291 博識なハーフリング
ある晴れた日。
ウォルトはある人物を訪ねようと森を軽快に駆けている。
その人物は、カンノンビラに住むハーフリングの作家ブライトさん。以前キャロル姉さんとサマラと旅行で訪れたとき「話してみたい」と言ってもらったので、社交辞令かもしれないと思いながら会いに行ってみることにした。
フィガロの話は元より、オーレンから貰った新刊も面白かったから是非感想を伝えて話を訊きたいと思った。迷惑そうだったら直ぐに観光に切り替えて、帰るまでカンノンビラを楽しむことにしよう。お金は持ってきた。
住み家からカンノンビラまでは駆けても3時間かからない。トレーニングも兼ねて休憩なしで駆ける。今日も肉団子を食べようかな。残念ながら美味しくないのが玉に瑕。
休みなしで森を駆けること2時間ほど。無事にカンノンビラに辿り着いた。そういえば…獣街道で遭遇したボア達は元気にしてるだろうか。退治されてなければいいけど。
街に入ると、フィガロの像を見つめたり、名所案内に目を通したりと寄り道しながらブライトさんの住居を目指す。
貰った地図を見ながら進むと、街中は様々な獣人で溢れていてまるで獣人の街。基本的に獣人は金遣いが荒く、カンノンビラは潤っているはず。多くの町がフィガロ生誕の地を主張するのにはそういった狙いもあるだろう。
前回訪れることのなかった住宅街に向かってしばらく歩くと目的地に到着した。
眼前には小さな家が建ってる。敷地が狭いという意味ではなく、家の造り自体が縮小されてこじんまりとした造り。ハーフリングには身長が低いという特徴があるにしても、獣人のボクからするとかなり小さい。
少し躊躇いながらも、屈んで背の低い玄関のドアをノックしてみる。
「はい」
ドアが開いてブライトさんが顔を覗かせた。
「ブライトさん。こんにちは」
「おぉ。ウォルトじゃないか。約束通り来てくれたのか」
ちゃんと覚えていてくれた。それだけで嬉しくなる。
「話ができればと思って来ました。事前に報せもせずにすみません」
「全然構わないし、君とはゆっくり話したかったから嬉しいよ。散らかってて狭いけど中に入ってくれ」
「お邪魔します」
笑顔で招かれて中腰でドアを潜って中に入る。中は立っても余裕の高さがある。天井は低いし、廊下も狭いけど特段窮屈じゃない。
「家が小さくて驚いたんじゃないか?」
「はい。でも、機能性を追求したらこの方がいいですね」
「そうなんだ。自虐じゃないけど、俺達は背が低いし手足も短い。人間の住居じゃ住み辛くて仕方ない。掃除もまともにできやしない」
「入浴なんかも大変ですよね」
「そう。いいことと言えば、建てるときの土地代や木材なんかが安く仕上がることくらいか。でも、家具や風呂、トイレなんかは全部特注だから意外に金はかかる」
「なるほど。でも、家は使いやすさが一番だと思います。長く住むなら尚更です」
「建物談義もいいけど、とりあえず座ってくれ。お茶を淹れてくる」
「ありがとうございます」
居間に通されて椅子を準備してもらった。客人用なのか普通のサイズだ。椅子に掛けて見渡すと、居間というよりこの家には広い部屋が1つあるだけといった方が正しい気がする。
部屋の隅には机が置かれていて、壁には隙間なく本が詰まった本棚が並ぶ。紙の匂いが好きなボクにとってはとても居心地がいい空間。
「本が気になるかい?」
ブライトさんがお茶を淹れて戻ってきた。
「さすが作家の部屋だと思いました」
「俺の持ってる本なんか少ない方だよ。よかったら飲んでくれ」
手渡されたお茶の香りを嗅ぐと、あまり嗅いだことのない香りがする。
「いい香りですね」
「ハーフリングが好んで飲むハーブ茶だよ」
口に含むと少々癖があるものの薫り高くて美味しい。森で探して研究の余地あり。
「美味しいです。そうだ、ブライトさん。新刊読みました。面白かったです」
「ありがとう。今回は内容が小難しくなってしまって、ちょっと反省してるんだ」
ブライトさんの新刊はクライン王政時代のカネルラについての考証だった。偉大なカネルラ国王クラインの元、国民は戦争でなにを思い、戦後のカネルラになにを残したのか。一国民として掘り下げた1冊。
「詳細な内容で驚きました。取材で旅をされてるんですか?」
クライン王政時代についてはダナンさんから話を聞いている。ほぼ相違ない内容に驚かされた。
「行ける国には行ってるし、カネルラでも可能な限り現地に足を運んで、聞き込みしたり書物を読み漁ったりしてる。今回は王都にしばらく滞在したよ」
「そうですよね。フィガロのことについても、ボクはブライトさんの本が最も的を射ていると思います。取材の量と質が違うというか。偉そうに言えないんですが」
「いや。いろんな国や土地に行ったけど、君のようにフィガロに精通している獣人に初めて会った。君に言われると凄く嬉しい」
「大袈裟です。いろんな文献を読み漁って、勝手な考察と空想を楽しんでるだけですから」
幼い頃は殴られたりして寝込むことが多かったから、ベッドで本を読んだり空想して楽しむことが多かった。苦い思い出だけど、間違いなく本が好きになった一因ではある。
「大袈裟じゃないさ。過去に話を聞いた獣人は千人を下らない。でも、フィガロが原始の獣人じゃないか?と口にした獣人は君が初めてだ。そこに行き着く思考は中々ないと思う」
「ただの想像ですよ」
「最もあり得そうな…だろう?」
「はい。なぜ説が出ないのか不思議です」
「国民の大多数は原始の獣人の存在に気付いてないからだろう。あと、俺もそうだけど書きたくても書けないという事情があると思う」
「書きたくても書けない?」
「理由は不明だけど、原始の獣人の存在は公表されていない。公にするのも禁忌のような扱いなんだ。知らないのか?」
「知らなかったです」
「カネルラに限ったことじゃない。他の国もそうだった。世界の暗黙のルールとでもいうのかな」
確かにサマラやキャロル姉さんも知らなかった。マードックは知ってたし、冒険中に実際に会ったこともあると言ってた。
実は…珍しいことなのか?前回は思い出せなかったけど、今回もどこで聞いたのか思い返してみると…。
「お前は原始の獣人みたいな奴だ。捻くれて捻じ切れる寸前の獣」
そうか…。教えてくれたのは師匠だ。あの時は確か…。
『原始の獣人ってなんですか?』
『お前には教えん!クソ生意気な動物由来品ごときが!』
『実はよく知らないくせに見栄張って…』
『なんだと!このドラ猫!燃やすぞボケがっ!』
しつこく聞いたら、嫌そうな顔をしながら教えてくれた。文句を言いながらも最終的に自慢気に教えるんだから、最初から気持ちよく教えればいいのに…と思ったんだ。
だけど、どこが原始の獣人っぽいのかは最後まで答えてくれなかった。偏屈な師匠を持つと苦労する。
「それより、せっかく遠路はるばる来てくれたんだ。フィガロについて話そう」
「よろしくお願いします」
「ウォルトはフィガロをどんな風貌だったと想像してる?」
「ボクの想像では、獣人にしては身長は高くないと思います。ボクより低いかもしれません。ただ、拳の大きさから考えると筋肉はもの凄かったんじゃないかと」
「なぜ身長が低いと思うんだい?」
「拳破の洞門を素手で掘ったというのが真実なら、高身長だと天井が低すぎます。実際に見て気付いたんですが、立って殴るには厳しい高さでした」
「背の高い獣人ならではの視点だね。拳の大きさの根拠は?」
「喪失の岩石に刻まれた拳の跡です。フィガロの遺品の手甲を手にしたことがあるんですが、測ったら限りなく大きさが近かったんです」
「それは貴重な意見だ。元から信憑性は高い話だけど、より高まるな…」
「そう感じました」
「隣国での戦争に参戦したとき無双した逸話についてはどう考えてる?」
「おそらく誇張です。千人斬りと云われてますが、フィガロでもおそらく1~200人倒すのが限界です。敵軍が鬼気迫るフィガロを見て、話が大きくなった可能性が高いと思います」
その後も、幾つかの質問に思う通り答える。
「君は現実を見てるな。憧れてるだろうに」
「フィガロのことはできる限り正確に考察したいんです。小さい頃はただ強さに憧れてました。今も変わりはないんですが」
「ほぼ世界中の獣人男性がそうだね」
「でも、知れば知るほど謎は深まります。フィガロは童話に登場する勇者のように使命感や正義感溢れる好漢じゃない。かといって力を誇示しようと暴れ回る殺戮者でもない。ただ最強だった。不思議な獣人で興味が尽きないんです」
「確かに、不思議という言葉が最も適切な表現かもしれない」
「ボクからも訊いていいですか?」
「もちろん」
「ブライトさんは、フィガロはなんの獣人だと考えていますか?」
ずっと考察されて確証がない疑問。是非ブライトさんの意見を聞いてみたかった。
「質問で返して悪いけど、ウォルトはどう思ってる?」
「可能性が高いのは獅子の獣人じゃないかと思ってます」
戦闘時のパワーもスピードも段違いだったと伝わっている。兼ね備える獣は獅子が最も近い。実際リオンさんと闘って獅子の強さを肌で感じた。ちなみに、第2候補は熊。
「なるほど。確信がないから本には書いたことがないけど、俺の予想では【豹獅子】の獣人だ」
「豹獅子…?」
初めて耳にする種族。ちらりとも聞いたことがない。
「豹獅子は、その名の通り豹の身体と獅子の頭を持つ獣で、驚異の身体能力を誇る。世界でも数頭しか確認されてないけど、確かに存在してるんだ。だったら豹獅子の獣人がいてもおかしくない」
「初めて聞きました…。豹獅子の獣人だと考えた理由を教えてもらっても?」
なにかしらの根拠を元に推測したはず。それが知りたい。
「フィガロは獅子かゴリラか熊の獣人だと云われているだろう?」
「はい」
最も広く流布する定説。獣人のボクでも力強い種族だと予想するのが普通に思える。
「俺が風貌に関する情報を調べる内に、気になったことが2つある。1つは、フィガロにはタテガミがあった。そして、2つ目は毛皮が斑だったということ」
「初耳です」
どちらも文献で読んだことはない。
「タテガミについては、フィガロが元々人間に近い容姿だということと、自然に流していたから違和感なく髪の毛だと思われていた。でも、同じ獣人の中にはタテガミだと気付いている者がいた」
「その時点で獅子の獣人の可能性が高くなりますね」
熊とゴリラはタテガミを備えていない。でも、タテガミを持たない狼なのにマードックには申し訳なさげにタテガミがある。
獣人の容姿には例外も存在するから絶対ないとは言いきれないけど、可能性は低くなる。
「それに加えて、当時幼い子供でフィガロを見た者の証言に「毛皮が斑だった」というのがある」
「子供…ですか?」
「子供の視線で下からフィガロを見上げると、陽の光と角度によって毛皮が斑に見えたらしい。大人にはそう見えないから、子供の戯れ言だと思われたみたいだけど」
「獅子の毛皮は斑じゃない…。タテガミと斑な毛皮…。2つの要素を兼ね備え、力と速さに優れる獣が豹獅子…」
世間に伝わる超人的なフィガロの身体能力。世界でも希少で、驚異的な身体能力を誇る獣の獣人…か。充分あり得る。
「とはいえ、まだまだ裏付けが足りない。あくまで推測なんだよ」
「ブライトさんは本当に凄いです…。ボクは…感動してます」
ブライトさんの取材力に舌を巻く。やはり、どれだけ文献で知識を蓄えようと各地での情報収集には敵わない。その土地でしか手に入らない貴重な情報。
まだまだ知らないことばかりだ。フィガロについて新たな見識を与えてくれたブライトさんに感謝しかない。かなり心躍った。
「そう言ってもらえるのは嬉しい。フィガロの謎を解明できるかはわからないけど、興味が尽きない獣人だよ」
「そうですね」
「ちなみに、【フィガロは女性だった】説もある」
「えぇぇっ!?本当ですか?!なにを根拠に!?」
一度も思いついたことすらない説。気になりすぎる。
「ちょっと突拍子もない説なんだけど、フィガロはとにかく強い獣人なのに浮いた話がない」
「ボクも気になってます。フィガロほどの強者なら、女性と金と名声を手に入れているはずです」
「だよね。それなのに女性をはべるせるワケでもなく、豪勢な生活をしていたとも聞かない。そんな疑問から生まれた説なんだ」
ブライトさんは1つずつ紐解くように説明する。フィガロの容姿や性格、行動や逸話などから女性らしさを拾い集めて話を紡いでいく。
最初は信じ難いと思っていたけど、話を聞く内になくはないと思える不思議。最初に疑った人はよく気付いたなぁ。
それから、しばらくフィガロについて語り合った。貴重な話を聞くことができて最高の時間を過ごせた。
夕方に差し掛かった頃、かなり長居してしまったことに気付く。なにも考えず時間を忘れて話し込んでしまった。
「ブライトさん。こんな時間まですみません。話に夢中になってしまいました」
「俺も楽しいよ。同士と互いの考察を語り合うのはなによりの娯楽だ」
なにかお礼したいと思い、夕食を作らせてもらえないか訊いてみると、「気持ちは嬉しいけど、俺は偏食で食べられないモノが多すぎてね」とブライトさんは苦笑した。
他になにかないか思案した結果…ブライトさんには知識が1番のお礼に思える。
「ブライトさん。新刊に通じる話なんですが、クライン国王が槍術の達人だったのはご存知ですか?」
「知らない。初めて聞いたよ」
このことについては本に記されていなかった。ボクもダナンさんに教わるまで知らなかったこと。
「クライン国王の意思を尊重して公表されなかったようですが、先の戦争でも前線で闘ったそうです。現代の騎士団に受け継がれる『クラン槍術』の創始者でもあります」
「詳しく聞きたいな…。まだ時間はあるかい…?」
「ボクの聞いたところによると…」
ダナンさんから聞いた当時のカネルラの情報を伝えると、興味深い様子で耳を傾けてくれた。
ダナンさんは、クライン国王の残した槍術を後世に引き継いでいきたいと語っていた。ブライトさんなら偏見や誇張なく後世に伝えてくれるはず。
「なるほど。騎士達は命を懸けて王と民を守り、国王は嫌がったけれど尊敬していた騎士は後世に魂と技を受け継いでいるのか…。クラインをクランと名を変えて…。素晴らしい」
「今はまだ国民に知られていなくとも、いずれ知られることになるかと」
「実に面白い。君はまるで当時生きていたかのように話すし、言葉に真実味がある」
「ボクに教えてくれた人が博識なんです。本当にクライン王政に詳しくて」
下手な噓だけど「教えてくれたのは当時の騎士なんです」と言うワケにもいかない。ダナンさん達の正体がどの程度広まっているわからないから。
その後、遅くまで話し込んで結局晩ご飯を作らせてもらえることになった。ブライトさんの嫌いなモノを除いた食材を街で購入したあと、手際よく作った料理は絶賛されて「ウチの家政夫にならないか?」と冗談交じりに誘われた。
丁重にお断りしたけど、「今後も機会があったら訪ねてほしい。またゆっくり話そう。俺はいつでもここにいる」と笑顔で言われ、嬉しさを感じながら帰路についた。




