314 渋さに憧れる
カネルラ最長かつ最大の広域河川アマン川。その中流は、ウォルトの住み家からほど近い森の中を通っている。
海に面していないカネルラでは貴重な魚介類の捕獲が可能な河川であり、豊富な種類が生息している。
ウォルトは自作の釣り竿を手に釣りに来た。住み家からは結構遠くて、今まで誰にも遭遇したことのない穴場スポット。のんびり竿を出している。
あまり口に出すことはないけど、実は釣り好きだ。のんびり釣りをするのは、とてもいい。ピスピスとヒゲを動かしながらそんなことを思う。釣りに来るのは心の休息を求めてのこと。
人が嫌いなワケじゃない。忙しく動き回って色んな作業をするのも好きだ。けれど、なにかを根を詰めてやり過ぎたり、他人と関わり過ぎた直後は反動なのか無性に1人になりたくなるときがある。
特に知らない相手と絡んだ後は顕著に。親しい者が相手だとほとんど起こらない。住み家にいても基本的に1人なので事足りそうだけど、川の流れをボ~ッと眺めたり、せせらぎに耳を澄ましたりするのが極上の癒やしだったりする。
ウキの動きを目で追いながら、僅かに水中へと引き込まれるアタリに合わせて、ピュッ!と竿を上げる。
「ちょっと遅かったかな」
釣り針を見ると見事に餌だけ盗られてる。まるで騙し合いのような魚との勝負が釣りの醍醐味。次は釣るぞ!と気合い充分で再び釣り糸を垂らした。
「はぁ…。釣れない…」
毎度のように餌を盗られ続け、諦め気味に川岸でふて寝している。竿を地面に突き刺して、もはやウキの動きすら見てない。大の字になって見上げているのは青空。
大袈裟ではなく魚はいつでも獲れる。魔法を使えば獲れるけど、狩りと同様で魚との勝負に勝って美味しく頂きたい。
漁ならとにかく獲らないと話にならないけど、獲れなくても構わないという弱気な心構えがダメなのか。それとも別の理由があるのか。
本当は、とうの昔に気付いている。ボクは狩りと同じで釣りも下手だ。それもかなり…。魚は大好物。肉より好きかもしれない。だから定期的に食べたい。
でも、いっ……つも釣れないから軽い『雷撃』で泳ぐ魚をシビれさせて浮かんできた魚を獲っている。効率的だけど、まるで魚の寝込みを襲った後に、気付かれないよう食べてしまって証拠を隠滅しているような、そんな罪悪感がある。
こんなことを考えてるのは、多分ボクだけだろうし「クソ面倒くせぇ奴だな!」と狼の幼馴染みは一蹴するだろう。
なんだかなぁ…。ボクには下手なことが多すぎる。不器用だという自覚はあるけど、幸運なことに教えてくれる師匠には恵まれている。
魔法や薬学は言わずもがな師匠。狩りはチャチャ。織物はファムさん達。製鉄や精錬はコンゴウさん達。絵を描くのはラットに教えてもらえる。そういえば、最近会いに行ってないな。
とりとめなく意識を手放していると、近付いてくる足音が聞こえた。
「いい釣り場だな。お邪魔してもいいか?」
風下から姿を現したのは獣人。顔は鳥そのもので、見る限りでは隼の鳥人。人でいう腕の代わりに翼を持つ鳥人もいるけど、この獣人は背中から翼が生えている。
ボクは昔から感じていた。鳥の獣人は格好いい。皆が筋肉質なスリム体型で、自力飛行が可能な者も多いと聞く。自由に空を飛べるなんて単純に凄い。
「もちろんです。どうぞ」
「ありがとう。釣れてるか?」
「見ての通りです」
「ははっ。俺も釣れるといいが」
鳥人は釣り竿と魚籠を持ちながら川岸に陣取って、手際よく釣り糸を垂らす。すると、直ぐに大物を釣り上げる。立派なサイズのトラウト。バター焼きにすると最高に美味しい魚。
「簡単に…。凄いですね」
「そんなことはない。あえて言うならこの場所がいいんだ」
その後も男は釣果を挙げていく。ボクも刺激されて再び竿を出すもののやはり釣れない。溜息を吐いて、もう諦めて帰ろうとしたら声をかけられた。
「余計なお世話だろうが、竿を上げるのが大分遅い。上げる前に餌を盗られてる。もっとウキを注意深く見たほうがいい。それと、毎回無理に合わせなくても釣れる」
「…詳しく聞いてもいいですか?」
男は丁寧に釣り方を教えてくれる。有難い助言をもらって言われた通りに釣ってみると、小さいけど1匹釣り上げることができた。
「久しぶりに釣れた…」
「そうか」
「ありがとうございます。貴方のおかで釣れました。ボクの釣りは下手の横好きで」
「好きに横も縦もない。釣る気がない奴はいくら教えても釣れない」
ふっ!と微笑む表情は、渋くて落ち着いた大人の獣人の佇まい。30年代後半から40前半くらいだろうか。
「あの…ボクはウォルトと言います。名前を伺っても?」
「俺はファルコだ」
「ファルコさん。今日はもう帰りますが、また会うことがあったらよろしくお願いします」
「あぁ。俺は釣りばかりしてる。また会うこともあるかもな」
お近づきの印にと、ファルコさんから大きなトラウトを渡された。丁重に断ったけど「猫の獣人だから魚は好きだろ?食べてくれ」と笑う。
今回は言葉に甘えて、また会うことがあったらなにかお礼をすることに決めた。
ファルコさんとの出会いから数日後。アマン川に沿って下流へと駆ける。
鍛練を兼ねて釣りをしているかもしれないファルコさんを探すのが目的で、貰ったトラウトのお礼をしたいと考えていた。
今日は会えないかもしれないな。かなり下流まで駆けたけど会えなかった。これ以上は国境に近付いてしまう。最後にもう一度だけ出会った釣り場に寄ってみることに決めた。
釣り場に到着すると、ファルコさんと梟の獣人が釣りをしていた。鳥の獣人は一括りにできないほど種族が細分化されてる。
ふ~む…。人見知りなので困ってしまう。尋ねたいことがあったり、1対1だったり、子供が相手なら初対面でも話しかけやすいけど、よく知らない相手が2人で親しげに話しているところに入っていくような勇気はない。
離れたところで少しだけ会話を聴いて、無理そうならそっと帰ることを即決する。…というか既に帰るつもりだったりする。
「本当にもう飛ばないんですか?」
梟の獣人が話しかけた。
「あぁ。もう充分飛んださ」
「残念だよ。ファルコさんならまだやれるのに」
「もう翼が保たない。飛べるだけじゃダメなのはお前も知ってるだろ?」
「そうだけどさ…」
「世代交代だな。俺は隠居だ。それより釣りはどうだ?」
「俺はジッとしてるのは性に合わない。また来るよ」
「そうか。気をつけて帰れよ」
梟の獣人は翼を広げて力強く飛び立つ。風に乗って姿はあっという間に見えなくなってしまった。
「ファルコさん」
「ん…?ウォルトか。また会ったな」
「お礼をしたくて探してました」
「俺を?」
背負っている小さな布袋から包み紙を取り出す。開いて見せると香ばしい魚の身。
「この間もらったトラウトが凄く美味しかったので、半身を使って燻製を作ってきました」
「いい香りだ。燻製とはなんだ?」
「保存が利くように燻してあります。香りがよくて旨味も凝縮されます。よければ食べてみてください」
ファルコさんは、手渡されたトラウトの燻製を躊躇なく嘴で摘まんで顔を上げながら丸呑みした。鳥人らしい豪快な食べ方。
「初めて食べるが美味いな」
「よかったです」
「美味いモノにありつけて渡した甲斐があった。今日も釣っていくか?ちょうど竿が余ってる」
「はい。釣ります」
竿を借りてファルコさんの隣に座って糸を垂らす。なかなか釣れないボクに、ファルコさんはまた適切なアドバイスをくれた。本当に親切な鳥の獣人。時間はかかったけどまた釣ることができて、魚籠を間借りして活かしておいてもらう。
「釣りに詳しいですね」
「そうでもない。覚えたのは最近だ」
「そうは見えないです」
「鳥の獣人だからか、水の中の魚の動きや居る場所がなんとなくわかる。実際は滑降して獲るほうが楽だ」
「ファルコさんはもう飛ばないんですか?」
「そんなことはないが………もしかして、さっきの話を聞いてたのか」
「会話が聞こえてしまって」
「そうか。さっきのは【河遡上】の話だ。知ってるか?」
「初めて聞きます」
ファルコさんはストリームについて説明してくれる。鳥の獣人の間で行われる飛行レースで、決められた地点からゴールまでの速さやどれだけ長距離飛べるかを競う競技で、墜落したときの被害を抑えるため遡上するように河の上空を飛ぶことから名付けられた。
開催は年に1回。若い頃から参加して何度か優勝していると照れ臭そうに教えてくれた。
ボクは初めて聞いた。毎日釣りに来ていたら見る機会もあったかもしれないけれど。
「さっきの会話からすると、レースを引退されるんですか?」
「するというより、したんだ。飛べなくはないが翼が耐えられなくてな。無理も利かない。……よっと」
魚を釣り上げながら話すファルコさんの心中を察することができない。表情も平然としてる。
「翼が耐えられないというのは?」
「言ってもわからない。気にするな」
「風切羽ですか?」
「そうだ。よく知ってるな」
「少しなら」
鳥の翼の基本的な構造は知ってる。初列、次列、三列の風切羽が連動して浮力と推進力を生む。魔物には翼を持つモノも多く存在するので、動きを研究するのに文献で学んだ。鳥の獣人も原理は同様だと思う。
「翼が保たないということは、筋力が低下したか風切羽になにかしら問題があるんじゃないかと」
「お前は賢いんだな」
「賢くはないです。信じてもらえるかわかりませんが、ボクは薬を作れるので多少の知識があります」
「ほぉ。じゃあ、この症状がわかるか?」
ファルコさんは、出会ってからずっと畳んでいた褐色の翼を広げる。ボクの身長より幅のある見事な翼。けれど、風切羽が歯抜けのように欠けていたり明らかに変色している部分もある。
「診せてもらっても?」
「いいぞ」
触れてみたり近くで観察してよく記憶する。いつ頃からとか痛みや他の症状についても問診したら、胃腸の調子もよくないらしい。
「思い付くことはありません」
「昔から鳥人にはよくある病気だが、医者にも原因不明と言われてる。完治は難しいらしい」
「ボクなりに調べてみます」
「ウォルト。お前、お人好しと言われないか?」
「よく言われます。でも、ボクはお人好しじゃないです」
「じゃあ、なぜそんなことをする?」
「ファルコさんはボクに釣りを教えてくれたからです」
大きなお世話かもしれないけれど、もし困っているのなら力になりたい。ボクの下手な釣りを笑わず、丁寧に教えてもらって嬉しかったから。恩を売るつもりはないだろうけど、ボクの我が儘で恩返ししたいだけ。
それに、この人は言動が自然で格好いい。優しさが滲み出ていて、こんな獣人になりたいと憧れるような渋さ。
「そんなことで律儀だな。気持ちは嬉しいけど無理するなよ」
「余計なことでしょうか?」
「いや。有り難い」
今日も魚をもらってファルコさんと別れて、帰って直ぐに文献に目を通してみたけど症状と合致する病気や治療薬は見当たらなかった。
ただ、効果が見込めそうな薬や、鳥の獣人特有の病気について知識を得ることはできた。
考えを巡らせる。ファルコさん達の翼は、ボクらで言うところのどこに当たるんだろう?腕や足のようなモノなのか?でも、ファルコさんには翼の他に腕も脚もある。羽根は生え替わるみたいだから、毛や皮膚と同じ…?
ふと思い付いて、ある人物に意見を訊くためにフクーベに向かう。
★
外は陽も落ちた時間。サマラは家でゆったりしていた。
「…ん?はぁい」
ドアがノックされたので、玄関に向かい「どちら様ですか?」とドアを開けると、笑顔のウォルトが立っていた。驚きと喜び!
「ウォルト!」
「久しぶりだね」
「早く中に入って!」
「お邪魔します。…っと、危ないよ」
ウォルトが入るなり間髪入れずに抱きつく。
「ハグ!なでなでも所望する!」
「はいはい」
久しぶりの再会で抱き合う。ハグと頭を撫でるのは、胸に顔を埋めた私が猫吸いに満足するまで続いた。
「よし!補給完了!」
「なにを?」
「今日はどうしたの?遊びに来てくれたの?」
「サマラに教えてもらいにきたんだ。バッハさんに話を訊きたいんだけど、どこに行けば会えるかな?」
「バッハに?どしたの?」
「実は…」
ウォルトの事情を聞く。
「なるほど!今日はマードックが帰ってくるの遅いから、バッハは家にいると思う!一緒に会いに行こう!」
「いいの?ボクは嬉しいけど仕事で疲れてるんじゃないか?場所だけ教えてくれてもいいよ」
「一緒に行きたいの!」
「じゃあ一緒に行ってもらおうかな」
やったね!ウォルトと街を歩くなんて久しぶり!ちょっとの時間でも楽しいに決まってる!