349 師弟の絆
フクーベの街。
ギルドマスターである魔導師クウジの執務室には、師匠でありフクーベが生んだ大魔導師ライアンの姿があった。
今日は珍しく師匠が訪ねてきた。事前に連絡もなく、弟子のお供も連れずに。エミリーに頼んでお茶を淹れてもらう。
「師匠。お久しぶりです」
「堅苦しい挨拶はいらんわ。忙しかったか?」
「いえ。今日は急用ですか?」
「お前に訊きたいことがあって来た」
「もしや…サバト絡みですか?」
「その通りよ。滅多に来ない儂が突然来れば気付くか」
「私も気になっていますから」
「カネルラの魔導師で気にならない者などおらんじゃろう」
ライアン師匠はズズッとお茶をすする。
「探ってはいますが進展はありません」
「そうか」
「王都では新たな情報が掴めていますか?」
「まったくだ。王都の魔導師も躍起になっておるが、猫の尻尾の先すら掴めん。ジグルもあらゆる伝手を頼っておるみたいじゃが、知り合いのエルフに訊いても手掛かりすらなかったと嘆いておる」
「そうですか。私はサバトの魔法をこの目で見たくて仕方ありません」
「儂もだ。こんなときに限って武闘会を観ていない。己の馬鹿さが嫌になるわ」
師匠は今回だけ見逃したかのように言うが、実際はここ何年も見ていないはず。魔法武闘会に出る魔導師はどうしても宮廷魔導師に比べて技量が劣る。師匠はそんな者達にまるで興味がない。
「ジグルさんは直に観たと聞いていますが」
「あぁ。「見ただけで絶対に敵わないと思った」と。「生まれて初めてそんな魔導師を見た」と言っておった。生意気な奴よ…!」
自分は含まれていないのが気に食わないのか。師匠らしい。
「決勝の相手も相当なエルフだったと聞いています」
「そっちはアーリカの冒険者と判明している。フレイという名のエルフだ。確かに素晴らしい魔導師で、宮廷魔導師だとしても軽く頂点に立てる男らしい」
「会って確かめたのですか?」
「バカを言え。アーリカは遠い。何人かの弟子に確認に行かせた。皆の評価はすべからく同じ。1対1の魔法戦では宮廷魔導師でも太刀打ちできんと」
「サバトはそんな魔導師より格上なのですね」
「弟子も数人目撃しておる。皆が口を揃えて「化け物」だと言った。信じられない魔導師だと」
師匠の表情は悔しそうだ。だが、エルフは魔法に愛された種族。ハッキリしないが寿命も人間の何倍も長い。表舞台にも立たず、化け物が存在していてもおかしくない。
「師匠が私に訊きたかったことはそれだけですか?」
「サバトとパーティーを組んでいたのはフクーベの獣人冒険者と聞いたが本当か?」
「確認はとれています。間違いありません」
「であれば、どういう繋がりがある?」
「会場の周辺で数合わせに捕まえたと。中に入りたがっているように見えたそうです」
「ふん。取って付けたような理由じゃな」
「私もそう思います。ですが、その者達はとてもエルフの知り合いがいるような者ではありません。言い切れます」
「では、エルフでなければいるかもしれん…ということだな」
エルフでなければ…?師匠はなにが言いたいんだ…?
「エルフでなければ…ですか?」
「仮にサバトが人間であればあり得るな?」
「あり得ます。2人は人間とパーティーを組んでいますから。1人は元ですが。しかし…」
「前に聞いた話が気にかかってな」
「もしや…私の全盛期を超える若い魔導師のことですか?」
「そうだ。そんな者がいるという噂。そんな噂がある街の冒険者とチームを組んで、武闘会に出場している。さらに言えば予選の時に見た若い男。なにか匂わんか?」
「まさか…その男がサバトだと?」
「断言はできん。…が、あの男が魔道具か魔法によって姿を変えていたとしたら儂の感じた魔力も説明が付く」
「あり得ます…が」
辻褄は合うが、そんなことがあり得るのか…?誰にも見抜かれない魔法による変装など見たことも聞いたこともない。魔法はそれほど万能ではない。考え込んでいると声をかけられる。
「のう。クウジよ」
「なんでしょう…?」
「多くの魔導師が言うように、おそらくサバトは化け物だ。それを忘れるな。儂らの常識で考えると、正体に辿り着かない可能性がある。一旦全ての推測を捨て去る覚悟が必要かもしれん」
「確かに…」
そもそも規格外だと言われている。
「このままでは、やがて民の関心は薄れて伝説のように扱われて終わる。それがサバトの狙いかもしれん。そうなる前に様々な可能性を視野に入れてフクーベ近郊の再調査をしてくれ」
「了解しました。可能な限り調査します」
「すまんが、よろしく頼む」
珍しい…。師匠がすまんなどと口に出すとは…。初めて聞いた。
「よほど気にされているのですね」
「儂はどうしても其奴の魔法を見たい。魔導師ならば皆が等しく思うこと」
「そうかもしれません」
師匠は皺を刻んで苦笑する。
「お前には言ってもよかろう。儂は己の怠慢を悔いておる」
「怠慢…とは?」
「武闘会にそんな魔導師が現れるはずもないという穿った驕りゆえにサバトを見逃してしまった。本来見れたにも関わらず」
ライアン師匠は誰もが知る大魔導師。王都在住ゆえに、毎年の魔法武闘会にも来賓として声がかかっているはず。であれば、サバトを見ることができた。自分の都合で断ったのだな。見てもつまらぬだろうと。
「他人の魔法を観ることを…精進を怠った者への罰だ。ジグルが、会う度に「残念でしたな」と笑うのが憎らしくてのう!」
苦笑するしかない話だが、サバトの魔法を目にした者は誰もが自慢気に語るという。見れたことが幸運だったと。
「反論できようもない。しかも「ライアンさんにも見てほしかった」とほざきよる。彼奴は若い頃を思い出したと。必死に魔法の修練していた頃をな。サバトの魔法を目にして、胸が熱くなったと笑う。最近、若者に交じって修練に励んどるらしい」
「ジグルさんがそんなことを」
ライアン師匠は眉尻を下げる。
「お前にあと1つ言っておこう。儂はもう長くない」
稲妻を受けたように身体が痺れた。
「…悪い冗談です」
「冗談でこんなことは言わん。少し前から調子が悪い。宮廷時代から馴染みの医者が言うには、腑の病らしい。残された時間はどのくらいか知れん」
「そんな…」
もしや、病で武闘会を見れなかったのか…?いや、そんなことはどうでもいい。
「お前だから教えた。誰にも言うでない。引き続き儂もサバトの情報を集める。急かすようで悪いが、なにかわかれば連絡してくれ」
「かしこまりました…」
なんということだ…。師匠が…。
後日、マードックとマルソーを同時に呼び出し、ギルマスの執務室で問うた。
「よく来てくれた。まぁ、座ってくれ」
「はい」
「用件はなんだよ?」
「いいから座れ」
「ちっ…!」
「単刀直入に訊く。サバトは何者だ?」
「またかよ。知らねぇっつってんだろ」
「俺もです」
「しらばっくれるな。お前らはサバトを知ってる。そうだろ?」
「お前、案外しつけぇな。知らねぇもんは知らねぇんだよ」
「魔導師は執念深い。そうして根気強く魔法を発展させてきた。獣人にはわからんだろうが」
マードックの眉がピクリと動く。
「…お前ら人間は大したもんだ。だったらその根気で探せや。アホらしくて付き合ってらんねぇ」
「話は終わってないぞ」
「知るか、ボケ」
立ち上がって部屋を出て行くマードック。部屋に入ってから2分と経っていない。
「言い方が悪かったか」
「そうですね。獣人をバカにしたように聞こえました」
「そんなつもりはない。今度謝っておくが、お前は答えてくれるのか?」
「知らないとしか言いようがないです。なぜ俺に聞くんです?」
「お前とリオンが以前言っていた魔導師…。それがサバトだろう?違うか?」
「違います。俺の知る魔導師は、顔も爛れていないし猫の面も被ってない」
「そうか。だったら武闘会予選に現れた若い人間の男を知らないか?」
マルソーは呆れたような表情を見せる。
「前に「詮索はしない」と言いませんでしたか?」
「言ったが事情が変わった。俺はサバトを探さなくちゃならない」
ライアン師匠をサバトに会わせてやりたい。命が尽きる前にサバトに会っておきたいんだろう。気持ちは痛いほどわかる。
「なぜですか?」
「事情を話せば、お前は知ることを全て話すか?」
「そういうことなら話さなくて結構です。俺にとってはどうでもいいことなんでしょう?だからハッキリ言わない」
「…っ」
「失礼します」
マルソーも静かに部屋を出ていく。
「ふぅ…」
ソファにもたれて天井を見上げた。マルソーの言う通りだ。ライアン師匠のことを伝えても、おそらく「どうでもいい」と一蹴されるだろう。
師匠は紛れもない大魔導師だが、弟子以外には人望がない。それどころか、弟子であっても内心嫌っている者も多い。
現役を引退してもなお傲岸不遜で自信家。昔ながらの魔導師だ。マルソーのような若い魔導師から特に嫌われている。大魔導師である師匠にボロクソに言われて魔導師を辞めた者も多い。
決して、ただ貶しているだけではなかった。魔導師に向いていない者に「命を落とすぞ」という意味でキツく伝えたときもあった。だが、ただの傲慢だったことも多い。
それとなく忠告しても「これが儂という魔導師よ。気に入らんのなら縁を切れ!」と意に介さない我の強い大魔導師。
それでも…俺にとっては1から魔法を教えてくれた恩師。初めての出会いは、俺が15のときだった。
幼い頃からの夢だった世界一の魔導師になりたくて、ライアン師匠に会いにいった。子供の頃、たまたま観覧できた魔法武闘会でライアン師匠の魔法を目にして憧れたことがきっかけ。
「なんでもします!俺に魔法を教えて下さい!」
「口ではなんとでも言えるわ!去ね!」
「お願いします!」
「黙れっ!弟子なら腐るほどおる!お前からは微塵も才能を感じらん!無駄だ!」
既に魔導師として名が知れ渡っていたライアン師匠に、まだ成人の儀を終えたばかりの俺は何度も弟子入りを申し込んだ。雨の日も風の日も、どこにでも会いに行った。
数ヶ月経つと、傲慢な師匠も俺のしつこさに折れて小間使いとして弟子にしてくれた。そこから俺の魔導師人生は始まったんだ。
辛く苦しい修練ばかりだったけれど、一時期はカネルラでも1、2を争うと云われる魔導師に育ててくれたのは間違いなくライアン師匠だ。
目立つ才能もなく、ただ魔導師になりたいとほざくだけのガキに師匠は文句を言いながらも魔法を教えてくれた。とにかく努力して成果を見せると、「まだまだ甘いわ」と叱咤激励してくれた。
不器用でクソ頑固。人を見る目もほぼないが、本質は優しい男だと俺は知ってる。だが、浅い付き合いの者には伝わらない。伝える術がない。それが悔しい。
サバトを探すにはどうすればいい…?師匠に会わせてやるにはどうすればいいんだ…。
「一体、なんだっつうんだ…。なにがしてぇんだ、テメェはよ」
その日の夜、俺はマードックの家を訪ねた。
ゆっくり酒を飲んでいたところに、突然の訪問。対応してくれた妹に呼ばれたマードックは、玄関に姿を現すと眉間に皺を寄せて訊いてきた。
怒りはもっともだ。昼にギルドに呼び出しておいて、夜にいきなり家を訪ねる俺の行動は普通じゃないと自分でも思う。
「マードック。俺を…サバトに会わせてくれ。後生だ…。頼む…」
マードックに向かって深々と頭を下げる。
いろいろ考えた。だが、結局俺が思い付いたのは誠心誠意頼むことだけだった。師匠に弟子入りしたときのように。
マードックやマルソーは、間違いなくサバトを知ってる。だが頑なに教えてくれない。なにかしら教えられない理由があるからだろう。それを蔑ろにして、「教えろ」「言え」と命令する偉そうな俺に教えてくれるはずもない。
かく言う俺も、ギルドマスターという地位に胡座をかいた高慢な魔導師ということに気付いた。教えてくれるかはわからない。だが、もうこれしか思い浮かばない。教えてもらえるまで何度でも繰り返すしかないんだ。あの頃のように。
「…会わせてやってもいい」
マードックの言葉に顔を上げる。
「…本当か?」
「あぁ。ただ、約束しろ」
「なにをだ?」
「お前がなにをしたいか知らねぇが、サバトについて知ったことは全部他言無用だ。守れねぇなら会わせねぇ」
「約束する。…うっ!」
グッと胸倉を掴まれて睨まれる。凄まじい殺気に鳥肌が立つ。
「軽く言うんじゃねぇよ…。俺はお前のことを詳しく知らねぇ。ただ、リオンさんやマルソーはお前を信用してるみてぇだ。だからアイツのことをポロッと教えてんだろ。信用を裏切ったら許さねぇ。いいな」
「…もし俺が口外したら殺しても構わない。その時は好きにしろ」
「吐いた唾、飲むなよ。脅しじゃねぇぞ」
「二言はない」
スゥッと殺気が消えた。冒険者生活も長かったが、こんな殺気は味わったことがない。
コイツもとんでもない奴だ。この距離では俺が魔法を詠唱する前に殴り殺されるだろう。
「一応訊いとく。アイツと闘いてぇのか?」
「昨日まではそういう気持ちもあったが、今は全くない」
「変なこと頼むつもりじゃねぇだろうな?」
「俺にとっては変なことじゃないが、サバトに頼みたいことがある」
「そりゃなんだ?」
「言いたくない」
「俺を舐めてんのか…?人には内緒事を言えっつってテメェはだんまりか…?」
「そうじゃない。すまんが…俺もまだ気持ちが整理できてない…。会いに行くまでには必ず理由を話す。納得いかなければそこで断って構わん」
真剣に告げる。まだ、師匠が死ぬかもしれないという現実を受け止めきれない。口に出したくない。もう少し時間が欲しい。
俺の様子や行動からなにか感じたのか、マードックは表情を緩めた。
「ちっ…!言えるときに教えろ」
「すまん。感謝しかない」
「そんなもんいらねぇよ。あと1つ言っとくぞ」
「なんだ?」
「サバトに頼み事するならなんか魔法を見せてやれ。アイツが知らないヤツをな。そうすりゃ上手くいくかもな」
「俺に詠唱できる魔法ならなんでも見せる」
俺の魔法なんかで事が上手く運ぶなら、幾らでも見せる。意味不明だが。
サバトに会う日取りは、マードックに任せた。遠征クエストの予定があるようで、行けるのは早くても数週間後だと。
あとは…サバトがライアン師匠に会ってくれるか。こればかりは話してみないとわからない。
エルフに人間の常識は通用しない。命の灯が消える前に…などと懇願したところで長命種には理解してもらえないだろう。
ただ、サバトにも誠意をもって話してみると心に決めた。