379 時間は有限
夜のカネルラ王城。
湯浴みを終えた国王夫婦の寝室を、愛娘である王女リスティアが訪ねていた。本日も国王と王女という親子間で交渉が行われている。通算回数は両手で数え切れない。
王妃ルイーナは、まだ赤子のジニアスを腕に抱いて交渉を見守っていた。そして、今回の交渉における最終確認が今まさに行われようとしていた。
「お父様。そろそろいいんじゃないかと思うの」
「そうだな。いいだろう」
「ありがとう、お父様!大好き!」
「礼はいらぬ。明日1日だけだ。破れば許さん。あと護衛を必ず付けろ」
「わかってる!絶対、明日中に帰ってくるから心配しないで!じゃあご機嫌よう!」
「こらっ!扉は閉めていけ……はぁ…」
数ヶ月に渡る交渉の末に、『1日外出』の権利を勝ち取ったリスティアは、満面の笑みで部屋を飛び出した。
いつものごとく開けっ放しにされた扉を閉め、微笑みながら私の横に腰掛けるナイデル様。
「相当喜んでいましたね」
リスティアは花開くように笑っていた。
「最近は脱走することもなく、至って真面目な生活を送っている。たまの外出くらいなら許可しても構わないと思っていた。それに…」
「どうされました?」
「真面目に生活していることを恐怖に感じていた。大きなことを企んでいるのでないかと」
「ふふっ。そうでしたか」
思いのほかナイデル様の勘が鋭くて、つい笑ってしまう。
「笑い事ではない。最近のリスティアは不意に不満げな表情を見せる。気のせいではないと思うが」
「そうですね。ちょっとした不満があるようです」
「なに?理由を知っているのか?」
「はい。口止めされているので申し上げられませんが」
「そうか」
ナイデル様は本当に優しい方。国王陛下であるのに、「言えない」と主張されたことを無理矢理訊きだそうとすることはなく、誰が相手であろうと変わらない。政や臣民に関わるようなことは別だけれど。
ただ、私は少しだけ憂いている。武闘会で一躍注目を浴びた魔導師サバト。その正体は、リスティアの親友である白猫の獣人ウォルトであり、私達もよく知る稀代の魔導師。
今回の外出で、リスティアはウォルトに会いに行くのだろう。王都に来ているのかもしれないし、森に向かうのかもしれない。どちらにせよ聞くまでもない。
彼がエルフすら退ける魔導師だとは知らなかった私でも、今後のカネルラにおいて重要な存在に成り得ることだけは理解できる。
そろそろ勘付かないと、ナイデル様にとってよくない方向へと事が運びそうだと懸念しているけれど、リスティアの気持ちも理解できる。とても悩ましい。
「ご心配なさらず。リスティアの不満は政や民に関することではありません。ナイデル様やストリアル達のことでも。あくまでリスティア個人の問題なのです」
「聞いても全く見当がつかない」
このくらいなら教えてもいいかしら。
「遠回しに申し上げるなら、リスティアは不満があるのではなく、羨ましがって拗ねているのです」
「羨ましい?」
「自分ができないことを他人が成す。そのことをただ羨ましいと」
「リスティアにできなくて他人にできること…か。山ほどあるな」
「その内、ナイデル様にもお伝えするかと思います」
「ならば楽しみに待つとしよう」
この手応えがないところが怖い。少しばかり浅はかなのでは…?
ナイデル様は、微笑みながら私の肩を抱いて、そっと顔を近付けてくる。私はゆっくり目を瞑った。唇が触れようかという瞬間…。
「お父様っ!」
「「うわぁっ!」」
バーン!と扉が開いてリスティアが入ってくる。驚いて心臓の高鳴りが治まらない。
「イチャイチャしてたね!ごめんなさい!」
「べ、別に構わんっ!ど、どうしたのだっ!?」
もの凄く動揺されていますね…。私も同じ気持ちですが。
「もらい忘れてたモノがあるの!堂々と門から出ていくつもりだから、外出許可証が欲しいの!脱走を疑われないように!」
ナイデル様は納得の表情。
「そんなことか…。心配せずとも確実に通達する。明朝でもよかろうに…」
「楽しみだから早く欲しいの!」
1日外出を許可する旨を紙にしたため、「気をつけて行くのだぞ」と手渡した。
「ありがとう、お父様!お母様とゆっくりイチャイチャしてね!」
「大きな声を出すんじゃない!わかったからお前もゆっくり休め。もう遅いのだ」
「うん!おやすみ!」
「リスティア!扉は閉めていけ!」
「はぁい!」
遂に扉を閉めさせることに成功して、満足げなナイデル様とゆっくり朝まで寄り添い眠った。
明朝。
支度を終えて、ナイデル様とジニアスと共に朝食へと向かう。既に揃っていると思ったけれど、リスティアの姿がない。私はなぜなのか直ぐに理解した。
「父上。リスティアの姿が見えませんが」
「いつもなら僕等より先に来てるけど、今日はどうしたんだろう?」
ストリアルとアグレオは不思議に感じているようね。当然だけれど。
「誰か様子を見てきてもらえぬか?」
「仰せの通りに」
ナイデル様の指示を受けて従者がリスティアの部屋へと向かい、直ぐに戻ってきた。
「国王様。リスティア様は外出されているとのことでした」
「なに?」
「昨夜、日が変わると同時にダナン様と共に城を出られたとのことです」
「…ご苦労だった。知らせてくれて感謝する」
従者は一礼して仕事に戻った。
「父上。どういうことですか?」
「今日1日だけ外出を許可したのだ。まさか日が変わると同時に出ていくとは予想しなかった」
ナイデル様の苦笑いも納得。昨日、外出許可証が欲しいと言ったのには、こんな理由があったのね。さすがに夜中に城を出ていくのは目立ってしまう。ナイデル様も認めないかもしれない。だから許可証が欲しかった。
ダナンには、事前に話していた可能性が高い。今回は交渉を成功させる自信があって目論見通りに事が運んだのね。
「夜中にどこへ向かったのでしょう?」
「わからん…が、そう遠くはあるまい」
「限られた時間を有効に使いたいと考えたのはリスティアらしいですね」
「ダナンが同行しているのであれば心配いらないだろう。気にしても仕方ない。さぁ食事を頂こう」
どこに向かったのか見当もつかないでしょうね。けれど、私とウィリナとレイは知っている。こっそり顔を見合わせて笑った。
★
漆黒の闇と静寂に包まれる動物の森。
ウォルトがぐっすり眠っていたところに、住み家に駆け寄る蹄の音がした。パッと目を開けて玄関に向かう。
夜中に獣や魔物が出現するのはさほど珍しくない。住み家には防御魔法が付与されていて、玄関を除いてまず破壊されたりすることはない。
とはいえ、なにが起こるかわからないので、眠りながらも聴覚だけは薄ら生かしている。この場所で暮らすようになって身に着けた技術。友人が泊まりに来たときは会話を盗み聞きしたりしないよう遮断しているけれど。
少し警戒しながらドアの前に立つと、よく知る声が聞こえた。
「ヒヒーン!」
「カリー、いい加減にせい!何時だと思っている!やめんかっ!誰を乗せていると思っているのだ!」
「あははははっ!私は大丈夫!」
えっ…?今の笑い声は…。
「ヒッヒ~ン!……ヒン?」
カリーが蹴破る直前にドアを開けた。
「やぁ、カリー。邪魔してゴメンね。危ないと思ったんだ」
「ヒヒン!」
蹴破れなかったことに不満そうな様子はなく、直ぐに顔を寄せてくれる。ボクらにとってはいつものモフりモフられ。しっかりした毛並みが気持ちいい。
「ウォルト殿。夜中にお騒がせして申し訳ありません」
「気にしないで下さい。でも、驚きました」
ダナンさんの前に、ちょこんと座っている親友に笑いかける。
「久しぶりだね。リスティア」
「久しぶり!遊びに来たよ!ウォルト、降ろして!」
リスティアの脇を掴んで、ゆっくり降ろしてあげると首に抱きついてきた。
「久しぶりのモフモフだ!気持ちいい!」
「寝起きだから毛艶がよくないけどね」
「そんなことないよ!」
「よく来てくれたね。嬉しいよ。大きくなったね」
育ち盛りかな。前に会ったときより大人びている。
「ありがと!最近ウォルトが王都に来ても会えないから、テラやアイリスが羨ましかったの!やっと会えた!」
「いつでも会えるならボクも嬉しいけど、そうもいかないからね」
リスティアは親友だけどカネルラの王女様だ。なかなか会えないのは仕方ない。
「とりあえず中に入ろう」
「うん!」
「ダナンさんとカリーもどうぞ」
「お邪魔いたします」
「ヒヒン♪」
とりあえずお茶を淹れる。カリーには水を。
「相変わらず花茶が美味しい~!」
「ありがとう。今さらだけどこんな夜中に森に来てよかったのかい?」
「大丈夫!1日外出の許可をもらったの!護衛もダナンにお願いして!ほら!」
見せてくれた紙には、外出を許可するナイデル国王陛下の署名が。何度もお願いしたんだろうな。
それにしても、日が変わって直ぐに動き出した行動力が凄い。リスティアのことだからきっと計画的な行動。眠る必要がないダナンさんは深夜の護衛に適任で、移動もカリーにお願いできる。
「ゆっくりしていってくれると嬉しい」
「もちろん!」
「そういえば、武闘会では応援ありがとう。リスティアのおかげで緊張が解けて助かったんだ」
「どういたしまして!ホントは肩入れしちゃダメなんだけど、親友だから応援しちゃった!」
「凄く嬉しかったし、気合も入ったから負けずに終われたよ」
親友の目の前で恥ずかしい闘いはできない。
「ねぇ、ウォルト」
「なんだい?」
「最近、本気で魔法を操ったことある?」
「修練でも手合わせでもいつも本気で詠唱してるよ。威力を加減することはあるけど」
「そういう意味じゃないけど、まぁいっか!」
リスティアは目をパチパチさせ、手の甲で瞼を擦る。眠いんだな。
「リスティア、少し眠ろう」
「嫌っ!時間がもったいない!カリーに乗ってる間に少し寝たから大丈夫!」
「しっかり寝てくれたら起きてからどこにでも連れて行くけど、寝ないのなら寝るまで住み家から出ないよ」
いくら時間がもったいなくても、思考もままならないリスティアを連れ回したりしない。
「むぅ~…!じゃあ寝る!ただし、一緒に寝てくれる?」
「もちろん。実はボクも眠いんだ」
「やったぁ!ダナンとカリーも一緒に寝よう!」
「仰せのままに」
「ヒヒン!」
リスティアには寝間着代わりの貫頭衣に着替えてもらう。大きいけどアニカ用を使わせてもらおう。
皆でボクの寝室へ移動する。オーレン用のベッドも置いてあるので、そっちにはダナンさんに寝てもらって、ボクはカリーと一緒に床で寝よう。
「じゃあ、私はウォルトの横に添い寝する!♪」
「えぇっ!?さすがにそれはダメだよ」
王女と添い寝したなんて王城関係者に知られたら、ボクの命はないかもしれない。それこそココにいられなくなる。
「いいの!ウォルトは親友だし、今は王女じゃなくてただの親友だから!ダナンやカリーも誰にも言わないよ!ねっ!」
「そうですな。親友のウォルト殿であれば問題ないでしょう」
「ヒヒン♪」
「そうは言っても…」
「ダメ…?」
リスティアは潤んだ瞳で見つめてくる。今にも泣き出しそうだ。参ったなぁ…。
「いいよ。一緒に寝よう」
「やった!嬉しい♪」
本当に嬉しそう。リスティアの言葉通り、今だけは王女様じゃなくてただの子供でいたいのかもしれない。だったら望みを叶えてあげたい。
ボクはリスティアと並んで横たわり、ダナンさんがもう1つのベッドに、カリーは床に毛布を敷いてベッドとベッドの間に横たわる。
「じゃあ、眠ろうか」
「うん♪」
「その前に、少し魔法を見せたいんだけど」
「えっ?!なになに?!」
「仰向けになって天井を見ててくれる?」
「わかった!………わぁぁ~!」
「なんという…」
「ヒヒン…」
手を翳して4姉妹に好評だった『幻視』の夜空を映し出す。
「凄~い!さすがウォルト!」
「そんなことないよ」
光る蝶を発現させると触りながら喜んでくれるし、星を降らせても驚いてくれる。
「この星空持って帰りたいよ!」と楽しそうでなにより。反応が嬉しくてもっと見せたくなるなぁ。
「うわぁ~!今度は水の中だっ!魚が可愛い!」
「コレはホタル?!初めて見た!綺麗だね!」
リスティアはなにを見せても喜んでくれる。
「ウォルト殿。王女様が眠れませんぞ」
「ヒヒン!」
ダナンさんとカリーが苦笑してる。それはそうかもしれない。寝ようと言ったのはボクなのに。
「つい嬉しくてやり過ぎました。ゴメンね、リスティア」
「私は最高に楽しい!見たことない世界が目の前に広がってるんだから!」
「じゃあ、最後に…ボクとリスティアと言えばコレだね」
「なに?」
『切花』
「わぁ~っ!」
リスティアが羽織る薄手の毛布が、魔法の花で彩られていく。あっという間に多幸草でできた毛布に身を包まれた。
「幸福感が凄すぎるよ!」
「ボクらを繋いでくれたのはこの花だからね。ゆっくり眠れるといいけど」
「眠れるよ!おやすみ!」
「おやすみ」
リスティアは直ぐに寝息を立て始めた。4色の多幸草に埋もれて幸せそうな笑みを浮かべている。
ボクも直ぐに意識を手放した。
★
ダナンがボソッと呟く。
「カリー…。この御仁の魔法には、我々死者ですら感動を覚えるな…」
「ヒヒン」
見る度に驚き胸が温かくなる感覚。どこまでも美しく、夢の中にいるような錯覚に陥るのだ。
「ウォルト殿は他人のタメに躊躇なく稀有な魔法を使う尊敬すべき魔導師。おそらく希少であるとは微塵も思っていないが」
「ヒン」
希少な魔法には価値がある。見せるだけで報酬を求められるのが普通だが、ウォルト殿にとっては全ての魔法が同価値。
初歩の魔法も高度な魔法も等しく魔法であり、相手を楽しませることだけを考えている。損得など微塵も考えない。
「明日はどんな魔法が見れるのだろうな」
「ヒッヒン」
「うむ。ゆっくり休もう」
ダナンとカリーもそっと目を瞑った。