297 獣人と老獪な魔導師
泣き止んだ男の子を、カフジさんが片手で抱えたまま外に出ると歓声が巻き起こる。
「カイ~!」
「おかあさ~ん!うわぁ~ん!」
優しく地面に降ろされた男の子は、一目散に母親の元に駆け寄って抱きついた。親子の抱擁に頑張って消火してくれた皆が笑顔。
炎に囲まれながらも奇跡的に軽い火傷しか負っていなかったので、『治癒』で治療できた。元気な姿で再会させられて本当によかった。
大勢の人の中にオーレン達の姿を見つけて歩み寄る。
「ウォ……じゃなかったテムズさん!お疲れ様でした!」
アニカが笑顔で迎えてくれる。オーレンやリンドルさんも救助活動に加わってくれたみたいだ。
「ボクはなにもしてないよ。カフジさんが助けてくれた。彼は凄い獣人だ」
カフジさんの行動に心打たれた。毛皮を纏う獣人にとって、炎はなによりも恐怖。彼は、身を灼かれる恐怖に負けず、子供を助けたい一心で燃え盛る家に飛び込んだ。乾いた毛皮を燃やしながら、目の前を塞ぐ炎の壁に怯むことなく前進しようとした。
ボクは水魔法で身を守れる自信があったけど彼は違う。強靭な身体と精神で見ず知らずの子供のタメに行動した。
優しく強く、そして格好良かった。年齢や種族関係なく尊敬できる獣人だと思える。
「そんなことはない。君だって大したものだ」
前に出たのはリンドルさん。
「怪我人は君が治療したらしいな。皆、君に感謝していたぞ。なにもしていないなんて謙遜を越えて卑下だ。その考えは褒められたモノじゃない。それぞれが自分にできることで人を救った。素晴らしいことだ」
ボクには…リンドルさんの言ってることが理解できない。感謝されたいワケでもなく、ただ気が済むようにやっただけ。
オーレン達の家が無事か確認したくて駆けてきて、怪我人を治療したかったから治療して、ただ子供を救いたいと思って救出に加わった。どこが素晴らしいことなんだろう?
「リンドルさん!もっと言って下さい!テムズさんは普段から謙虚過ぎるんです!」
アニカが言うような獣人じゃない。謙虚は人間の専売特許だ。
「なにぃ?そうか…。だが、そんな男だからこそウイカは……ゲフン!ゲフン!」
顔を逸らしてとぼけた表情を見せる。面白そうな人だけど、なにを言いかけたんだろう?ウイカがどうかしたのかな?
「状況も落ち着いたみたいだし、あとは衛兵に任せて訓練場に戻るか」
「そうだね!」
オーレンの提案にアニカが相槌を打つ。
「また、走って戻りましょうか!」
「今度はテムズに勝ってみせよう」
駆けるのは負けたくないからどうしようか…なんて考えていると、急に声をかけられた。
「あ……あんた……」
振り向くとカフジさんが立っていた。なにか言いたそうだけど、しばらく待ってもあたふたしてる。
「カフジさん。武闘会の予選でも、さっきの救助でも貴方は凄かったです。お疲れ様でした」
「うっ…。み、水…た、たすかった…。あり…がとう…」
大きな身体でペコリと頭を下げる。口下手なのかな。ふと、カフジさんの腕の火傷が目に入る。炎の瓦礫を殴ったときの傷だ。そっと手を翳して『治癒』を詠唱すると、傷は綺麗に回復した。
「す、すまない…。た、たすかる…」
「いえ。カフジさん」
リンドルさんに聞こえないようそっとカフジさんの耳元で囁く。
「ボクはウォルトといいます。また会うことがあったらよろしくお願いします」
「う…」
コクリと頷いてくれた。彼にはまた会いたいと思える。
「一般人とは思えない見事な『治癒』だ。一見冴えないようだが、さすがウイカの見初めた男……ゲフン!ゲフン!」
この人は、さっきからなにを言ってるんだ?ウイカがどうした?
「あはははっ!テムズさん、早く戻りましょう!」
ギルド訓練場に戻ると、リンドルさんと別れる前に挨拶を交わす。
「テムズ。機会があったらまた会おう」
「はい」
リンドルさんは医務室へと戻っていく。口に出さなかったけど、ボクは彼女と再会する可能性がある。ただ、今は関係ないので置いておこう。
会場に戻ると武闘会の予選は終了していた。優勝者は、マードック達と同じAランクパーティー【四門】の剣士スザクという冒険者だったみたいだ。
フクーベでは知らない者はいないベテラン冒険者らしい。ボクも名前だけは聞いたことがある。
昼食休憩を挟んで魔法武闘会の予選が行われる。ボクにとってはこちらが本命。楽しみでワクワクが止まらない。
「せっかくだから昼ご飯を食べに行こうか」
「いいですね!お姉ちゃんも誘いましょう!」
「とりあえず医務室に行こうぜ」
ウイカと合流して、皆で食べた昼ご飯は美味しかった。そこでウイカに聞かれる。
「テムズさん?」
「なんだい?」
「リンドルさんに「テムズはなかなかの男だ」ってニヤけながら褒められたんですけど、なにかしたんですか?」
「してないよ。リンドルさんがなにを言いたいのかボクにはさっぱりなんだ」
「お姉ちゃん。私が後で教えるよ!」
お腹も膨れたところで予選開始の時間が迫る。急いで会場に向かうと、ちょうど選手達が入場してくるところだった。
色々な魔導師の魔法が見れると思うとワクワクするなぁ。
★
「あれ?サラさんがいるね」
魔法武闘会の予選に出場する紅一点がサラ。アニカは知っていたがウォルトには伝えなかった。
「サラさんは最近魔法の修練を欠かしてなくて、初めて魔法武闘会の予選に出場するって言ってました!」
「そうなんだね。勝ち上がるのもそうだけど向上心が凄いなぁ」
私とお姉ちゃんは事前に聞いてた。サラさんは、旦那さんと話し合って数年ぶりに魔法の修練を再開したことを。
初めは魔導師の世界に戻ることに否定的だったらしいけど、熱意に負けて認めてくれたって言ってた。「やるからには頑張れ」って後押ししてくれたって。サラさんの師匠からも「今後を楽しみにしてるわ」と笑顔で激励してもらったらしい。
そんなサラさんが教えてくれた。
「貴女達のおかげ。そして…貴女達の凄い師匠のね」
「私達とウォルトさんのおかげ…?なにかしましたか?」
「簡単に言うと、熱にあてられた。貴女達の魔法への情熱に。ウォルトのような魔法を操りたいと思ったの。負けたくないって」
「よくわかります」
「ウォルトさんの魔法を見ると、ジッとしてられなくなりますよね!」
「ふふっ。そうなのよ。不思議な魔導師よね」
ウォルトさんの魔法は人を魅了する。私の語彙力では表現できる言葉が見つからないけど、なんというか琴線に触れるような美しい魔法。とにかく普通の魔法とはかけ離れていて、自分もあんな魔法を操りたいと強く思う。
「どこまでやれるかわからないけど、今できることをやりきるつもりよ。このことは私達だけの秘密にしておいて」
「「はい!」」
同じ女性魔導師として目一杯応援する!
★
出場者の紹介が終わると、観客の安全を確保するため観客席に魔導師による『魔法障壁』が展開され『可視化』も付与される。
ウォルトは食い入るように見つめた。
「障壁の術式が少し違う…。より透明にして、観客から少しでも舞台が見えるようにしてるのか。斜めに展開したのは威力を上に逸らして破壊されにくくするタメ…。よく考えてるなぁ」
ふと1人の魔導師が目に入った。
「オーレン。あの人は凄い魔導師なんじゃないか?」
視線の先に明らかに他の魔導師とは違う魔力を纏う人間がいる。障壁の展開速度も強度も桁違いだ。ボクの予想ではかなりのベテラン魔導師。
「あの人はギルドマスターのクウジさんです。元冒険者の魔導師で『獅子王』や有名な冒険者達とパーティーを組んでたみたいです」
「ギルドマスターなのか。きっともの凄い魔導師だろうね」
リオンさんのパーティーメンバーなら、凄い魔導師に違いない。現役じゃないのに、あれ程の魔力と技量を備えているのは凄い。遠目に見ても並外れた魔導師の風格を感じる。
「全盛期はカネルラでも1、2を争うような魔導師だったみたいです」
「そんな凄い人がフクーベにいるんだね」
オーレンとアニカは思った。『ウォルトさんもですけどね…』…と。
準備が整って直ぐに予選は開始された。魔法武闘会において格闘行為は一切禁止。動き回るのは構わないけど、純粋に魔法を駆使した魔法戦で勝敗を決する。
魔導師達は、修練の成果を競うように素晴らしい魔法を繰り出す。磨き上げた魔法の応酬は、普段魔法を目にしない観客を魅了して訓練場は大きな歓声に包まれた。
『反射』されたり躱された魔法が観客席に届くこともあるけど、「うぉぉ~!すげぇ!」と観客を盛り上げる。
「みんな凄いですね!」
「凄い。見たことない魔法も幾つかあって凄く勉強になるよ」
魔導師達が纏う魔力はしっかり記憶できた。住み家に戻って直ぐにでも修練したい。早く修練したくてうずうずしてる。
競い合う魔導師を見て、自分が詠唱できる魔法は世界に伝わる魔法のほんの一部なんだと実感した。でも、知らない魔法が多い分、覚える喜びは誰より大きいかもしれない。ボクは恵まれてる。
「参りました」
選手達はどちらかの魔力が尽きるまで魔法を披露して、敗れた魔導師は悔しい表情を浮かべながらも互いに健闘を称えあう。
「サラさん…負けちゃいました…。残念です…」
「相手は余裕があったね。でも、凄かった」
サラさんは初戦で敗退したけど、その表情にはやりきった充実感が浮かんでいた。冒険者を引退してブランクがあったはずなのに、それでも素晴らしい魔法を見せてくれた。
サラさんの年齢は、出場者の中でも下から数えた方が早いはず。何年後かにはフクーベの魔導師の頂点に立っていてもおかしくない。
その後も、決勝まで興奮しながらの観戦で大盛況の内に予選会は幕を閉じた。
★
フクーベのギルドマスターであるクウジとともに、闘いの余韻冷めやらぬ訓練場に向かう老人がいる。
目的は優勝者の表彰。ゆっくり歩を進めながら、これ見よがしに溜息を吐いた。
「よぼよぼのジジイを人前に担ぎ出しおって。とんでもない弟子を持ったわ」
「そう言わないで下さい。ライアン師匠だから表彰をお願いしたんです。貴方はフクーベが生んだ最高の魔導師です」
ライアン師匠は、俺の魔法の師匠でフクーベ出身の元宮廷魔導師。一時期は宮廷魔導師のトップに君臨していた実力者。魔法武闘会でも二度優勝している。実績、実力を兼ね備えるカネルラ最高の魔導師の一人。
今回の表彰セレモニーのために、現在の住居がある王都からわざわざお越し頂いた。
「褒めても愚痴以外なにも出らんわ。過去の栄光に縋るような爺と思うな。他ならぬお前の頼みだから来たがな。…ときにクウジよ」
「なんでしょうか?」
「お前、修練してるじゃろ?どういう風の吹き回しじゃ?」
師匠はお見通しか。
「さすがです。最近、冒険者に面白いことを言われたもので」
「面白い?なんじゃ?」
「フクーベには俺の全盛期を超える魔導師がいると」
ライアン師匠の眉間に深い皺が寄る。
「確かに面白い。やさぐれた魔導師の虚言ではないのか?」
「違います。今日の予選には出ていませんが、フクーベで最も優れた魔導師の1人です。俺に憧れ、全盛期の力をよく知る男です。それに『獅子王』も同じことを」
「リオンか。ならば真実かもしれんが、今回の予選に出ておらんだろう。そんな奴を見逃すほど耄碌しちゃおらん」
「そうですね。残念ですが俺もそう思います。そろそろ着きます」
俺達が訓練場に姿を現すと大きな拍手と歓声に包まれた。
フクーベが生んだ大魔導師ライアンは、カネルラの魔導師にとって生ける伝説の1人。滅多に表舞台に姿を現さないので、一目見ようと大勢の観客が残っていた。
★
「騒がしい。じゃが悪い気はせんのぅ」
ライアンは遙か昔の武闘会を思い出す。熱気には未だ高揚する。鳴り止まない歓声と拍手の中、優勝者である壮年の魔導師デルロッチの前に立つ。Aランク冒険者パーティー【破壊者】の魔導師。
「ライアン師匠。お久しぶりです」
「久しぶりじゃな、デルロッチ。立派な魔導師になりおって。まずは、おめでとうと言わせてもらおう」
「ありがとうございます」
デルロッチはクウジの弟弟子。今回は儂が表彰に現れるということでかなり気合いが入っていたらしい。クウジから受け取った優勝記念品とトロフィーを手渡すと、一層大きな拍手が起こる。
「危なげなかったのぅ。少し物足りなかったのではないか?」
「はい。ホライズンのマルソーと競えなかったのが心残りです」
「マルソー?もしや、クウジに憧れているという男か?」
「その通りです。まだ若いのですがかなり伸び代があります。今フクーベで最も勢いのある魔導師です」
「そうか。どこの魔導師か知らんが、儂の弟子が負けるのは許さんぞ」
「そのつもりです」
儂はこの目で実力を見ないと信じない。
ん…?
デルロッチの肩越しに観客席が目に入った。視線の先には、微かに視認できる魔力を全身に纏う男が座っている。
なんじゃ彼奴は…?遠くてよく見えんが、薄ら見たこともない不思議な魔力を纏っている。なぜか無性に気になり、無詠唱で魔法を放った。
『無効化』
限りなく透明に近い魔力が放射状に広がる。『無効化』は、あらゆる魔法の効力を消滅させる魔法。魔法の中でも、習得、詠唱ともに最高難度。王族の守護者たる宮廷魔導師が得意とする魔法でもある。
観客席に魔力が到達して、展開された『魔法障壁』や『可視化』が次々に無効化されていく中…。
ぬぅ…!?無効化できんじゃと…?
その男に魔法が到達しても魔力は揺らぐことすらなかった。むしろより強化されたように見える。
遠目に目が合った男は席を立ち、隣に座っていた若い男女とともに出口へと歩き出した。こちらを見ようともしない。
間違いなくこちらの放った魔法に気付き、いかなる手段か不明だが『無効化』を防いだ。遠目にわかったのは、不思議な魔力を纏う若い人間の男であるということだけ。
面白いではないか…。
「師匠?どうかされましたか?なぜ、いきなり『無効化』を?」
「ちと気になることがあってな。クウジよ。お前の言う魔導師は、参加者ではなく観客席にいたかもしれん」
「本当ですか…?なぜおわかりに?」
「あくまで可能性よ。さっきまで見たこともない魔力を纏った者がおった。気になって『無効化』を放ったが、生意気に気付いて掻き消しおった」
「なんですって…?」
「若い人間の男だ。あの若さで全盛期のお前を超えるなど考えられんが、久しぶりに驚いた」
「若い人間の男……ですか」
鷲の魔法を掻き消すことができる若い男。顔は覚えた。またどこかで会うことがあれば、話してみるとしよう。
★
ウォルトは訓練場を出てオーレン達の住居を目指し歩く。ウイカはまだ仕事が残っていて後で合流する。
「ゴメンね。最後までいたかったろう?」
「大丈夫です!後は表彰だけだったので!有名なライアンさんも見れましたし!まさか、魔法で変装を解こうとするなんて思わなかったです!」
「俺も満足です。なんで魔法を放ったんでしょうか?なにも感じなかったですけど」
それも仕方ない。ライアンさんの魔法は本当に見事だった。息をするように無詠唱で魔法を放った。
「あくまで予想だけど、ライアンさんはボクが変装してた魔力を見抜いて、気になって無効化するために放ったんだと思う。会場に変な奴が紛れ込んでると思われたかもしれない。放ったあとボクを見てたからね」
自惚れではないはずだ。隠蔽できてると思っていたけど、魔導師には簡単に見破られてしまった。当然なんだけど、もっと上手く隠せるようになりたい。
放たれた魔法が、魔力を無効化する効果を帯びているのは障壁が消えた瞬間に気付いた。だから、自分に到達した魔力を『魔喰』で相殺して無効化の魔法を逆に無効化するというややこしい状況が出来上がった。
今日見れた魔法の中で最も驚いた魔法だったな。絶対に習得したいから、忘れない内に修練しよう。
怪しまれて仮に質問でもされてしまうと困ってしまうから、2人に話して逃げるように出てしまったけどボクは充分楽しんだ。
「なんとかバレずに乗り切りましたね!」
「そうだね。しかも、最後に凄い魔法を見せてもらえたから幸運だった」
「また覚える修練ですか?」
「もちろん。今日は5つも知らない魔法を見れたから」
「出会った頃は使える魔法が30個くらいって言ってましたけど、今はどうなんですか?」
「今は50個くらいかな?まだまだ少ないね」
「1年ちょっとで20個増えたということは…このペースだと10年で200個…100年なら2000個です!世界の魔法を完全制覇ですね!」
「その頃、ボクが生きてても寝たきりで目も開いてないと思うけどね…」
夢のような話だけど、それはさておき今日は凄くいい日だった。誘ってくれた皆に感謝しつつ厚意に甘えて泊まって帰ろう。