296 予選最終日
いよいよ武闘会のフクーベ予選が最終日を迎えた。
数々のクエストをこなしてきた【森の白猫】の面々も、この日ばかりは休養日にして約束通りウォルトと観戦に来た。
激しい闘いが予想される最終日。医療班に参加を希望していたウイカは、医務室に移動する前にウォルトと2人きりで話をする。
「私が言い出したんですけど、一緒に観戦できないのが残念です…」
医療班に選ばれたのは嬉しいけど、オーレンとアニカが羨ましいなぁ。ウォルトさんの隣で観戦したかった。
「ボクもだよ。でも、ウイカの治癒魔法が必要になるかもしれない」
治癒師を目指している私にとって、いい経験になるはずだ…って思ってるよね。
「役に立てればいいんですけど。緊張してるので、行く前にハグしてもらっていいですか?」
「もちろん」
人目につかない場所に移動して3分くらいハグしてもらう。温かくて幸せ…。
…よし!気持ちを切り替えよう!
「いってきます!」
「うん。頑張って」
ウォルトさんに手を振って駆け出した。
医務室に到着するなり、医療班の女性陣に囲まれる。ベッドが並ぶ広い部屋の隅に追いやられて小声で質問攻め。
『ウイカ!さっき抱き合ってたって聞いたけど、相手は誰だ!?』
『びっくり仰天!男の人が何人か膝から崩れ落ちてたよ!糸が切れた操り人形みたいにっ!』
『あの人は彼氏なの!?やっぱり彼氏なの!?』
見られてたんだ…。人の噂が広がるのは早いっていうけど、本当なんだなぁ。ついさっきのことがもう広まってる。
医療班は治癒師から看護師まで女性も多くいて、ほとんどが冒険者やギルドの医療関係者で面識がある。
声は限りなく小さいけど目を輝かせてる。サマラさんも職場でこんな感じだって言ってたっけ。
『彼氏じゃないです。けど…そうなれたらいいなと思ってます』
『くぅ~っ!』
『マジかぁ~!』
『あまぁ~い!』
『内緒にしてもらえますか?』
『もちろんだ!』
『私、初めて見る人だったけど冒険者?』
目撃者を特定。
『冒険者じゃないです』
『怒られるかもだけど、普通な感じの人だね』
『はい。男性は顔じゃないと思います』
『『『さすが!』』』
まだ予選が始まっていないのもあるけど、女性陣は大いに盛り上がる。女性は恋バナが好きだよね。クローセでもフクーベでも変わらない。
初めはヒソヒソ話だったのに、興奮してボリュームが上がってることに気付いてないもん。噓じゃないし、恥ずかしいことでもないから私は堂々としておくだけ。
ウイカと仲良くなりたくて医療班を希望した下心ありありの男達は、漏れ聞こえる内容から察してガックリ肩を落とした。
★
今回の予選会の会場はフクーベのギルド訓練場。
王都のように大きな闘技場がないフクーベでは、限られた観客しか動員できないけれど仕方ない。観戦者は厳正な抽選で決定された。見事アニカが3人まで観戦できる券を引き当てウォルトも誘ってもらった。
既にオーレンとアニカと一緒に指定された席に座って開始を待っている。運良く前列だったので、かなり近い場所で観戦できる。
「楽しみですね!お姉ちゃんがいないのは残念ですけど、見れるのは嬉しいです!」
医療班は直ぐに治療できる場所にあって、数名は会場で待機してる。その中にウイカはいた。
「アニカのおかげでボクも観れる。ありがとう」
「どういたしまして♪」
「それにしても…やっぱりウォルトさんじゃないみたいですね」
「そうかな?上手く変装できてる?」
「できてます!最初ビックリしました!」
「俺は、そこら辺ですれ違っても絶対気付かないですよ」
「2人が気付かないなら大丈夫かな」
今回フクーベに来るにあたって心配だったのは、顔見知りの獣人に会うこと。戦闘好きの獣人が会場にいる可能性は高い。揉めたりしたくないので、魔法で変装することに決めた。
万が一にもアニカと会わせたくない。黒い目をさせたくないから。
『変化』と勝手に名付けた魔法は、『淑女の誕生』と『幻視』の魔力を掛け合わせた複合魔法。
魔力を纏って思い描く姿を投影する。新たに習得した魔力で色々試している内に思いついた。エルフの魔法と人間の魔法の複合はコツがいるけど可能だ。
魔力を感じられない人にも見破られないよう『可視化』も混ぜてあって、エッゾさんのような人以外には見破られないと思う。
声や体型は変わらないし、匂いも隠せないからわかる人はバレるのが難点。今回は獣人対策で香水をつけてみた。
きっと魔導師なら使えるようなありふれた魔法だけど、ボクの技量と知識ではこうでもしないと無理。誰かに教わることがあったら、恥ずかしいからこの魔法の存在を消そう。
「その格好なら、お姉ちゃんとハグしてもバレませんね!」
「見てたの?」
「見なくてもお姉ちゃんのことはわかります!」
「そっか。姉妹って凄いなぁ」
「ちなみに、ウォルトさんの今の顔って誰かモデルがいるんですか?どことなく、俺の知ってる人のような…」
今のボクは、爽やかな人間の青年の姿をしてる。豊かな黒髪で、決してイケメンではないけど人のよさそうな顔の優しげな青年。服装は素朴で田舎育ち感満載。
「テムズさんの若い頃をイメージしてみたんだけど」
「えっ!?」
「テムズって…村長ですか?」
「そうだよ。テムズさんが「儂は昔こんな感じじゃったんじゃ!」って言ってた姿を想像して投影してみたんだ」
「ウォルトさんは優しすぎますよ。村長が言ったのはハゲ隠しに決まってます。俺は髪を見たことないし、黒髪だったのも初めて知りました」
「そうですよ!私が思うに昔もつるっパゲだったと思います!間違いなく見栄張ってます!」
『カミ』じゃなくて『カオ』の話をしてなかったっけ…?
「今日だけはボクの想像したテムズさんになりきるよ」
「じゃあ、その姿の間はテムズさんって呼ぶことにします!」
「いいな。どこに知り合いがいるかわからないもんな」
「それでお願いするよ」
2人には言ってないけど、「あんた、クローセ村のテムズの若い頃にそっくりだねぇ。親戚かい?」と道行くお婆さんに言われたから、密かに似てる自信はある。あのお婆さんはクローセ出身かな?
「あっ!そろそろ始まりそうですよ!」
大きな歓声とともに出場者達が入場してきた。今日は準々決勝から決勝まで一気に行われるみたいだ。
先に行われるのは武闘会の予選。8名の中から本戦に出場する代表を決める。並び立つ強者の中に、もちろん知り合いはいない。
「マードックさんは出場してないんですね」
「そうみたいだね」
アイツが出てたら、この場に残ってないことはないと思う。「本気のケンカは人に見せるもんじゃねぇだろ」とか格好つけて笑ってそうだ。ああ見えて意外に紳士だから。
武闘会の予選は直ぐに幕を開けた。剣士や戦士、武闘家と呼ばれる猛者達が素晴らしい闘いを繰り広げる。高ランク冒険者もいれば武術の達人と呼ばれる者もいる。
「凄く面白い。不思議な技を使う人がいるね」
王都で異種戦を観たときもそうだった。闘気とは違う力を纏って剣技や技を繰り出す者がいる。魔法や闘気とも違う力を。言うなれば暗部の『気』に近い。
「あれは技能らしいです。武術や剣術は、それぞれの流派で固有の技能を持ってるから見てて面白いんですよ」
「武器にも魔道具みたいに特殊なモノがあったりして、多種多様なんです!」
「へぇ~。凄いなぁ」
暗部と同じように、ずっと受け継がれていたり新たに編み出した技能なんだろうな。幾つか覚えてみたい。魔力で模倣できるといいけど。
そんな強者達の中で、純粋に己の身体のみを武器に闘う者がいる。カフジと呼ばれた男は、黒い毛皮と筋肉の鎧を身に纏う。風貌と微かな匂いから推測するとおそらくゴリラの獣人。歳はボクより若く見える。サマラと同じくらいだろうか。
肘まで伸びる手甲と、鋼製の脛当てを装備した大きな体躯で、剣士を相手に獣人の力を見せつける。純粋に力だけならマードックに引けを取らないんじゃないか。
準々決勝で惜しくも敗退したけど、獣人らしい豪快な闘いにボクは興奮した。戦闘の技術を磨けばきっと彼はまだ強くなる。驚くべきことに一般参加の獣人だ。
準々決勝を終えて、準決勝を前に小休止を迎えた。
ここまで大きなアクシデントもなく、医療班の出番も少ない。知り合いはいないけど、誰であれ怪我はしないに越したことはない。
皆で訓練場から出て外の空気を吸っていると、遠くからウイカが駆け寄ってくるのが見えた。
「お姉ちゃん!お疲れ!」
「ありがと。あんまり疲れてないよ。大きな怪我人もいなかったし」
姉妹が会話する隣で、ウイカと一緒にいる女性から強い視線を感じた。上から下までじっくり見られているような…。変装がバレてるとか…?
「リンドルさんもお疲れ様です!」
「ウイカと一緒で疲れてないぞ。相変わらずアニカは元気だな」
リンドルと呼ばれた女性は、ショートカットの赤髪に大きな瞳の美人。
キャロル姉さんと同じで、姉御肌な雰囲気を感じさせる。年齢はサラさんと同じくらいかな?ボクには判別できない。
「テムズさん!リンドルさんは治癒師の方です!私達が駆け出しの頃からお世話になってて」
「そうなんだね。初めまして。クローセ村から来たテムズといいます。皆がお世話になってます」
「丁寧にありがとう。よろしく」
「テムズ?」とウイカが首を傾げて、アニカがすかさず耳打ちしてる。事情を説明してくれてるんだろう。ウイカはコクコク頷いてる。
「君はウイカ達と同郷なんだな」
「今日は皆に誘ってもらってクローセから観戦に来ました」
ボクの噓はすぐ見破られるんだけど、信じてもらえるかな…?
「そうか。ゆっくり見ていくといい」
「ありがとうございます」
信じてくれたようでホッとしていると、慌ただしく人が通りを駆けてくる。ただならぬ様子を察したリンドルさんが併走した。
「どうした!なにをそんなに急いでる!?」
「火事だ!古い家から火が出た!隣の家まで燃え広がってる!衛兵を呼びに行くとこだ!」
「場所はどこだ?!怪我人は!?」
「住宅街のフォーク通り!木造ばかりの地区だ!煙が昇ってるからすぐわかる!怪我人もいる!」
「わかった!」
戻ってくるなりリンドルさんは状況を説明してくれた。事態は一刻を争う。
「すぐ行って手伝いましょう!」
「俺達の家の近くです!」
「直ぐに向かおう。ウイカ、頑張ってね」
「私も行きます!」
「いや。私が行こう。ウイカは医療班に戻って事情を伝えてくれ。怪我人の治療を終えたら直ぐに戻るから心配いらないと」
「…わかりました!皆、気を付けて!」
表情を引き締めてそれぞれ駆け出した。
ボクは皆を置き去りにして、真っ先に現場に到着した。倒れている怪我人に駆け寄ると、火傷していたり頭を打ったのか血を流している者もいて、住民達が協力して懸命に治療してる。
「ボクは治癒魔法が使えます。傷を診せて下さい」
「ホントか!?頼む!」
代わってもらうと怪我の酷い者から『治癒』をかける。怪我してるけど命に別条はなさそうだ。
「おぉっ!すげぇ!」
「みるみる治っていくぞ!」
「治癒師はすげぇな!」
全員の治療を終えると、怪我していたのに直ぐに消火に加わると言う。
「もうすっかり痛くねぇ!手伝わなきゃな!兄ちゃん、治してくれてありがとよ!」
「無理はしないで下さい」
ホッとする間もなく、焦った様子で女性が駆け寄ってきた。
「逃げ遅れた息子が家に取り残されてるの!助けて下さい!お願いしますっ!」
「どの家ですか?!」
女性は燃えさかる家を指差す。まだ原形を保っているけど、いつ崩れてもおかしくない。時間との勝負だ。
駆け出そうとしたとき後ろでバシャッ!と音がした。振り返ると体格のいい獣人がバケツで水を被っている。
彼は…さっきまで武闘会の予選で闘っていたカフジさんだ。
「ウォォォッ…!」
大きく吠えて燃えさかる家に向かって駆け出した。ボクもすぐさま後を追う。ドアをぶち破って勢いよく飛び込んだカフジさんは、耳を澄ますような仕草を見せる。
「うわぁ…ん…!おかあさ~ん…!」
声のする場所へ向かおうとするが、梁が焼け落ちて道を塞いでいる。
「ドラァァ…!ゴラァッ…!」
炎に怯むこともなく、行く手を塞ぐ崩れた梁を素手で破壊しようと殴り出した。
「グウゥ…!ガァッ!」
暑さで直ぐに乾いてしまった毛皮に、火が着いてもカフジさんは怯まない。
『水撃』
カフジさんの背後から魔法で行く手を遮る炎を消す。軽めに制御した『破砕』と一緒に撃ち出して、霧状に噴射すると効果的に消火できた。
ずぶ濡れになって驚いたように見てくるけど、構わず詠唱して消火を続ける。素早く一帯を消火してさらに詠唱した。
『周囲警戒』
家全体を覆う魔法陣。子供の反応は奥の部屋にある。
「子供のいる場所はわかりました。行きましょう」
「…う…」
頷いたカフジさんと共に、消火しながら急いで向かうと小さな男の子が炎に囲まれていた。
「わぁ~ん!おかぁさ~ん!」
部屋の隅に追いやられて、泣いている男の子。近付くタメに魔法を操って燃えさかる炎を消す。
ホッとしたのも束の間、ギリギリで持ちこたえていた天井が崩れ、男の子目掛けて落下した。
「危ないっ!」
「わぁぁぁ!」
全力で駆け出したら、黒い巨体がボクの前を駆ける。天井が崩れ落ちる直前、カフジさんは男の子に覆い被さった。大きな背中は梁の直撃を受けてもビクともしない。
「カフジさん!大丈夫ですか?!」
こちらの問いには答えず、カフジさんは優しい笑みを浮かべて大きな手で震える男の子の頭を撫でた。
「も、もう…だ、大丈夫…だ…」
「う…うわぁぁ~ん!こわかったよ~…!」
「心…配……いらない…」
泣きじゃくる男の子を優しく抱いて、泣き止むまで背中を撫でていた。ホッと胸をなで下ろして『水撃』で室内を消火する。外からも皆が懸命に水をかけ続けて、やがて鎮火した。