190 八面玲瓏
カーテンを閉め切られ、真っ暗になった室内で王妃ルイーナは考えを巡らせる。
今からなにが始まるの?リスティアとウォルトは、私達になにを見せようというの?
…と、急に部屋が明るくなる。突然のことに驚き、ウォルトが静かに語り出した。
「僭越ながら、ルイーナ様とジニアス様、ウィリナ様とエクセル様、レイ様とハオラ様に、魔法を披露させて頂きます。楽しんで頂けると幸いです」
魔法…?彼は…なにを言っているの?
この場にいる全員が等しく魔法を視認できるよう、ウォルトは無詠唱で『可視化』を操る。そして、魔法による祝宴が幕を開けた。
「まず、皆様に伝説の不死鳥をご覧にいれます」
「不死鳥?」
不死鳥は伝説の生物で、炎で形成された鳥の姿をしていると云われている。彼はさっきからなにを言っているの?そう思ったとき…。
『炎』
詠唱したウォルトの右の掌に炎が発現する。
驚いて声が出ない。獣人が魔法を使うなんて想像もしていなかった…。
事態を飲み込めないけれど、リスティアが見せたかったモノとは彼の魔法なのだということだけ理解できた。彼は真面目に語っていたことも。
炎は徐々に大きくなり、左の掌を動かしながら形作っていく。
「信じられない…」
やがて見事な不死鳥が生まれた。精巧な造形の不死鳥は、まるで掌に留まっているよう。生きているかのように動いている。
「こんな魔法…初めて見るわ…」
「まるで生きているようです…」
「獣人も魔法を使えるなんて知らなかったです…」
リスティアと騎士達も驚いている。
「凄い魔法だね…。まさかこんな風に魔法を見せるなんて思わなかった…」
「団長…凄いですね」
「見事な魔法だ…。戦闘魔法しか知らなかったが…」
ウォルトは笑顔で続ける。
「不死鳥の羽ばたきをご覧下さい」
手を翳すと不死鳥は羽を広げて飛び立つ。ゆっくり羽ばたきながら部屋の天井近くを優雅に旋回した。
「魔法で…こんなことが可能なの…?」
「見たこともありません…」
「信じられません…」
私達の声で目を覚ましたのか、眠っていたジニアス達もいつの間にかキラキラした目でウォルトの魔法を見つめている。そんなジニアス達を見てリスティアは笑った。
ゆっくり下降してきた魔法の不死鳥は、ウォルトの掌に吸い寄せられるように留まって消滅する。
「まず炎魔法による不死鳥を見て頂きました」
「ウォルト!凄い!」
リスティアが大きな拍手を贈ると、ウォルトは照れたように笑う。
「次に、古代種『剣歯虎』を見て頂きます」
「剣歯虎?」
ウォルトは自分の顔より少しだけ上に向けて手を翳す。掌から放たれる水分を含んだ冷気は、パキパキと音をたてながら少しずつ空中で形作られていく。
巨大な氷で形成された魔物が姿を現した。
「空中に…氷で作り上げるなんて…」
「なんて繊細な魔法なんでしょう…」
「凄く綺麗です…」
躍動感に溢れる造形。鋭い爪と牙を剥き出しにして、まさに跳びかからんとしている。
「この剣歯虎を手乗りの虎にしてみたいと思います」
「「「えっ?」」」
『圧縮』
ウォルトが詠唱すると、氷の剣歯虎は少しずつ縮んでいき最終的に掌に載る大きさまで小さくなった。
「リスティア。触れてみて」
「冷たい!けどかわいい!」
受け取ったリスティアは笑顔になる。
「どういう理屈なの…?」
「まったくわかりません…」
「とにかく凄いです…」
彼の魔法は、私の知る魔法とあまりにかけ離れている。手品のようで目が離せない。
リスティアに氷の剣歯虎を返してもらったウォルトはボバンに頼んで前に出てもらう。なにやら耳打ちされてボバンは頷いた。
「今からボバンさんにご協力頂きます。騎士の虎退治です」
小さな氷の剣歯虎を床に置くと、急に大きくなった剣歯虎が勢いよくボバンに跳びかかった。
「ぬぅん!」
闘気を纏った剣で一閃。氷の剣歯虎は消滅して自然に拍手が起こる。ボバンは少々呆れ顔。
「「「きゃっきゃっ!」」」
派手な展開に目を輝かせる赤子達。
「ボバンさん。ありがとうございました」
「君の魔法はなんでもありだな」
「そんなことないですが。次に見て頂くのは、魔力の虹です」
右の掌に透明な球体を浮かび上がらせると、掌からカラフルな帯を発現させてシュルシュルと球体の中に閉じ込めていく。
赤や青、紫などの帯を閉じ込めた球体はやがて7色に光輝く虹色の球体へと変化した。
「色の付いた魔力があるのね…」
「まさに虹色です…」
「魔法ってこんなことができるんですね…」
ウォルトはゆっくりと球体を頭上高く浮かび上がらせた。私達はそれを目で追う。
「それでは、一瞬なので目を凝らしてご覧下さい」
笑顔で指を鳴らすと、球体がパン!と弾けて鮮やかな虹が出現する。放射状に広がる魔力の虹を見上げる私達は感嘆の声を漏らした。
「凄いわ…。こんな美しい魔法があるなんて…信じられない…」
「私達は…夢を見ているのでしょうか…?」
「本当に現実なのですか…?」
ジニアス達もはしゃぐ。
「「「きゃは~っ!!」」」
私は美しい魔力の虹を見上げながら思う。
リスティアは、「自分の親友は凄い魔導師だ」と言ったけれど、ウォルトを紹介されて親友は1人ではないのだと思った。
多幸草をくれた親友と魔導師の親友は別人なのだと。獣人が魔法を使えるはずがないのだから。
そう考えていたのに、まさか同一人物でこれほどの魔法使いとは想像すらできなかった。
「次の魔法はどなたか協力をお願いしたいのですが」
「親友の私に任せて!」
リスティアが元気良く右手を挙げて、テテテとウォルトの横に並ぶと、またもウォルトが耳打ちしている。
「ホントに?!そんなことできるの?!」
かなり驚いているわね。
「次の魔法は王女様に協力して頂きます」
「私のことは名前で呼んで!他人行儀はやだ!今度言ったら絶交だからねっ!」
リスのように頬を膨らませて皆が笑ってしまう。ウォルトは「ゴメン」と優しく微笑んだ。
「それでは、今からリスティアが宙を歩きます」
言ってる意味がわからない。一体、どういうことなのかしら。
「じゃあ行くよぉ!見ててね!」
リスティアは元気よく手を振り上げて笑顔で歩き始めた。すると、小さな身体がゆっくり地面から浮き上がる。階段を上るように…まさに空中を歩く。
「なにぃっ?!どういうことだっ!?」
「えぇ~!すっごぉ~い!」
「なんという魔法…」
「なんでもありですね。いつものことですが」
「ヒヒン…」
「一体どうなっているの…?」
「あり得ないことが簡単に…」
「凄いです…」
「「「きゃっ!きゃっ!」」」
リスティアは楽しそうに空中を歩き続け、赤子達に手を振って言葉をかける。
「ジニアス!エクセル!ハオラ!空中を歩くのは気持ちいいよぉ~!」
「きゃはっ♪きゃっ!」
螺旋階段を登るように空中を歩いていたけれど、少しずつ下降して地面に降り立つ。
「気持ちよかったぁ~!」
「協力してくれた勇気あるリスティアに拍手を」
皆が自然に拍手する。ジニアス達も楽しそうに身動いだ。
★
その頃、部屋の外にはストリアルとアグレオの姿があった。
やはり後の宴で行われている内容が気になった兄弟は、揃ってこっそり様子を見に来たが、閉ざされた部屋の中からは物音1つ聞こえてこない。ウォルトは部屋の壁や扉に音が漏れないよう『沈黙』を付与している。
そうとは知らない王子達は、およそ王族らしからぬ行動をとり、メイドに発見されて赤面するまで扉に耳を当てて息を潜めていた。
★
その後も、ウォルトはいくつかの魔法を披露して私達を感嘆させた。
カラフルな魔力の玉を使ったジャグリングでは、最初はお手玉のように操っていたのに最後には手も使わず自分の周りを縦横無尽に高速で走らせる。
他にも、右手に炎の球体、左手には氷の球体を同時に浮かび上がらせ、一瞬で重ねて炎は消さずに氷が包み込むという不思議な魔法も見せてくれた。
その後も、バリエーション豊かに見事な魔法を披露してくれる。私達はただ無言で魅入っていた。ウォルトを知るリスティア達でさえ、魔法を目にして驚きと感動が入り混じった表情。おそらく初見なのね。
ジニアス達もずっとキラキラした目でウォルトの魔法を見つめている。赤子であっても楽しませる魔法があるなんて。
「次に披露する魔法は、許可を頂きたく存じます。ルイーナ様、ウィリナ様、レイ様。ジニアス様達に近寄ってもよろしいでしょうか?」
「ジニアス達に?」
「はい。ジニアス様達に近くでお見せしたい魔法があります。決して危険ではありません」
「お願いします!」
レイの返答は早かった。続いて「私もお願い致します」とウィリナも笑顔で了承する。
「私も構わないわ」
「ありがとうございます。では、失礼致します」
並べられた揺り籠の前でウォルトがしゃがむと、ジニアス達は期待しているような目で見つめる。初めて見る表情。
「今からお見せするのは、魔法の『いないいないばぁ』です。喜んで頂けるといいのですが」
「「「いないいないばぁ?」」」
顔を隠して赤子に近付き、突然顔を見せて喜ばせる古典的な遊び。それを魔法で?どんな魔法か予想もつかない。
「では、いきます。『隠蔽』」
詠唱した瞬間、ウォルトの姿が跡形もなく消える。
「えぇっ!?消えたっ!?」
なにが起こったのか理解できない。自分の姿を魔法で消すなんて思いもつかない。そもそも、そんな魔法があるなんて聞いたこともない。
ないない尽くしのウォルトの魔法。ジニアス達も突然のことに驚いた表情。次の瞬間、「いないいない~」と声が聞こえた。そして「ばぁ!」の言葉と同時におどけた笑顔のウォルトが姿を現す。
「「「きゃっは~!!」」」
急に消えて、急に現れる白猫の獣人を見たジニアス達は大喜び。何度か繰り返したけれど毎回驚いて喜んでいる。
「喜んで頂けましたか?」
「「「きゃっ!きゃっ!」」」
微笑むウォルトにジニアス達が手を伸ばす。私から声をかけた。
「子供達は貴方に触れたいみたい。迷惑でなければ触れてもらえないかしら?」
「よろしいのですか?」
「構わないわ」
「お願い致します」
「はい!」
ウォルトはそっとジニアス達に近寄る。顔をペタペタ触られたり指を掴まれて凄く嬉しそうな笑顔。彼は子供好きなのね。
「まだ皆様にお見せしたい魔法があります。戻ってもよろしいですか?」
「「「きゃはっ!」」」
ジニアス達は聞き分けよく手を離した。元の位置へ戻ったウォルトが告げる。
「次が最後の魔法になります。今の私が使える最高の魔法で……ジニアス様達へ私なりの祝福を。そして、協力して頂いた皆様に感謝を贈らせて頂きます」
深く礼をすると、顔を上げて詠唱した。
『幻視』
照明が落ちたように部屋は真っ暗になり、淡い光を放つ3人の妖精が出現した。大きさは人間の赤子ほどで、透明の身体から伸びる美しい羽でゆっくり宙を舞う幻想的な姿に息を飲む。
「美しいわ…」
やがてふわりと地に降り立ち、手を合わせて祈るような仕草を見せた。妖精達は姿を一粒の種に変化させ、直ぐに芽が出て見る見るうちに成長する。
私達の眼前に…淡い光を放ちながら3本の巨木が出現した。天井まで届かんばかりの大きさ。本物と見紛う大木は、『祝福』を花言葉とするチェリブロ。
枝の先に向かって音もなく蕾が開いていく桃色の花。やがて満開に咲き誇り、風もないのに微かに揺れている。
私達は眼前で優しく揺らめく『祝福』を無言で見つめる。私はこの気持ちを表現する術を持たない。
ジニアスとエクセル、そしてハオラを祝福する『幻視』のチェリブロは、変わらず淡く美しい光を放ちながら凜と立つ。本物を超える神々しさを放っていて、幻想的な美麗さにただ圧倒される。
「なんて美しい魔法なの…。信じられない…」
「奇跡のような魔法です……」
「美し過ぎて……涙が止まりません…。ぐすっ」
『幻視』は私も知っている。脳内に描いた映像を魔力で可視化する高度な魔法。宮廷魔導師でも数人しか詠唱できないと聞いた。
しかも、通常『幻視』といえば静止したモノをボンヤリ可視化できる程度。それだけで充分困難であると云われている。
「常識外れすぎる男だな」
「この人にはそんな言葉すら安っぽく感じてしまいます…」
「見事ですな…。言い表せないほどに…」
「ヒヒン…」
「見れて本当によかったです…!」
各々が祝福の魔法に心打たれている。白猫の魔導師は優しく微笑んで口を開いた。
「ジニアス様。エクセル様。ハオラ様。そして、ルイーナ様、ウィリナ様、レイ様。御生誕おめでとうございます。ボバンさん、ダナンさん、アイリスさん、テラさん、カリー。御協力ありがとうございました」
ウォルトは最後にリスティアを見る。優しく…そして真っ直ぐに。
「リスティア。この場を準備するのは大変だったろう?最高の舞台を用意してくれてありがとう。嬉しかった」
リスティアは笑顔のままウォルトを見つめて大粒の涙を流す。お礼を言いたいのに、祝福の魔法に感動して言葉を紡げないでいるのね…。わかるわ…。
「この場に集まって頂いた皆様に…祝福を」
ウォルトが告げた瞬間、風が吹いて淡い光を帯びた桃色の花弁が一斉に舞う。
「「「わぁ~!」」」
「「「きゃっは~!」」」
チェリブロの花吹雪は、風に乗って部屋の中を縦横無尽に舞った。見たことのない煌びやかな光景に全員が感嘆の声を上げる。
「凄いわっ!」
「こんな光景、現実にはあり得ません!」
「夢を見てるみたいです!」
やがて、花弁は3本の螺旋に変化しながらジニアス達の前に集まっていく。そして、また妖精へと姿を変えた。
「きゃはっ!!きゃっ!!」
ジニアス達は目の前の妖精に手を伸ばす。優しい笑みを浮かべながら妖精がゆっくり近づき、伸ばされた手に触れた瞬間、淡く輝いて消滅してしまった。
「…きゃはぁっ!きゃっ!きゃっ!」
騒ぐジニアス達に目をやると、小さな手に花が握られていた。それは…魔力で作られた4色の多幸草の小さな花束。
赤子の笑顔と並び咲く美しい花に心が揺さぶられて…自然に涙が溢れる。
「なんて……素敵な魔法なの…」
「優しさに溢れて……言葉になりません…」
「こんな祝福……一生忘れられません…」
実際にこの目で見ているのに、とても信じられない。まさしく魔法と呼ぶに相応しい。
白猫の魔導師は、大人から赤子まで分け隔てなく存分に楽しませ、祝福するタメに考え抜かれた魔法を惜しみなく披露してくれた。
これほど美しく優しい魔法を見たことがない。これから先、目にすることがあるとも思えない。とにかく素晴らしいとしか表現できない。
リスティアの言葉通り、赤子であるジニアス達の記憶にも残る。素直にそう思えるほど素晴らしい魔法。きっと彼にしかできない奇跡のような祝福。
「コレにて私の魔法披露は終了です。最後までお付き合い下さりまして、ありがとうございました」
頭を下げたウォルトに皆の拍手が優しく降り注いだ。