285 変身
アニカは姉の大胆な要望に面食らった。
お姉ちゃんと抱き合っていたウォルトさんは、離れた後も特に照れた様子はない。きっと初めてじゃないんだね。
嬉しそうに微笑んだウォルトさんは、料理を作るタメに私達の手伝いを断って台所へ向かった。お礼ができて嬉しいのかな。
本日の主役に聞かれないよう、小声で会話する。
「ウイカ、やるね!ビックリした!」
「意外だったし、普通に羨ましかったよ!」
「兄ちゃんも照れてないのが驚きです」
お姉ちゃんが強敵なのは言わずもがなだけど、今ので再認識した!やるときはやるんだよね!
「ところで、ハグってなに?初めて聞いたんだけど」
「抱擁してほしくて私が作ったんです。最近フクーベで流行ってるんですけど…ってお願いして」
「なるほどねぇ~。ボクにできることならいいよ、のパターンだ!ウォルトは結構流行りに乗りたがるとこあるから!」
「兄ちゃんの思考を読んでます。さすがです」
「少しずつウォルトさんに慣れてもらって今に至るの。皆に負けたくないから」
「お姉ちゃん、頭いいね!勉強になった!」
「もう慣れてるから、皆がお願いしてもやってくれると思うよ」
大切なのはそこ!お姉ちゃんはそこまで読み切ってたはず。しっかり自分をアピールしつつ、出し抜くだけじゃなく皆に幸せを還元する優しさもさすが!
負けてられない!
しばらくして料理が運ばれてきた。今日は、肉を煮込んだ熱々の料理でめっちゃ美味しそう。
「美味しくできたと思うよ」
料理を見て閃いた。ハイ!と挙手する。
「ウォルトさん!私もお礼をお願いしていいですか?!」
「いいけど、食べてからでいい?」
「いえ!今しかできないお礼です!私、冒険でちょっと腕が疲れてるので、料理を食べさせてもらっていいですか?」
「ボクがアニカの腕代わりになればいいの?」
「はい!」
「「「おぉぅ…」」」
ふふふっ。予想外のお願いだったのか、3人から変な声が漏れた。
「じゃあ、ボクが隣に座るよ」
微笑みながら私の隣に座ってくれて、皿を持って掬った料理を口元に運んでくれる。踏み込んでお願いしようっと!
「熱々だから冷まして下さい!」
「わかった。ふぅ~ふぅ~…。はい」
「あ~ん♪はむっ!美味しいです!」
「そんな風に食べてくれると嬉しいなぁ」
「どんどんお願いします!」
美味しい料理を頬張って食べ進める。美味しそうに食べる姿が好きなウォルトさんも嬉しそう。私は食べる量も多いから長時間触れ合える。生まれて初めて食いしん坊でよかったと思う!
絶えず親鳥から餌をもらう雛のようで、一見幼稚に見えるかもしれない。でも皆は地味~に羨ましそうな顔してる。甘味を強めに感じてもらおうっと!
「美味しかったぁ~!満腹です♪」
「ボクも嬉しかった。コレがお礼でいいの?」
「もちろんです!」
「よかった。後片付けしてくるよ」
ウォルトさんは再び台所へ向かった。
「アニカ、満足した?」
「見ての通り最高でした!」
「私も羨ましくなっちゃった」
「ホントは膝の上に座りたかったんだけどね!さすがに食べにくいから!」
「アニカさんはまったく恥ずかしがらないですね」
「それは褒めてる?」
「もちろんです。照れ臭くないんですか?」
「全然だよ!照れたらウォルトさんが気を使っちゃうから!頼むなら堂々とやらなきゃ!」
充分過ぎるお礼をもらっちゃったなぁ~!
★
末の妹チャチャも思いを巡らせる。
ウイカさんもアニカさんも嬉しそうだったなぁ。純粋に羨ましかった。ただ、2人は触れ合うお礼を求めたけど、私がお願いしたいことは違う。
「あとは私とチャチャだね」
「サマラさんはもう決めてますか?」
「うん。後で頼もうと思ってるよ。チャチャは?」
「決まってるんですけど、ちょっと時間がかかることなんです。先に頼んでもいいですか?」
「いいよ」
後片付けを終えた兄ちゃんが戻ってくる。
「ねぇ、ウォルト。確認してなかったんだけど」
「なに?」
「今日全員で泊まっていい?」
「もちろん。チャチャも泊まれるの?」
「今日は大丈夫。父さん達にも許可もらってるから」
「そっか。ゆっくりしていってくれると嬉しいよ」
頼むなら早い方がいいよね。
「私からもお願いがあるんだけど」
「うん。なに?」
「私もウイカさん達みたいに絵を描いてほしい」
予想外のお願いだったのか、お姉ちゃんズは驚いてるっぽい。それは危険なんじゃないの…?と顔に書いてる。
「少し時間かかるけどいい?」
「いいよ。描くモノは兄ちゃんに任せるね」
「わかった。待ってて」
腰を上げて自分の部屋へと向かった。
「チャチャ、度胸あるね。腹筋を崩壊させられたばかりだからなおさら思う。今日のご機嫌なウォルトの絵は、殺人級の作品に仕上がる可能性もあるよ」
「最高傑作が誕生する可能性もあるんじゃないかな。絵の完成度が気分の高揚と連動してたらね。もしそうなったとしても、大笑いしながら逝けるから不幸じゃないけど」
「自信ありげな表情だったね!なんでかわからないけど!頼まれたとき『仕方ないニャ~』とか言いそうな笑顔だった!」
お姉ちゃん達はそれぞれの意見を聞かせてくれて、心配もしてくれてる。でも、私は兄ちゃんを揶揄いたいからとか軽々しく言ったつもりはない。ちゃんとした理由があって欲しいと思った。
「落ち込むことがあっても、兄ちゃんの絵を思い出すだけで元気になれるんです。自分だけの御守りに欲しくて」
「小さな頃とは比べものにならない破壊力で、とにかく笑えたからね。見過ぎは注意だよ!」
昔から下手なんだ。その頃の絵も見たかったな。
「私も額に入れて家に置いてますけど、中々見れなくて残念なんです」
「クエストに行く前に見ると気が緩んで危険だし、寝る前に見ると興奮して眠れなくなっちゃうもんね!狩りの前に見るのはやめた方がいいよ!」
「ふふっ。狙いが定まらなくなるかもしれませんね」
時間を忘れて盛り上がっていると、部屋のドアが開いて笑顔の兄ちゃんが出てきた。
「描けたよ。気に入ってもらえるといいけど」
「ありがとう。見てもいい?」
「いいよ」
裏返された絵を受け取って深呼吸する。お姉ちゃん達が息を呑んで見守る中、おもいきって裏返す。
「………えっ?!」
なにコレ…。
「この絵…私…だよね?」
「そうだよ」
ゆっくり皆に絵を向けると、目を見開いて驚いてる。描かれているのは私の似顔絵。肖像画のように緻密で驚くほど似てる。弾けるような笑顔。
「うまっ!?」
「凄いっ!そっくり!」
「どゆこと!?」
褒められた兄ちゃんは嬉しそう。
「トレースして描いてみたんだ。やり方を友達に教えてもらったからね。この絵でいいかな?」
凄いと思うし、嬉しいんだけど…。
「…ダメ」
「気に入らなかった?」
違うよ、と首を振る。
「この絵は…凄く上手だと思う。でも…私は兄ちゃんが上手に描いた絵じゃなくて、下手でも心を込めて描いてくれた絵が欲しいの」
「そうだったのか…。描き直すからもう少しだけ待ってもらっていい?」
「我が儘を言ってゴメンね。せっかく描いてくれたのに」
「そんなことない。ハッキリ言ってくれた方が嬉しい」
表情を引き締めた兄ちゃんは、再び部屋に閉じこもった。皆で似顔絵をマジマジ見つめる。
「この絵…凄いね。どうやって描いたんだろ?見た人全員チャチャだってわかるよ」
「トレースって、確か敷き写しのことです。でも、なにを写したらこうなるのか…。写したとしても精密に描ける技術が凄いです」
「そこらの似顔絵師より上手いよね!器用とかいうレベルじゃない!」
「やることが極端ですよね。上手いと下手の振り幅が凄くて差が激しすぎです」
小1時間ほど談笑していると兄ちゃんが戻ってきた。
「下手かもしれないけど、心を込めて描いたよ。気に入ってもらえるといいけど」
「うん。ありがとう。見ていい?」
「いいよ」
心を落ち着けて絵を受け取る。一瞬だけ見て、思わず吹き出しそうになったけど…。
「いっ…!……ありがとう。凄く嬉しい。大事にするね」
「どういたしまして。ちょっと喉が渇いたからお茶を淹れてくるよ」
「私が笑いそうになったらお願いします」と頼んでおいたから、兄ちゃんの死角でアニカさんが脇腹をつねってくれた。
「アニカさん、助かりました…。かなり危なかったです…」
「お安い御用だよ!やっぱり強烈?」
「今日見るのはやめた方がいいです。新作は内臓にくるんで。今日はこれ以上見ないようにします」
ホントに……ふふっ…。兄ちゃんは凄い獣人だ。
★
それぞれへのお礼も、残すは4姉妹の長女サマラのみ。
願い事も三者三様で面白いね。私達はそれぞれ違ってて、そこがいい!お茶を淹れて戻ってきたウォルトに訊かれる。
「そういえば、忘却の海原には強い魔物も出現するけど遭遇しなかった?」
「大丈夫だったよ。ちょっとだけ強いのがいたけどね」
「ケートゥスっていう魔物らしいです」
「えっ!?ケートゥスを倒したのか?!」
「サマラさんが殴り倒しました」
「ほぼサマラさんが1人で倒したと言っても過言じゃないです!」
「多分単独でも勝ってましたよね」
「違うよ!皆の力で倒したじゃん!」
変なところで立ててくれなくていいのに!皆で倒したんだよ。
「ケートゥスは初見で簡単に倒せるような魔物じゃない。凄いなぁ」
「ウォルトさんならどうやって倒しますか?」
「『雷撃』かな。雷に弱いからね」
「やっぱり!今度教えてもらっていいですか!」
「もちろん。2人ならすぐ覚えるよ」
ダンジョンでの出来事を語らっていると、外もかなり暗くなってきた。そろそろ頃合いかな。
「ねぇ、ウォルト。私のお願いも聞いてもらっていい?」
「いいよ」
「じゃあ、一緒にお酒飲もうよ♪飲めるようになったんでしょ?」
「そんなことでいいの?じゃあ、せめて肴を作ってこようか」
「やった!お願い!」
また料理を作れるとあって、軽い足取りで調理へ向かった。
「少し時間かかるよね。今の内にアレを準備しよう!」
「やりましょう」
「待ってました!」
「ちょっと緊張します…」
皆で静かに客室へと移動する。
「準備できたね!いこっか!」
揃って居間に戻ると、ウォルトがお酒と肴を並べてくれてる。さぁ、愛しい幼馴染みは驚いてくれるかな?
笑顔のウォルトは、私達の姿を目にして動きが止まる。
「ウォルト。どう?」
「どうでしょうか」
「可愛いですか?!」
「どう…かな…?」
4人揃って服を着替えてきた。普段の動きやすい軽装じゃなく、女性らしさを前面に押し出した服装で全員スカートをはいてる。
「すごく…似合ってるよ…」
やったね!実はケートゥスの素材を売って得た報酬で服を購入した。報酬を分配した後、チャチャが「兄ちゃん好みの女性らしい服が欲しいです」と私に相談してくれて、「私も!」とアニカ達も同調した。
ウォルトの好みを読み切っている私が、自信を持ってそれぞれに見立てた服。もちろん自分も抜け目なく選んでる。惚けたような表情のウォルトに満足だ。私はドキドキ作戦を4人でやりたかったから!
「せっかくの誕生日だから、いつもと装いを変えてお祝いしようかなって♪」
「うん…。驚いたよ…」
「ドキドキしましたか?」
「今もしてる…」
「こういうの好きですか♪」
「ボクは好きな服装だよ…」
「私…変じゃない…?」
「変じゃない。似合ってる…」
「ふふっ!じゃあ座ってよ!」
「うん」
ウォルトを椅子に座らせて、皆で役割分担して檸檬の水割りを作って渡す。
「入れるお酒は1滴厳守ね!」
「「「了解!」」」
その後、それぞれにお酒を注いでアニカが音頭をとってくれる。
「では、改めてウォルトさん誕生日おめでとうございます♪楽しく飲みましょう!かんぱ~い!」
「「「乾杯!」」」
「乾杯…」
グラスを突き合わせて一口飲んだ。…けど、肝心のウォルトが動かない。グラスを掴んだまま俯いてる。
「ウォルト…?どうしたの?」
耳だけピクッと動く。
「ボクは……家族とサマラやヨーキー以外の人にこんなことしてもらうの初めてで…。恥ずかしいけど……嬉しくて泣きそうなんだ」
よく見ると肩が小刻みに震えてる。皆は微笑んでそれぞれ語りかけた。
「今回で終わりじゃないよ!」
「来年も再来年もやります」
「私達が元気な内はずっとやりますから♪」
「毎回泣くことになるよ」
「みんな……ありがとう」
ウォルトは握りしめた酒を一気に飲み干した。
「今日は飲めるだけ飲みたい。付き合ってくれる?」
「もちろん!」
「はい」
「望むところです!」
「いいよ」
ウォルトは2杯目を一口飲んだところで眠ってしまった。
「こらっ!ウォルト!起きろっ!付き合ってくれって言ったのはそっちでしょ!」
「う~ん…。にゃぁ…」
「にゃぁじゃないよ!幸せそうな顔しちゃって!」
猫なのに狸寝入りしてるんじゃないの?そんな器用なことできないって知ってるけど!
「フリが効いてましたね。寝るの早すぎです。ふふっ」
「予想はできてたよね!そこがまた可愛い!」
「弱いのに一気飲みなんかするからです。酔い覚ましのお茶を淹れてきますね」
チャチャは本当に気が利く妹だ。
★
ボクは、いつの間にか眠ってしまったみたいだ。調子に乗って酒をあおったからだな…。嬉しすぎて、ついやってしまった。
「兄ちゃん。酔いはどう?」
「ちょっと楽になった。迷惑かけてゴメン」
「気にしなくていいよ。ゆっくり飲んで」
「ありがとう」
いきなり記憶が飛んでる…。頭が痛い…。
チャチャがお茶を淹れてくれて、テーブルに突っ伏していたボクを起こしてくれた。なんとか起き上がったものの酔いが残ってる。
淹れてもらったお茶だけでは、回復に時間がかかりそうだ。自分で回復魔力入りのお茶を淹れようか…。
皆に目を向けると眩しく映る。全員美人なのに、服装も相まって凄く綺麗だ。酔いのせいもあるのかドキドキが止まらない。
自分を信用できない。酔って…皆に変なことをしないようにしないと…。瞼を閉じて、働かない頭で誰にも気づかれないよう無詠唱で『頑固』を使った。
★
酔い覚ましにお茶を飲んだウォルトは、また眠っちゃった。直ぐに回復するよと会話してたら、目を開けたウォルトが喋り始める。
「皆はお洒落で可愛い」
「突然、なに…?」
「思ったことを言っただけだ。皆は可愛い」
澄まし顔で堂々と皆を褒めるウォルト。嬉しいけど、容姿を褒められたことなんてないし、まったく照れている様子がないことに違和感しかない。
なんかおかしい…。いつもより精悍な顔つきで違和感がありあり。さっきまで酔ってて動揺してたのに、妙に堂々としてる。
ん…?動揺してない…?
「あっ…!もしかして『頑固』を使ったんじゃないの!?」
「正解だ。さすがサマラ」
すかした態度だ。なんか…イラッとする。
「…ちょっと集まってもらっていい?」
「いいぞ。なんだ?」
「ウォルトはあっち行ってて」
「そうか」
ウォルトに会話が聞こえないように部屋の隅に移動する。私が説明するより先にウイカが訊いてきた。
「サマラさん。『頑固』ってなんですか?」
「よく知らないけど、動揺しなくなる魔法みたいで前に使ってた。多分、私達にドキドキしすぎて気付かれないよう使ったんだと思う。真面目だから」
「そうだとしても、ちょっと様子がおかしくないですか?」
「アニカもそう思う?前見たときはあんなじゃなかったんだけど」
「イケメンキザ猫みたいになってますね。兄ちゃんらしくないです」
「あんな状態は私も初めて見るよ」
「ボクは猫だけど、キザじゃないぞ」
かなり小声で話しているのに聞こえてるの?地獄耳すぎる。
足を組んで椅子に座って、ずれてもないのにモノクルをかけ直したり格好つけてる。全然格好よくないし、このウォルトが普通だったら私が嫌いな男だ。とりあえず無視しよう。
「イケメンを否定しないし話し方がオラついてますね!嫌いじゃないけどおかしいです!」
「アニカは安定だね。私の予想だと、酔ってるのに精神に関与する魔法を使っておかしなことになったんじゃないかな」
「ありえます。ちゃんと集中できてないのに無理して使ったとか」
「兄ちゃんといえど、酔いには勝てないかもしれませんね」
「ボクはいつも通りだ。お前達の勘違いだぞ」
うっざいなぁ。もう少し離れよう。
「もう1回、お茶を飲ませてみようか」
「あの状態の兄ちゃんが黙って飲んでくれますかね?」
「皆がお酌してくれるなら飲むけどな」
ギリギリ壁際まで離れる。
「強いショックを与えたら戻るかもね」
「軽く魔法を当ててみましょうか」
「眠ってもらったら治るかも!」
「可愛い女の子が相手でも、そう簡単にやられない。ボクはこう見えてそこそこ強いから…」
ちっ!めっちゃイラつく!マードックの口癖が出ちゃいそうだ!
「うるっさいなぁ!面倒くさい!みんな、やるよ!」
「「「はい!」」」
喋るだけでイライラする!素早い動きで椅子に座ったままのウォルトをとり囲んで、私が後ろから羽交い締めにした。
「サマラ、なにをする気だ?ボクと遊びたいなら、乱暴にしなくても遊んで…」
「やかましい!この酔っ払い獣人!お前はウォルトじゃない!ウイカ、アニカ!お願い!」
頷いたアニカとウイカが、ウォルトの口を開いて上を向かせる。
「にゃ、にゃにをしゅる!?」
「猫みたいで可愛いけど」
「残念すぎるよね!」
「いつもの兄ちゃんに戻ってよ」
そして、チャチャが割ってないお酒をほんの少し口に流し込んだ。
「ボクは……いつも…通り…だ…ぞ」
うざウォルトはあっという間に眠りについた。とりあえず一件落着…かな?
「……見なかったことにしようか」
私の台詞に皆が力強く頷いた。




