198 美味しい料理を食べに行こう
朝から農作業を終えて、ウォルトは森を歩く。
久しぶりにフクーベへ向かっている。訪れる目的は、王城で作ったコース料理を教えてくれたビスコさんに御礼を言うため。見たこともないコース料理についての知識は皆無だったので、もの凄く助かった。
ビスコさんは、知識も技術も段違いの凄い料理人。いつも住み家を訪ねてもらって嬉しいけれど、たまにはこちらから顔を出さないと申し訳ない。
そもそも、ビスコさんの料理は対価なしに食していい料理じゃない。でも「君の料理を食べることで充分対価になる」と言ってくれて、その言葉に甘えてる。
…とはいえ、今回ばかりは御礼を兼ねて店に行こうと決めた。色々な料理があるはずで、御礼に向かっていることを忘れそうなくらい高揚してる。
前回訪れたときは臨時休業だった。今日は営業してるかな。
フクーベに辿り着いた。相変わらず多種多様な匂いに包まれた街。
何度か訪れている内に街の匂いにも慣れ、今では不快感も多少薄れたけど、やっぱり住みたいとは思わないな。
街に入り、一直線にビスコさんの経営する【注文の多い料理店】を目指す。場所は前回訪ねているので頭に入ってる。
昼時の混雑しそうな時間を避けて来たけど、ビスコさんの経営する店ならいつでも繁盛しているであろうことは想像に難くない。
食事が無理でも会えるといいけど。そんなことを考えながら街を歩いていると声をかけられた。
「おい!そこの猫!」
無視して歩くと再び声が上がる。
「無視すんなっ!おいっ!白猫のお前だよっ!」
そこまで限定されては…と、立ち止まって声の主を見ると、見覚えのない数名の獣人がたむろしていた。
「なんでしょう?」
直ぐに男達は近寄ってくる。声をかけてきたのは鹿の獣人だ。頭部から短い角が生えている。
「お前、金持ってねぇか?持ってんならちょっと貸してくれよ」
久しぶりにたかられる。いきなり知らない獣人に金を貸せと言われても、困りも驚きもしない。過去に山ほど経験してきたから、昔はお金を持ち歩かなかった。
「少しなら持ってますけど、行くところがあるので貸せないです」
ハッキリ告げると眉をひそめる鹿の獣人。
「黙って金出せば無事に帰れるぞ?」
まだ昼だというのに、酒臭い息を浴びせてくる。マードックもそうだけど、よくこんな時間から酒を飲めるな。
「脅しても答えは変わりませんよ」
首を傾げると、苛立った風の男は胸ぐらを掴んでボクを軽々と持ち上げた。
「てめぇ…。優しく言ってるうちに…」
『睡眠』
持ち上げられたまま周囲に気付かれぬよう無詠唱で魔法を使うと、男はゆっくりその場に崩れ落ちた。突然倒れた仲間に驚く男達。
「てめぇ!なにしやがった?!」
魔法を使ったのはバレてないと思うけど、ボクがなにかしたことには気付いたみたいだな。
「なにもしてませんよ。いきなり崩れ落ちただけで」
「お前…人をおちょくってんのか!?」
掴みかかってくる獣人を軽くいなして、同じように眠らせる。魔法がよく効いてくれて助かる。残されたのは、唖然とする狐の獣人の女性だけ。
「飲み過ぎたのか疲れて寝てしまったみたいです。あとはお願いします」
そう伝えると、狐につままれたような表情の女性をその場に残して立ち去る。その後は絡まれることもなく無事に【注文の多い料理店】に辿り着いた。どうやら今日は営業してるみたいだ。
ドアを開けてカランとドアベルを鳴らし、中に入ると美味しそうな料理の匂いが鼻腔をくすぐる。さすがビスコさんの経営する料理店だ。過去に美味しそうな匂いがした店で外れたことはない。美味しくない料理店は、ちゃんと不味そうな匂いが漂ってる。
「いらっしゃいませ~…って、ウォルトさん!」
入るなり声をかけてくれたのはリゾットさん。ビスコさんが住み家に連れてきた若い女性料理人。給仕も兼ねているのか、可愛らしい服に身を包んでいる。
「リゾットさん。こんにちは」
「こんにちは。今日はどうされたんですか?」
「ビスコさんにお世話になったので、御礼を兼ねて食事に来ました」
「そうなんですね!空いてる席へご案内します!どうぞ!」
「よろしくお願いします」
空いていた席に通され、渡された品書きを手に取る。
「あとで注文を伺います。ゆっくり決めて下さい」
「はい。ありがとうございます」
★
突然のウォルトの訪問に驚いたリゾット。
ウォルトさんは楽しそうに品書きに目を通し始めた。私は急いで厨房へ向かい、忙しそうに料理を作るビスコさんに声をかける。
「ビスコさん!」
「なんだ?!注文なら早く言え!」
鉄鍋を振り回すビスコさんは、余裕がまったくなさそう。
「ウォルトさんが来てます!なにかの御礼を兼ねて料理を食べに来たみたいです!」
ビスコさんの動きがピタッと止まった。
「ウォルト君が…?」
素早く鉄鍋を置き、厨房から乗り出して客席を覗く。
「…リゾット。ウォルト君にアレを出してくれ。俺の驕りだ」
「アレですね!わかりました!」
……よし!美味しくできたと思う!
「お出ししてきます!」
「頼む」
ウォルトさんの元に向かうと、スンと鼻を鳴らして私に目を向けた。
「ウォルトさん。こちらはビスコさんから…」
言い終わる前にウォルトさんは微笑んで口を開く。
「いい香りの紅茶ですね。林檎で甘みと酸味、香りを付けて微かに苺も混ぜてある。飲む前から爽やかな気持ちになります」
私は口を開けたまま固まってしまう。説明どころかコップの中身を見せてもいないのに…。驚きで声が出ない。
「もしかして、違いましたか?」
「い、いえ。合ってます。こちらはビスコさんからのサービスです。ご注文はお決まりですか?」
「ありがとうございます。コレと…あと、コレもお願いします」
注文を聞いて急ぎ足で厨房へ向かうと、変わらず忙しそうなビスコさん。
「ウォルト君はなにか言ってたか!?」
「見てもいないのに、遠目から紅茶に入ってる林檎と苺を当てられました。信じられないです…」
ビスコさんは苦笑い。
「彼の嗅覚は獣人離れしてるからな。紅茶も知ってたんだな。喜んでくれると思ったが。…で、ウォルト君の注文は?」
「そうでした!えっと……」
注文を聞いたビスコさんは、「わかった」という返事と同時にまた苦笑したけど、なんでだろう?
★
彼に食べてもらうなら気合いを入れなければ…と張り切るビスコは、リゾットに次の指示を出し調理に意識を戻す。
注文した料理が…ウォルト君らしい。彼が注文したのは、さして手間もかからず比較的早く出せる料理。それでいて値段の張る料理だ。
なんのお礼か心当たりはないが、自分の注文で厨房を忙しくするのを嫌ったに違いない。友人の心遣いを直ぐに理解して、調理しながら笑みがこぼれた。
★
ウォルトの前に料理が運ばれてきた。
「お待たせしました!ごゆっくりどうぞ!」
「ありがとうございます」
紅茶を頂きながら待っていると、注文した料理が届けられた。カネルラ式の祈りを捧げてゆっくり味わう。
…もの凄く美味しい。やっぱりビスコさんは凄い料理人だ。下処理から味付けまで洗練されている。上手く表現できないけど、味にまったく濁りがない。
笑顔で料理を食べ進める。御礼をしにきたのに自分が楽しい。至福の時を堪能しながら完食すると、リゾットさんに声をかけた。
「リゾットさん」
「はぁ~い!」
「ご馳走様でした。凄く美味しかったです。お幾らですか?」
勘定を終えたら、ちょっとだけでもビスコさんに会えないか訊いてみようと思っていたけれど…。
「あの……お願いがあるんですが…」
「お願い?ボクにですか?」
なんだろう?
「実は…ビスコさんから言伝がありまして」
リゾットさんから予想もしなかった言葉を告げられる。促されるまま厨房へと向かう。そこには、調理が一段落して休憩中のビスコさんがいた。
厨房には他に誰もいない。今日は1人で調理していたのか。あれだけの数の客を相手に…。それでいて安定の美味しさ…。本当に凄い料理人。
「ウォルト君。今日の料理はどうだった?」
「凄く美味しかったです」
「そうか。ところで今日はどうしたんだ?」
「教えてもらったコース料理のおかげで、もの凄く助かりました。その御礼に伺ったんです」
「君は律儀だな。そのくらいで」
「料理を出す相手が相手なので、本当に助かったんです。ありがとうございました」
王族を相手に作ったとは言えないけど、満足してもらえる料理を作れたのは間違いなくビスコさんのおかげ。
「ところで、リゾットから聞いてくれたかい?」
「はい。お代はいらないから、賄いを作ってほしいと言われましたけど…」
「その通りだ。そろそろ休憩に入るんだが、もしよければ俺達の賄いを作ってほしい。無理かな?」
「全然構わないんですが……お店の厨房に獣人が入るのは…」
厨房に毛を落としたりしたら、迷惑になる。万が一料理の中に入ろうものなら、店の評判も下げてしまう。今この時もボクは細心の注意を払っている。
「気にしないでくれ。こんなこともあろうかと…」
どこかへ向かったビスコさんが戻ってくると、手袋と腕にピタッと装着するカバーのようなモノ、そしてコック帽を手渡された。
「コレは…?」
「君に使ってもらうタメに準備した道具だ。初めて会ったとき俺の店で働いてほしいと言ったのは嘘じゃない。今も思ってる」
「ビスコさん…」
身に余る光栄だ…。
「君の料理には毛が入っていたことがない。細心の注意を払ってることを知ってる。遠慮せずやってくれ」
「ありがとうございます」
嬉しくて言葉にならない。
「まだ俺達の休憩まで1時間近くあるから、ゆっくり作ってくれ。食材はなんでも使ってくれて構わない」
「わかりました。腕によりをかけます」
「私もすっごく楽しみです!」
渡された道具を装着して、直ぐに材料を選定して調理を始める。コック帽なんて初めて被るから合ってるかもわからないけど、気合いが入るなぁ。
「ウォルトさん!帽子、似合ってますよ!」
「ありがとうございます」
すごく照れくさい。さて、時間はたっぷりある。ビスコさんとリゾットさんのタメにアレを作ろう。
ー 1時間後 ー
店は一旦クローズして、しばしの休憩に入った。
「お疲れさまでした」
大忙しの2人を労うタメにカフィを淹れて差し出した。
「美味い…。どうやって淹れてるんだ?店にあったカフィだろう?」
「もの凄く美味しいですぅ…」
「普通に淹れてます。ちょっと待ってて下さい。直ぐに料理をお持ちします」
一息つく2人の前に賄いを運んだ。
「ビスコさんへのお礼を兼ねた賄いです。召し上がってください」
「コレが…賄い…?」
「すご…」
賄いとして差し出したのは、王都でテラさんに作った料理と同じで、コース料理を1皿にまとめたモノ。
最近、色々研究して載せる料理に色々なパターンを編み出し独自に進化させてみた。料理の相性まで考え抜いた逸品。
「ビスコさんのおかげで作ることができた料理です。口に合うといいんですが」
「…いただくよ」
「いただきます!」
同時に口にして、先にリゾットさんが声を上げる。
「おいし~い!なにコレ!?ウォルトさんは天才料理人です!」
「大袈裟ですよ」
褒められるとやっぱり嬉しい。リゾットさんもアニカやテラさんに似てるかもしれない。
リゾットさんが「コレも美味しい!コレも!」と騒ぎ続ける中、ビスコさんは黙々と食べ進めて綺麗に平らげたあと口を開いた。
表情はとても険しい。
「ウォルト君…」
「はい」
「美味かった…。コース料理を少量ずつまとめる発想はなかった。料理同士の相性も抜群だ。礼を言うのはこっちだ。俺は…」
「燃えてきましたか?」
「燃えすぎだ…。身体が熱い…。君には驚かされっぱなしだ」
ガッチリと熱い握手を交わす。
そんな熱血な光景などお構いなしとばかりに、だらしない笑顔でのんびり料理を味わうリゾットの姿があった。
その日の残りの営業時間は、なぜか「いつもより美味い!」と食べた者が絶賛したとか。
そして次の日。リゾットから話を聞き、非番であったことを悔やむグルテンの姿があった。