347 OG
馬乗りの姿勢から立ち上がったネネさんは、大きく深呼吸した。表情は変わらず険しい。
「獣人。お前はシュケルのなんだ?」
「ウォルトといいます。シュケルさんの友人です。一緒に訪ねてきました」
「なぜ『魔喰』を使える?」
「暗部に知り合いがいます。見せてもらった術を勝手に覚えただけです」
ネネさんのこめかみがピクリと動く。
「知り合いの名は…?」
「シノさんとサスケさんです」
名を聞いて表情を緩めた。
「信じてやろう。とりあえず、シュケルがなぜこんな姿になっているのか説明してもらおうか。家に入れ」
「わかりました」
足音もなく家に入るネネさん。ボクはスケさんの手を取って引き起こす。
「助かった…。再会から数分で危うく消え去るところだったな。過激なのは今も昔も変わりない」
「まさか、スケさんの奧さんが暗部の方とは思いませんでした」
『気』を操って吹き飛ばされたから間違いない。さっきシュケルさんに繰り出そうとしていたのは『発勁』だ。しかも、かなりの威力を秘めていて、言葉通り粉々にするつもりだと感じた。
「暗部?なんだそれは?」
「スケさんは暗部を知らないんですか?」
「知らない」
暗部の存在を知らない人がいるなんて…。でも、フィガロも他種族では知らない人も多いみたいだしあり得るか。
「後で説明します。まずは入りましょう」
「そうだな。あまり待たせると今度こそ殺されるかもしれん」
苦笑いするスケさんと連れ立って家に入った。スケさんに続いて廊下を進むと、居間でネネさんがお茶を淹れてくれている。
「座れ」
促されるままに座ると、ネネさんは怪訝な顔でシュケルさんを見た。
「お前がシュケルだというのは噓じゃないようだな。自然に定位置に座るとは」
「さっきからそう言ってるだろ。人の話を聞け。ミーリャとも会って話した」
「なぜそんな珍妙な姿をしてる。姿から声まで全て作り物だろう。説明しろ」
気付くのは暗部なら当然といえる。ネネさんは一目で見抜いてた。
「お前が信じるかわからないが、俺は既に死んでいる」
「なんだと…?」
「ウォルト。この状態について詳しく説明していいか?」
ボクは頷いた。ネネさんが相手では隠すこと自体が無意味。
「俺は、10年以上前に魔物にやられて命を落とした。動物の森にある洞窟だ」
「それで?」
「しばらくアンデッド化して過ごしていたが、紆余曲折あって意思のある骨になった」
「アホか。全然理解できん。紆余曲折の内容を説明しろ」
「長くなるぞ」
「久しぶりの夫婦の会話だ。なんの問題がある?」
どうやら信じてくれているのは本当みたいで、とりあえずホッとする。スケさんは、ボクや師匠との出会いから今の生活までネネさんに事細かに説明した。ボクの魔法で変装していることも。
「なるほどな。事情は理解した」
「連絡もせずにすまなかった。ミーリャを立派に育ててくれて感謝しかない」
「ミーリャはお前とワタシの娘だ。お前がいなければワタシが育てるだけ。当然だろう。お前は骨として生きているだけ儲けモノだ。真の姿を見せてみろ」
「いいぞ。ウォルト、頼む」
「はい」
魔法を解除すると見事な人骨が椅子に座る。
『こんな感じだ。理解したか?』
「あぁ。1つ教えろ」
『なんだ?』
「寒くないのか?」
『寒くはない。暑さも感じない』
「そうか。だったらいい」
ネネさんはニカッと笑う。そして、ボクに顔を向けた。
「お前は獣人なのに魔法を使うんだな。見たこともない魔法で驚いた」
「誰でもできます」
「『魔喰』を使うということは『気』も操るのか?」
「はい。少しなら」
「面白い。ところで、シノとサスケは元気か?」
「最近会っていませんがおそらく元気です」
「そうか」
またニカッと笑う。スケさんを追い込んだときと別人みたいだ。あと、気になることを訊いてみよう。
「あの…」
「なんだ?」
「ネネさんは、元暗部の方ですか?」
「そうだ。今はただの主婦だがな。なにか言いたそうだな」
自信があるけど、答えてくれるかな?
「ネネさんはサスケさんの親族ですね?」
「アレはワタシの弟だがなぜわかる?顔は見たことないだろう」
「匂いが似てるので」
「初めて言われたぞ」
顔では全く判別できない。特に男女の姉弟は。
『おい、ネネ。暗部ってなんだ?』
「言ってなかったか?ワタシは元カネルラ暗部だ」
『聞いてないが、そうじゃない。暗部ってなんだ?』
「はぁ…。そこからか。面倒くさい」
ネネさんは心底面倒くさそう。
「シュケルさん。カネルラ暗部は…」
代わりにボクの知る暗部の説明をする。スケさんは黙って耳を傾けてくれた。
『そんな組織があるとは知らなかった』
「ウォルトと言ったな。お前、獣人なのに随分暗部に詳しいな」
「ボクは暗部を尊敬してます」
「暗部を尊敬するなんて、もの好きな奴だ。文字通り暗くて変な奴ばかりの集まりだってのに」
呆れたように言い放つ。自分もいたのに酷い言い草だな…。
「サスケさんはそんなことないですが」
「アイツはクソ真面目なだけだ。シノは暗いだろうが」
「暗くはないと思います。結構笑ってくれますし」
「正気か?アイツが笑うワケないだろ。とんでもないネクラなのに」
そうかな?結構ひょうきんな感じだけど。
『ネネの口が悪いのはいつものことだ。気にするな』
「やかましい。そんなことより、お前はいつまで骨でいるんだ?声が聞き取りにくいからさっさとさっきの姿に戻れ」
『お前が骨の姿を見せろと言ったんだろ!まったく…。ウォルト、頼む』
愉快そうに笑うネネさんを横目に、魔法でシュケルさんの姿に戻す。
「見事だ。お前は大した魔導師だな」
「ボクは魔導師じゃないです」
「そうか。獣人の魔導師は珍しいから言い触らしていいか?」
「目立ちたくないので内緒にしてもらえませんか?」
「わかった。そうしてやる」
ネネさんの人となりが掴めない。けれど、竹を割ったような性格ということだけは理解できる。
「帰ってきたということは、シュケルはココで暮らすんだな?」
「いや。悪いんだが、たまに帰ってくるくらいにしようと思う。それを言いに来た」
「なぜだ?ワタシは一向に構わんぞ」
「周りに変な目で見られるのは耐えられないし…」
「なんだ?ハッキリ言え」
「本音はお前と離縁するべきだと思ってる」
「意味がわからん」
ネネさんは首を傾げる。
「死人と縁を繋ぎ続けるより、生者と幸せになってほしい。お前はまだ若いんだ」
「まさか…浮気してるのか…?殺されたいのか…?」
「なんでそうなる?骨なのにそんなワケないだろ。俺はお前のことを思って…」
「余計なお世話だっ!誰と添い遂げるかは自分で決めるっ!!決めるのはお前じゃないっ!」
ネネさんは激昂した。
「はぁ…。困った奴だ」
「お前がやろうとしていることはワタシの幸せを奪う!お前はワタシを不幸にしたいんだなっ?!」
「そんなつもりじゃない」
「だったら、帰ってこなくてもいいから旦那でいろ!望みはそれだけだっ!」
「…本当にいいんだな?俺はいつまでこの姿かわからないぞ」
「くどい!何遍も言わせるな!大体、骨になったくらいで弱気になるな、バカタレがっ!お前は死んでない!骨だけになっても生きてることを素直に喜べっ!」
「相変わらずめちゃくちゃだな…」
「ワタシは死んだ奴を山ほど見てきた。死んだら動きも喋りもできない。したくてもできないんだ!お前は違うだろ!」
そう言ってネネさんは笑う。この人は…口が悪いけど断固たる意思を持って主張してる。ボクも自分の理屈で行動するから理解できる。要するに、人の意見なんてどうでもよくて自分の考えに沿って行動する人。誤解を恐れずに言えば、凄く我が儘な人種。
「…お前と結婚してよかった」
「そうだろ!若くして未亡人にしようなんて甘い!ババアになるまで一緒にいてもらうぞ!」
ニンマリ笑ったあとボクを見る。
「よし!話は終わりだな!あとはウォルトと闘う!かかってこい!」
「なんでですか?!」
突拍子もないことを言いだした。
「シノという名は、代々の暗部の長が継ぐ名だと知ってるか?」
「初めて聞きました」
それは初耳だ。ボクの暗部知識に新たなページが加わる。
「今のシノはワタシの同期だ。よく知ってる。アイツは弱い奴に興味がない。気に入られているお前は強いはずだ」
「勘違いです。気に入られてはいないと思います」
目を付けられてはいると思うけど。
「違うな。サスケも知り合いということは、お前に会わせたのはシノだ。逆はあり得ない。あのバカは死ぬほど人見知りだからな。だからアイツはお前を気に入っている」
「仮にそうだとしても、なぜ闘う必要が?」
「お前を見て久しぶりに血が滾った。理由はそれだけだ!」
なぜか嬉しそう。もしかして、エッゾさんと同じで戦闘狂なのかな?スケさんに視線を送って、助けを求めてみる。
「すまん。こうなったら止まらん」
やるしかないのか。話を聞いてくれないのも納得するしかない。ネネさんはそういう性格だと初対面のボクでもわかる。
ボクの友達もこんな気持ちなのかな?そう思いながら一向に反省しないのがボクらのように我が儘な人種。
「あくまで手合わせでよければ。殺し合いだと判断したら直ぐにやめます」
「それでいい。家の裏庭なら誰にも見られん。魔法も使い放題だ」
ネネさんは楽しそうな足取りで家を出て行った。
「お前には迷惑ばかりかけるな」
「迷惑じゃないです。ただ、スケさんの奧さんと手合わせなんてしていいのか」
「気にするな。おもいきり殴って構わない。手加減したほうが激怒するのは間違いない。それよりネネは強い。気をつけろ」
「暗部の強さは嫌というほど知ってます」
暗部に女性がいることは知っていた。けれど、会うことがあるとは思ってなかった。強いということは動きと雰囲気だけでわかる。
どう手合わせするか思案しながらスケさんと裏庭に向かうと、準備運動しているネネさんがいた。身体のあちこちを伸ばしている。
「よし!いつでもいいぞ!かかってこい!」
せっかちだなぁ。
「わかりました。では、いきます」
ネネさんが強いのは当然。ただし現役の暗部ではない。…であれば、この戦法が効果的だと思う。
遠い間合いから『影分身』を発現させる。その数3体。一斉にネネさんに接近させる。
「…ははっ!暗部でもないのに『影分身』とはな!やるじゃないか!」
ネネさんは全てを『魔喰』で消滅させる。見事な術だ。
「まだです」
次は4体の分身を一瞬で発現させて、ネネさんに向かわせる。
「しつこいな。驚かされるが何度やっても同じだ!」
「コレをならどうでしょうか?」
消滅させられると同時に即座に出現する分身。湧くように分身を発現させ絶え間なくネネさんに向かわせて反撃する暇を与えない。
「予想以上にやる!面白いっ!根比べといくか!」
「はい」
★
数分が経過して一見状況は膠着しているように見えるが、ネネは内心焦っていた。
「くっ…!」
マズいな…。ほんの少しずつだが、ウォルトは『影分身』を出現させるスピードを早めている。ワタシは防御しかできないまま『気』を削られていた。対して、アイツは表情1つ変えない。強がりでないことは理解できる。
この表情は真に余裕の表情だ。このままでは術を防ぎきれない。
「お前は…何者だ…?」
「森に住んでるただの獣人で、シュケルさんの修練仲間です」
「そんなワケあるか!おかしなことを言う奴だ!」
「本当です」
「まるで話にならん!…ハァッ!」
動くことを決意し、一息でウォルトの『影分身』を消滅させる。そして一気に間合いを詰めた。一撃で仕留めてやろう!
「まだです」
分身4体を自分の姿を隠すように並べて出現させた。見事な術だと嫌というほど感じるが……しつこい奴だ!
「…しゃらくさい!バカの1つ覚えかっ!」
苛ついて口悪く駆け寄りながら4体を消滅させたが…。
「がはっ…!」
前列を隠れ蓑に、2列目に控えていた2体が攻撃を加えてきた。蹴りをまともに腹部に食らい動きが止まってしまう。
「一度に……6体だと…?!」
「今のボクの限界です」
動きが止まったところに、湧き出た分身が覆い被さってきて地面に倒され押さえつけられる。
「ぐふっ!う、動けんっ…!」
「手合わせは終わりにしてもらえませんか?」
コイツは…1歩も動くことすらせずに…。
「ワタシの負けだ」
分身を消滅させて手を差し伸べてくる。手を掴んでゆっくり起き上がった。
「同時に6体出現させるとは予想できなかった。頭もキレるな。優男に見えるがとんでもない奴だ。甘く見て悪かった」
どう見ても弱っちい獣人にしか見えない。魔力も感じない。要するに、コイツは化け物だ。シノでも同時に操作できるのは4体が限界だったはず。この獣人は軽々超えている。
「ネネさんが現役なら通用しなかったと思います。子育てをしながら『気』の鍛練をする暇はなかったはずです」
「それを見越しての『気』を削る作戦か。隙を見て修練は続けてたんだがな。シノが気に入ったのも納得だ。ワタシもお前を気に入った!」
「ありがとうございます」
コイツは存在が面白すぎる。燃えてきたぞ!
★
手合わせを見守ってくれたスケさんが歩み寄ってくる。
「ネネ。満足したか?」
「あぁ。久しぶりに楽しい。お前と再会できて、強者と闘えた。今日は最高にいい日だ」
ネネさんはニンマリする。この人の笑顔は清々しくて気持ちいい。嬉しさが伝わってくる。同時に理解した。とにかく裏表がない人だと。
「ウォルトが魔法を使わず闘える術を持ってるとは知らなかったな」
「魔法以外もいろいろと勉強してます」
「お前はまだなにか隠してそうだな。だが、今日はもういい。今から飯にするぞ!」
「俺は骨だから食えないが」
「知ったことか!歯はあるだろ。ワタシはお前に食わせたい。ウォルト、お前の魔法でなんとかしろ!」
「無理なことばかり言うな。ホントにお前は…」
「わかりました」
「ウォルト。できないことは断っていいんだ。ネネは思いつきで行動する」
「どうにか考えてみます」
その発想はなかった。新たな挑戦でやってみたい。それに、本音ではスケさんも食べたいはず。だったら味は感じなくとも形だけでも食べさせてあげたい。
なんとかなる…かな…?