270 一体、何者なのか?
結局、グランジは泣き落とししかできなかった。実に下らない謝罪に呆れたウォルト。
「この家とマルコさんに金輪際関わるな」
「約束するっ!」
手を離してやると一目散に逃げ出した。自分を落ち着かせるように息を吐いて、マルコさんに向き直る。
「ウォルトさん。俺のタメにすんませんっす」
証文を破いたことを言ってるのかな?
「証文に納得いかなかったから完全に勢いで破り捨てましたけど、よかったですか?」
今更なことで悩む。あとあと支障がなければいいけど。
「自分はアイツに従う理由がなくなるんで、正直助かるっす。借りた分の金は返しますけど」
マルコさんは笑ってくれた。どうやら一安心といったところ。
「そう言ってもらえると助かります。あと、弟さんの病気について教えてもらえませんか?」
「病気?なんでっすか?」
「ボクは薬を作ってます。もしかしたら薬を渡せるかもしれないので」
「なんで自分によくしてくれるんすか…?ウォルトさんを殴ろうとしたんすよ?」
どう言ったらいいのかな?
「ボクには冒険者の友人がいます。凄く冒険が好きなんです。マルコさんからも同じ匂いを感じました」
「答えになってないっすよ」
「そうですか?いや、そうですね…。冒険者に戻ってもらいたいという勝手な願望です。弟さんの病気が治れば憂いも少なくなるんじゃないですか?」
マルコさんは真面目な男だ。弟の治療のタメにお金を借りたことは後悔してないはず。でも、病気の弟を残して冒険に向かうようなこともしたくないだろう。
「気持ちは嬉しいんすけど、自分は…冒険者には戻らないっす」
「なぜです?グランジの手下になって、多くの人を殴ってしまったからですか?」
「殴ったのはウォルトさんが初めてっす。今回が初仕事になる予定だったんで。……自分には憧れてる冒険者がいるんです」
「なんという人ですか?」
「ホライズンってパーティーのリーダーで、ハルトさんっていう人です。めちゃくちゃ強いのに人格者で、後輩にも優しくて格好いいんすよ」
「そうでしたか」
「自分は…ハルトさんに憧れてあんな冒険者になりたかった…。目標だったっす。けど、グランジの悪事に加担した自分が、ハルトさんみたいな冒険者になれるわけないっす…」
憧れの冒険者に幻滅されると思ってるのか。……ん?ホライズン…?
「それに…弟が心配っす。早くに両親が死んで稼げるのは自分だけっす。けど、冒険では収入が安定しないし、病気の弟を残して自分が死んだら…って考えると怖くなって。ビビってちゃ冒険はできないっすから」
語り終えると力なく笑った。しばらく思案して1つの案が浮かぶ。上手くいくかわからないけど、現状ボクにできそうな手助け。
「よかったら、少しだけボクの我が儘に付き合ってくれませんか?」
「我が儘っすか…?」
…と、倒れていたグランジの手下が動き出す。痛みが引いてきたのだろう。
「いってぇな…。クソがぁ…」
「俺らになにしたかしらねぇけど、許さねぇ…」
完全な逆恨みで憎悪の目を向けてくる。マルコさんが隣で眉間に皺を寄せた。
「コイツらは自分がなんとかするっ……す?」
立ち上がる男達に向かって駆け出して、起き上がった順に次々と蹴り倒す。
「ウラァァァッ!オラァッ!」
「ぐはっ…!」
「がはっ…!」
「ぎゃあぁっ…!」
反撃する間もなく地面を舐めることになった男達。再び意識を失うまでぶん殴ってやった。
「こっちの台詞だ。失せろ」
倒れた男達に『混濁』を付与する。『混濁』は精神や記憶の混乱を引き起こす魔法。主な効果として前後しばらくの記憶をなくしたり曖昧になる。起きたときには、なぜこんな所にいるのかすら覚えてないだろう。無詠唱かつ魔力を隠蔽しているので、マルコさんには気付かれていないはず。
「マルコさん。輩は放っておいて、一緒に行きたいところがあります。付き合ってください」
「ウォルトさんは…一体何者なんすか…?」
「森に住んでるただの獣人です」
★
マルコはウォルトと一緒にフクーベに帰ってきた。そして、知らない家の前に立ってる。
ウォルトさんがコ玄関のドアをノックしてしばらく待つと、ノブが回って獣人が顔を出した。突然の遭遇に驚きを隠せない。
「珍しいじゃねぇか。お前から来るなんてよ」
Aランク冒険者の…ホライズンのマードックさんだ。
「久しぶりだな、マードック。いてくれてよかった。お前に頼みたいことがあってきた」
「あん…?とりあえず入れや。…後ろのソイツは?」
「冒険者のマルコさんだ。友人なんだ」
「へぇ…」
マードックさんはジロリと睨むように俺に目を向けて、ウォルトさんは微笑みかける。表情が対象的な2人の獣人。
「少しだけ待ってて下さい」
家に入ってドアは閉められた。なんでマードックさんが…?困惑しながら言われた通り待機していると、5分と経たずにドアが開いた。
鍛え上げられた巨体を潜らせて、マードックさんが中から出てくる。ウォルトさんが後に続く。
「じゃあ、頼む」
「任せろや。おい、マルコっつったか?」
「は、はい!」
名を呼ばれて背筋がと伸びる。ホライズンの戦士マードックさんは、ギルドで何度か目にしたことがあるけど話したことはない。
強靭の体を武器に圧倒的な戦闘力でAランクパーティーを支える戦士。間近で見ると威圧感が凄い。体躯と鋭い眼光に圧倒される。
「ビビんじゃねぇよ。とりあえずついてこいや。行くぞ」
「え…?どこへ行くんすか…?」
ギロッ!と睨まれる。
「す、すいません!行くっす!」
歩き始めたマードックさんの後ろを、少し離れてついていく。チラッとウォルトさんを見ると笑顔で見送ってくれていた。
会話もなく、マードックさんのあとをついて歩くこと20分くらい。
「おい。着いたぜ」
「ココは……どこっすか?」
目の前には知らない一軒家。当然だけど誰の家かわからない。
「すぐわかる。アイツがいりゃいいけどな」
「アイツ?」
問いには答えてもらえず、マードックさんが控え目にドアをノックすると、家の住人が顔を出した。
「なんだ、マードックか。休みに珍しいな」
「お前に用があってきた」
顔を出したのは、ホライズンのリーダーで…俺の憧れの冒険者ハルトさん。
「話は中で聞く。とりあえず入ってくれ。…あれ?君は…」
ハルトさんが俺に気付く。
「じ、自分は…」
憧れの冒険者に名乗ろうとしたとき…。
「【名無闘士】のマルコじゃないか」
微笑みとともに名を呼ばれた。驚きで一瞬固まってしまう。
「自分を…知ってるんすか…?」
まさか、憧れのハルトさんが俺のことを知ってるなんて…。
「君はギルドでも注目株だ。入ってくれ。歓迎するよ」
「あ、ありがとうございます!」
感激もそこそこに招かれて家に入る。綺麗に片付けられた部屋に通されて、大きなテーブルを囲むように座る。ハルトさんが茶を淹れて差し出してくれた。めちゃくちゃ緊張するな…。
「酒にはまだ時間が早いだろ?」
「ちっ…!」
「ところで、今日はどうしたんだ?」
「コイツが冒険者を辞めるんだとよ。お前みてぇになれねぇからって」
「なに?マルコ、本当か?」
神妙な面持ちでハルトさんが聞いてくる。マードックさんにはウォルトさんが伝えたんだろう。
「はい…。自分は…もう冒険者を続けられないんです…」
気持ちを正直に告げた。
「そうか。よかったら事情を聞かせてくれないか」
「はい…。実は…」
今までの経緯を説明する。弟の病気のことや、グランジの手下として悪事に手を染めたこと。憧れているハルトさんなら、こんなことは絶対にやらないと思ったことを…。
「自分は…ハルトさんみたいな冒険者になりたかったけど、もうなれないっす…。恥知らずの下らない男っす…」
想いを吐き出して俯くと、マードックさんが鼻で笑った。
「ククッ!お前は勘違いしてんぞ」
「勘違い…ですか?」
なにを勘違いしてるんだ…?
「お前、ハルトがまともだと思ってんだろ?コイツは、あんま知られてねぇけど前科モンだぞ。1つや2つじゃねぇ。俺らのパーティーじゃ1番の犯罪者だ!ガハハハ!」
「そんな…!噓っす!」
とても信じられない…。ハルトさんが苦笑しながら説明してくれる。
「マードックの言う通りだ。俺は冒険者になる前にかなり衛兵に世話になってる。暴行、恐喝、窃盗でも捕まった。人殺しや強姦はしたことないけど」
「知らなかったっす…」
若手冒険者にも分け隔てなく優しく接して、人望も厚いハルトさんが犯罪者だなんて信じられない…。ハルトさんは続ける。
「俺は元々孤児なんだ。しかも、クソ生意気で捻くれたガキでな。協調性もなくて孤児院すら追い出された。そこからは生きるためになんでもやった。腕っぷしだけが自慢で、あの頃は盗みもケンカもなんとも思ってなかった」
「そんなことがあったんすね…」
「その後、色々あって冒険者になった。人格者と呼ばれてもマルコが思うような立派な人間じゃない。むしろ、弟に優しくできるマルコの方が立派だ。俺のようになる必要なんてない。逆に…なるなと言いたいぞ」
苦笑したハルトさんは「尊敬してくれる者より、恨んでいる者のほうが多いはずだ」と教えてくれた。そして、過去に犯した罪は消えないけど、人の役に立つ冒険者の仕事が幾許かの罪滅ぼしになればと思っていると。
「お前の悪事なんざ悪事の内に入んねぇ。迷惑かけたのもアイツだけだろうが。気にしてもねぇ。無視しとけや」
「アイツって誰だ?」
「俺の知り合いだ。マルコが殴っちまったって奴だよ。ソイツに頼まれた。「ハルトさんに会わせてやってくれ。人格者と聞いたから、会えばきっといい方向に進むはずだ」ってな」
「お前の知り合いは…殴られたのにそんなことを言うのか…。大した漢だな」
そんなことを頼んでくれていると思わなかった…。ウォルトさんへの感謝で胸が一杯になる。
「だが、弟の病気は心配だ。冒険者に戻るにしても時間はかかるかもしれない」
「はい。自分は冒険より弟が大事っす」
「そうだな」
マードックが目を細める。
「おい。フクーベに来る前にアイツに家を教えたんだろ?」
「聞かれたんで教えたっす。それが、なにか?」
「思ったより早く戻れるかもしれねぇな。ガハハハ!」
どういう意味か気になったものの、その後は冒険について3人で熱く語った。フクーベ最強との呼び声高い冒険者パーティーの話は、押し込めた熱い気持ちを揺り起こした。自分もそんな冒険をしてみたいと憧れるような貴重な話を聞けたんだ。
時間がかかったとしても…俺は冒険者に戻りたい。断固たる決意を胸に、ハルトさんの家をあとにする。マードックさんとハルトさんに感謝を伝えて、弟の待つ我が家へ向かう。
「ただいま」
帰宅して玄関で声をかけると、近付いてくる足音がする。今年7つになる弟のセナは、肺の病に罹患して「ベッドで大人しくにしてろ」とうるさく言いつけてある…のに、笑顔で目の前に現れた。
「兄ちゃん!お帰りっ!」
「寝てなきゃダメだろ!……キツくないのか?大丈夫か…?」
「大丈夫!ウォルト兄ちゃんの薬を飲んだら、気分がよくなった!咳も出てない!」
「ウォルト兄ちゃんの…薬…?」
確かに顔色がよくなってる。なんで…?
セナが教えてくれた。数時間前に「ボクはウォルト。マルコさんの友達だよ」と言って白猫の獣人がやってきたこと。
大きくて最初は怖かったけど、話してみたら凄く優しい兄ちゃんだった。もらった薬を飲んだら眠くなって、目が覚めたら気分がよくなったこと。
帰る前に「無理はしちゃダメだ」と言われて、「また気分が悪くなったら薬をあげる」と優しく言われたこと。
なんて人だ…。今日が初対面で……俺は殴ったんだぞ…。薬なんてどうやって…。
「元気になったら兄ちゃんと家に遊びにおいでって言われた!美味しいご飯を作ってくれるって!すっごく優しかった!」
ウォルトさんのことを思い出して、セナは大興奮。勢いがよすぎて心配になる。
「そんなに興奮するな。薬が効いてるだけかもしれない」
なにをしてくれたのか理解できない現状では、心配な気持ちは拭えない。薬を作れると言ってたけど、大雑把で有名な獣人に作れるとは思えないし、仮にそうだとしても作るような時間はなかったはず。
もしかすると、フクーベの知り合いに優秀な薬師がいて、譲ってもらったのかもしれない。マードックさんと知り合いなくらいだし、人脈が広いとか。
考え込んでいるとセナが楽しそうに笑った。久しぶりに見る…満面の笑み。
「早く遊びに行きたい!ぼくがよくなったら、兄ちゃんが冒険に行けるようになるし!」
「セナ…」
「兄ちゃんは冒険に行かないと元気がないからね!はやく元気になるぞぉ~!……兄ちゃん?どうしたの?」
「なんでもない…」
膝をついてセナを優しく抱きしめ、嗚咽を押し殺して静かに泣いた。




