250 重罪なのか?
カネルラ暗部の長であるシノと手合わせを終えたウォルトは、「『気』の修練をするなら…」と助言をもらったり、少しではあるが暗部について語りあった。笑顔で見送り、色々と困らされながらも喜んでいた。
今日はいい日だった。尊敬する暗部の長に出会って、術や武器まで見せてもらって、信じられないけれど暗部に誘ってもらった。夢みたいだ。
憧れである暗部の長に森に住んでいるただの獣人が会う機会があるなんて夢にも思わない。ましてや暗部に誘われるなんて…。暗部として活動していける自信なんて欠片もないけど嬉しかった。
カネルラ暗部は、平和な国であるカネルラの影として暗躍…いや、活躍してきた。今でこそ存在が公表されて市民権を得ているけど、それまでは縁の下の力持ちとして人知れず任務を遂行していた。
愛読書によると、暗部が誕生してからの歴代国王は常に存在を明らかにすることを望んだという。暗部とてカネルラ国民であり、平和を保つ功労者であると。
烏滸がましいけど、ボクはカネルラ王族の気質が好きだ。たとえ当人が望んでいなくとも、影の功労者に光を当てたいという心意気が。
だけど、暗部はひたすらに存在を隠すことを望んだ。「褒められたり認められるタメに存在するワケではない。影である我らの存在など知らぬ方が国民は清廉でいられるはず」と主張したという。
その結果、著書の発刊で広く認知されるまで長い年月がかかることになる。存在が明るみに出たのは先々代カネルラ国王フランロック時代のこと。
愛読書を初めて読んだとき純粋に心打たれた。自分の獣人としての一生は、決して陽が当たらないであろうことに少なからず悲観していたからこそ…暗部の信念に憧れた。
日陰者として一生を終えると嘆くのではなく、たとえ日陰を歩き続けるとしても彼等のように誇り高く生きたいと思った。
シノさんが冗談を言うような男でないことは、会話と闘いの中で理解できた。だからこそ誘われて嬉しかったし、困ってしまったワケで…。
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シノさんが王都に帰還する直前。誘いを受けて「ボクは…今この場所から動くつもりはないんです」と正直に気持ちを伝えた。
「そうか…。ちなみに…技を見せるとは言ったが…盗んでいいとは言ってない…」
シノさんはニヤリと笑う。
「暗部の術は…門外不出…。お前には…もう暗部に入ってもらうしかない…。わかるな…?」
「盗むつもりじゃなかったんですが…」
追い込むようなシノさんの台詞に動揺してしまう。『気』を模倣して修練しているのを見られてしまったから言い逃れはできない。いつもの癖で、忘れない内にと直ぐに修練を始めてしまったのが徒になった。
そもそも「技を見せる」と言い出したのはシノさんであって、完全に屁理屈なんだけど勢いに押し込まれてしまう。精神を圧迫してくるというか…。
「俺達の術を秘匿するのは…カネルラを守るタメなんでな…。諦めろ…」
やれやれ…といった風に首を振る。
「確かにそうですね…。あの~……ボクは自己満足で覚えたいだけで~…絶対誰にも見せたり教えたりしないですけど~…ダメですか~…?」
『ダメかニャ~?』とか言いそうな顔をしてチラッとシノさんを見た。黒装束から覗いている目が物語っている。俺を苛つかせるな…と。
「ダメだな…。信用できん…。そもそも術の模倣罪に問われる…。王女様の親友ともあろう者が…。さぞ悲しまれるだろうな…。ククッ!」
「いつの間にそんな罪が!?知らなかった…」
カネルラの刑法は学んでいる。けれど、模倣罪なんて聞いたこともない。実在するならボクは大罪を犯しまくっている。
「減刑を望むなら…暗部に入れ…。俺の部下になれば…減刑されるよう執りなしてやる…。上手くすれば…無罪放免もあり得る…。王女様も喜ばれるだろう…」
ニヤリ!と目を三日月に変化させた。覆面の隙間から覗く部分はごく一部なのに、実に悪い顔をしている…。
「うぅ~ん…」
シノさんの言葉に追い詰められる。人心掌握に関しては暗部が一枚も二枚も上。
そんな罪は存在しないはず…と内心疑っていても、カネルラ暗部の長たる者が下らない嘘を吐くと思えない。シノさんは冗談を言う類の人間ではないと言いきれる。
聞いたこともないけど、森に引き込もっている間に制定された新たな法なのかもしれない。犯罪を犯して捕まること自体はどうでもいいけど、リスティアのことを言われると弱い。…と、ふと友人の言葉が脳裏をよぎった。
『ちょっとは人を疑いなさい!このバカチンが!』
こめかみを嚙まれた痛みと共に身に刻まれたカリーの台詞が聞こえてきた。
…いや。そんなことないはず…。やっぱり謝るしかない…。目を瞑ってカリーの言葉を振り払うように首を振ってみる。
『ヒヒ~ン?』
眉をひそめたカリーの顔が瞼に浮かび上がる。『また嚙まれたいの?』とでも言いたげな表情。
わかったよ、カリー。
「ちなみに、模倣罪はどんな刑に処されるんですか?」
「鞭打ちの上…梟首の刑に処される…」
「重っ!」
思わず声が出た。鞭で打たれた上に晒し首…。戦争以降のカネルラでそこまでの重罪は存在しなかったはず…。
「暗部の秘密を漏洩すると重罪なんですね」
「当然だ…。過去には…島流しに遭った者もいる…」
「海がないのにっ?!」
カネルラは海に面していない内陸の国。隣国を越えて流刑地に流されたっていうのか…?
「ゆえに…磔獄門のうえ…島流しは避けられまい…」
「磔にされて、首を切られたうえに島流しですか?!とんでもないですね…」
遺体も残らずかかる手間が凄い。さすがにそれはないと思う。怪しいな…。
「ククッ!どうする…。今ならまだ間に合う…」
「ちなみに…ボクが暗部に入ったとしたら、どのくらい減刑されるんでしょう…?」
シノさんは顎に手を当てて思案する。
「火炙り程度だな…」
「充分死にます!獣人には耐えかねます!さては…噓ですね?」
ジト目で視線を送ると、シノさんはクックッ!と肩を揺らす。
「さすがにバレたか…」
「途中まで完全に騙されてましたけど、友達のおかげで気付きました」
カリーに感謝しなくちゃ。
「あと一押しだったのにな…。なら、こういうのはどうだ…?」
「なんでしょう?」
「お前は…俺に手合わせで負けたら暗部に入れ…」
「また手合わせするということですか?」
「そうだ…。もちろん…ただでとは言わん…。次も俺に勝てたら…いや、お前が負けなかったら…」
「負けなかったら…?」
「お前の愛読書の……直筆完全版を見せてやってもいい……。添削される前の…稀少な著者の署名付きだぞ…。ククッ!」
「なぁっ…!?!ほ、本当ですかっ!?」
「暗部の長に…二言はない…」
…読みたいっ!著者直筆の完全版なんて読みたくて仕方ない!字を見ればどんな心境だったとかまでわかるかも!誰が書いたのかも気になる!フランロック国王時代の長…いや、副長…?くぅっ…!見たいっ…!
「さぁ…どうする…?」
「くっ…!くうぅっ…」
結局「考えさせて下さい…」と絞り出すのが精一杯だった。シノさんは人の心をくすぐるような提案が上手い。二つ返事で「はい!」と言ってしまいそうになる。
今思えば、おそらく直筆完全版の誘惑が本線だ。犯罪者になるぞ、と冗談含みで脅しておいて、気が抜けたところに抜群に興味を引く条件を持ってきたに違いない。暗部の交渉術なのか。それともシノさんの性格なのか。
でも、なんとか己の欲望に打ち勝った。正直シノさんとの手合わせで命の危機を感じたから。暗部の術は殺人術であるはず。もし、シノさんが事前にリスティアから手合わせだけと要望されていなければ、ボクは始まって直ぐに命を落としていた。
無意識下での攻撃で嫌というほど感じたんだ。アレこそが本来の暗部の姿だと。カネルラに仇なす者は己の命に替えても全力で葬る。意識がなくても闘い続ける気迫と気概を感じた。
親友の優しい心遣いに感謝しかない。ボクを殺さぬようかなりの手加減を余儀なくされていたはず。それであの強さなんだ。カネルラを陰から支える暗部の長は、本当に凄い男だった。
何度も経験するのは心臓に悪すぎるし、いつも思うけど獣人が魔法を操るのはこれ以上ない奇襲だ。相手は微塵も考えていないのだから。あまり通用してないけど。
だからこそ、魔法という武器が暴露したうえで再戦したらまず間違いなく負ける。ボバンさんやアイリスさんも同じで、再戦すれば負けてしまうだろうな。
そもそも、相手が誰であろうと闘いたくなんかない。だけど、闘うとなったら誰が相手であろうと負けたくない。負けるのは心底嫌なんだけど、シノさんには負けても仕方ないと思える。
住み家で魔法を磨きながら師匠の帰りを待ちたい気持ちに変わりはない。暗部への勧誘は本当に嬉しかった。でも、今は住み家を離れるワケにはいかない。負けて暗部に入ることはできないんだ。申し訳ないと思うけど、再戦は避けたいのが本音。
シノさん…。すみません…。
この時のボクは気付いていなかった。
シノさんはボクがどう答えようと既に決定事項として話していたことに。




