203 トゥミエ
蟲人達の再会を見守ったウォルトは、翌日に再度故郷へと向かうため住み家を出発した。
「用事があったのにごめんね」とハピーに謝られたけど、気にしてない。クマンさん達を無視して帰省した方が気に病む。再会の手助けができて気が済んだ。
順調に森を駆けること2時間弱。故郷である【トゥミエ】の町に到着した。トゥミエは山間部にある小さな町。クローセほど小さくないけれど、フクーベのように都市とは呼べない。
ボクが住んでいた頃は、住人の6割程度が人間で3割が獣人、その他の種族が少しいるといった感じだった。
最後に来たのは半年以上前。実家に立ち寄って、父さんの浮気を疑った母さんの裁判ごっこに付き合わされた挙げ句、晩ご飯を食べて帰っただけ。
自分の意志で帰ってきたのは、森で暮らしていることを伝えに来たとき以来だから3年ぶりくらいか。
生まれ故郷だけど、フクーベと同じで嫌な記憶が呼び起こされるから足が向かない。町を出てから「帰ってこい」と言われたことはなかった。今回言われたのが初めて。
いい大人だからかもしれないけど、面倒を嫌う獣人なのに優しい両親はボクを気遣ってくれてると思う。親の優しさに甘えているダメな息子だ。
町に足を踏み入れて、すぐに違和感に気付く。半年前には感じなかった違和感。理由は知らないけど珍しいこと。とりあえず気にすることなく歩いて10分の場所に建つ実家へと向かう。
着くなり玄関のドアをノックしてみるも、中から反応がない。繰り返してみても、やっぱり反応はない。ノブを回しても鍵が掛かっていて開かない。父さんは仕事の可能性が高いけど、母さんはいると思ってた。
さっきの違和感も相まって嫌な予感がする。
『周囲警戒』
家の中を隅々まで魔法で探ると、両親の部屋に反応がある。2人揃って寝てるっぽい。こんな昼間に…?
「そういえば…」
住み家から合鍵を持ってきたのを思い出した。使うことがないから完全に忘れてたな。合鍵を取り出しドアを開けて中に入る。
「ただいま」
呼びかけても返事がないので、反応があった部屋へと移動する。昔から仲良く寝ている両親の寝室ドアを軽くノックしても返事はない。でも、探ると確かに反応があるので中にいるはず。
「入るよ」
断って部屋に入ると、父さんと母さんは並んだベッドで横になってる。ニャ~ニャ~とうなされて苦しそう。ベッドに近付くと、気配を察したのか母さんが薄く目を開けた。
「母さん。大丈夫か?」
瞼が開かないのか細目でジッと見つめてくる。
「ウォルトの亡霊…?」
いつもの元気を微塵も感じさせないか細い声で呟いた。
「本物だよ。さっき帰ってきたばかりだ」
見つめ合うこと数秒。状況を理解したのか声を上げる。
「ウォルト!早く出ていって!ゴホッ…!」
「なんで?」
「アンタにも病気が移る!早くっ!」
「病気?」
「いいから…ゴホッ!早く…出ていきなさいって!」
出ていけと言われても引けない。隣のベッドで眠る父さんは騒ぐ母さんの声でも起きる気配がない。
「それは無理だ。病気って2人とも?」
「そうよ!ゴホッ…!ゴホッ…!」
咳き込む母さんの背中をさする。
「はぁ…。気持ちいい……じゃなくて!言うことを聞け!近付くなバカ息子!ゴホッ…!」
怒る母さんを無視しておでこに手を当てると熱がある。軽く『氷結』で冷やした。
「あぁ~……極楽~……ってアンタは!ホントにっ!」
「母さん。せめてなんの病気か教えてくれないか?」
「ズーなんとか…ゴホッ!…私達じゃよくわからない…ゴホッ!ゴホッ…!詳しいことはハルケに聞いて…!」
「わかった。先生のところに行ってくる」
騒ぐ母さんを寝かせ、2人の手拭いを魔法で冷やしておでこに乗せる。
「気持ちいい…。少し楽になった…。ありがと…」
眠ったままの父さんも少し表情が和らいだ。
「ゆっくり休んでて。食べれそうなら後でご飯も作る」
「ありがとう…。肉がいいな…」
「肉を食べる食欲があるなら大丈夫だね」
2人の容態も気になるけど、まずはハルケ先生のところへ行ってみよう。
やってきたのは、トゥミエの診療所。
「ココに来るのも久しぶりだ…」
怪我ばかりしていたボクが、嫌々ながら足繁く通って最もお世話になった場所。建物に入って直ぐに懐かしい顔に遭遇する。
モッサリしたボサボサの黒髪で両目を隠し、白衣に似合わない無精髭を生やした男性が忙しそうに箱を持って歩き回っている。
「ハルケ先生。お久しぶりです」
挨拶すると動きを止めてボクに向き直る。
「お前………ウォルトか……?」
「久しぶりに帰ってきました」
抱えていた箱を床に置いたハルケ先生が駆け寄ってくる。
「大きくなったな!元気そうでやかった!」
「先生もお元気そうで」
「なんとかやってるぞ。お前に会うのも何年ぶりだ?」
「町を出てから会ってないので、7年くらいです」
「もうそんなに経つのか…。早いもんだな」
ハルケ先生は、ボクが小さかった頃からトゥミエの診療所を切り盛りしている人間の医者。記憶通りならもう40歳を越えてる。
殴られたり蹴られたりで怪我ばかりしていたボクを何十回と治療してくれた大恩人。この世で尊敬する数少ない人物の1人。
「訊きたいことがあってきました」
「もしかして、獣人達の病気のことか?」
「はい。町のほとんどの獣人が罹ってるんですね?」
「そうだ」
町に入ったときに感じた違和感。表に獣人が1人もいなかった。声も態度も大きい獣人の気配が全くなくて異様に静かだった。
「皆、家で寝込んでる。ミーナもストレイもな」
「さっき会って詳しいことは先生に聞いてくれと言われました。一体なんの病気ですか?」
「立ち話もなんだ。誰もいないから診療室で話すか。茶くらい淹れるぞ」
「わかりました」
診療室に移動すると、先生はさっとお茶を淹れてくれた。
「症状からするとズーノシスって病気だ」
「聞いたことないですね」
「昔からある病気で、罹患するのは獣人ばかりで感染力が強い。何十年かおきに流行するんだ」
「症状は?」
「高熱に咳、下痢や嘔吐。それに強い倦怠感もある。あまり長引くと衰弱とともに全身が痛んで動けなくなったり、肺が侵されて命の危機もある。けど、獣人は体力があるから死亡率は低い。時間はかかるがいずれ治る」
「治療法は?」
「薬があるにはある…が、問題があってな…」
「高価なんですか?」
「高価というより、材料がないのと……説明すると長くなるからお前なら見せたほうが早いな」
先生は古ぼけた医学書を手渡してくれる。言う通りに付箋の付いた頁を開くと、ズーノシスについて書かれていた。ボクが読み進めるのを先生はジッと見つめている。
「なるほど。特効薬はあるのに材料を集めるのと作るのが大変ですね」
「やっぱりお前は賢いな」
医学書に書かれていた材料は、全て森や山で採取できるモノだけど、採取の手間と調合に時間がかかる。
「皆に内容を説明しても全く理解してくれない。材料集めと薬を作るのが大変だとだけ伝えてるんだ」
「そうですよね」
獣人は複雑なことを覚えられない。説明しても途中で「もういい!」と言われるだけだ。先生もよく知ってるはず。
「薬師に調合を頼んでるんだがな…。手間がかかるから敬遠されてる」
「仕事を放棄してますね」
「お前には言いづらいんだが、自分達はまず罹患しないし獣人の体力なら放っておいてもいずれ治るだろうと取り合ってくれない」
獣人のタメだけに薬を作る気はないということだな。恨みでもあるのか?ただ、薬師がそういうつもりなら…。
「ボクが材料を採ってきて薬を作ります」
「薬を…作れるのか?」
「先生は待ってて下さい。材料を集めたらまたこ来ます。それまでに準備してもらいたいモノがあるんですが」
調合器具で最低限必要なモノを準備するよう頼む。
「なければ別に構いません。なんとかします」
「わかった。本は持っていっていいぞ」
「全部覚えたので大丈夫です」
「ははっ。余計な心配だったか」
お茶を飲み干して立ち上がる。
「ごちそうさまでした。夜までには戻れると思います」
「気を付けろよ」
「はい」
身を翻して森へと駆け出した。
森に入り、知識と嗅覚をフル稼働して薬の材料を採取していく。さほど量は必要ないけど、いかんせん種類が多い。ズーノシスの薬を作った薬師の努力には頭が下がる。
素材と製法から推測すると、おそらく半分の材料でも効果がありそう。ハルケ先生の話によると、ほぼ獣人しか罹患しない病なのに複雑な配合の薬を作り上げたのは、発案者が患者のことを親身になって考えた結果だろう。
発案者には頭が下がる思いだ。より効果が高い薬を考案した会ったこともない薬師を尊敬するし凄いと思う。
休むことなく森を駆け回りながら思うこと。人間の薬師が薬を作りたがらないのも納得できる部分がある。
強靭な肉体を持つ獣人は、基本的に人間のことを貧弱な種族だと蔑んでいる風潮がある。もちろん皆がそうではないけれど。
そんな扱いを受けている人間から『自慢の強い身体を持っているのに、死なない病で薬なんて必要ないだろう?』と思われても仕方ない。
トゥミエの薬師は顔と名前だけ知っている。話したことはないけど、ハルケ先生の治療で薬を処方してもらってるから間接的には恩人といえる。
けれど、この町の薬師は薬を作って売るだけで治療には携わらない。だから会って話したことすらない。どういった思考の持ち主なのか知らないけど、現状では両親が罹患して苦しんでいるし、あの薬師は当てにできない。だったらボクが作ろうと思っただけ。
しばらく森を駆けて、必要な材料の採取を終えた。




