353 弟子として、なにができたのか
フクーベ冒険者ギルドのギルドマスターであるクウジは、早朝から身支度を整えていた。
いつもの洋装ではなく、冒険者時代以来の軽装に身を包み、やや緊張した面持ちで家を出るとマードックとマルソーが待つ場所へと向かう。
集合場所はフクーベの街を出て直ぐの場所。到着すると2人は既に待ち構えていた。
「おせぇぞ」
「おはようございます」
「待たせたな。いつでも行ける」
「偉そうに言うんじゃねぇ。さっさと行くぞ」
今日は、マードックとマルソーと共にサバトに会いに行く日だ。昨日、遠征クエストを終えてフクーベに戻ってきたマードックにこの時間を指定された。
「疲れているだろうにすまんな」
「けっ!大したことねぇよ」
「急いだ方がいいでしょうから」
「あぁ。残された時間があとどれくらいなのか誰にもわかりようもない」
昨夜マードックとマルソーが訪ねてきたときに、なぜサバトに会いたいのか理由を伝えた。
2人は特段驚くこともなく納得してくれた。すぐに行くことを提案してくれたのはおそらく気遣い。そのことに感謝しかない。
「そんなに遠くないのか?」
「あぁ。お前とマルソーが遅ぇからな。2時間くれぇだろ」
久しぶりに動物の森に入る。冒険者時代はよく訪れていたが。
「森に住んでいるのか」
「エルフっぽいだろうが!ガハハ!」
「そうだな」
マルソーはなぜか苦笑い。
「着くまでにお前に言っとくことが何個かある」
「なんだ?」
「サバトに会っても驚くんじゃねぇぞ。あと、ケンカを売るなら先に遺言書いとけ」
「前にも言ったがケンカを売るつもりはない。頼みにいくんだからな」
サバトの魔法を間近で見たい気持ちはある。だが、それよりも大事なことを頼みにいく。
「それと…なにか起こってもテメェの責任だ。俺やマルソーのせいにすんじゃねぇぞ」
「どういう意味だ?」
「お前は、ギルマスだか知らねぇけど偉そうだ。マルソーは違ったけどな」
「はっきり言え。意味がわからん」
「アイツにヘソ曲げられねぇようにしろってこった。俺はなにもしねぇぞ」
「努力はする」
俺だってエルフを知らないわけじゃない。まず会えないが何人か顔見知りもいる。気難しいのは百も承知。
ただ、マードックが知り合いでいられるのなら、俺がそれ以上の失礼を働くことはないと言い切れる。粗暴な獣人に心配される筋合いはない。
「クウジさん。マードックの台詞を肝に銘じてください」
「わかってる。何度も言わなくていい」
「念押ししとくぞ。なにが起こっても、他言無用の約束は忘れんなよ…?あのジジイ相手でも同じだ」
「それも心配するな。二言はない」
コイツらは…俺をなんだと思ってるんだ?そんなに偉そうに見えるのか?
森を歩くこと2時間ほど。
久しぶりの遠出に、自分の体力が落ちたことを実感していたところで、拓けた場所に家が建っているのが見えた。
「あれか?」
「そうだ」
「俺も久しぶりに来ました」
並んで歩み寄ると、1人の獣人が姿を現す。痩せた…白猫の獣人。マードックが口を開いた。
「よう。久しぶりだな」
「あぁ。久しぶりだ。マルソーさんもお久しぶりです」
「急に訪ねてすまない」
モノクルを着け、ローブを着た獣人は俺を見る。
「初めまして。ウォルトといいます」
「俺はフクーベのギルドマスターをしているクウジという者だ」
物腰柔らかで丁寧な話し方。変わった獣人だ。
「おい、クウジ。お前が会いたがってたのはコイツだ」
眉間に皺が寄る。
「なんだと…?」
「お前がモノを頼みに来たのはコイツだ。聞こえてねぇのか?」
マルソーを見るとコクリと頷いた。この獣人が……サバトだというのか…?
「おい、ウォルト。コイツがお前になんか頼みてぇことがあるらしい」
「クウジさんがボクに?」
ウォルトは俺に視線を向けた。
………コイツらは……。
「………ふざけるな」
「あん?」
「…ふざけるなっ!お前らは、どういうつもりだっ!」
怒号を飛ばす。
「テメェは…なにほざいてんだ?」
「俺達はふざけてません」
平然と言い放つコイツらに腸が煮えくりかえる…。
「お前らは…コイツがサバトだと…そう言いたいのかっ!?」
「そうだっつってんだろ」
「その通りです」
笑うこともなく真剣に告げてくる。不愉快極まりない…。
「ふざけるなよ……ふざけるなっ!俺は…お前らを信用して頼んだんだっ!」
あまりにふざけている!言うに事欠いて、魔法も操れぬ獣人がサバトだと?!
「だから連れてきたろうが」
「ギルドも無理を言って朝だけ皆に任せ、無理して時間を作ってきたっ!迷惑をかけてるっ!」
「知るか。テメェの勝手だろ」
「それなのに……俺の気持ちを弄ぶようなことを…!クソッタレがぁっ!」
マードックはもうなにも言わず俺を睨んでくる。マルソーも閉口した。
「満足かっ?!師匠のタメに、お前らに頭を下げて頼んだっ!真剣にだっ!それを…こんな冗談で返して…俺を虚仮にして楽しいかっ!?」
とても許せん…!コイツらは…余りに人を馬鹿にしてる。冗談にもほどがある!
「クウジさん。感情的にならずに話だけでも聞かせてもらえませんか?」
ウォルトと名乗った獣人は冷静に語りかけてくるが、怒りは収まらない。
「黙れ、獣人がっ!魔法を使えるワケもないお前と話すことなどなにもない!コイツらとグルなんだろうがっ!お前も満足かっ!?」
ウォルトは静かに目を細めるだけ。
「お前らは…やってはならないことをした…!真面目な話を茶化しやがった…。ギルドも追放してやるからそのつもりでいろっ!クソガキ共がっ!」
マードックとマルソーは、揃って溜息を吐いた。
「…好きにしろや。ただ約束は守れよ」
「知ったことか!」
「んだと…?」
「やるっていうのか!?魔法で燃やしてやる!かかってこい!」
怒りの表情で俺に歩み寄ろうとするマードックを、マルソーが手で制する。
「クウジさん…。俺はガッカリしてます。俺達は事前に言いましたよ。人の話を聞いてたんですか?」
「なにを言った?!お前らと話すことなどなにもない!」
「少し冷静になって下さい。魔導師らしくない」
「魔導師らしくだと…?魔導師らしくとはなんだ!?」
「いつだって冷静沈着に最善を尽くす。1歩下がって、常に状況を見極めることを忘れない」
誰に向かって講釈をたれている!ふざけやがって…!
「若造が知ったような口を利くな!今、なにか見極める必要があるかっ!」
「彼は…ウォルト君は優秀な魔導師です。貴方なら冷静になればわかるはず」
「微塵も魔力を感じない明らかに弱者の獣人が魔導師だとっ?!バカも休み休み言え!」
俺はウォルトに向かって声を上げる。
「お前が魔導師だと言うのなら、今すぐ魔法を見せてみろ!さぁ!」
ウォルトは抑揚なく答えた。
「お断りします」
「偉そうにっ…!魔法を使えもしない獣人が…さも使えるかのように宣う…。恥を知れっ!」
「魔法は使えますが…貴方に見せる必要はない」
★
マルソーは片手で目を覆った。
この人は…やってしまった。もう取り返しがつかない。
クウジさんの事情は理解した。マードックも心意気を汲んで、だから小出しに可能な限り回りくどく教えた。
ウォルト君は頑固なうえにお人好しではなく人を見る。獣人を蔑んだり、信用できない人物とは縁を繋がない。そんな性格を知っているから、本当なら先に全てを伝えておくのが優しさだ。
だが、実際に会って人柄に触れ、操る魔法を見るからこそ皆が口を噤む。そんな魔導師。事前に獣人であることを口にすると、誰が聞いているかもわからない。教えたとしても、結局会わずに噂だけが先行する可能性もある。だからハッキリ教えなかった。
ましてや、クウジさんはサバトに会って真摯に頼むつもりだと言っていた。信じた結果がコレだ。自爆もいいところ。正直、俺もこの人の性格を見誤っていた。冷静に判断するだろうと思っていたのに。
マードックの心中は…穏やかではないな。
「おい、クウジ…。テメェ、もう帰れや」
「なんだと!?」
「クビでもなんでもお前の好きにしろ。あと、ライアンのジジイには俺から言ってやる」
「なにをだ!」
「テメェの弟子はバカで役立たずだ。会いたきゃテメェが1人で来いってな」
「なんだとっ?!獣人が俺を虚仮にするか!」
ギルドマスターという要職に就いているとはいえ、この人もやはり魔導師。年齢を重ねて、タチの悪い老害魔導師に近付いている。
凝り固まった思考で、魔法を使えない者を下に見るのも師匠譲りということか。ウォルト君と交流した俺のように、鼻っ柱を叩き折られたことがないのだから仕方ない。
「俺に任せてくれ。王都の知り合いに手紙を渡してもらうよう頼んでおく」
「知り合い?お前にいんのかよ?」
「こう見えて、一応な…」
マードックはウォルト君を見る。
「変な奴を連れてきちまって悪かった。勘弁してくれや」
「お前は悪くない…」
「一応コイツが言いたかったことだけ言っとく。ライアンのジジイがもうすぐ死んじまうから、お前に会いてぇんだとよ。死ぬ前にお前の魔法が見てぇらしい」
「ライアンさんが…そう言ったのか…?」
「あぁ。もし来たら、会うだけ会ってやってくれや。気に入らなきゃぶちのめせ」
「言われなくてもそうする」
「喉が渇いちまった。悪ぃがちっと酒飲ませてくれ」
「あぁ…。中に入ってくれ…。マルソーさんもどうぞ…」
「今日は本当にすまない。お邪魔する」
ウォルト君は先に住み家に入る。息を荒げて睨み続けるクウジさんにマードックが告げた。
「…テメェは、師匠ってジジイよりクソみてぇな魔導師のプライドってヤツが大事か…。ろくにモノも頼めねぇクソ野郎がデケェ口叩くんじゃねぇ…。全部無駄にしやがって…。街で会ったら楽しみにしとけや…」
唾を吐き捨ててマードックも玄関に入る。怒りに打ち震えた様子のクウジさんは、身を翻してフクーベに向かった。
★
フクーベのギルドに戻ったクウジは、「しばらく誰にも会わない」と職員に伝えて、執務室で思考の海を泳いでいた。
時間が経ち、冷静さを取り戻して思う。
俺は……間違えたのか……?マードックとマルソーは最後まで冷静だった。ウォルトと呼ばれた獣人をサバトだと…そう言った。
「驚くな」と事前に言われていた。「ヘソを曲げさせるな」とも。肝に銘じろとまで言われた。だが、俺は『つまらんことを念入りに』と正直気分を害していた。
ウォルトは「魔法を使えるが見せる必要はない」と言った。それが本当で、アイツがサバトの正体なのだとしたら…ヘソを曲げたに違いない。
獣人を…種族をバカにされて怒らない奴はいない。よく知っている。俺はアイツを…獣人を罵った。
結局マードックがウォルトに頼んでいた。俺が頼むべきことを……師匠に会ってやってほしいと…。
俺は…マードックの言葉通り、人の好意を無にしてモノを頼むこともできない魔導師なのか…。それとも、やっぱり揶揄われたのか。
おそらく…前者だ。
どちらにせよ今さら。マードックとマルソーについては、ギルドからの追放などできはしない。個人的な感情でギルドマスターがAランク冒険者を追放したとなれば、フクーベのギルドはまともではないと噂も立つ。そもそも辞めるなら俺だ。
事実がどうであれ、無理を言って頼んだ挙げ句、忠告を聞くことすらせず感情にまかせて暴言を並べ続けた…器の狭小なクソったれの老害魔導師。
恩ある師匠のタメにと偉そうにほざきながら、頭を下げることすらできなかった…阿呆としか言いようのない不肖の弟子。
それから1カ月経ったよく晴れた日。
フクーベが生んだ大魔導師ライアンは、穏やかな表情を浮かべてこの世を去った。多忙の上に師匠に合わせる顔もなく、サバトの調査を頼まれた日が最期の邂逅となった。
カネルラの名だたる魔導師が顔を揃えた葬儀は滞りなく終了し、数日経ったある日のこと。俺の元に1通の手紙が届いた。差出人の名はライアン師匠。
業務を終え、1人きりになったギルドの執務室で封を開けた。亡くなってから送るように身の回りの世話をする弟子に頼んでいたのだろう。
便箋を開くと、師匠が書いた弱々しい文字が並ぶ。内容は、俺にあてた師匠の最期の言葉。筆無精だったのにと思わず苦笑する。
ゆっくり読み進めて、ある部分に差し掛かるとピタリと目が留まる。
『クウジ。お前のおかげでウォルトに会うことができた。必死に探してくれたと聞いたぞ。感謝する』
師匠は……会えたのか…。
『想像を遙かに超える魔導師だった。過去に見たこともない魔法を目にして、何十年ぶりかに心躍った。ジグルにも日々自慢しておるところよ。悔しそうな顔が愉快過ぎる。彼奴に関することは、頼まれた通り絶対に教えてやらんがな』
ウォルトは、それほどの魔導師なのか…。
『もっと早くあの男に出会いたかった。魔法を競ってみたかった。今となっては叶わん望みだが、幸い多くの弟子を持った。才能が皆無だった小間使いの小僧が立派な魔導師に成長した。お前は自慢の弟子だ。修練を怠るな。負けるのは許さんぞ』
……師匠っ!
ライアン師匠の笑顔が浮かんで視界が涙で歪む。
『つまらぬプライドを抱えた偏屈な魔導師ゆえに、直接は伝えられなかった。代わりにウォルトに感謝を伝えてくれ。冥土の土産に最高の魔法をありがとうと。儂をウォルトの元へ運んでくれたマードックとマルソーにも礼を伝えてくれ』
…なんてことだ。
俺は……なんて下らない男なんだ…。