369 川の流れのように
陽射しがぽかぽか暖かい昼過ぎ。ウォルトは久しぶりにアマン川に釣りに来ていた。
胡座を組んで、のんびり川に糸を垂らしている。最近、なかなかファルコさんに会うことができず、釣りのコツを教えてもらえてないけど、魚を食べたいので定期的に釣りに来ている。
川の畔はなぜか心が癒されるような気がして好きだ。せせらぎの音も心地良い。今のところの釣果は小魚1匹だけど、心を乱すことなく釣りを楽しんでいる。
…と。
「今日は気持ちいいなぁ~!」
何者かの声がして川の上流に視線を向ける。すると、優雅に水面を泳ぐ者の姿。男は川の流れに乗ってゆっくり目の前を通り過ぎていく。なんとなく目で追って姿が見えなくなると、何事もなかったように釣りを続けた。
「ちょっと待てい!」
男はスイスイと流れに逆らうように泳ぎながら、目の前まで戻ってきて陸に上がった。背中に大きな甲羅を背負っている。
「こら!猫の獣人!なにか言うことはないのか!」
「特にないです」
突然そんなこと言われても…。
「優雅ですね!とか、見事な泳ぎっぷり!とかあるだろ!」
「そうですね。驚きました」
どうしてそんな怒っているのか。いきなり人が目の前に現れて、瞬時にそんな言葉が出るような者がいるかな?
「驚いたか!それならよしとしよう!」
ハハハ!と笑う男は、初めて会う種族。間違いないと思うけど訊いてみよう。
「貴方は亀の獣人ですか?」
「そうだ!俺はオニール!」
「ボクはウォルトと言います。見事な泳ぎだったと思います」
「そうか!もっと褒めていいけどな!」
まるで、ペニーとシーダみたいだ。違うのは結構おじさんであるところ。
「釣りか?釣れてるのか?」
ぐいぐい来るなぁ。
「あまり上手くないので、芳しくないですね」
「そうかぁ。俺なら潜って獲ったほうが速い!獲ってきてやろう!」
「気持ちだけ頂きます。釣りが好きなので釣れなくても満足なんです」
「ぐぅっ…!」
オニールさんは、両手両膝を地面に突いて項垂れた…。悪いことをした気分だ。そして、ちょっと面倒くさい。
「1匹だけ獲ってきてもらえますか?」
試しにお願いしてみると、顔を上げて明るい表情を見せる。
「俺に任せな!」
オニールさんは見事なフォームで川に飛び込んだ。亀の獣人の実力は見てみたい。ファルコさんは上空からの直滑降で見事に魚を獲った。あの時はさすが鳥の獣人だと思った。
黙って待つこと数分。一向に水面に上がってくる気配がない。
この釣り場は、さして水深はないはずだけど、場所によっては身長以上の深さがある。しかも、甲羅は辛うじて視認できてるから心配はいらないと思う。でも、川底に張り付いたように動かない。まさかと思うけど…。
オニールさんを救出しようと川に飛び込むことに決めて、ローブを脱ごうとボタンに手をかけた瞬間、ザバッ!と水面から顔を出した。
「獲れたぞ!…ってどうした?」
「なかなか上がってこないから心配になって」
「あははっ!助けようとしてくれたのか」
陸に上がったオニールさんは、魚をボクに差し出す。
「どうだ!トラウトだ!美味そうだろ!」
「凄いです。よく銛も持たずに獲れますね」
「息を殺して待ち伏せするんだ。気長にやるのがコツだな!」
「息の長さに驚きました」
余裕の表情を浮かべてる。さも当然といった雰囲気。
「一息で20分は潜れるぞ!亀の獣人だから!」
「凄いです」
「そうか!」
心肺能力が凄まじい。ボクなら3分が限界だと思う。
「ほれ!やる!」
「ありがとうございます」
どうやらくれるようなので有難く頂こう。決して面倒くさいことになりそうだからではない。
「今すぐ捌きます。オニールさんも一緒にいかがですか?」
もし釣れたらその場で食べたいと思って、包丁や調味料も持ってきた。簡単な味付けならできる。
「大丈夫だ!俺はいつも食ってる!遠慮なく食べろ!足りないだろうから、また獲ってきてやる!」
「もう大丈夫ですよ!」
制止したものの、オニールさんはまた飛び込んでしまった。とりあえず、焼いて食べることに決める。
平べったくて魚が載る大きさの石を探して、その下に薪を並べて火を付け石を熱して焼く。石焼きは美味しい。
とはいえ、温まるのに時間がかかるので薪はあくまで保温用。実際は時間短縮のために炎の魔力で石を一気に加熱する。
「これでよし。捌こう」
まな板は持参した。なかなか代用できるモノが現場にない。さっと3枚におろして、塩や胡椒、ハーブなどをブレンドした特製の調味料をかけて頂く。焼き魚の味付けはこれだけで充分。
ゆっくり身に脂を閉じ込めるように焼いていると、オニールさんが上がってきた。また大きなトラウトを手に持っている。
「また獲れたぞぉ~」
「お疲れ様でした。ちょうど焼き上がります。オニールさんも一緒に食べましょう」
「……いや!俺はいい!ウォルトが食べてくれ!」
「では、お言葉に甘えて頂きます」
う~ん、最高に美味しいな。是非オニールさんにも食べてもらいたい。凄く食べたそうに見えるけど、頑なに断るのはなんでだろう?……もしかして。
綺麗に1匹食べ終えて、疲れが見えるオニールさんに訊いてみる。
「オニールさん。ボクに頼みたいことがあるのでは?」
「なんでわかったんだ?!」
やっぱり。
「自分が食べたいモノを食べずに、見ず知らずのボクに魚をくれるなんてあり得ないです」
「勘がいいな!実はウォルトに頼みたいことがある!」
「なんでしょう?」
ひょうきんに見えていたオニールさんは、打って変わって真剣な表情を浮かべる。
「もし、知っていればでいい。獣人の病に詳しい者を知らないか?」
「獣人の病?詳しく教えて下さい」
「俺達、亀の獣人の里で病が流行していて困ってるんだ」
「どんな症状ですか?」
「腑の具合がよくない。モノを食べると、直ぐに腹を下したり吐き出してしまう。だから弱ってしまってな」
オニールさんも例外ではないということ。だからトラウトを食べなかったのか。
「なぜボクに?」
「里が遠いモンだから、川の流れに乗って街の近くまで行こうとしてたんだが、思ったよりキツくて…。釣りをしていたウォルトを見掛けた…。…俺が辿り着かなくても、誰かに…そのことを医者に伝えてもらえ…たら…と」
オニールさんはふらっとよろめく。駆け寄って支えた身体は確かに細い。こんな弱った身体で…。治療を頼むタメとはいえ、知りもしない獣人のために魚を獲ってくれたのか…。
貴重な体力を使って。無駄骨に終わる可能性もあるのに。それだけ切羽詰まっているということ。
「恩を押し売りして悪い…。こんなことしかできなかったけど、なんとかお願いできないか…?里の場所も教える…」
この人の気持ちに純粋に応えたいと思う。
「確かに聞き届けました。ボクにできることはやります。心配しないでください」
「よかった…。恩に…着る…」
「お疲れ様でした。少し眠っていて下さい」
「あぁ…。頼むよ…。疲れた…」
『睡眠』でゆっくり眠ってもらい、オニールさんを仰向けにして『診断』で腹部を探る。特に気になるところはなさそうだ。ということはやはり菌の類か…。もしくは…。
眠っているオニールさんを背負って、全速力で住み家に向かう。
住み家に着いて2時間ほど経過した頃、ベッドで横になっていたオニールさんは目を覚ました。
「う…。ウォルト…。ココは…?」
「ボクの住み家です」
「すまないな…。運んでくれたのか…」
「オニールさん。身体を起こしてみてください」
オニールさんは、すっと起き上がる。
「身体が軽くなってるような…」
「信じてもらえるかわかりませんが、ボクは薬を作ってます。回復薬を飲ませました」
「ウォルトが薬を…?獣人なのに…?」
「自家製を勝手に飲ませてすみません。今のオニールさんは、病は治っていませんが体力は回復しているはずです」
「確かに。それだけでも助かる」
「症状を詳しく教えて下さい。薬を作って渡せるかもしれません」
「気持ちは嬉しいけど、そんなことができるとは…」
「無理に信じてくれとは言いません。街までボクが連れて行って一緒に医者を探しても、どちらでも構いません」
強制はできない。信じられないのも当然だから。あくまでオニールさんがよければなんだ。
「そうか…。聞いてもらっていいか?」
「はい」
オニールさんから里での生活の様子や、病が流行した経緯を聞く。予想していた通りだった。
「予想通りなら眠ってる間にボクが作った薬が効くかもしれません」
「本当か!?」
「信じてもらえるなら、まずオニールさんが飲んでみてもらえますか?強制はできませんが」
「任せろ!」
オニールさんは即答するけれど、相手の許可なく自作の薬を飲ませるのは違法だ。既に飲ませてるから今さらだけど。
「害はないと言い切れますが、本当に嫌だったり疑っているなら断ってください。約束は守ります」
「いいや!ウォルトが俺を騙す理由がない!そんな男に見えない!」
そう言ってもらえるのは嬉しい。
「では、こちらへ」
調合室に案内して作っておいた飲み薬を手に取る。オニールさんはキョロキョロして落ち着かない様子。
「凄いな…。本当に薬を作ってるのか…」
「ちなみに、その薬は即効性があるので油断大敵で…」
言い終わる前にオニールさんは飲み干していた。ファルコさんと同様で迷いがない。
「なんともないぞ!」
「さすがに早すぎますよ。今からです」
説明して5分ほど待ったところで…。
「ううっ…!これはっ!?あいたたた!」
「オニールさん!あちらです!」
「ありがとう~っ!急げ、俺っ!」
オニールさんはボクが指差した先にあるトイレに駆け込んだ。
「皆、待ってろよぉ~!」
「凄い速さです。正直、驚きしかないです」
「そうか!」
ボクはスッキリした表情で川を遡上するように泳ぐオニールさんの甲羅の上に乗っている。
「歩くより泳いだ方が速い!」と言うけれど、オニールさんは顔と甲羅を背負っていること以外は普通の人型の体型。
さすがに歩いた方が速いと思うけど、復調したか確認したいかもしれないので黙っておく。それに、流れに逆らっているのにもの凄い速さで泳いでいることは確かだ。
「ウォルトの飯は最高に美味かった!魚は焼いても美味いんだな!」
「普段の食べ方が1番だと思いますが、生食は危険なときもあります。特に、この時期の魚は」
オニールさん達の体調不良の原因は、おそらく病ではなく寄生虫によって引き起こされたものだ。この時期の魚は寄生されていることが多い。
特に、生で食べると寄生される危険性が高い。亀の獣人は普段から生で魚を丸呑みすると教えてくれた。
「過去にも似たようなことは何度かあったんだ。でも、しばらくすると治ってたんだよな!」
「今回作った薬は強い薬です。ストペインと呼ばれる寄生虫だと予想しています」
予想は当たってくれたようで、虫下しの薬を飲んだオニールさんは、トイレで排出し終えると直ぐに回復した。さすが獣人。そして、残っていたトラウトを焼いて食べさせて嘔吐や下痢の症状が出ないことを確認した。
その後、里で待つ皆のために材料を集めて、調合した薬を袋に詰めて持ってきた。オニールさんは、材料集めのために慣れない森を駆け回ってくれた。普通に駆けてたし泳ぐより速いと思ったけど、水の中より疲れるのかな?
とにかく、過去に起こった症状は獣人の回復力でどうにかできる程度のものだったのだろう。ただ、文献にあったストペインという寄生虫は薬を飲まなければまず退治できない。ずっと苦しみ続け衰弱が進むとやがて命に関わる。
「腹の中の虫のことはよく知らないけど、薬を作ったウォルトは凄いぞ!それだけはわかる!」
「たまたま作れただけで、凄くはないです」
「たまたまでも狙ってでも、作れる奴と作れない奴がいる!ウォルトは作れた!だから凄い!おかしいことを言ってるか?」
「いえ。ありがとうございます」
そうかもしれない。たまたまでも作れたことを素直に喜ぼう。
「もうすぐ里だ!」
「はい。無事ならいいんですが」
「大丈夫!きっと助かる!」
亀の獣人の集落は、川をかなり遡上した場所にあった。川を泳ぐしか辿り着く方法がない岩山に囲まれた地域。見渡しても皆が亀の獣人で、他の種族は一切いない。
「アンタは里の恩人…いや、恩猫だよ!」
「ありがとうねぇ~…。アタシャ、死んだと諦めてたよぉ~」
「薬を作る獣人なんて凄いなぁ」
「猫のお兄ちゃん、ありがと!」
里の皆もやはり寄生されていたようで、オニールさんと手分けして薬を飲ませると、すっかりよくなった。
「もう充分です」と何度も伝えているのに、繰り返しお礼の言葉をかけられて困ってしまう。調合しただけなのに嬉し恥ずかしだ。
そもそも、ボクは大層なことはしてない。感謝するなら身を削って皆を救おうとしたオニールさんにするべき。
「オニール。お前は大したもんだ」
「ありがとうな。おかげで助かった」
「無理させたね」
「気にすんなよ!仲間だろ!」
オニールさんも皆に感謝されている。この隙に帰りたいところだけど、その前に伝えておくことがある。
「オニールさん」
「ウォルト。お前にはなんてお礼を言っていいのか…。ただ釣りをしてただけなのに、巻き込んでしまって…」
「好きでやったことなのでお礼はいらないです。それより、コレを」
オニールさんに紙を手渡す。
「処方した薬の作り方です。材料は覚えてるでしょうから、念のために書いてます。できるだけ簡単に作れる製法を考えてみました。効果が弱くなることは否めませんが、何度か飲むことで対処できますし、鍋や皿があれば作れます」
「教えてもらっていいのか?」
「上手くいかなければ住み家に来て下さい。何度でも詳しく教えますし、必要があれば作って渡します」
「俺達が魚を焼いて食えばいいだけだろ?気にすることないのに」
来る途中に寄生虫の対処法を伝えていた。しっかり熱を加えて調理すれば、魚の寄生虫はほぼ死滅することを。でも…。
「亀の獣人の皆さんは魚を生で食べたいでしょう?」
「それはそうだ。最高に美味い食べ方だからな」
皆がコクリと頷いた。
「食事は生きていく楽しみの1つで、自分が美味しいと思えることを遠慮してほしくないんです。生食は亀の獣人の嗜好で、長年築いてきた文化だと思います。また寄生されたとしても決して愚かなことだと思いません。だから薬があれば安心できます」
昔から続けてきたことを一瞬で奪うことなんてできない。命は大事だけど、だからといって恐れてほしくない。食べ物を美味しいと感じることは、幸せと同義だとボクは思う。
「ウォルト」
「なんでしょう?」
「お前と知り合えてよかったと心から思うよ。俺達は、お前が困ったときできることで必ず力になる。いつでも言ってくれ」
後ろにいる皆も頷いてくれてる。その気持ちだけで充分だ。
「その時はお願いします」
「それと…今回の薬の礼にコレをやる!」
「えぇっ!?」
オニールさんは背中に手を回して、自分の甲羅を外した。正確には、外側の外皮のような部分だけをベリッ!と剥がした。両手で受け取る。
「『亀の甲羅』だ!軽くて丈夫な素材として、いい値段で売れるらしいぞ!」
「売ったりしません。モノづくりで大事に使わせてもらいます。ありがとうございます」
きっとなにかの素材として活かせる。すごく有り難い。
「今まで「くれ」と言ってきた奴にあげたことないから使い道は知らんけど、なにかに役立ててくれ!」
里の皆に見送られながら帰路につく。
駆けれるようになる陸地まで、オニールさんが甲羅に乗せてくれた。甲羅を剥がしたから少しヒリヒリするらしい。
また来ることがあれば、今度は魚料理で皆をもてなしてあげたいと思いながら、貰った甲羅を背負って森を駆けた。