157 兎と亀
フクーベに到着した翌朝は晴天。
朝食を終えたあと、準備を整えて動物の森へと向かう。もちろん私は初めて訪れる。危険な森っていうことくらいしか知らない。
「ウォルトさんの住み家は結構遠いから、きつかったら言ってね!」
「わかった。頑張る」
「……」
「ウォルトさんがどんな反応するか楽しみだね~!」
「うん。ちょっと恐いけどね」
「ウォルトさんは優しいから大丈夫だよ!」
私達が笑顔で会話する中、貝のように口を閉ざしたままのオーレン。
「エロォーレン…。なにか喋りなよ」
「……」
アニカの言葉にも無言を貫く。昨日かなり殴られてたけど、時間が経って顔がパンパンに腫れてる。
「まったく…。走るのも亀みたいに遅いくせに、出歯亀にまでなって恥ずかしくないの?今度は亀じゃなくて貝になる気?」
「……うるさいな。喋ると口が痛いんだよ…」
「普通に喋ってるじゃん。大袈裟な」
「大袈裟じゃないっつうの!口の中が切れまくって血だらけなんだよっ!!いてっ…!」
「うら若き乙女の裸を覗き見ようとするから天罰が下ったんだ!」
「天罰じゃなくて制裁だろ…」
「…なんか言った?」
アニカはギロリと睨む。オーレンは「一度も覗いたことない」って断言してたのに、舌の根も乾かない内から覗こうとしてた。幼馴染みでも嫌なものは嫌だよね。
「とりあえず…」
アニカはぼやくように呟いて、オーレンに『治癒』をかけると傷が見る見るうちに治っていく。
「わぁっ!凄い!」
『治癒』の効果を見て感動する。アニカの魔法は凄いなぁ。
「魔物に遭遇して動けなかったら困るから治しとく!お姉ちゃんの安全のタメだからね!勘違いしないでよ!」
「…悪いな」
「次やったらパーティー解散するからね!わかった?!」
「肝に銘じとく…」
とりあえず仲直りしてウォルトさんの住み家を目指し歩く。動物の森には初めて足を踏み入れたけど、クローセの森と同じで空気も澄んでて気持ちいいなぁ。
「お姉ちゃん!なんともない!?キツいとか!」
「このくらいなら大丈夫だよ。村でも歩き回ったり走ったりしてたから」
「へぇ。ウイカの走る姿は見たことないな」
オーレンの言葉は嫌味でもなんでもなく事実。小さな頃から激しい運動は御法度だった。本当に軽くしか走ったことがない。直ぐに体調が悪くなったことが、昔のことみたいに感じる不思議。
「軽く走ってみようかなぁ」
「大丈夫?!無理してない!?オーレンはスケベだから走らせようとしてるんだよ!お姉ちゃんの服が汗で透けるようにね!ぐふふっ…とか企んでるに決まってる!心の声が漏れまくってるし!」
「違うわ!ふざけんなよ!」
「無理はしてないよ。アニカが先導してくれる?」
「わかった!一緒に走ろう♪」
アニカが駆け出す。私もあとを追うように駆け出して、オーレンは念のため最後尾を走って追従してくれるみたい。
★
あと少しで住み家に到着する場所まで走って来た。ウイカを心配して最後尾を走っていたオーレンだったが…。
「オーレン!遅いぞっ!」
「オーレン。頑張って」
「ぜぇ……ぜぇ…。マジか…」
俺は肩で息をする。想像以上にウイカは足が速かった。
アニカが走るのが速いのは知ってたけど、ウイカも負けず劣らずだ。姉妹で楽しそうに会話しながら並走して、息を切らすことすらなかった。数か月前まで動けなかったと思えない体力とスピード。
殴られた痛みでほとんど寝てないのも影響してるけど、俺は既にヘロヘロ。なんとか追いついて息を整える。
「ふぅ~~。ウイカ、足速いな。びっくりしたぞ」
「そうかな?クローセで毎日2~3時間走った成果かも」
「毎日っ!?マジかよ!?村の中?」
「村の外だよ。暇さえあれば魔法の修練と体力作りしてたから。長いときは5時間くらい走ってた。仕事もせずに皆には申し訳なかったけど」
さらっと話してるけど驚きを隠せない。5時間も走り続けるなんてあり得ない…。しかも、クローセの周辺は道も悪くて走りづらいのを知ってる。
「最初は心配してくれたけど、すぐに体調のことは言われなくなったよ。でも、5時間走って帰ってきたときはお母さんに怒られた」
「そりゃそうだろ。ウイカじゃなくても怒られる」
「身体を動かせることが嬉しくて、辛さを感じなかったの。まだまだ鍛えて怠けてた分を取り戻さないとね」
拳を握って「むん!」と気合いを入れるウイカの気持ちは理解できる。動けなかった頃は本当に辛かったはず。他人の俺達は仕方なかったと思えるけど、ウイカにとっては怠けていたことになってるんだろうな。だから、せめて人並みになれるようにと思って日々鍛えたんだろう。
「私も驚いた!けど、負けられない!あと少しだから、また走って行こうよ♪」
「うん!行こう!」
「ちょっと待てっ…!」
笑顔で駆け出した姉妹に、あっという間に置いていかれる。Dランク冒険者の誇りにかけて…病み上がりに等しいウイカに負けるワケにはいかない!
男の意地を見せるため駆け出した。
「見えた!ウォルトさんの住み家だよ!」
「凄いね~。ホントに森の中にあるんだ」
「…はぁ…はぁっ……」
結果、俺は姉妹に惨敗して今以上に体力作りに精を出すことを心に決めた。いつものように住み家に近づくと、顔を覗かせるウォルトさん。訪ねたときは、外で作業をしていることが多い。
姿を見つけてすかさず駆け寄ると、ウォルトさんはいつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれた。
「今日は3人で来ました!」
「いらっしゃい。ウイカさんもお久しぶりです」
ウォルトさんの優しい表情を見てウイカも笑顔になる。
「お久しぶりです!……ウォルトさん!」
「はい」
「私……走ってきましたっ!ウォルトさんのおかげで元気になりました!魔法も使えるようになりました!本当に…ありがとうございました!」
満面の笑みを浮かべているのに、ウイカの頬を一筋の涙が伝う。きっと嬉し泣きだ。
昨夜談笑してるときに「再会したら、一言目は感謝の言葉を伝えるつもり」だと言った。「困らせたくないから笑って伝える」と言ってたのに、涙を堪えきれなかったんだな…。
ウォルトさんは優しく微笑む。ウイカに近寄ると、ポンと頭に手を置いて優しく撫でた。
「頑張ったんですね。ウイカさんは凄いです」
俺達はいつものように「大袈裟だよ」って言われると予想してた。でも、努力を褒めてくれた。予想もしなかった優しい言葉に口を歪めたウイカは、堰を切ったように泣き出してしまう。
「うっ……うわぁ~ん!」
涙が溢れて止まらない。ウイカは、ウォルトさんの胸に顔を埋めてしばらく泣き続けた。