149 お酒が飲みたい
リオンと激闘を繰り広げた数日後。
ウォルトは、住み家で黄昏れていた。その理由は…。
楽しそうだったなぁ。リオンさんとマードックが訪ねてきたとき、酒を酌み交わしているのがとても楽しそうに見えた。
そんな場面に遭遇したのは初めてじゃないけど、なぜか異常に羨ましく感じて自分が酒を飲めないことを残念に思った。少し前にサマラとバッハさんも楽しそうに晩酌しているのを見たからかもしれない。
酒が飲めないと言っても、全く受け付けないワケじゃない。ただ、もの凄く弱くてすぐに眠くなったり動けなくなってしまうだけ。住み家で酩酊して魔物に襲われると間違いなく命に関わるから、基本的に酒は1滴も飲まない。
でも、今日のボクは違う。どうしても酒を飲みたい。思いに駆られて申し訳なく思いながら頼れる友達を待っている。
しばらくして友達はやってきた。
★
「兄ちゃん、どうかしたの?」
住み家にやってきたのはチャチャ。
狩りの手伝いが終わって住み家に遊びに来たんだけど、兄ちゃんの雰囲気がいつもと違う…。
「チャチャ…。折り入って頼みがあるんだ…」
居間のテーブルに両肘をついて俯いたままの兄ちゃん。こんな真剣な雰囲気の兄ちゃんは初めて見る。
ただならぬ様子に思わず唾を飲み込む。私に頼みたいことって、なんだろう…?
「なに…?」
「ボクは酒がほとんど飲めない。だけど…今から酒を飲んでみようと思う」
「へ…?お酒…?」
「そう…。もしボクが倒れたら…この水をかけて起こしてくれないか…?」
兄ちゃんの足元に水の入った桶が置かれてる。
「よくわからないけど…酔って寝たらその桶の水を浴びせればいいの?」
兄ちゃんはコクリと頷いた。
「お願いできる?」
「お安い御用だけどホントにいいの?床が水浸しになるよ?」
「大丈夫。床は魔法で乾かせるから」
「なるほどね」
兄ちゃんは台所から酒瓶とグラスを持って戻ってきた。テーブルに置いて椅子に座ると、グラスに酒を少しだけ注いで穴が空くほど凝視してる。
「そんなに見つめてもなにも起こらないよ」
「ボクが酒を飲むのは何年かぶりなんだ…。さすがに警戒する」
「警戒するくらいなら飲まなきゃいいのに」
「いや!今日はどうしても飲みたいんだ!チャチャ、なにかあったら頼むね!」
兄ちゃんは、クイッと酒を口に含んでゆっくり飲み込んだ。ドキドキしながら様子を伺う。視線の先の兄ちゃんはなんとも言えない表情を浮かべて首を傾げてる。
「…どう?」
「うん…。コレは…まさに酒だね…」
微笑んでゆっくり身体が傾いたかと思うと、受け身もとらず椅子から転げ落ちた。慌てて駆け寄る。
「兄ちゃん?!兄ちゃん!大丈夫?!」
身体を揺すっても赤い顔をしてニャ~ニャ~唸っているだけで、一向に起きる気配がない。直ぐ近くに置かれた水桶を手に取って、兄ちゃんの顔面に水をぶちまけた。
「ゲホッ…!ゲホォッ…!グェッ…!鼻に…入ったっ…!ゲホッ…!」
「兄ちゃん、大丈夫?」
「ゴホッ!大丈夫だよ…ゲホッ!ありがとう」
落ち着くのを待って話を訊くと、どうやら訪ねてきた人達が酒を飲んでるのを見て羨ましくなったみたい。兄ちゃんでも他人に影響されることがあるんだ。珍しい一面を見た気がする。
赤い顔でフラフラしながら、毛皮を乾かしたり床や服も乾かしてる。
「それで酒を飲みたかったんだね」
「久しぶりに飲んだけど、喉が焼けるかと思ったよ…。味もまったくわからなかった。よくこんなモノ飲めるな…」
「そんなに言うほど?」
普通のお酒っぽいけど。グラスに酒を注いでカパッと飲み干す。普通に美味しい。大して酒精も強くない。
「そんなに強いお酒じゃなくて美味しい」
「チャチャはお酒飲めるんだね…」
「たまに父さんに付き合うくらいだよ。自分からは飲まない。大した稼ぎもないし。このくらいで酔ったりしないけど」
「そっか…」
コレは…やってしまったかもしれない…。目に見えて落ち込んでしまった。『みんな凄いニャ…』って言いそうな顔してる…。
獣人は酒に強いって云われてる。その通りだと思うし、個人差はあっても兄ちゃんみたいに弱い獣人は珍しいはず。兄ちゃんでもお酒を飲めるような方法はないかなぁ?飲ませてあげたいな。
「兄ちゃんは酔ってみたいんだよね?」
「そうだけど…」
「だったら方法を探そう。私も手伝う!」
「ありがとう…。とりあえず、一旦酔いを覚まさないと。ちょっとお茶淹れてくる」
台所に向かうけど足元がおぼつかない。
「兄ちゃんは座ってて。私が淹れてくるから」
酔っ払い獣人を座らせて、テキパキと動く。
★
頭が痛いしボ~ッとする…。
働かない頭で、『気が利いて働き者のチャチャと番になる者は幸せだ』と思った。年下だけど、チャチャにはお願いしてしまうことが多い。
調合室から回復薬を取ってきて、淹れてもらったお茶に適量混ぜてから一気に飲み干す。一息つくと直ぐに酔いは覚めてきた。
「お茶が美味しいよ。酔いが覚めてきた」
「ところで、兄ちゃんはお腹がすいてるんじゃないの?」
「そうだけど、なんで?」
「お腹すいてると直ぐ酔うんだよ」
「知らなかった」
「あと、なにも食べないで飲むと胃が痛くなる。肴をつまみながら飲まないと」
「へぇ~。チャチャはいろいろ知ってるなぁ」
「兄ちゃんが酒を飲まないから知らないだけだよ」
忠告通りお腹を満たすことを提案して、一緒に料理を作ることに。調理している間に考えてみよう。
「魔法で酒精を分離できないの?」
「考えたこともないなぁ」
「お酒の強さは酒精の度合って聞いたことある。だったら、酒精を抜いて薄めれば軽くしか酔わないかも」
「なるほど。でも、そんな魔法はないなぁ」
「さっきお茶に入れてた回復薬を入れて、ちょうど酔うくらいに調整するのは?」
「回復しながらちょっとだけ酔うように…か。いい案だと思うけど難しい。調整をミスしたら直ぐ動けなくなる」
「それもそっかぁ。他には…う~ん…」
手を止めることなく2人で考える。
「今は料理に集中しようか。包丁で怪我するよ」
「そうだね。まだ時間はある」
その後、楽しく料理を作った。チャチャは料理を食べて片付けまで終えると「食事しながら思い付いたことを試してみたい」と言った。上手くいけばいい感じに酔えるかもしれないらしい。
「ちょっと食材使っていい?」
「好きなように使っていいよ」
「あと、魔法で氷を作ってもらいたいんだけど」
「氷?どのくらい?」
「コップに半分くらい」
「わかった」
魔法で氷を作ってグラスに入れる。受け取ったチャチャは台所に向かった。
戻ってくるのを静かに待つ。なにをするのか予想できないけど、賢いチャチャのことだから突拍子もないことではないはず。念のために水桶に『水撃』で水を張っておく。この水は被らずにすませたい。
チャチャがグラスを片手に戻ってきた。
「コレを飲んでみて。私も飲んだけど美味しかった」
手渡されたコップの中身は水にしか見えない。たけど、大きな氷が浮かんで爽やかな香りがする。お酒の香りが微かに加わる。
「兄ちゃんなら飲めばわかるよ。少しずつね」
「うん」
笑顔で促されて少しだけ口に含む。すると、檸檬の香りと酸味が感じられてしっかり酒の味もした。ゆっくり飲み込んでみる。
「どう?大丈夫?」
「…美味しくて飲みやすい。まるでお酒が入ってないみたいだ…」
続けて飲んでみるも大丈夫。
「ほんの少し入ってるよ。兄ちゃんの舌は敏感だから少しでも感じるでしょ?邪道かもしれないけど、お酒に水を足して薄めてみた」
「なるほど…。酒精を抜くのが無理なら、お酒自体を薄めればいいのか」
この間、マードックに似たようなモノを作ったのに気付かなかった。あの時は薄める目的じゃなかったから。酒はそのままで飲むのが常識で、薄めたり混ぜて飲むという発想がなかった。
「しっかり冷やしてるからツーンと鼻に来る酒の香りも抑えられて、檸檬の香りと酸味で飲みやすさが増してる。凄く美味しいよ」
作ってもらった酒を飲んで、目から鱗が落ちた。お酒に弱い者が飲むための工夫はあっていい。さっきのように直ぐ倒れることもない。チャチャは笑顔になる。
「自分が飲める酒量を覚えるのも簡単だと思う。1滴から始めて少しずつ酒の割合を増やしていけばいい。長い時間飲みたいときは、もっと薄めにするとか途中で酔い覚ましのお茶を飲んでもいいと思う。あとはちゃんと酔えるかどうかだけど…」
「それは大丈夫…。だって…今すごく気分がいい。なんだか…ふわふわしてる…」
表情も思考も自然に緩んでしまうような不思議な感覚。
「気持ち悪くないの?」
「大丈夫だよ。ほろ酔いってこんな感じなんだね…。チャチャのおかげだ…」
ついヘラヘラしてしまう。
「たまたま上手くいっただけだよ」
「いや。チャチャは凄い…。狩りも上手いし頭の回転も早い…。器用で働き者だし気が利く。ボクは…驚かされてばかりだ…。お願いしてよかった…」
「褒めてもなにも出ないよ」
「ホントだからしょうがない…。ゴメン…。少し…眠くなってきた…」
目が開かない…。自然に身体が揺れる…。
「あとで起こすから眠っていいよ。水もかけないし」
「ありがとう…。生まれて初めて…気持ちよく酔えたよ…」
感謝を呟いた直後に意識が飛んだ。
★
兄ちゃんはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。幸せそうな寝顔にホッとしたけど、上手くいった安心感とは別にちょっとした懸念が。
「お酒は何滴かしか入れてないんだけど、こんなに酔うんだ…。適量を考えよう」
さすがに危ない。その後、目を覚ました兄ちゃんに、水割りの作り方と酒は1滴から混ぜるように伝える。飲む前に酔い覚ましのお茶も淹れておくことを忘れないよう念押しした。
「無茶な飲み方は絶対ダメだからね。危ないし、魔法を使うのにも影響があるかも」
「わかってる。ありがとう」
「できれば誰かが一緒にいるときがいいよ。私はいつでも付き合うから。いい?」
「うん。ありがとう」
ウォルトは口に出さなかったが、面倒見がよすぎるチャチャのことを、ミーナより母親のようだと思った。
チャチャが考案した『檸檬の水割り』は、酒に強くないけれど楽しみたい人々に支持され、世に普及していくことになるのはもう少し先の話。