247 猫を釣ってみせよう
シノが「暗部の長だ」と身分を明かしてから、ウォルトはしばらく興奮冷めやらぬ様子だった。
己の知る暗部の知識を嬉々として語り、尊敬しているのが噓ではないことは大いに理解できた。むしろ、延々と褒め殺されて新たな拷問に感じた。
「はぁ…。今日は記念すべき日になりました。ありがとうございます」
「どうでもいい…。ところで、俺の言葉を覚えてるか…?」
「いえ。なんでしょう?」
『聞いてニャかった』と言わんばかりの表情で首を傾げる。若干イラッとしたが、俺のせいでもあるので表情には出さない。顔は見えないだろうがな。
「俺は…お前と手合わせしにきた…。王女様にも…お前が了承して正々堂々の手合わせなら構わないと言われている…」
「そうでしたか。なぜボクなんかと?」
「お前が…ボバンを倒したと聞いて闘ってみたくなった…」
「さっきも言いましたが、ボクはボバンさんを倒してないです」
「しらばっくれるな……」
「本当です。ボバンさんを倒してません」
注意深く観察するが、やはり嘘を吐いてない。もしくは、気付かれないほど巧妙に隠しているか。獣人にそんな隠蔽工作ができるとは思えないが。
謎の重圧を放つ目の前の獣人が、対象者であることは間違いない。本人も王女様の親友だと認めているし名前も相違ない。俺自身も確信がある。
なぜボバンを倒したと認めないのか不明だが、このままでは埒があかない。ならば…違う角度から交渉することにするか。
「残念だ…。もしお前がそうならば…暗部の武器や術を見せてやろうと思ったが…」
「えぇっ!?」
案の定、驚いた様子。「見てみたい!」と真っ白な顔に書いてある。俺は『暗部をダシに猫を釣る』作戦に出た。暗部を尊敬しているのなら術や武器は気になるだろう。
「だが…違うなら仕方ない…」
「うぅ…!」
「残念だ…。お前がボバンより強ければ…」
「くぅっ…!」
目に見えて悩んでいる。頭をぐるぐる回して…やがて回っていた頭が止まった。
「ボクは……ボバンさんより……」
「より…?」
「……強くはないです」
ガックリ肩を落として呟いた。
「ククッ…。お前……面白いな…」
「そうですか…?ボバンさんは最後まで倒れなかった…。あの仕合は…よくて引き分けです」
どうやらその辺りの認識が異なるようだが、今さらどうでもいい。雑魚騎士団長の敗北などにもはや興味はない。
「いいだろう…。お前に…暗部の力を見せてやる…」
「本当ですか?」
「ただし…俺と手合わせをするなら…だ…」
「殺し合いは無理ですよ?」
「手合わせと言っている…。俺は…王女様に誓約した…。命のやりとりはしないと…。誓いを破ることはあり得ん…」
さぁ、どう出る?
「……わかりました。ボクでよければ手合わせをお願いします」
★
ウォルトは、ここ最近でも悩んだことがないほど悩んだ。
シノさんと闘いたくはない。誰が相手でも一緒で争うのは嫌いだ。でも、幼い頃から憧れている暗部の術や武器を見てみたいという欲に抗いきれない。
今日を逃すと、きっと一生見ることは叶わない。手合わせ以前に知りた過ぎる。手合わせで負けてしまったとしても術や武器を見たい。稀有な機会を逃したくない。
やるからには負けるつもりはないけれど、せめて恥ずかしくない手合わせをしたいと思う。
★
結果、猫釣り作戦は成功した。目だけでニヤリと笑う。
「決まりだな…。外でいいか…?」
「はい」
更地へと向かい離れて対峙する。ウォルトはローブを脱ぐと、モノクルを外して準備を整える。俺はなにもせず背を丸めてジッと観察していた。
どこからどう見ても、弱そうにしか見えない貧弱な獣人だが、表現しようのない気配を全身から醸し出している。最も近い感覚は『恐怖』だ。
よく鍛えられてはいるが、痩せた体つきの獣人。なのにボバンに勝ったという事実は充分警戒に値する。コイツはどんな手段を使ってくるのか。
「お前……武器はないのか……?」
俺の問いにウォルトは苦笑する。その反応はなんだ?
「もう身に付けてます」
「俺を…おちょくってるのか…?」
どう見ても、ズボンと靴をはいているだけだ。魔道具の類も身に着けていない。
「本当です。直ぐにわかります」
「お前…手を抜くつもりじゃないだろうな…。王女様の親友だろうと…許さんぞ…」
ココまで来てそんなことをされたら怒りが爆発する。
「ボクもやるからには負けるつもりはありません」
ウォルトは真剣な表情で答えた。
「安心した…。さすがは負けず嫌いの獣人…」
ニィ…と覆面の中で嗤い互いに構える。まずは…どう防ぐか見せてもらおうか。目にも留まらぬ速さで投擲する。
「シッ!」
「くっ…!」
ウォルトは横に跳んで辛うじて躱した。
「いい目をしているな…」
綺麗に躱されるとは思わなかった。初見だろうに反応がいい。
「今のは…小刀…?いや、ナイフ?」
「名をクナイという…。暗部の武器の1つ…。約束だから見せた…」
「クナイ…」
「コレはどうだ…?」
音もなく間合いを詰める。ウォルトは驚いたような表情。
「くっ…!」
「遅いな…」
細長い腕をしならせるようにして、ウォルトの顔面に拳を叩きつける。かなり反応が速い。コイツは目がいいな。腕で受け止めるつもりのようだが…。
「がぁっ…!」
鞭が巻き付くように腕をしならせて顔面をまともに捉えた…と思ったが、またも反応よく躱されて威力が殺された。食らったウォルトは距離をとる。
「どうした…?なにを出し惜しみしてる…?」
「どうやったらそんな打撃を…」
ほぅ。俺の技を観察しているのか。暗部のことを知りたがっていんだろうが、余裕を見せてくれる。
「俺に勝てたら…教えてやろう…」
「わかりました…。では、ボクもいきます」
「来い…」
ウォルトは魔力を身に纏い、一瞬で間合いを詰めてきた。
「っ…!なんだとっ…!?」
「ウラァッ!」
足の裏で腹部へ強烈な蹴りを加えてきた。俺は後方へ大きく吹き飛び、着地して細い目を見開く。
「獣人が魔力だと…?今のは『身体強化』だな…」
魔道具の類は間違いなく装備していない。まさか…既に武器を持っているとはそういう意味か。
面白すぎる。獣人の魔法使いが存在しただとは。魔法を操るのはさすがに予想していない。なにか武器があると勘づいてなければ今の一撃は虚を突かれてかなり効いていただろう。
過去に見たどの武器よりも意表を突かれた。ずっと観察していたが、魔力など欠片も感じなかった。コイツは完璧に隠蔽している。気付く者などいない。
「後ろに跳んで衝撃を逃がすなんて…。反応が凄い…」
互いに驚く。…が、驚きの度合は俺の方が上だ。過去の任務で数多く驚かされたが、最も驚いたと言って過言ではない。
「だからか……」
思い返せば、ボバンが訓練で想定していた動きは対魔法戦に通じる。「お前に言うことはない」と言っていたのも『訓練を見たお前ならわかるな?』という意味。ボバンめ。相変わらず意地の悪い奴だ。
気を取り直してウォルトに向き直る。
「さて…まだこんなものじゃないだろう…?」
「はい。まだまだです」
この程度の驚きでは俺が恐怖を感じるに値しない。互いに駆け出して拳を交える。
……ふっ。
「くっ…!」
「どうした…?お前の体術はその程度か…?」
ウォルトは息を切らして片膝をついた。『身体強化』を操るウォルトと肉弾戦を繰り広げたが、一方的に打撃を当てた。
正確には俺もウォルトの打撃を被弾しているが、手応えがないだろう。柔らかいモノを殴っているかのように感じているはず。
「教えてやろう…。ヤナギの体術だ。押されたら引き…引かれたら押す…。簡単なこと…」
「ヤナギ…。凄い体術です」
口で言うほど簡単な技術でない。衝撃を受けるとき力が入るのは生理的な反応。躱すのではなく、あえて衝撃を柔らかく受け流すことでダメージを殺し、最小限の動きで引きつけ攻撃直後の相手の隙を突いて反撃する。打破する策を考えている表情だが、あるのなら見せてもらおうか。
「フゥッ!」
「むっ…」
一段と速く間合いを詰めてくる。初撃と同じく腹を蹴り飛ばす体勢。
「ウラァァッ!」
「速い…が無駄だ…」
この程度のスピードには驚かない。暗部の部下の方が速いな。衝撃を逃がそうと後方へ跳ぶ…つもりが、背中になにかが当たる。
「なにぃ…?!」
振り返ると背後に巨大な『強化盾』が展開されている。そして、目を切った一瞬でウォルトの蹴りが眼前に迫っていた。
「ウラァァッ!」
「がはっ…!」
蹴りと魔力の壁に挟まれて衝撃を逃がしきれない。腹に食らって身体がくの字に折れ曲がる。
「シャァァッ!」
「ちぃっ…!」
横に跳んで追撃を躱した。仕込みの鎖帷子の上からでも伝わる衝撃。
「今のは効いた…。魔法で罠を張るとはな…」
「横に躱されていたら無意味でしたが」
後ろに受け流すと読まれたな。同じことを繰り返したのは俺の油断。獣人であるのに賢さを見せてくる。魔法を展開した瞬間すら気付かなかった。見事な魔法で策を講じる。
俺も、もう少し見せてやらなければなるまい。
「お前に…見せてやろう…」
両腕をだらりとぶら下げて低い姿勢をとり、一瞬でウォルトの懐に入り込んだ。
「…っ!」
迎え撃とうとウォルトは拳を繰り出してくる。大した反応の速さだ。俺を捉えた…と思っているだろう。
「なっ…!?」
ウォルトの拳が捉えたのは俺の服だけ。一瞬でもぬけの殻。
「どこを見てる…。こっちだ…」
「はっ…?!」
背後から背中に掌を添える。
『発勁』
暗部の術を発動した。掌から放った衝撃でウォルトは前のめりに吹き飛ぶ。
「グゥゥッ…!ガハッ…!」
「肺が捻れて…空気が全て押し出されるような衝撃だろう…」
「グゥッ…!」
起き上がって鋭い視線を向けてくるウォルトは、本当に面白い魔導師。掌を添えた一瞬で魔法を発動させた。
なにかしらの魔法で背中を防御しながら前方に跳んだ。結果、防御は間に合っていないが、見事な反応と魔法操作。息をするように魔法を操る。しかも無詠唱で。
戦闘における魔導師の最大の弱点は詠唱に時間がかかること。過去に闘った魔導師は、全て集中している間に勝負を決めた。強大な魔法は発動すれば脅威だが、発動前に攻撃できれば身体の弱い魔導師に負けることなど有り得ない。
脱ぎ捨てた装束を拾い、傷だらけの身体にゆっくり羽織る。
「姿を眩ましたのは『空蝉』という術…。吹き飛ばしたのは『発勁』だ…」
「『空蝉』と…『発勁』…」
「お前には…暗部の技を見せる約束だったからな…」
「光栄です…。お返しに……ボクの魔法を見せます…」
「面白い…。見てやろう…」
まだ使える魔法があるというのか。息を整えたウォルトは手を翳して即座に詠唱した。
『破砕』
撃ち出された衝撃波を躱す。大した魔法だが俺に油断はない。対魔法戦は過去に何百と経験している。全て見切って躱してやろう。
「速さと威力は大したモノだ…。なにっ…!」
『闘気乱舞』
俺が躱すのを予期していたかのように、躱した先に魔法を放っている。迫り来る無数の魔力の刃に、全てを躱すのは無理だと判断して術を繰り出す。
『魔喰』
『魔喰』は、魔法を受け止める『魔法障壁』と違って無効化する暗部の術。暗部における対魔法戦では必須。視認できない壁を展開して接触した魔法を無効化する。
だが…。
「ぬぅ…。しつこい…」
いくら無効化しても、ウォルトが翳した掌から放たれる魔法の刃は止まない。それどころか徐々に数と速度が増している。動こうにも『魔喰』を解除した瞬間に切り刻まれるのが容易に想像できる。
予想以上だが少しの辛抱。コレほどの魔法を獣人が詠唱したことは驚きだが、魔力が持続するはずもない。最後の悪足掻き。
ボバンの阿呆は相当油断したとみえる…。コイツは大した魔導師だが、体術もさほどではなく冷静に魔法を見切れば負けるようなことはあり得ん。
しばらく膠着状態は続いたが…徐々に焦りが生まれる。
『魔喰』を展開しながら動くか…?このままではマズい。術の発動には『魔力』や『闘気』と同様に原動力を必要とする。暗部は『気』と呼ぶが、長時間の術の使用でこのままでは枯渇してしまう。
魔法を無効化するには威力に応じた量の『気』を込める必要があるが、これほど長時間かつ強力に展開し続けたことはない。普通は精々数秒で解除する。
観察するように俺を見つめるウォルトの表情に焦りはまったく見てとれない。余裕すら感じさせる。
体術でやり込めたことで少なからず調子に乗っていた。獣人の強みは身体能力だという大きな勘違い。
まさか、これほど長時間継続して魔法を放出できるとは…。たった一度魔法を受け止めただけで窮地に陥ってしまった。本当に警戒すべきだったのは、身体能力ではなく魔法だったのだと今さら気付く。
「甘く見るな。死ぬぞ」
脳裏をよぎるボバンの台詞。忠告を聞きもせず、相手を甘く見た代償が今の状況を招いた。俺もまだ青い。だが脱出する手はある。
片手で魔喰を展開しながら、懐から取り出した数本のクナイを投擲する。命中しても躱しても、気を逸らして魔法が止んだ一瞬で脱出を図る手筈。
『強化盾』
「なんだと…!?」
ウォルトは空いた掌で『強化盾』を展開し、飛来するクナイを防いだ。その間も翳した手から魔法の放出はやめない。『強化盾』は物理攻撃を防ぐが魔法を妨げない。
「多重発動っ…!」
初めて目にする魔法の多重発動。不可能だと云われてきた技術を目の前の獣人はいとも簡単に披露した。
「まだまだです…」
「ぐぅっ…!?」
刃の勢いは更に増し微塵も衰えない。魔法を放ちながら表情を変えずに俺を凝視する白猫の獣人。
出会い頭に感じた恐怖に近い感覚の根源は魔法…。この男の魔法は底が知れない。常識で捉えて完全に甘く見ていた。目の前に立つ魔導師は…規格外の獣人の魔導師。




