276 模倣犯と共犯者
ある日のこと。
「そういえば…忘れてた」
ウォルトが住み家の調合室で手に取ったのは、カネルラ暗部の長シノから貰った薬。
『保存』で状態を保ってきたけど飲み薬だから劣化しやすい。おそらく「飲め…」という好意で貰えたので、直ぐに飲むべきだとわかっていながら暗部の秘薬を貰ったという感動で飲むことができないでいる。
…とはいえ、折角のシノさんの優しさを無駄にしてしまうことになりそうだ。
「…とりあえず」
シノさんから貰ったのは解毒薬と回復薬を1本ずつ。細い筒に木栓がされていて見た目では判別できない。
指でつまめるような試験管くらいのサイズで、口に軽く含む程度の量しかない。この量で効果を得られるなんて凄いの一言。
開栓して硝子の透明な容器に半分移してみる。残りは直ぐに栓をした。
こっちは…解毒薬かな?匂いを嗅ぐと解毒に使う薬草の香りがした。色は薄い緑色。指先に付けて薄い舌で舐めてみる。
「ふむ…」
目を瞑り、味覚や嗅覚をフル稼働して解毒薬を構成している材料を割り出してみる。今まで様々な解毒薬を作成してきたけど、そのどれにも当てはまらない。ただ、解毒薬で間違いない。これは毒よりも麻痺に対する効果がありそうだ。
著書によると、暗部はあらゆる毒に対する耐性を獲得する訓練を行っている。であれば、最も警戒すべきは任務中に動けなくなること。
『麻痺』
自分に『麻痺』を詠唱してみるも効果がない。段々魔力を強めてみてもやはり効果はない。
「凄い…。少量でこのレベルの『麻痺』を防げるなんて」
ついでに『毒』もかけてみたけど、やっぱり効果がない。これは……是非再現してみたい。
分量や細かい製法が不明でも、何度か舐めている内に使われている材料は全て見当がついた。住み家にある素材では全然足りない。
森に採取に行くのは決定事項として、当然回復薬の方も材料が気になるので、そちらも同様に試してみることに。
硝子の容器に移してみると、こちらは青みがかっている。体力や傷の回復薬なのか、それとも『気』の回復薬なのかも気になる。香りは…記憶にはないモノ。こちらも指に取って舐めてみると…。
「ぐふっ…!ゴホッ!?げほっ…!」
吹き出して咳が止まらない。
「コレは…!コホッ…!苦すぎるっ…!」
慌てて掌を口に当てて軽い『水撃』で水を流し込む。涙目になりながらも後味から材料を探ってみた。
「舌がバカになりそうだ…。苦さで他の味が判別できない」
舐めてみて気付いたことは、体力と『気』を同時に回復できるということ。そして…途轍もなく苦い。
「気付の意味があるかもしれないな…」
任務の最中に傷を負ったりして、意識が朦朧とすることがあってもこの薬を飲めば覚醒するはず。それほどに苦い。1本飲んだら瀕死状態でも生き返れそうだ。
それにしても秘薬だけあって凄い回復薬。通常1つの薬で体力と魔力などの2つ以上を同時に回復するのは不可能と云われてる。そんな常識を覆す逸品。
製法を知りたい。どうやって作ってるんだろう?猫の好奇心に火が着いた。
「ぐふっ…!」
「がはっ…!」
「ごふっ…!」
何度も舐めてほとばしる苦味の中から少しずつ材料を探っていく。味覚が鋭いので、人の倍以上の苦味を味わいながらも諦めない。
容器に移した分を飲みきって、ほとんどの材料は目処がついた。でも1つだけわからない。思い描く材料表の中ですっぽり抜け落ちている。
う~ん…。どうしたもんかな。残した半分の薬は、材料を採取して調合した後の答え合わせに使いたい。
悩んでいると玄関ドアがノックされる。来てくれたのはチャチャだった。
★
「遊びに来たよ…って、どうしたの?舌なんか出して」
「ひゃひゃ、いらっひゃい。なかにひゃいって」
(チャチャ、いらっしゃい。中に入って)
促されて中に入ると直ぐに調合室に向かう。兄ちゃんは、舌っ足らずで一生懸命説明してくれた。
「…要するに、貰った薬と同じモノを作りたくて調合してたけど、苦い薬を飲みすぎて舌がおかしくなった…で合ってる?」
笑顔で頷いてる。出しっ放しの舌が可愛いけど、このままではご飯も作れそうにない。
なんでそこまでやる必要があるのか訊きたいけど、職人気質でやらないと気が済まないのは知ってる。
…と、私にも好奇心が芽生えた。
「私もちょっと舐めてみていい?」
『ちょっとだけニャ!』とか言いそうな顔をしているので、指先に付けて舐めてみるともの凄い苦さ。一瞬で眉間に深い皺が寄る。
「にっが…!センブリでしょ?!」
兄ちゃんは、ガシッと私の肩を掴んだ。
「な、なに?!」
「ありがとう!」
「なにが?」
「この苦味の素はセンブリっていうのか…。センブリの苦味を覚えて取り除けば残りの1つを割り出せる。さすがチャチャだ!」
「もしかして…センブリがわからなかったの?とんでもなく主張してるのに?」
子供でもわかる。逆に言えば、それ以外の味なんて1つもわからないくらい主張してる。あと、舌っ足らずはどこ行った…?
「こんなに苦いモノを食べたことがないんだ。匂いで大体の味が想像できるからね。センブリについて教えてくれないか?」
匂いで味がわかる?嗅覚だけで生きていけるんじゃないの?深くは考えまい。
「いいよ。そこら辺に生えてるし」
住み家の外、森に入って直ぐの場所に案内する。
「コレがセンブリだよ」
「見たことはあるけど毒草かと思ってた」
「花から根っこまで全部苦いからね。匂いでわかるなら敬遠するかも。でも、昔から胃薬として重宝されてるらしいよ」
「そうかぁ。生薬は奥が深いなぁ」
兄ちゃんはセンブリを摘んで軽く口に含んだ。
「……」
「どう?」
「ほとんどの苦味を占めるけど、足りないのはセンブリだけじゃないのがわかった」
「役に立てなくてごめんね」
「充分だよ。凄く助かった。あとは自分でなんとかする。そんなことよりご飯にしよう」
その後は、いつものように食事と修練して帰った。
★
さてと…どうしようかな…。
ウォルトは居間でお茶をすすりながら思案する。センブリの苦味が鮮明になったことによって、改めて回復薬を形成する幾つかの不明材料が浮き彫りになった。
味からして草花の類であるとは思うけど、思い当たらない。しかも、判明している植物だけでは傷は回復しても『気』まで回復するのは不可能に思える。
再現するのは無理か…。暗部の秘薬だから当然か。諦めかけたとき窓がノックされた。視線を向けると窓の外に笑顔のハピーがいる。今日は蟲人達の宴会の日だ。そっと窓を開けると肩に留まる。
「今日もお願い!」
「もちろん。任せてくれ」
「どうしたの?なにかあった?」
「なんで?」
「お茶飲みながら考え込んでたでしょ?」
「ちょっとわからないことがあってね」
事情を説明するとハピーから提案が。
「判別するの私達に任せてくれない?自分で言うのもなんだけど、ウォルトより植物には詳しいと思うよ!」
「う~ん…。ボクはよくてもハピー達が飲んだら毒かもしれないからね」
ハピー達に相談しようと考えなかったワケじゃない。でも、蟲人に得体のしれない薬を飲ませるわけにはいかない。こんなに苦いモノを美食家の蟲人に飲ませたら命に関わるかもしれない。
「気持ちは嬉しいけど、やってみなきゃわからないよ!飲めないモノが入ってたら匂いでわかるから大丈夫!」
「そうなのか。じゃあ、お願いしてもいいかな」
「お任せあれ!薬はどこ?」
ハピーを肩に載せたまま、調合室に移動する。シノさんから貰った回復薬の栓を開けてまずは匂いを嗅いでもらう。
「この薬なんだけど」
「ほうほう…。ちょっと待ってて」
それだけ告げると、ハピーはどこかへ飛んでいってしまった。しばらくして蟲人達が集団でやってきた。どうやら応援を呼んできてくれたみたいだ。
「ハピーから話は聞きました。我々に任せてください」
「すみません、イハさん。個人的なことを頼んでしまって」
「貴方にはいつもお世話になってます。少しでも力になれたら。その薬とやらを少し分けて頂けますか?」
「わかりました」
台所から蟲人用のコップを持ってきて薬を入れて渡す。集まってくれた皆は、代わる代わる匂いを嗅いでいるけど誰も飲もうとはしない。やっぱり蟲人には毒なのかな?
「ふぅむ…」「へぇ~」
「なるほどな」「そういうことか」
「ねっ?」「面白いね」
会話に耳を澄ますと感心している様子。話し合いを眺めていると、ハピーが飛んできて肩に留まる。
「ウォルトはどこまで材料を判別できてるの?」
「わかってるのは…」
思い付く限りの材料を挙げていく。
「このくらいかな」
「凄いね!獣人なのに飲むだけでそこまでわかるなんて」
「大袈裟だよ。多分誰でもわかる」
「そんなことないと思う。この薬を作るには、ウォルトが言った材料にあと3つ足すだけだよ!」
「えぇっ!?飲んでないのにわかったのか!?」
笑顔で頷く蟲人一同。
「匂いで判別できました」
「私達も飲めるモノだけど、もの凄く苦いですね」
「ウォルトはよく飲めるね」
なぜか感心されてしまったけど、蟲人の嗅覚と植物の知識に舌を巻く。
「材料はわかるけど、この薬を作れと言われても私達には無理だよ」
「作り方が特殊なのか?」
「ううん。なんでかっていうと、この薬には材料に魔力みたいなモノが含まれてるの。酒蜜と同じように成長させてる。面白いことするね!」
「なるほど…」
単純なことだったのか。魔力を回復させるには、魔力を含んだ植物を材料にして取り込めばいい。いわゆる魔法薬。『気』を回復させるなら『気』を。素材が自生してる植物とは限らない。
おそらく出来上がった薬に込めるより効果が高いんだ。試行錯誤の末に作り上げた薬だと思う。
イハさん達が足りない材料を教えてくれた。しかも細かい分量まで。ちなみに、解毒剤のほうもあっという間に判別してしまった。本当に凄いの一言。
「我々はお役に立てましたか?」
「凄く助かりました。皆さんは凄すぎます。また植物のことでわからないことがあったら、聞いてもいいですか?」
「いつでも」
「では、少し早いですけど宴会を始めませんか?腕によりをかけます」
「お願いします!」
「待ってました!」
今日は…凄い友人達に感謝しながら、お礼に腕を振るおう。その後は酒蜜を片手に花を肴にして宴会を開いた。
「ハピー!今日は最高だ!」
「本当にそうだね♪」
今日のイハさん達は、なぜかいつもより上機嫌でとても楽しそうに見える。ゆっくり楽しんでもらいたいな。
蟲人達がご機嫌なのは、ウォルトの役に立てたことと、凄いと褒められたことが嬉しかったからなのだが本人は知る由もない。




