277 不可解な事件
今日は平和だな。
キチッとした高い襟の真っ赤な上衣と、パリッと折り目のついた黒のズボンを身に纏い、帯剣してフクーベの街を歩く男がいる。
まだ若い衛兵であるボリスは、街を巡回している途中、ある場所で足を止める。眼前には、立派な建物が建ち並ぶフクーベの大通りの中でがらんとなにもない空間。この場所には少し前まで立派な木造の建物が存在していた。摩訶不思議な事件が起こった場所。
カネルラ各地の治安を守るため、大きな街に配備されている『衛兵』は、国直轄の治安維持組織。
犯罪の取り締まりから、必要とあれば迷子捜索や夫婦喧嘩の仲裁までなんでもやる。近郊の村などで事件が起こった際には、街から派遣されて対処することもある。
平和かつ治安のいいカネルラであっても、大なり小なり犯罪は存在する。当然フクーベにも衛兵は配置されており、昼夜問わず精力的に活動して市民の安全と平穏な日々を守っている。
少し前になるが、衛兵を悩ませる不可解な事件が起こった。恐喝や悪質な商売をしていると噂の商会が、短時間の内に壊滅させられたのだ。
この男達と衛兵は度々衝突してきた。いかに契約とはいえ、あまりに理不尽な行為を繰り返していて可能な範囲で警告や指導してきた。恐喝や暴力行為については、牢に入れた者も少なくない。
それでも、元締であるグランジは意に介することなく悪どい商売を続け、堂々と大通りに根城を構えていた。
そんな自慢の根城が何者かの手によって粉々に破壊された。粉砕という表現が適切かもしれない。死者を出したわけでもなく、恨みを買うような所業を行ってきたことから市民には直ぐに忘れられてしまった事件でもある。
それでも衛兵としては見過ごせない事件。たとえ悪名高い商会の建物であっても、本人の許可なく財産を破壊することは罪にあたる。大多数の市民から『自業自得』だとか『天罰』と言われているが、これは天災ではなく人災。
だが、いくら調べても壊滅させた者を特定することはできなかった。調べていく内に謎が謎を呼んで、遂に衛兵も「迷宮入りだ」と白旗を上げた事件。
事件が発生したのは、人の往来が最も激しいフクーベの大通り。群衆の目に晒される中、白昼堂々行われた破壊行為…にもかかわらず不思議なことに誰も犯人の姿を見ていない。
通報を受けて衛兵が駆けつけた時には、既に建物は全壊していた。先駆けて現場に到着した同僚に聞いたところ、野次馬の中には突如壁が吹き飛んだところから、建物が瓦礫の山に変わるまで見届けた者も数名いたが、誰も犯人の姿を確認することができなかったという。
居合わせた者の証言によると、さながら巨大な魔物が中で暴れ回っているようだったらしいが、隣接する建物に全く被害はなく通行人にも怪我はなかった。
この時点で、【犯人は魔物ではなく知恵のある人物】だと確信した。魔物が周囲に気を配るはずもない。
時間にして10分程度の迅速な破壊行為。知り合いの解体業者にも「あり得ない。本当なら凄腕だな」と苦笑いで言われてしまった。不思議だったのは、破壊された建物には魔導師による多重の『堅牢』が付与されていて、周囲の建物には施されていなかったこと。
堅牢であるはずの商会だけが見事に潰され、周囲の建物は綺麗に守られた。飛び散る破片は見えない壁に阻まれるかのように大通りに落ちることはなかったという。
当時、商会には数名の構成員がいたが、突然の爆音に驚いてエントランスに向かったところ、いきなり外に吹き飛ばされたという。
全員が気絶してしまったので記憶はないが、吹き飛ばされた瞬間もエントランスに人の姿は確認できなかったと口を揃えた。幽霊の仕業だ…と恐怖に満ちた表情で語っていたのが印象的だった。
一通り聞き込みを終えて、商会の元締であるグランジに事情聴取したとき、数々の悪事を働いてきた男とは思えないほど憔悴しきっていた。
根城である建物を潰され、金を貸していた証拠である証文や手持ちの現金も頑強な金庫ごと消え失せていた。気になって調べてみたが、金庫が運び出された様子はなかった。一体どこに消えたというのか。
その後、金と城を失ったグランジは当たり前のように部下も失い、今では日雇い労働者として細々暮らしていると風の噂に聞いた。
犯人に繫がる手掛かりが少なく捜査は難航する。動機は不明だが、目的がグランジ商会の建物を破壊することであったのは一目瞭然で、衛兵も目撃者も共通の認識。
ゆえにグランジ個人か商会に恨みを持つ、もしくは腹を立てた何者かが、丁寧に建物だけを破壊したと考えるのが妥当。犯人が人である場合、これ程のことを成し遂げるには魔法を使えないと到底無理だという結論に至った。
議論を交わした衛兵達は、犯人に関して最終的にある仮説を立てる。
【周囲に影響を及ぼさぬよう防御魔法を展開し、身を隠して建物に潜入したあと、なんらかの魔法か道具を使って建物だけを破壊した。姿を消すような魔道具を装備しているか同様に消える魔法を使える魔導師】
現実離れした推測だが、そう考えるのが最も適当だったのだから仕方ない。
そこで、元冒険者であり名を轟かせた魔導師でもあるギルドマスターのクウジさんに話を聞いた。事情を一通り説明したあと意見を求めたが、返ってきたのは予想通りの答え。
「無理だな。魔導師だとしても、単独では絶対に不可能だ。高位の魔導師が3、4人で同時に行ってやっとできるかどうかいうところだろう。それに、姿を消す魔法なんて聞いたこともない」
深い溜息が出た。クウジさんに聞く前から数名の魔導師の知り合いに意見照会をしていたが、全員が口を揃えて「無理だ」と答えた。
魔導師達の見解は概ね一致している。『堅牢』を重ねて付与した建物は、強力な魔法でも容易に崩せない。仮に壊せたとしても時間と魔力が必要で、10分で破壊するのはまず不可能。瓦礫の山に変えるとしたらなおさら。
完全に無効化できれば可能だが、『堅牢』はそう簡単に無効化できないからこそ重宝されている。『無効化』という魔法が存在するが、カネルラでも高位の魔導師しか操れない。
しかも、隣接する建物に防御魔法をかけるのに相当な魔力と時間が必要で、かなり前から準備が必要。事件後すぐに行われた調査では、周囲に魔力反応は一切なく、防御魔法がかけられた証拠は残されていなかった。破壊後、直ぐに解除したとしてもあり得ない早業。
どうやって解体したのか不明だが、仮に建物の中で魔法を放つと崩れる建物に巻き込まれて自分も大怪我を負う可能性が高い。
通常であれば建物を破壊するには外から魔法を放つ。だが、証言によると建物の中で破壊行為は行われていた。
一見、魔導師の仕業だと思えるが、実際には有り得ないとのこと。視認できない新種の魔物が暴れたと言われた方が信憑性があるようだ。
魔導師の線で探っていた衛兵としては、調査が暗礁に乗り上げた。兵長も『これ以上探るのは労力の無駄だ』と判断して、調査を打ち切ることを決定した。
その後、街で同様の事件は発生していないことも後押しした。
本当に不思議な事件だが、原因がハッキリしないのが気持ち悪い。何者かの手で行われたのなら今でも犯人はどこかに潜んでいる。
なにかしら常識外れの力を有している可能性が高い危険人物。もしくは集団。衛兵として放っておけない。
それに…グランジの一言。事情を聞いたとき、最後にボソッと呟いた言葉。
「あの獣人に会ってから…散々だ…。アイツは…疫病神だ…」
「獣人?誰のことだ?」と聞いても、俯いて答えることはなくグランジは去った。事件に関係あるのか。それともただの妄言か。
あれ以来グランジには会っていない。気になりつつも、打ち切った事件にこだわって今を疎かにするわけにはいかない。また、同じような事件が起こらなければいいが。
気を取り直して巡回を続けようと通りに目を向ければ、知り合いの冒険者の姿が目に入った。明らかに危険な風貌の獣人が、こちらに近付いてくる。
「よぉ。ボリス。元気でやってんのか?」
「あぁ。お前も元気そうだな。マードック」
「クエスト帰りでちっと疲れてっけどな」
「あまり無茶するなよ。お前に言っても無駄だろうが」
この男とは、冒険者だった頃に一時期パーティーを組んでいたことがある。解散してからもあの頃のメンバーと付き合いは続いている。
駆け出しの頃からとんでもない強さを見せつける獣人だった。今やフクーベ最強の呼び声高いパーティーの戦士にまで成長したが、驚くようなことじゃない。
「わかってんじゃねぇか。ところで、こんなとこでなにやってやがる」
「巡回だ。油を売ってるワケじゃない」
「お前らの格好は無駄に目立つかんな。油売れねぇだろ。ガハハハ!」
衛兵は遠くからでも見つけやすいよう派手な色の服を着ている。無駄に目立つことで犯罪の抑止力にも繫がる。
「つかぬ事を訊いていいか?」
「なんだよ?」
「お前は、ココに建ってた建物を知ってるか?」
ロープが張られた空き地を指差す。
「ぶっ壊されたグランジの住み家だろ。それがどうした」
「グランジと関係が深そうな獣人を知らないか?」
「知らねぇな」
「知らないならいい」
「そうかよ。ボリス」
「なんだ?」
「あんま考えすぎると、ツルッとハゲんぞ。昔からの悪いクセだぜ。ガハハハ!」
「余計なお世話だ」
「まだ気になってんのか」
「まぁな」
「そうか。元冒険者のよしみで1つ言っとく」
「なんだ?」
「常識で考えすぎると一生答えは出ねぇぞ」
「どういう意味だ?」
「意味なんかねぇよ!言ってみたかっただけだ!ガハハハ!じゃあな!」
「ふっ。またな」
去って行くマードックの大きな背中から目を離す。常識で考えすぎるな…か。
ただでさえ謎の多い事件。とにかく常識ではあり得ないことばかり。マードックの言う通り、常識で考えると真実に辿り着かないのかもしれない。
考えるのをやめて、いつものように巡回を始めた。
★
数日前。
マードックは、グランジの件について詳しく聞こうとウォルトの住み家を訪ねた。
約束通り美味い酒を準備していたウォルトは、作った肴を差し出して事の経緯を詳細に話した。
「…と、こんなとこか。ボクにとっては最近で最も頭にきた出来事だ」
「なるほどな。お前が吹き飛ばした奴らは?」
「知らない。加減したから死んでないだろ。魔物や獣に食われてなければな」
涼しい顔で茶をすすりやがる。まぁコイツはジタバタしやしねぇか。
「衛兵が調べてるみてぇだぞ。お前の仕業だってのはわからねぇだろうが」
「別にバレても構わない。ボクが姿を消してフクーベに行ったのは衛兵の目を眩ますタメじゃない」
「じゃあ、なんだっつうんだよ?」
「グランジや手下に恐怖を感じさせるつもりだった。得体の知れないなにかが突然家で暴れだしたら誰だって怖いだろ?」
ククッ。
「お前、いい性格してんな」
「ボクはお人好しじゃない。やるなら徹底的にやる。でも、人の家を勝手に壊したり金庫を消したのは事実で、罪に問われても仕方ない」
『まぁ、当然だニャ』とか言いそうな顔をしてやがるが緊張感はゼロだ。悪さしたと微塵も思ってねぇな。
「その割に平然としてんじゃねぇか」
「屁理屈と言われるかもしれないけど、やられたからやり返しただけだ」
獣人としちゃ当たり前の行動だ。気持ちはわかるが…。
「衛兵からすりゃ屁理屈だろ」
「わかってる。自分から名乗り出ることはないけど、誰かが気付いたらちゃんと答えるし、罪に問われるなら受け入れる。もう気は済んだ」
「そんなもんお前の話を信じられる奴じゃねぇと無理だろ」
「確かに獣人が魔法を使うことを信じてくれないと無理だ。最大の問題かもしれない。でも、破壊自体は誰にでもできるからボクの仕業と限定するほうが難しいかもな」
「誰もできねぇからわかってねぇんだろうが!」と言ってやりてぇが、言うだけ無駄だ。逆にウォルトが聞いてくる。
「もしかして、ボクを心配してくれてるのか?」
「…してねぇよ!自惚れんじゃねぇ!」
酒を呷りながら外方を向くと、ウォルトは鼻を鳴らして笑いやがる。…クソッタレが。
「そうか…。まだ酒も肴もあるけどどうする?」
「ちっ!飲むに決まってんだろ」
「わかった。ちょっと待ってろ」
ウォルトは台所へ消えた。
コイツはやられた相手が王族や衛兵でも躊躇わずに同じことをやる。その辺の感覚がイカレてっからな。昔からすりゃ考えられねぇが、今は腹立てたら人殺しでも平気でやれる力があるからタチが悪ぃ。
獣人でも普通はそこまでやらねぇ。ケンカしようが精々半殺しまでだ。コイツはそこも普通じゃねぇ。おもいきりがよすぎるっつうか、そもそも怒りを抑える気がねぇし、やると決めたらやる。
のほほんとしてっから激怒することはまずねぇが、怒らせっとなにしでかすかわからねぇトンデモ魔法白猫野郎。
怒りに任せて思い付きで人ん家をぶっ壊しただけなのに衛兵を攪乱してやがる。捕まえるなら現行犯じゃねぇとな。『獣人は魔法を使えねぇ』と思ってる内はぜってぇわかりっこねぇ。ボリスの奴なら運がよけりゃ気付くか。アイツはクソ真面目で頭がいい。
俺はコイツのやることを毎回のように面白ぇと思う。本当に退屈しねぇ奴だ。サマラが「あれってウォルトがやったんでしょ?」っつって秒で見破ったのは黙っといてやるか。




