148 リオンとの思い出
「む…」
目を覚ましたリオンは、ベッドに横たわっていた。勢いよく起き上がると椅子に腰掛けたウォルトがいる。
「ずっとソコにいたのか?」
「はい。大丈夫だと思ったんですが、念のため。身体は大丈夫ですか?」
「ん?」
身体を動かしてみるが痛みもなく見渡しても傷もない。高度な治癒魔法をかけられたのか。当然治療したのはウォルトだな。
「お前は『治癒』も使えるのか。驚かされっぱなしだ!グワハハハ!」
部屋中に響き渡る声で豪快に笑う。まったくシビれさせる男だ。
「大袈裟です。それより今日はありがとうございました」
「こっちの台詞だ!フクーベに帰ってきて、お前と闘えて最高に楽しかったぞ!」
ウォルトの後ろからマードックが顔を出す。
「リオンさん。俺の勝ちだな」
「あぁ。それでいい。負けて悔いなしだ!グワハハ!」
不思議だ。自分でも驚いている。獣人が負けていいと思えることなど、まず有り得ない。負けたなら死ぬほど悔しい。
だが、不思議と悔しさはなく晴れやかな気持ち。50年近く生きてきた中で最高に興奮した闘いだった。獣人の未来は明るい。
「リオンさん。もう夕方です。よかったら晩ご飯にしませんか?お酒もありますし肴もボクが作ります」
「いいのか?腹は減ってるが…獣人の男3人、不味い肴で乾杯か。だが、それでこそ獣人だ!グワハハ!」
マードックが溜息をつく。
「アンタはまた驚くことになんぞ」
「なんだと?」
居間の食卓に獅子と狼の獣人が仲良く座る。
「お前がいると部屋が狭いな」
「アンタに言われたくねぇ」
「昔から思ってたが、狼なのになんでそんなにデカいんだ?」
「知らねぇよ!」
身体がデカい俺達とは対照的なウォルトが料理を持ってきた。
「酒と肴の準備ができました。マードック用に仕入れておいた良質の酒です」
食卓にはウォルトが作った料理と肴が並ぶ。
「美味そうに見えるぞ?」
「召し上がって下さい」
「有り難く頂くか!」
「あぁ」
一口食ってみるととんでもなく美味い。目を見開いてしばらく黙った。
「おい、ウォルト。魔法といい料理といい、お前は何者だ?中身は人間か?毛皮を着てるのか?」
そうとしか考えられん。俺の知る獣人じゃない。
「白猫の獣人です。口に合いましたか?」
「信じられんくらい美味い。てっきりただ肉を焼いたやつが出てくるとばかり」
「だから言ったろ。驚くってな」
マードックは遠慮せず料理を食って酒をグイグイ飲んでいる。コイツは闘ってもいないくせに食い過ぎだ。それよりなにより…。
「お前には負けられん。とんどん飯をくれ。酒もだ」
「いい歳して張り合うんじゃねぇよ」
「歳は関係ない。獣人だからだ。なぁ、ウォルト」
「そうですね」
その後、張り合うようにして満腹になるまで食った。大食い対決は決着つかずだな。
「お前は若いから歳の分だけ俺の勝ちだ」
「ざけんな。言い訳すんじゃねぇ」
「ウォルト、ご馳走になった。こんなに美味い飯は久しぶりに食ったぞ」
「人の話を聞けや!」
「口に合ってよかったです」
笑顔のウォルトは酒と肴を残して後片付けを始めた。去って行く背中を見ながらマードックに訊く。
「アイツには色々と驚かされる。若く見えるが幾つだ?」
「俺と同い年で21だ」
「そんなに若いのか。俺の知ってるベテランの魔導師にもあんな魔法を放つ奴はいない」
「俺も知らねぇよ」
若いとは思ったが、まだ20歳過ぎとは。信じられない奴だ。
「ちなみに、こないだアイツと【獣の楽園】の5階層まで行ったぜ。かなり余裕でな」
「なんだと!?いや…そうか…。アソコは魔法が使えるなら攻略がかなり楽になる」
魔法を操るアイツとなら踏破も可能かもしれん。
「アンタも気付いてるだろうが、アイツの真価は魔物と闘うときにわかる。アンタに見せた魔法は…」
「使える魔法のほんの一部。しかも、かなり威力を抑えてるだろ?それであの威力か」
俺を吹き飛ばした魔法も殺さない程度に威力を抑えていたはずだ。魔物部屋の話もそうだが、闘いの中での立ち振る舞いや魔法を操る技量を見れば本気には程遠い。
なにより俺の冒険者としての勘がアイツはこんなモノじゃないと告げている。
「対人じゃアイツのホントの怖さはわからねぇ。魔物に食らわす魔法を見たら度肝抜かれるぞ。魔法が視えねぇエッゾにもアイツの魔法は視えたんだとよ」
「視えない者にすら視える魔法か。とんでもない奴だ」
そんな会話をしながら酒を呷る。しばらくして、ウォルトが自分のお茶を淹れて戻ってきた。
「おい。さっきの話の続きを教えろや」
「さっきの…?ボクがリオンさんに恩があるって話か?」
「それだ」
「ウォルトが俺に?」
そういえば、会ったときからそんなことを言っていたな。しばし考え込んでみても心当たりがない。
「アンタがいくら考えても無駄だ。コイツのこと覚えてなかったくせによ」
「確かにな。俺は獣人だから細かいことは忘れる!グワハハ!だが聞きたい」
俺とウォルトにどんな縁があったのか。
「お前にはつまらない話だと思うけど」
苦笑いのウォルトが語り始める。
★
遡ること6~7年前。フクーベの街でのこと。
「ぐぅっ…!」
ズザッ!と路地裏の冷たい地面に顔を埋めるウォルト少年。嘲笑しながら見下ろすのは数人の獣人達。
地面に這いつくばるウォルトは、フクーベに来てから毎日のように謂れのない因縁をつけられては、殴られたり蹴られたりと痛めつけられていた。
その日も、『友達が睨まれた』と身に覚えのない理由で路地裏に連れ込まれ、いきなり殴り倒された。
「おぅ!どう落とし前つけんだ!?テメェのせいで、コイツが怯えちまって仕事にならねぇ」
「…ボクは…なにもしてない」
「あぁん?コイツが睨まれたって言ってんだよ!嘘吐いてるってのか!おぉ!?」
「……そうだよ」
「テメェ…。人のダチを嘘吐き呼ばわりか!クソ猫がよぉ!!」
「グゥッ!」
反論したことに激怒した少年は、這いつくばるウォルトを蹴る。
腹を、顔を、胸を、足を。
丸まって体を守る少年をひたすらに蹴る。
その後は馬乗りになって殴る。己の気が済むまで…。顔が腫れようと血が出ようと、やめようとはしない。
「グウッ…!ガァッ…!やめてくれ!」
「調子に乗るんじゃねぇぞ!この虚弱体質のクソ猫ヤローが!死ねやっ!!」
周囲の者も誰も止めようとはしない。ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて、目の前の光景を楽しんでいる。加勢とばかりに蹴る者もいる。
しばらくすると、少年は殴り疲れたのか立ち上がって、体を守る力も無いウォルトに唾を吐きかけた。
「ゴミがよっ!テメェみたいに弱っちぃ獣人の面汚しは死んじまえ!次会ったとき生きてたら今度こそ殺してやる!」
ハハハッ!と高笑いする少年達の様子を、ウォルトは力無く横たわって見つめていた。
悔しくて自然に涙が流れる。
そんな時、聞き慣れない声が聞こえた。
「お前らこそ獣人の面汚しだな」
「…なんだと!?」
少年達が振り向くと、そこには立派なタテガミを携えた獅子の獣人が立っていた。
「なにか言ったか…?オッサンには関係ねぇだろうが。黙ってろや!」
1人の少年が獅子の獣人に噛みついた。
「あぁ。関係ないな。だが、俺も獣人の面汚しをほっとくワケにはいかないんでな。たった1人を寄ってたかって囲んで殴るようなクソ……いや、クソに失礼か。ウジ虫みたいな獣人は」
「オッサン……死にてぇんだな!」
「テメェにも地ベタを舐めさせてやらぁ!」
「コイツと一緒に生ゴミにして捨ててやるよ!」
少年達は一斉に男に跳びかかった。
「頭が悪い奴らだ。見てわからないのか?」
男が大きな拳を構えると、そこからは一方的だった。跳びかかった少年達は、文字通り一撃で沈められていく。3分と持たずに全員が地ベタを舐めていた。
「もっと鍛えろ。お前らは弱すぎる」
そう吐き捨てるとウォルトに近寄った。しゃがみ込んで話し掛ける。
「おい。大丈夫か?」
「はい……」
男はボロボロになったウォルトの身体を起こす。そして気付いた。
「お前、いい身体してるじゃないか。なんでやり返さない?」
「ボクは……鍛えても非力で…」
小さな頃からずっと体を鍛えていたが、誰にも力で勝ったことはない。なにもしてない奴にすら軽くあしらわれる。
「お前はバカだな」
「えっ…?」
「鍛え方が足りてない。まだ、ここをこうやって鍛えればだな…」
男は鍛えきれていない部分を指摘する。ウォルトは意味もわからず相槌を打った。
一通り話し終えて男は立ち上がる。
「獣人は色んな種族の中でも生まれつき強靭な肉体を持ってる。だが、強さの伸びしろは人それぞれだ。身体はできる限り鍛えろ。負けたくないだろ」
「でも…ボクみたいな獣人は、鍛えても無駄です……。貴方みたいには…なれない…」
「無駄?鍛えるだけ鍛えて相手に力を見せてやれ。獣人の武器はまず自分の身体だ。それで勝てなきゃ違うモノを探して使え。剣でも手甲でもなんでもいい」
獣人は武器を持つことを嫌う。凶器を使うことは格好悪いと蔑まれるから。
「そんなの……卑怯なんじゃ…」
「なぜだ?強さは持って生まれた才能だけで決まるか?鍛えても強くなれない奴は、抵抗せず殴られて死ぬまで這いつくばって生きていくのか?」
「……わかりません」
「お前がいいならそうしろ。ただ、獣人らしく強くありたいなら、なんでもいいから強くなる方法を必死に探して相手をぶちのめせ。お前だって獣人だ。悔しいだろ」
「そんなモノ……ないです…」
鍛える以外で強くなろうなんて考えたこともなかった。
「なにかあるはずだ。俺の知ってる若い獣人は剣や鎖鎌なんかを使う。お前と同じで痩せっぽちだがソイツは強いぞ」
「自分の…武器…」
男は笑顔を見せて告げた。
「お前が強くなるか弱いままかはやってみないとわからん。もし、自分が強くなったと思ったら俺のとこに来い。その時は力を見て正直に判断してやる」
「貴方の……名前は…?」
「俺はリオン。冒険者だ。じゃあな」
「リオンさん…」
名を告げて、路地裏から立ち去る大きな背中を見つめた。
★
黙って話を聞いていたリオンは、思い出したかのように顎に手を当て口を開く。
「そんなこともあったな」
「嘘つけ。絶対ぇ覚えてねぇだろ」
「むぅ…。バレたか…」
全く覚えてない。記憶力はいい方だが、これっぽっちも覚えてない。酒を飲んでた可能性もあるな。苦笑いのウォルトが続ける。
「今でも鍛えられるだけ鍛えてます。さっきの闘いでリオンさんの打撃に耐えられたのは、そのおかげです」
「俺は随分偉そうなことを言ったな」
「そんなことありません。ボクは…結局鍛えても強くなれずに街から逃げ出しました。でも、リオンさんの言葉を忘れたことはなくて、街を出てから運良く自分の魔法に出会って今も磨き続けてます。あの言葉があったからボクは昔より強くなれました」
獣人なのに殊勝な奴だ。
「そうか。ウォルト」
「はい」
「俺は殴られてたお前のことを覚えてない。だが、お前は間違いなく強くなった。胸を張れ!グワハハ!」
「ありがとうございます…」
★
ウォルトは想いが込み上げて胸が熱くなる。
今日リオンさんを見た瞬間、あの時の光景を鮮明に思い出した。そして、マードックの様子から手合わせに来たであろうことに気付いて、とにかく全力でぶつかってみようと…今の自分の強さを見てもらいたいと思った。
出し惜しみせず、魔法を使わない全力から使う全力まで見せられたと思う。あの時のお礼も伝えられてよかった。
あの時リオンさんと話せたから強い獣人への憧れが強くなった。それはボクの心に今も火を灯してる。身体を鍛え続けているのもそうありたいから。
リオンさんみたいな人助けなんてできないけれど、フィガロと同じくらい格好よくてボクの憧れ。
「ところで」
「なんでしょう?」
「お前、番はいるのか?」
「いません」
「そうか。お前の子種は獣人の宝になる!俺が女を送り込んでやるから、どんどん子を作れ!グワハハ!」
リオンさんはとんでもないことを言い出した。なぜかご機嫌で、笑いが止まらないみたいだ。突然のことに困惑する。
「あのぉ~…ボクは…」
「心配するな!お前はマードックのような野蛮さに欠けるからな!優しいのが好きな女を探しておく!」
「誰が野蛮だ。リオンさんよ、コイツは俺の妹と番になるからほっといてくれ」
「なにぃ!?それはいい!マードックの力とウォルトの魔法を兼ね備える獣人……。反則だな!だが、その時はフィガロ越えは確実だ!獣人は更に強い種族になる!グワハハ!」
ボク抜きで勝手に盛り上がってる。強い獣人が生まれるという想像だけで酒が進んで仕方ないのか。本当に獣人という種族が好きで…誇りを持ってるんだな。
それは置いといて…。
「マードック、勝手にそんなこと言うと…」
「んだよ?サマラより知らねぇ女を送り込まれるほうがいいってのか?」
「それはない」
「だったら黙ってそういうことにしとけ!ガハハハハ!」
獅子と狼は楽しそうに酒を呷る。今はそういうことにしておこう。
★
リオンとマードックは、笑顔のウォルトに見送られて街への帰路についた。夜の森を歩きながら言葉を交わす。
「どうだった?満足したかよ?」
「あぁ。大満足だ。最高に興奮した。ウォルトのような奴と闘える機会なんてまずない。アイツは闘うの好きじゃないんだろ?」
「そうだ。今回はアンタが相手だったから話が早かっただけだぜ。人助けはするもんだな!ガハハ!」
「揶揄うな。だが、俺がアイツが強くなるきっかけになったのなら喜ばしい」
「ヤケに褒めるじゃねぇか」
「当然だ。獣人が魔法を使えるようになるまでに、どれほどの修練が必要だ?たとえアイツが獣人離れして賢いとしても、エルフのように恵まれた魔法の才能があるとは思えん」
「むしろねぇだろ」
「お前の言う通りで、魔法を戦闘の中で使いこなすために想像できないような苦労と修練を重ねてる。アイツが言うように常に磨き続けてるんだろう。若いが尊敬できる獣人だ」
「アンタにそこまで言わせるか。ところで、これからどうすんだ?」
リオンはマードックの問いに少し思案して答える。
「また少し旅に出る。今日みたいに想像もしない奴に会えるかもしれん。それに…」
「なんだよ?」
「今度はウォルトとお前に勝たなきゃならんからな!お前らに負けず俺も修行だ!グワハハ!」
「そうか。悪ぃが俺も負けねぇよ!ガハハハ!」
その後、絡んでくる魔物を文字通り蹴散らしながら街に戻った。