174 まさかの魔法使い
ガルヴォルン採取クエストから数日経ったある日。ホライズンとしての活動を休む日に合わせてマードックはマルソーを誘った。
「明日、例の奴に会いに行くぞ」
そう告げられた夜、マルソーは床に就いてもなかなか眠れないでいた。まだ見ぬ魔導師に思いを巡らせる。
マードック達の幼なじみとは一体どんな魔導師なのか。兄妹が「魔導師ではない」「幼なじみだ」と口を揃える。それがなにより信じられない。
常識で考えると、あの壁を破壊できるような魔法を魔導師でない者が使えるはずがないのだから。むしろ、熟練の魔導師でも扱えないような魔法で破壊したはずだ。それも…自分より若い魔導師が。
魔導師は、前衛職と違って才能だけでは強くなれない。どれほど才能があったとしても、魔法を地道に磨き上げないと威力も詠唱速度も向上しない。
技量を磨くにはそれ相応の時間が必要。ゆえに魔導師は年を重ねる毎に強くなる。戦士や剣士のように、肉体の衰えに伴って急激に弱くなったりしない。ほとんどの魔導師の全盛期は30歳を越えてから。
だが、マードックの知る魔法使いは、20歳過ぎの若さで高度な魔法を使いこなしている。事実だとして、一体どんな修練を積んでいるのか。
とにかく興味は尽きない。可能なら修練の内容を訊いてみたい。教えてくれるなら…だが。
魔導師は自分なりの理念や信念を強く持っている者ばかり。多くが地味で内向的な性格をしているのに、プライドだけは異常に高く、他人に教えたり素直に教えを請うたりしない。一言で言うと偏屈で変人。それが魔導師。
俺も人付き合いは苦手だ。それでも、可能な限り色々な者と交流して腕を磨いてきたという自負がある。
今回もそうなるといいが、マードックの台詞から推測すると例に漏れず相当な変わり者かもしれない。既に規格外の匂いがする。
考えても始まらない。明日になれば自ずと答えは出る。そんな者が実在するのかも…だ。
気持ちを切り替えてゆっくり眠りについた。
★
次の日は、早朝から出発することになった。
マードックによると、幼馴染みはフクーベに住んでないらしい。なぜか動物の森に向かうという。
「寝れたかよ?」
俺の歩調に合わせて歩くマードックが訊いてくる。
「よく眠れた。寝る前は色々と考えてしまったが」
基本的に出不精で動物の森に来る機会はないが、そんな俺が歩いても爽やかな気持ちになる不思議な森だ。会話しながら1時間ほど森を進むと、目の前に突然家が現れた。
「アソコに住んでる」
「こんなところに家が…?だが、魔導師らしい…。いや、魔導師じゃないんだったな」
「そうだ。先に言っとく。面倒くせぇから驚くなよ」
「どういう意味だ?」
「会えばわかる。行くぞ」
とにかく意味不明なことばかり言う奴だ。歩を進めると、家の角からモノクルを着けた白猫の獣人が顔を覗かせる。マードックの知り合いか?
「お前が会いてぇのは、アイツだ」
バッ!とマードックの顔を見る。……大きく息を吐いて心を落ち着けた。
「なるほどな…。驚くなよ…か」
「クックッ!普通の奴なら「嘘だろ」ってデケェ声出すとこだぜ」
「お前に言われてなければ確実に言ってた」
魔法使いに会いに来て、まさか獣人だと言われるとは思わなかった。相手は人間かエルフだと思っていたからな。
「よくよく考えたら、お前達の幼馴染みだから当然か」
「そういうこった。お前は頭がよくて助かるぜ」
笑顔を見せる白猫の獣人に近寄る。
「よぉ。この間は助かったぜ」
「この間も言ったけど、気にしなくていい」
猫の獣人は微笑む。そのまま俺に顔を向けてきた。
「そちらの方は?」
「俺のパーティーの魔導師でマルソーっつうんだ」
「初めまして。白猫の獣人でウォルトといいます」
「マルソーだ。よろしく」
獣人らしからぬ丁寧な挨拶をする男。それに比べて無愛想な挨拶しかできない自分が少し嫌になる。
「今日もなにか用か?」
「お前には悪ぃんだがよ、この間の一件でコイツがお前の存在に気付いて、どうしても会ってみたいっつうから連れてきた。お前の魔法に興味があるんだと。信用できる奴だから心配いらねぇ」
「なるほど。こんな遠くまでわざわざありがとうございます」
いやにあっさり納得してくれた。
「俺の我が儘で急に来てしまって、こちらこそすまない。ウォルト君、いきなりなんだが」
「なんでしょう?」
「出会い頭に失礼だと思うが、俺は獣人の魔法使いに会ったことがない。軽くでいいから魔法を見せてもらえないか?」
自分の目で見ないと信じられないので頼んでみる。『獣人は魔法を使えない』という世界の常識を覆し、驚くような魔法を操るなんてあり得るのか?
「どんな魔法でもいいですか?」
「構わない」
「では」
ウォルト君は指先に小さな炎を灯す。見事な魔法操作に表情が緩んだ。今の魔法を見ただけでこの場所に来た価値がある。
この世に獣人の魔導師は存在した。しかも素晴らしい技量を備えている。今の『炎』が彼の技量を物語っていて、限りなく小さな炎を発現させた見事な魔力操作。しかも、驚くべきことに無詠唱で。
さらに魔力を完璧に隠蔽している。身体に微塵も魔力を纏わず、発動するまでどんな魔法を詠唱するのかわからなかった。たった1つの魔法で全ての疑念が解消されるとは。実に晴れやかな気持ちだ。
「他にも見せましょうか?」
「いや、充分だ。ありがとう」
「もういいのかよ」
「今ので理解した」
「はっ。格好つけてんじゃねぇのか?」
「違う。俺にはわかる」
「じゃあお茶を淹れます。家の中へどうぞ」
笑顔のウォルト君に促され、俺達は住み家に入った。
居間で待機して、ウォルト君の淹れたお茶を一口飲んで俺はまた驚いた。
「もの凄く美味い…。こんな美味いお茶を初めて飲む」
「ありがとうございます。口に合ってよかったです」
俺は食べ物に興味がない。死にたくないから最低限食べているだけ。その代わり、飲み物にこだわりがあって味にうるさい。獣人が淹れて、これほど美味で味わい深いお茶が出てくるとは予想外だった。
チラッとマードックを見る。
「んだよ?」
乱暴でガサツな者が多い獣人の中にあって、どうやらウォルト君は獣人という種族の枠にとらわれない存在のようだ。
「お前…。なんか失礼なこと考えてんだろ?」
片眉を上げるマードックを無視する。しょっちゅう思っているからな。
「ウォルト君。俺は君にお礼を言いたい」
「なんのお礼ですか?」
「マードックは教えてくれなかったが、きっとコカ・トーリスの羽根を採取してくれたのも君だろう?俺はそのおかげで魔道具を作り、楽に冒険できるようになった。ありがとう」
「大したことはしてませんが、よかったです」
「それに、俺のせいでダンジョンに閉じ込められたマードックの救出も感謝してる」
「お前のせいじゃねぇっつったろ!しつけぇな!」
帰還祝いの時にメンバーはそれぞれマードックに謝罪したが、「俺が悪ぃんだよ!」の一点張りで聞き入れなかった。
「誰が悪いかはさておき、ホライズンの一員として礼を言っておきたくてな」
「ちっ…!」
「閉じ込められたマードックが悪いということにしておきましょう」
「ちっ…!」
冗談を黙って受け入れるということは、いい友人なんだな。不貞腐れるマードックは放っておくことにして…。
「よければ、どうやってあの壁を壊したのか教えてくれないか?」
「『黒空間』です」
「『黒空間』?…まさか闇魔法か…?」
「はい」
名前だけは聞いたことがある。闇魔法は、数多く存在する魔法の中でも位置付けが異端だ。魔法というより魔術に近いと聞く。詠唱できる魔導師はカネルラでもほんの一握りなはず。俺はできない。
「そうか…。君は一体どういう研鑽を積んだ魔導師なんだ?」
「ボクは魔導師じゃなくて、魔法が使える獣人です。魔法は師匠から教わりました」
「君の師匠は少し変わった魔導師かな?」
「それは否定できません。師匠も魔導師じゃないんですけど」
その師匠とやらは獣人に魔法を教えている時点で常識外れだ。それに加えて、とんでもない技量を持つ魔導師に違いない。彼には興味が尽きない。さらにお願いしてみようか。
「外で君の魔法を見せてもらいたいんだが、無理だろうか?」
「ボクの魔法でよければいいですよ」
マードックが口を挟む。
「おい。ウォルト」
「ん?」
「なんか機嫌よさそうだな」
「そうか?マルソーさんのおかげかもしれない」
「俺がなにかしたか?」
「ボクは、師匠以外にベテランの魔導師と話したことがないので新鮮です。それに、マルソーさんは想像通りの『これぞ魔導師』という佇まいで格好いいです」
「俺もベテランじゃない。そんなわけないだろう。早く君の魔法が見たい。外に行こう」
足早に外へ向かう。
「なにか気に障ること言ったかな?」
「お前に褒められてむず痒いんだろ。男のくせに気持ち悪ぃ奴だ。ガハハハハッ!」
聞こえてるぞ。脳筋め。
綺麗に手入れされて草が刈られた更地に立つ。
「魔法を見せるのは、ただ放つだけでいいですか?」
「俺に向かって魔法を放ってくれないか?」
どうせ見るなら直に受けたい。
「いいんですか?」
「あぁ。できれば『火炎』や『火焔』がいい。『魔法障壁』で防ぐから心配はいらない。全力でいいぞ」
どんな魔法であれ受けきってみせる。
「わかりました。『火炎』」
会話しながら魔法を繰り出された。いつでもいいと言ったものの、まだ心の準備が整っていなが『火炎』が迫る。
「ぐぅっ…!」
息をするように放たれた魔法に慌てたものの宣言通り『魔法障壁』で防ぎきった。
「どうでしょうか?」
「…いい『火炎』だった。まだ撃てるのか?」
動揺を見せないよう澄まし顔で答えたが、内心焦った。今のが『火炎』だと?手順も踏んでないし、驚異的な詠唱速度に見たこともない威力だ。
おそらく魔道具も装備してない。有り得るとしたら、ローブかモノクルが魔装備だと思うが…そんな気配も皆無。思わず「『火焔』の間違いだろう?」と口に出そうになった。
なにより驚くのは、今の魔法が全力にほど遠いこと。彼は強がりでもなんでもなく余裕がありすぎる。
「やっぱりマルソーさんは凄いです。次は『火焔』を」
翳した手から即座に放たれた特大の炎が迫る。躱すのは不可能な大きさ。急いで展開した障壁で受け止める。
「ぐぅぅぅっ…!!」
全力で魔力を放出しながら受け止めてももの凄い熱量。過去に経験したことのない威力。コレは…俺の知ってる『火焔』じゃない。もはや別物だ!
少しずつ障壁が押し込まれて、直ぐそこまで死が迫っている。冗談抜きで防ぎきらなければ命はない…!
「う…ぉぉぉっ!!」
どうにか炎が霧散するまで耐えきった。
「さすがです」
「ふぅ…。…そうか」
魔力の残量が一気に削られた。残量は半分を割ったな。障壁で魔法を防ぐには、込められた魔力と同等かそれ以上の魔力が必要。
魔力を倍近くに増幅する魔道具を装備した俺が、大幅に魔力を削られるほどの魔法を放ったのに彼の表情にはまだまだ余裕がある。疲れや焦りなど微塵も感じない。
もし魔道具を装備していなかったら、防ぎきれずに間違いなく灰になっていた。それに、彼の技量に気付いていたから防げたんだ。油断していたら既にこの世にいない。
「ウォルト君」
「はい」
「よくわかったよ。もう充分だ」
「よかったです」
俺達の元にマードックが歩み寄る。
「おい。水をくれや。
炎を見たら喉が渇いちまって仕方ねぇ」
「ちょっと待っててくれ。マルソーさんはどうしますか?」
「俺ももらっていいかい」
「わかりました」
柔らかく微笑んだウォルト君は、住み家に水を淹れに戻った。
気を使ってくれたマードックに感謝しなければ…。言葉を発することなく、肩で息をしながら立ち尽くす。
「俺の話を聞いててよかったな」
「あぁ…。助かった」
マードックが言った「絶対に甘く見るな」という言葉…。真剣に耳を傾けていなかったら、『獣人の魔法なんて』と油断していたに違いない。俺が「全力でこい」と煽ったにもかかわらず、灰になっていたらあまりに虚しすぎる。
ウォルト君が放った魔法は、本人の様子からすると4~5割程度の威力か。もっと少ない可能性もある。
二十歳過ぎの若者……しかも獣人にこれほどの魔導師が存在したとは…。
「たった2つの魔法で俺の魔導師としてのプライドが打ち砕かれそうだ。こんな屈辱的な気分を味わうことになったのも…」
「会いたがったのはお前だ。俺のせいじゃねぇからな。前もって言ったろ。ガハハッ!」
そういえば言っていた。コイツはこの展開が予想できていたのか。マードックが真剣に理由を述べても、あの時の俺は信じなかったろう。身を以て感じてこそ。
「だがよ」
「なんだ?」
「アイツの魔法を食らっても不思議と悔しくねぇだろ」
そう言われると確かに悔しくない。あまりに異次元すぎて清々しいくらいだ。見ることができないモノを見た高揚感とでも云うのか。
「人は…信じられないことを体験すると…悔しいと思うより楽しくなるのか。初めての感情だ」
「誰にも言うんじゃねぇぞ」
「約束は守る。信用しろ」
住み家から水を運んでくるウォルト君の姿が見えた。彼にはまだ訊きたいことが山ほどある。このあとゆっくり話をしたい。