175 攻守交代
マルソーは手渡された水を飲み、心を落ち着けて口を開く。
「君に訊きたいことがあるんだ。教えられる範囲で答えてほしい」
「中でゆっくり伺います」
連れ立って住み家に戻る。ウォルト君にあるモノを渡した。
「ウォルト君。申し訳ないんだが、よかったらコレを淹れてみてくれないか?」
「なんですか?初めて見ます」
手渡したのは小さな布袋。芳醇な香りを放つ煎った豆を挽いた茶色の粉が入っている。
「カフィ豆というんだ。フクーベや王都でお茶の代わりによく飲まれてるんだが、知らないか?」
不味い飲み物が大嫌いなので、自分用の茶葉やカフィ豆を常時持ち歩いていて、さっきのお茶を淹れたウォルト君の腕に期待して渡す。
「滅多に街に行かないので知らないです。けど、この豆はいい香りがしますね」
カフィの基本的な淹れ方を教えると、ウォルト君はウキウキしながら台所へ向かった。数分後、カフィを淹れて戻ってくる。
「お待たせしました。上手く淹れることができたと思います。召し上がって下さい」
俺とマードックは差し出されたカフィの香りを嗅いで口に含むと、驚いてウォルト君を見る。
「美味すぎる…。どうやったらこんな味になるんだ?」
「くっ…。美味ぇ…」
最高に香り立つカフィ。苦味もまろやかに引き出されて、いつも飲んでいるカフィとは雲泥の差。今までに飲んだどのカフィより美味い。どうやって淹れたのか見当もつかない。
「ほのかな苦味が癖になりそうです。コレは流行りそうですね。ただ、ボクは飲んじゃいけないモノみたいです。凄く残念ですが…」
「そんなことまでわかるのか?」
「一口飲んで身体に合わないとわかりました。猫の獣人だからなのか、ボクだけかはわかりませんが」
そんなことを言いながら美味しそうに自分用のお茶をすする。いい表情だ。
「いろんな意味で君には驚かされる」
「大袈裟です。たまたま美味しく仕上がりました」
「普段凄いと言われないのか?」
「優しい友人ばかりなので言ってくれます。嬉しいんですけど、真に受けてはダメなんです」
獣人なのに謙虚。初めて見た。
「そうか…。ところで、君は魔道具も作るんだよな?サマラちゃんの腕輪も君が作ったんだろう?他にはどんなモノを?」
「アレだけです。初めて作ったモノなんですけど」
「なっ…!本当か!?」
「素材が手に入らなくて、本格的に2作目を作れないのが最近の悩みです。ちょっとしたモノは作ってるんですけど」
あの腕輪は製作難易度激高の魔道具。絶対に初めての挑戦で作れる代物ではない…んだが。
「アレをこの場所で…しかも1人で作ったのか?」
「そうです」
「君は魔法を使えるのにあの腕輪を人に譲ったのか」
魔導師なら喉から手が出るほどほしい魔道具。人に譲るなど考えられない。
「腕輪を装着したまま魔法を使って大失敗したんです。持っていても宝の持ち腐れでした」
「どうやって作ったのか訊きたいんだが」
「本に書いてあった通りに作っただけですが」
ウォルト君は作業机に移動して説明してくれた。そこで、生まれて初めて魔法の多重発動を目にすることになる。
「多重発動…。可能だったのか…」
「こうやって作りました。どうにか上手くいってくれたんです」
もの凄く繊細で複雑な魔法操作を…たった1人でやりきった…。
「君は…もう驚きを通り越して…」
「笑っちまうだろ?ガハハハ!」
後ろから聞こえるマードックの笑い声に、心の中で頷いてしまう。彼の凄さについて理解したつもりだった。だが、目の前の優しげな猫の獣人は俺の予想の遙か上をいく存在だ。まだまだ驚かされることになるだろう。とにかく底が知れない。それは一旦置いておいて、ウォルト君に伝えておこう。
「魔道具の素材で欲しいモノがあれば、俺に教えてくれ。必ず届ける。マードックの件と羽根のお礼に」
「素材は申し訳なさすぎます。もしよければ、魔道具製作のことでマルソーさんに聞きたいことがあって…」
「なんだ?」
魔道具製作について本で知り得ない部分を質問される。知る限り丁寧に答えた。
「その場合はこういうやり方もある」
「なるほど。そんなやり方が…」
「それから、こういう時は……こうすると上手く仕上がる」
「もし、こうやると…?その場合はこうなるから…」
「なるほど。面白い発想だ」
しばらく話し込んで互いに感心しきり。
「マルソーさんは凄いです。詳しい人に教えてもらえると勉強になります」
「独学で君の域に達してるほうが遙かに凄いんだがな」
またまた驚かされた。獣人が魔道具製作についてこれ程の知識と技量を蓄えながら平然としている。しかも独学で。ほぼ本の知識であるのにその先を自分なりの解釈で探る姿勢に脱帽。
ふと、あることに気付いてウォルト君に質問してみる。あくまで俺の推測だが合っているだろうか?
「ウォルト君は、獣人なのに力があまり強くなかったりするか?」
「はい。獣人では底辺です」
「もしや魔導書を普通に読めるとか?字を書くとかは?」
「魔導書は読めますし、字も書くのは好きです」
「実は料理が上手いとか?」
「よく褒めてもらえます」
「掃除洗濯もお手のモノ」
「趣味といっていいですね」
「ん~?」と、仲良く首を傾げた。俺達の会話に全く興味がなさそうマードックは、冷めた目でカフィを飲んでいる。しばらく思案したのち答えを導き出した。
彼は【獣人】という種族では異端の存在で、基本逆だと考えていいんだな。
その後しばらくして、俺達はまた外の更地に立っている。魔道具談義が終わったあと、俺が「ウォルト君に魔法を見せたい」と告げた。
多重発動も含めて、希少な魔法を見せてもらうばかりで申し訳ないと思ったからだ。ウォルト君は「是非!」と目を輝かせた。なぜそんなに興味津々なのかわからない。
「今度はウォルト君が障壁で受けてもらってもいいか?」
「はい。お手柔らかにお願いします」
「遠慮なんか必要ないと思うが。では…いくぞ…」
「はい」
念のため持参していた魔力回復薬で、魔力を万全に戻してある。集中して魔力を高め印を結び詠唱した。
『風牙』
鋭い魔力の刃を放つ。『風牙』は『疾風』の上位魔法。
『魔法障壁』
一瞬で障壁を展開し完璧に防がれた。見たこともない展開速度と強固さに思わず苦笑する。やはり常識外れの魔導師。
表情を引き締め直して続けて詠唱する。
『火焔』
彼には及ばないが全力で放つ。これも障壁で完璧に防がれた。
「立て続けに強力な上位魔法を放つなんて凄いです」
俺の魔法に驚いている風だが、大袈裟な話。どちらも掛け値なしの全力で放ったのに余裕で防がれてしまった。
ただ、ウォルト君から嫌味や謙遜の類は感じられない。本当に感心しているのが伝わるから嫌な気持ちにならない。本当に不思議な魔導師。
「君の魔法は素晴らしい。だが…コレならどうだ?」
彼に魔法を届かせてみたい。再度集中して周囲に拳大の魔力の球体を複数発現させ、ウォルト君に向けて放つ。
『操弾』
一直線に迫る魔力弾はまさに弾丸。凄まじい速度だが彼が障壁を張るのも一瞬。まさに鉄壁。溜息が出そうだ。
だが、どう対処するのか見せてもらう!
魔力を操作すると、張られた障壁を躱すように軌道を変えた『操弾』は、四方から襲いかかる。そのままウォルト君に着弾して眩い光とともに弾けた。見ていたマードックは思わず目を細める。
魔力の残渣が掻き消されたとき、ウォルト君はドーム状の障壁に包まれて無傷のまま立っていた。
「コレでも届かないのか…」
微かに呟いて、障壁を解除したウォルト君に近寄る。
「障壁を変形させるとは。読んでいたのか」
障壁を変形させるスピードが桁外れだ。そもそも、並の魔導師では変形させることすらできない。
「初めて見る魔法でした。こんな魔法があるなんて知りませんでした。おこがましいんですが、マルソーさんは凄い魔導師です。魔力も磨かれていて」
素直に驚いている様子だが、初見の魔法をこうも完璧に防がれては苦笑いしかできない。彼は埒外の存在だ。いくら足掻いても認めざるを得ない。
だが、もう少しだけ足掻いてみる。
「最後にもう一度だけ俺の魔法を受けてくれないか?」
「ボクは構いませんが」
「では頼みたい」
★
マードックと共に森を歩く。フクーベに向かう足取りは軽い。
「お前は満足したんか?」
マードックの問いに空を見上げる。
「あぁ…。ぐぅの音もでない…。嫌というほど力の差を見せつけられた…。全部お前のせいだ」
「ガハハハ!人のせいにすんじゃねぇ!けどよ、随分楽しそうだったじゃねぇか!」
皮肉を言ってみるが笑って一蹴された。
「そうだな…。彼に会ってよかった…。初めて魔法を覚えたときと同じくらいの感動を味わった」
彼の魔法は全てが常識外れ。俺の知る魔法とあまりに違いすぎる。そして、涙が溢れそうになるほど美しい魔法を操る。心に響くような煌めく魔力で。
「…マードック」
「なんだ?」
「ウォルト君は……化け物だ。現状カネルラで最高の魔導師に違いない」
素直にそう思える。並外れた技量を備える魔導師。全力を見るまでもなくそうだと断言できる。肩を並べる魔導師が思いつかない。
「だろうな」
マードックも否定しない。戦士であっても理解できるだろう。聞いていた通り、ウォルト君は「魔導師じゃないです」と繰り返し言っていたが、彼が魔導師じゃないならこの世に魔導師など存在しない。
「最後まで俺の魔法は届かなかった」
俺は最後に無茶なお願いをした。それは「俺の全力の『破砕』を0距離で受けてくれ」という要望。つまり、接触するほどの超至近距離で。加えて「障壁を張るのは、発動を感知した一瞬で頼みたい」という注文を付けた。
完全に気が狂った魔導師の戯れ言。普通なら「ふざけるな!」と一喝される要求。だが、ウォルト君は「わかりました」と笑顔で快諾して、至近距離から全力で放った俺の『破砕』を完璧に防いでみせた。
誤魔化して障壁を事前に発動準備していなかった。俺が詠唱する刹那、一瞬だけ速く完璧に障壁を展開したことは他ならぬ俺が一番理解している。それも、魔法で森に被害が出ないよう見たこともない巨大な障壁を展開した。
俺は呆れてしまい思わず大きな笑いがこぼれた。あんなに声を出して笑ったのは何年ぶりだろうか。魔力を増幅させる魔道具を装備して、枯渇させるほど全力で放った魔法を魔道具も装備していない魔導師に完璧に防がれては白旗を上げるしかなかった。
回想していると、マードックが顔を覗き込んでくる。
「おい。魔導師やめるとか言うんじゃねぇぞ」
…なるほどな。だから教えてくれなかったのか。
「心配するな。俺には魔導師以外なにもできない。この間はリオンさんにも負けた。今はもっと修練することしか考えてない」
「そうかよ。お前は口が固ぇから教えてやるけどよ」
「なんだ?」
「アイツはリオンさんにも勝ったぜ」
「そうか…。彼ならリオンさんも吹き飛ばせるだろう。驚くようなことじゃない」
最早そのくらいでは驚かない。
「リオンさんは疑う余地もない強者だが、そんな獣人に勝てる魔導師がいるという事実は…同じ魔導師として誇らしくて悔しいな」
「だろうな。それと、エッゾがお前とウォルトのえげつない闘いを見たがってたぞ」
「なにっ!?あの下品狐め…。いつか毛皮を燃やしてやる…」
エッゾとは旧知の間柄だが、反りが合わないので仲はよくない。獣人であることを差し引いてもアイツは素行が下品すぎる。
「エッゾもウォルト君のように紳士な獣人なら可愛げもあるがな…」
マードックをチラリと見る。大体ウォルト君のような獣人が珍しいのであって、マードックやエッゾのように我が儘で、野蛮で、横暴で、脳筋で、自信過剰なのが【普通の獣人】だ。
「お前…また失礼なこと…いや、バカにしてんだろ!?おいっ!」
「……気のせいだ。お前が傲慢で唯我独尊でうるさいとは思ってない」
「嘘つけやっ!今の具体的な例えはおかしいだろうがっ!顔に書いてんだよ!おいっ!聞いてんのか!この野郎!」
マードックのように騒がしいのが獣人。異常に強さに執着するのが獣人。繊細なことなどできるはずもない。個人的には馬が合わない種族。そう思っていた。
だが、ウォルト君は獣人なのに普通に会話できて、なにより魔導師として尊敬できる。
魔法についても少し話してみた。本人は謙遜してたが、魔法の知識も素晴らしかった。淹れる飲み物もとんでもなく美味い。彼は稀有な獣人。
彼とまた会って話したいと思う。まだ話し足りない。その時はさらに驚かされるのだろう。興味がつきない。
次に会ったとき、どんな驚きが待っているのか楽しみにしながら隣で騒ぐマードックを無視して歩き続けた。