうございます」
「ほっほっ。殊勝な方ですな。かなりのお茶好きとお見受けしますが」
「はい。普段はお茶や花茶ばかり飲んでいます」
多種族はさておき、獣人ではボクよりお茶好きに会ったことがない。獣人が飲むモノといえば水か酒の2択だ。
「私も似たような者です。茶は旨いですな」
「はい。突然お邪魔したのに快く迎えて頂いて感謝します」
「誘ったのは当方です。誰かと茶を楽しむのはいい」
「あの…貴方の名前を伺ってもよろしいですか?」
「これは失礼を。私はカケヤと申します。以後、お見知りおきを」
「カケヤさん。よろしければ、お茶について幾つかお話を訊いてもいいでしょうか?」
「構いません」
東洋のお茶文化に興味があるので、色々と尋ねてみる。淹れ方や種類についてかなり細分化されていて実に興味深い。今後試してみたい淹れ方を幾つか教えてもらえた。茶道は奥が深いなぁ。
「博識で凄いです」
「茶の湯の真似事ですが、一通りは学びましたので。私からも1つウォルト殿にお尋ねしたいことがあります」
「なんでしょう?」
カケヤさんの気配が変わる。ゾクッと背筋が凍るような感覚に襲われ、正座した状態から素早く腰を上げて後ろに跳び退く。今のは……なんだ…?
険しい顔でカケヤさんを見ると、変わらず笑みを浮かべている。けれど薄く瞼を開いた眼差しは鋭い。
「素晴らしい反応。貴方は…何者なのです?」
口調に変わりはないけれど、薄ら身に纏っているのは…『気』だ。
「カケヤさんは……暗部の方ですか…?」
「『気』を知っているのですね?まず、私の質問に答えて頂けますか?」
質問…。ボクが何者かという話か?
「何者と言われても、この森に住んでいるただの獣人です」
「なぜ暗部をご存知で?」
「知り合いがいます。シノさん、サスケさん、それにクレナイさんだけですが」
「ほぅ…」
すぅ…っとカケヤさんが纏っていた『気』が消滅する。ネネさんもそうだったけど、暗部の知り合いの名を告げると警戒を解いてくれる。
同僚に知人がいるということは、暗部にとって信頼できる人物だと認定してもらえるのかもしれない。
「年を取ると疑り深くなってしまいます。大変失礼致しました。御容赦ください」
「疑いが晴れたのならよかったです」
現役かは不明だけど、カケヤさんが暗部であることは間違いない。であれば、平静を装って近付いた怪しい獣人だと思われてしまった可能性もある。茶が好きだというのも変わった獣人だと思われても仕方ない。思えば、目を瞑っているのに人の気配を素早く察知したのも暗部であれば納得できる。
「お詫びと言えるかわかりませんが、もう1杯いかがですか?少しお話なども」
「有り難く頂きます」
茣蓙に座って再びカケヤさんが点てたお茶を頂く。やっぱり美味しい。
「美味しいです」
「ほっほっほ!貴方は不思議な方ですね。私を疑わないのですか?」
「なにか疑う必要がありますか?」
「先程、私が貴方に当てたのは殺気です。感じたから身を躱したのでしょう?」
「気配は感じましたが、殺気だとはわかりませんでした」
「そうであっても疑う理由にはなる。毒でも盛らないとは限りません」
「毒であれば匂いで嗅ぎ分けられると思います。いや…。無味無臭の毒もあり得ますね」
暗部はあらゆる毒に精通している。きっと可能だろう。
「可能であっても気付かれずに盛ることは困難なのです。貴方には行動から見抜かれるでしょう」
「買い被りです。そもそも暗部は誇り高い組織。守るべき国民を意味もなく殺すようなことはあり得ません。ボクに毒を盛れば、なによりも誇りを失います」
「よくご存知で。さすがは、シノやサスケの知り合いです」
「カケヤさんは現役の暗部ですか?」
「いえ。クレナイと同じく、かなり前に引退して悠々自適な日々を送っております。茶を点てたり書物を読み漁っております」
自信はないけど、さっき感じた殺気と『気』の質から推測すると…。
「もしかして…貴方は先代のシノでは?」
「なぜそう思われるのですか?」
「『気』の質がシノさんのように澄んでいます」
魔力とは違うけれど、煌びやかというか洗練されている。ボクが知る暗部の中でシノさんの『気』に最も近く、シノさんよりも洗練されているように見える。ただ、言葉で表現するのは難しい。
「仰るとおり私は先代のシノです。当代のシノは元気にしていますか?」
「最近は会っていません。サスケさんとクレナイさんにはお会いしましたが」
「そうですか。なぜ暗部と知り合いなのか、お聞きしても?」
「はい。ボクは…」
シノさん達との出会いや交流について事情を詳しく説明すると、カケヤさんは微笑みながら耳を傾けてくれる。暗部に嘘を吐いても無駄なので、包み隠さず話しておこう。なにより信用されない。
「…というワケでして」
「なるほど。縁とは面白いモノです。だから貴方はそれほどの雰囲気を纏っているのですね」
「どんな雰囲気か自分ではわかりませんが、多分そういうことです」
変な雰囲気なのかな?
「はっはっは!よろしければ、貴方の魔法を見せて頂くことは可能でしょうか?是非拝見したいのですが」
「なんの魔法がいいでしょう?」
「なんでも構いません。最も簡単な魔法でも」
「わかりました。それでは…」
カケヤさんに楽しんでもらえるような魔法は…。よし、決めた。目を瞑って『幻視』を発動する。
「…なんと。見事な…」
「昔、本で見たことがあるんです。若干朧気ですが、確かこんな感じだったと」
ボクの記憶に残る東洋の【茶室】と呼ばれる空間を再現してみた。せっかくお茶を頂いているので雰囲気だけでも楽しんでもらいたくて。
「こんな魔法しか見せられませんが」
「充分です。シノが貴方を気に入るのも納得せざるを得ません」
「気に入られてはいません。獣人の魔法使いは珍しいので、目を付けられているとは思います」
「はっはっは!愉快です。ウォルト殿がよければ私と茶飲みの友になって頂けませんか?」
「いいんですか?嬉しいです」
「よろしくお願い致します。暗部絡みで困ったことがあれば、私にお知らせ下さい。力になれるやもしれません」
カケヤさんはサラサラと紙に筆を走らせた。手渡された紙には達筆で住所が書かれている。
「ありがとうございます。ボクの住み家にも遊びに来て下さい。自作ですがお茶でもてなします」
「是非」
「では、場所を教えておき……」
たい…と思ったけど、絶望的な画力を思い出した…。今でも絵を描く努力は継続してるけど、上手くなっている実感は皆無。どうするか…。困っているとカケヤさんが口を開いた。
「必要なときはシノに訊くのでお気になさらず」
「すみません…。教えたいんですが、場所が森の中なので上手く説明できません。地図を描こうと思ったんですが絵が下手すぎて伝えられないんです…」
「はっはっは!本当に面白い。こんなに笑ったのは久しぶりです。楽しくて仕方ありません」
「初めて言われました」
小さな頃から「つまらねぇ野郎だ!」とはよく言われてたけど、面白いと言われたことは一度もない。
「もう1つだけ我が儘を申し上げてもよろしいですか?」
「なんでしょうか?」
「『気』を操れると仰っていましたが、見せて頂くのは可能ですか?」
「はい。では…」
相手は先代暗部の長でボクは素人。恥ずかしがらず全力でいこう。『影分身』を6体同時に出現させる。
「こんな感じなんですが」
「6体とは…。動かせるのですか?」
「なんとか」
実際に動かしてみせる。『影分身』を動かすのは結構楽しい。それぞれを闘わせたりもして、難しい人形劇のような感覚。
「…ふふふっ!はっはっは!なるほど!」
笑わせようとは微塵も思ってないけど、楽しんでもらえたのならよかった。操作が未熟すぎて笑えたのかな。
「まだまだ修練が足りません」
「…長生きはするモノです。貴方のような者が現れるとは夢にも思いませんでした。よいモノを見せて頂いたので、私もお返しにお見せします」
にこりと笑ったカケヤさんは、ボクの後ろに視線を移す。気になって振り返ってみると…。
「うわぁっ!?」
腕を6本持つ厳つい像のようなモノが立っていた。獣人のように筋骨隆々で彫刻のような造形は迫力充分。見下ろしながらボクを睨んでいる。いつの間に『気』を操ったのかまったく気付かなかった。さすが先代シノ。凄い術だ。
「全く気付かなかったです」
「『阿修羅』と呼ばれる術です。本来は動かすのですが、今日はここまでとさせて頂きます」
「あの……ちょっとだけ真似てもよろしいですか?」
「…なんですと?」
造形は覚えた。動きはさておき発動だけなら可能だと思う。『気』を隠蔽しながらゆっくり形作ることを意識する。
「なんと…。真か…」
どうにか発動することができた。見た目だけはそっくりだ。ボクの『阿修羅』はカケヤさんの背後に立ってる。『阿修羅』同士が睨み合う形。
「じっくり見せて頂いてありがとうございます。似せることはできました。この術は格好いいですね」
「ふっ…!はっはっはっ!私をあまり驚かせないで頂きたい。何十年ぶりかにシビれました」
余程のことがなければ麻痺しない、という暗部の冗句かな?
「勝手に術を真似てしまいましたが、よかったですか?」
現役じゃないとはいえ、一応確認しておこう。
「構いません。我々を憧憬すると言って頂けるなど身に余ります。口外するつもりはないのでしょう?」
「もちろんです」
「私もシノ達と同様、決して口外しません。互いに内密ということでよろしいですか?」
「助かります」
「長く引き留めてしまいました。鍛練の途中だったのでしょう。今日はこのくらいにして、またお会いしましょう」
「ご馳走様でした。ありがとうございました」
ペコリと頭を下げると、カケヤさんも丁寧に返してくれる。今日の出会いを大切にしようと思いながら爽快に森を駆けた。
★
数日後。
カネルラ王城、暗部の詰所にカケヤの姿があった。先代シノの突然の訪問に現役の暗部達も驚く。
「御無沙汰しております…」
「急に訪ねてすまんな」
再会の挨拶もそこそこに、シノは「お前と2人で話したい」と言われ個室に移動した。少し前にボバンと大乱闘を繰り広げた部屋へ。
「本日は…何用で…?」
引退した暗部は用もなく姿を現すことはない。暗部を離れたなら1人のカネルラ国民として静かに過ごす。それが歴代国王陛下から与えられる暗部として最後の使命。
先代が訪ねてきたのは引退してから二度目。前回は陛下に呼ばれたと記憶している。自ら足を運ぶのは初めてだ。
「ウォルトのことでお前と話したくてな」
なんだと…?
「なぜウォルトを知っているのです…?」
「数日前に森で野点をしていて偶然出会った。お前やサスケの知人で暗部に勧誘したらしいな?」
まさか…アイツから話を聞いて、反対するタメに来たのか?聞き入れるワケにはいかん。
「アイツを暗部に引き入れるのは…決定事項です…」
「そうか。よろしく頼む。お前の意志を確認に来た」
む…。先代も賛成だったか。当然といえばそれまで。
「ウォルトは…なにか見せましたか…?」
「『阿修羅』を直ぐに模倣してみせた。『影分身』も一息で6体だ。淀みなく巧みに操った」
「アイツは…『気』の修得から操る術まで全て模倣なのです…」
「本人から聞いた。どこまで可能なのか知りたいモノだ。暗部に誘ってもらったことは光栄だと苦笑していたぞ」
「ククッ…。光栄だと言うのならば…是が非でも受理してもらいましょう…」
「1つだけだが見事な魔法も操った。わざわざ俺を楽しませるような魔法を選んで。目にしたこともない高度な魔法を」
「アイツが…魔導師サバトの正体です…」
サバトの噂は先代の耳にも入っているはず。既に気付いているかもしれないがな。
「…なるほどな。纏う空気で只者ではないと気付いたが…やはり化け物の類か。エルフを超える魔導師が獣人とは、どこまでも面白い」
「いかに化け物であろうと…俺が倒し…暗部に引き入れます…」
「そうなれば余生の楽しみが増える。獣人の暗部が誕生すれば史上初。新たな扉が開き、暗部にも風が吹く」
「楽しみにお待ち下さい…」
「あと、彼はクレナイとも知り合いだと聞いたが」
「なっ…!?サスケの奴…」
あれほど会いに行くなと釘を刺しておいたのに…。いつの間にあの阿呆と会わせたのか…。
「サスケは関係ないらしい。元々クレナイの旦那と友人であったと言った。出会って手合わせを望まれ、今は再戦を望まれていると。大した人気者だ。はっはっは!」
「面倒な…」
あの阿呆も負けたのか…。戦闘狂が…。とうの昔に引退したのだから、大人しくしていればいいモノを。まぁ、当然の結果か。
それにしても、暗部を抜けてまで俺の邪魔をしてくるとは。アイツがしつこく迫ると、ウォルトはへそを曲げる可能性もある。
懸念材料は増えたが、やることに変わりはない。
「最後にウォルトの住み家を教えてくれ。森に住んでいると聞いたが地図を描いてもらいたい」
「なぜです…?」
「茶飲みの友になった。家に来てくれと言われたのでな」
「はい…」
今後の経過も見守るつもりか。さっと地図を描いて先代に渡す。
「ふっ…!」
「どうされました…?」
「いや…。こんな絵も描けないのかと思うとな。感謝する」
「いえ…」
よくわからんが楽しそうだと感じる。現役の頃は鬼のような男だったが。
「では、また会おう」
「はい…。また…」
背中を見送ってしばし考える。おそらく、先代も血が滾っているのではないか。暗部を抜けて身軽な先代は俺よりも動きやすい。かなりウォルトを気に入った様子でもある。
だが…アイツを倒すのは俺だ。他の誰にも譲らん。たとえ暗部の仲間であろうと…負けてくれるなよ。