310 縁とは不思議なもの
いつか訪れる犬の獣人ボルトとの再戦にむけて日々のトレーニングに余念のないウォルトは森を駆けている。
誰にも負けないと宣言した以上、再戦したときガッカリされたくない。サガンシアもそうだけど、この森はまだまだ知らないことばかり。新しい発見を求めて、脳内地図における未踏のルートを選んで駆ける。
複雑な地形の広大な森はじっくり探索しないと見逃すことも多い。周囲に気を配って駆けていると、不思議な入口を発見した。不思議としか言いようのない入口を。
岩山に張り付くようにして存在していて、ドアのようにくり抜かれているけど、結界が張られている。
近寄ってみると、幾重にも魔法陣が展開されていて簡単には解除できそうにない。気になるので集中して魔法陣を解析していると声をかけられた。
「なにか気になるか?」
振り向くと男が立っていた。瓶底のような眼鏡をかけた痩せた人間の男は、研究者といった雰囲気。
「通りすがりに気になっただけです。もしかして、近寄ってはいけない場所でしたか?」
「そんなことはない。獣人なのに魔法に興味を示しているのが意外でな」
「ちょっとだけ知識があるので」
「面白いことを言う。術式が理解できるのか?」
『そんな獣人がいるとは思えない』と顔に書いているし、気持ちはよくわかる。一応正直に答えてみよう。
「少しなら」
「では、最前面の魔法陣の術式はなんだ?」
「触れたら痺れる『雷』の効果です。触れた者を気絶させるくらいの効果があります」
危険な結界だ。近付いてはいけない場所だと思った理由でもある。見た通り答えると男は感心したような表情を浮かべた。
「次の結界は?」
「ボクにわかるのはそれだけです。では」
駆け出そうとしたが呼び止められる。
「待ってくれ」
「なんですか?」
「誤解しているのなら謝罪する。だから待ってくれ」
「ボクが誤解している?」
「俺が獣人を侮っていると思っているのなら違う。こんな態度と話し方しかできないだけで、そんなつもりはない」
そう感じたのは事実だけど、苦笑する男が噓を吐いているようには見えない。そもそも信じていないのなら謝る必要すらない…か。立ち止まって話を聞く。
「もしかして、全ての魔法陣の術式を解析したんじゃないのか?」
「…………」
「やはりそうなのか」
「なぜそう思うんです?」
「無駄に勘が働くんだ」
男はまた苦笑いを浮かべた。確かにボクは全ての魔法陣について解析できた。けれど、この男が何者かも知らないのに教える義務はないから答えないだけ。侵入を企てる者の可能性もある。
「侵入者と予想してるなら違うぞ。この結界を張ったのは俺だ」
心を見透かしたかのように告げてくる。
「名乗ってなかったな。俺はハズキ。魔法師だ」
「ボクはウォルトといいます。この森に住んでる獣人です」
「時間があるなら少し話をしないか?」
「構いませんが」
ハズキさんは噓ではないと証明するように、見事な手際で結界を解除していく。それだけで確かにこの人が展開したのだと理解できる。そして、技量の高い魔導師であろうことも。
それにしても…魔法師とはなんだろう?初めて耳にした単語に興味を引かれる。塞がれていた入口に招かれて共に奥へと進むと、ひんやりした空気が心地いい。
やがて岩山の中をドーム状にくり抜いたような広い空間に出る。
「ココが俺の住居兼仕事場だ。魔法について日々研鑚を積んでいる」
「呪符も作っているんですね」
「その通りだ」
ポツンと置かれた机の上に、呪符と呼ばれるモノが散らばっているのが見えた。術者がその場にいなくとも魔法と同様の効果が得られるモノで、魔道具と同様に生活するうえで重宝されている。
少し前に作った魔力インクを使用して様々な紋様や呪文を書く。効果が違う呪符の作成には熟練の高度な技術を要するらしい。
岩山の中なのに空間が明るいのは、呪符に込められた発光の効果だろうと推測できる。空気を取り入れているのも、呪符により気流を発生させているのだろう。
「呪符の他に魔法陣の研究もしている。魔導師ではないが、魔法全般について色々と考察や研究をしているから魔法師と名乗っているだけ」
なるほど。魔法師とは造語なのか。聞いたことがないのも納得だ。
「魔導師ではないといっても、さっきの結界は見事だと思いました」
「凄いのはお前だ。まさか獣人の魔法使いに出会えると思わなかった」
僅かに微笑んだハズキさんは、普通のことのように淡々と話す。驚くこともなくまるで当然かのように。直ぐに見抜いた人に初めて会うけど、それならば隠すこともない。
「よくわかりましたね」
「完全な勘だ。さっきも言ったが無駄に勘が働く。なぜか魔法に関してだけな。だから研究も進む。根拠はないのに間違えることは少ない」
「ボクが魔法使いというのも完全に勘なんですか?」
「そうだ。こう見えて混乱してる。感覚が訴えているのに常識が邪魔する。お前から魔力の魔の字も感じない。だが、魔法陣を理解したり、遠目に見て呪符を瞬時に見抜く獣人なんてまずいない。充分に信じる理由たり得る」
第六感と理屈のせめぎ合いなのか?それでも感覚を信じて断言したのは凄い。そんなことより疑問がある。
「なぜボクをココに入れてくれたんですか?」
「ゆっくり話すのならお茶ぐらい出す。失礼な物言いの詫びも兼ねて」
三度の苦笑いに誤解されやすい人なのかもしれないと感じた。きっと悪気はないのだろうと。そんなハズキさんが実験器具のようなモノで淹れてくれたお茶は、とんでもなく苦くて不味かった。
「お茶を淹れてもらってすまんな。同じ道具と材料でこうも違うか」
「いえ。斬新な味でした」
「不味いものは不味いと言っていい」
「かなり不味かったです」
「そうだろう」
その後は互いに自己紹介を兼ねて話す。ハズキさんはココでの生活について語ってくれた。
基本的に人付き合いが苦手で、必要性も感じないからこの場所で呪符や魔法陣の研究をしながらたまに町で売ったりして、必要なお金だけ稼ぐ生活をしているらしい。
ボクは全く稼がないけど、似たような生活をしてるから理解できる。「40に迫ろうかという大人の生活じゃない」とハズキさんは笑った。誰にも迷惑をかけないなら別にいいと思う。
「ところで、いつから魔法を使ってるんだ?」
「5年くらい前からです」
「魔導師業界で話題になりそうだが、お前のことはチラリとも聞いたことがない。黙っているのか?」
「森に住んでますし、魔法を使えることを内緒にしてます。最初は隠してなかったんですが」
「言ったところで信じてもらえない…か。確かに面倒くさいうえに鬱陶しかろう。俺は誰にも言うつもりはない」
「有り難いです」
呪符や魔法陣についても教えてくれる。ボクも師匠から教わって多少は心得があるけれど、おそらくハズキさんは腕の立つ魔法師。会話の節々から豊富な知識と高度な技術を備えていることがわかる。
「俺は元々魔導師を目指してた。だが、師匠がとにかく嫌な奴で、直ぐに師事するのをやめて業界にも嫌気がさしての今だ」
「ということは、魔法陣や呪符は独学で?」
「師匠はいる。いや…いた。ココの持ち主だ。亡くなられたが素晴らしい魔法師だった」
「そうでしたか」
「ウォルト。お前は結界を張れるか?」
「少しなら」
「よかったら見せてもらえないか?」
「はい」
入口に施していた結界と同じ結界を展開すると、ハズキさんは目を見開いて食い入るように見つめる。
眼鏡をずらしたりかけ直したりと忙しない。わかりにくいだけで、実はひょうきんな人なのかな?
★
獣人の魔法使いウォルトは一瞬で結界を張った。見ていたハズキは心底驚いている。
何度確認しても寸分の狂いなく同様の魔法陣。信じられん…。
「お前は…とんでもない魔導師なのか…?」
「ただの魔法が使える獣人ですよ」
そんなはずはない。発動まで魔力を感じさせず、目にも留まらぬ速度で結界を展開する魔法使いが普通のはずがない。しかも、文句の付けようもない完璧な複写。
常識を遙か彼方に追いやって俺の勘が告げる。勘ですらなくただの確信。この獣人は普通の魔導師じゃない。
「他の魔法も見せてくれないか」
「ボクのでよければ」
俺の要望に応えながら魔法を披露してくれる。場所が狭いので可能な限り見せられる魔法を。
「こんな感じです」
「お前を見てると…また魔法を修練したくなる…」
この限られた空間でなんて魔法を操るんだ…。集中することもなく完璧に制御された魔法。信じられない奴だ。過去に見たどの魔法より見事で、さらに美しい。
「俺の兄弟弟子にお前の魔法を見せてやりたかった」
「もしかして…亡くなられたとか?」
「いや。ソイツも俺と同じ口で、師匠に愛想を尽かしたあと故郷に帰った。その後は会ってない。魔法が本当に好きな奴だったから、お前の魔法を見たら喜んだろうに…」
昔から不躾な態度しかとれなかった俺の数少ない友人。魔法が好きなお人好しだった。
この獣人は否応なしに魅せられるような素晴らしい魔法を放つ。これ程に洗練された魔法を初めて目にした。若い時分に見ることができていれば、魔導師を諦めることはなかったかもしれない。そう思える魔法をアイツならなんと表現するだろうか。
「ホーマは元気か…」
思わず口をついた。
「えっ?ハズキさんの兄弟弟子ってホーマさんなんですか?」
…なんだと?
「ホーマを知っているのか?」
「クローセ村のホーマさんですか?」
「故郷はそんな名前だったかもしれん。アイツは元気なのか?」
「元気です。才能豊かな魔導師を育てた凄い魔導師で、ボクはホーマさんのことを尊敬してます」
「そうか…。アイツはお前が尊敬するような魔導師になったのか…」
本当に…何年ぶりかに嬉しさを感じる。志半ばで挫け、俺達に残ったのは魔導師になれなかった苦い記憶だけだと思っていたのに…アイツは諦めず魔導師になった。それがわかっただけで充分。
笑うのは苦手だが、久しぶりに自然に笑えている実感がある。
★
「ココがクローセ…」
「はい。行きましょう」
ボクはハズキさんを誘い背負ってクローセまで駆けてきた。トレーニングを兼ねて一石二鳥だと考えたけど、かなり痩せているので大した負荷にならなかった。
村に入ると外で遊んでいた子供達がボクに気付いて直ぐに駆け寄ってくる。
「あっ!うぉるとだ~!」
「あそびにきたの!?」
「久しぶりだね。みんな元気だった?」
「げんきだよ!」
「こっちのおじさんは?」
「ホーマさんの友達だよ」
「そっか!きょうはなにしてあそぶ?」
「ホーマさんに会ってくるからそのあと遊ぼうか」
「「「やったぁ!」」」
ホーマさんの畑を目指して進むと、畑仕事中だったようで仕事中のホーマさんがいた。近寄って声をかける。
「ホーマさん。お久しぶりです」
「……ん?おぉ!ウォルト君じゃないか!久しぶり……だね……」
ボクのすぐ後ろに立つハズキさんに気付いた。
「お前……ハズキか…?」
「久しぶりだな。ホーマ」
ホーマさんは鍬を手離して、汗を拭いながらハズキさんの眼前に立つ。
「何年ぶりだ?生きてるなら便りくらい寄越せばいいのに」
「お前の住所を知らない」
「街を出る前にちゃんと紙に書いて渡しただろ?相変わらずだな」
「俺はなにも変わらん」
「お前は子供か!」
怒りながら苦笑するホーマさんがボクに向き直る。
「連れて来てくれてありがとう。2人が知り合いだったなんて知らなかった」
「今日知り合いました。話してる内に、たまたまホーマさんの知り合いだとわかったので」
「そうだったのか。一緒にお茶でもどうだい?アニカ達の話も聞きたいし」
「後で伺います。先に子供達と…」
振り返ると、子供達は待ちきれないのか後を付いてきていた。申し訳ないけど優先させてもらいたい。
「なるほどな。だったらお茶はあとにしよう。ハズキ、お前は凄いモノを見たいか?」
「凄いモノだと?」
村の中央にある広場まで移動して、集まったほぼ全員の村人に対して再訪問の挨拶を終えた。今から子供達のリクエストに応えて、魔法を披露する。
「楽しんでもらえるように頑張ります」
先の誕生祝宴で披露した魔法や、孤児院で見せた魔法を駆使した手品、それに加えて初出しの魔法も交えながら村の皆に披露する。
「すっご~い!ふしぎ~!」
「久しぶりに見るけど、やっぱり凄ぇな」
「どうなってるのかさっぱりわからないわ」
「ホッホッ!さすがじゃぞい!」
楽しんでくれてるみたいでよかった。やっぱりクローセの皆は優しい。
★
ウォルトの魔法を少し離れた場所で並んで見つめるホーマとハズキ。
「アイツは…何者なんだ…。この世にあんな魔導師が存在してたのか…」
次々に飛び出す常識では計り知れない魔法の数々。見たことも聞いたこともない魔法ばかり。複合魔法に多重発動も軽々こなしている。洞窟で見た魔法とは大違いだ。
これほどの魔導師だとは自慢の勘をもってしても気付けなかった。さっき見た魔法はほんの一部。まるで底が見えない。
俺の心を見透かしたようにホーマが笑う。
「驚きを通り越すだろ?俺も初めて見たときは度肝を抜かれた。彼は間違いなくカネルラ最高の魔導師だ」
「あぁ…。疑いようもない…」
「なのに、自分を普通の魔法使いだと思ってる。しかも謙遜してるワケじゃないぞ」
「勘違いも甚だしい。もはや虚言だ」
そんな奴がこの世に存在するとは思えん。
「それがウォルト君なんだ。技量もそうだが、なにより人格が優れてる。彼は自分のタメじゃなく他人のタメに磨き上げた魔法を使う。俺達の師匠とは違うぞ」
師匠に恵まれなかった俺達にとってウォルトは信じ難い存在。あの頃、優秀な魔導師には性格に欠陥のある者しかいないと決めつけていた。魔導師は、下らない誇りを振りかざし、傲慢に生きていると。
「そんな魔導師が本当にいるとはな…。アイツはお前を尊敬してると言った。お前もあれくらいやれるのか?」
「バカ言うな。それが俺の痩せた原因だ」
ホーマは苦笑いとともに事情を説明する。ウォルトとその弟子の勘違いで『クローセの大魔導師ホーマを宣伝しよう!』騒動が起こりかけて、心労で激ヤセして以降スリムな体型を保っていることも。余談だが妻は喜んだらしい。
「彼に凄い魔導師だと言いふらされたりしたら、お前はどうする?」
「山奥に逃亡するしかない。若しくは自決か」
「だろう?俺はもう寸前だったぞ。けど、去年彼に出会って俺は魔法の修練を再開してな。今は充実してる」
「俺も久しぶりに修練したくなった…。本当に…不思議な男だ」
★
ウォルトの魔法を見つめるハズキの横顔を眺めながら、ホーマは優しく微笑む。
自分自身も存在を忘れていたような、錆びて固く閉ざされた心の扉ですら彼の魔法を見れば簡単に開いてしまう。
否応なしに純粋に魔法が好きだった頃を思い出す。奥底に仕舞い込んだ夢を優しく掘り起こすような魔法だ。
ウォルト君は誰よりも魔法が好きなんだろう。そんな彼が磨き上げた魔法は同じ魔法使いの心に響く。きっとハズキも帰ってくる。距離を置いて遠く離れていたであろう魔導師の世界に。そんな気がした。
「うわぁ~!すっごくはねる!」
「ほんとだ!おもしろい!」
「ぶつからないように気をつけて。ケンカしたら、すぐ消すよ」
「「「わかった!」」」
膝くらいの高さに大きな魔法陣を水平に展開して、子供達を魔法陣の上で遊ばせている。弾力で跳び上がって楽しそうに遊ぶ姿に大人も笑顔だ。
「わぁ~!」
「あぶないよ」
魔法陣から落ちそうになっても風魔法で優しく受け止めて押し戻す。なんて優しい魔法操作だ。
「ありがと~!」
「どういたしまして。気を付けてね」
魔物を殺すでも生活を豊かにするでもなく、人を楽しませる魔法使い。過去に聞いたこともない。
「魔法陣をあんな風に使う発想は俺にはない」
「彼は発想と応用力が並外れてる。固定観念に囚われず常に魔法の可能性を探ってるはずだ。教わってばかりだよ」
数十年ぶりに肩を並べて魔法を見つめる俺ハズキは、魔法が好きでたまらなかった若かりし頃に戻ったようで晴れやかな気持ちに包まれていた。