145 獅子の昔馴染み
フクーベの街。
まだ昼だというのに、薄暗い路地裏で獣人に絡まれている男がいる。獅子の獣人で、鍛え抜かれた大きな体躯に金色のタテガミが特徴的。若く見えるが年の頃は桑年を過ぎている。
体毛には白髪が交じって顔に刻まれた深い皺。通常、獣人に白髪が出始めるのは桑年過ぎという特徴がある。
一方、男に絡んでいるのはウォルトの知り合いでもあるティーガ、ボルゾー、コーリンの3人組。すれ違ったときに肩がぶつかったが、謝罪がないと因縁をつけて男を路地裏に連れ込んだ。
「おい!おっさん!どういうつもりだ?テメェのせいで肩の骨が折れそうだったぜ!コラァ!」
声を荒げるティーガに、まったく怯む様子もなく男が答える。
「獣人のくせにお前が貧弱だとしか言いようがないな」
飄々とした男の態度にティーガ達は苛立ちが隠せない。しかも、昔もこんなことがあった気がして無性にイラつく。
「テメェ…。誰が貧弱だと…?」
「お前らだ。獣人はいつから大袈裟な物言いで他人に絡むような貧弱になった?ケンカを売るなら堂々と売れ。恥ずかしい奴らだ」
怒るティーガの様子など気に留めることもなく男は嘲笑する。
「この野郎…。死にてぇのか…」
「俺を殺す?虎と犬じゃ無理だな。あと、冷たい思いをすることになるぞ」
逆上した3人が一斉に男に跳びかかる。
「なに言ってやがる!ジジイが!死ねや!」
男は溜息をついて拳を構えた。
「いいぞ。獣人はこういうところだけは変わらんな」
★
「うぐぅっ…」
「口ほどにもない。もっと鍛えろ」
ティーガ達を見下ろす獅子の獣人。
5分と保たずにどこぞの若造は冷たい地面に這いつくばった。意識があるのは…辛うじて虎男だけか。つまらん。
「うるせぇ…。クソジジイがぁ…」
「元気がいいのは嫌いじゃないが、相手の力を見誤ると早死にするぞ。いや、犬死にか?虎死に?」
う~ん…と考え込む。
「よくわからん!獣人だからな!グワハハ!」
直ぐ真顔に戻りしゃがみ込んで虎男に尋ねる。
「おい。知ってたら教えろ。この街にマードックって獣人がいるだろ?どこにいる?」
「教えるかよ…。クソが…」
吐き捨てて気を失った。威勢だけは一丁前だが、闘いではクソの役にも立たん。コイツらになんの興味も湧かない。
立ち上がって路地を出る。仄暗さから解放されて、陽の光に反射する立派なタテガミを風に靡かせながらあてもなく歩き出す。
さて、どこから行くか。まずは情報がいるな。しばらく歩くとギルドが見えてきた。昔と変わってない。歩みを止めず一目散に突き進む。
中に入ると、クエストを探したり、待ち合わせをしている風の若い冒険者が数名いる。その他には…若い受付嬢がいるだけか。
受付に向かい受付嬢に訊く。
「すまんが人を探してる。マードックという名の獣人を知らないか?」
「マードックさん…ですか。失礼ですが貴方は?」
そう言われて、名乗りもせずに質問したことに気付く。怪しまれても仕方ない。
「俺はリオンと言う。知り合いなんだが、どこに住んでるか教えてもらえないか?」
「申し訳ありません。ギルドではお答えできかねます」
「そうか」
俺を知っていてくれたらよかったが、若い職員では仕方ない。別の方法で探すか。時間はある。踵を返してギルドを出ようとしたところで、背後から呼び止められた。
「おい!リオン!」
振り返ると、駆け寄ってくる懐かしい顔。
「クウジか。久しぶりだな」
「あぁ。いつ帰ってきたんだ?」
「さっき着いたばかりだ」
年を取ってるが、あまり変わらんな。まぁ人間の微妙な変化は俺にはわからん。白髪の交じった黒髪に、いつの間にか立派な口髭を蓄えているが、相変わらず痩せている。ちゃんと飯を食ってるのか怪しい。
「お前は、こんなところでなにしてる?」
「こう見えてギルドマスターだ」
「グワハハ!お前がギルマスか。偉くなったもんだ。まぁ、適任か」
「簡単に言うな。かなり荷が重いんだぞ。とりあえず俺の部屋に来い。訊きたいことがあるんだろ?」
「大したことじゃない。マードックの住み家を訊きたかっただけだ」
「マードックの?なにか用か?」
「俺がアイツに用と言ったら1つしかない」
クウジは呆れた表情に変わった。
「お前は…何年ぶりかに戻ってきて直ぐにそれか?」
「そのタメに戻ってきたようなもんだ。グワハハ!」
ギルドの中に響き渡るほどの声量。
「まぁいい。とにかく茶ぐらい飲んでいけ」
「頂くとしよう」
クウジはが受付嬢に「お茶を」と声をかけて付いてこいと言う。歩きながら訊いた。
「おい、クウジ。最近の若い獣人はどうなってる。弱っちいくせに口だけは達者だ」
「獣人の事情には詳しくない。戻ってすぐ揉め事か?」
クウジはさらに呆れた顔をする。
「火の粉を振り払っただけだ。俺からは仕掛けてない」
「そうか。俺は別に獣人が変化したとは思わない」
部屋に辿り着いて入るよう促され、ソファに対面で腰掛ける。
「マードックはもうAランクだ」
「妥当だろう。驚くようなことじゃない」
「お前が帰ってくることは?」
「言ってない」
「相変わらず自由だな」
お茶を淹れた受付嬢が入ってくる。
「ありがとう」
「…はい」
ほぅ…。ギルマスの特権というヤツか?この娘も可哀想にな。俺達にお茶を差し出すと軽く会釈をしてすぐに部屋を出た。
どうでもいいが、昔馴染みのよしみで忠告しておか。
「クウジ。お前、女に飢えてるのか?」
「なんだ急に?」
「今の娘、お前のいやらしい視線に耐えられない顔をしていた。いギルマスでもやめたほうがいい。それとも愛人か?」
「なんでそうなる?!俺はそんな目で見たりしてないぞ!愛人でもない!おかしなことを言うな!」
「いや、見ていた。誤解なら謝れ」
「相変わらずワケのわからんことを…」
★
ギルドマスターのクウジは眉をひそめる。
リオンは昔から時折ズレたことを言う。俺はそんな目で彼女を見ていない。確かに美人で魅力的だが断じて違う。普通に接しただけだ。
ただ、困ったことにリオンの発言はあとから影響を及ぼすことがある。しかも、決まってよくない方向で。意味不明な能力だ。
「そんなことより、マードックの住み家は教えてもらえるのか?」
「1つ約束してくれたらな」
「なにをだ?」
「街中では問題を起こすな。冒険者が問題を起こすと立場上黙っていられなくなる」
「いいぞ。街中でなければいいんだろ?」
「そういう問題じゃない…が、それで構わん」
その後、マードックの住み家の場所を訊いたリオンは軽く礼を告げてギルドを去った。
入口で見送ったあと、若い冒険者達に声をかけられる。
「ギルマス。さっきの獣人は誰なんですか?とんでもないオーラを発してましたね」
「お前達は知らないのか?リオンという名の冒険者だ」
「リオン…。…あっ!まさか【獅子王】リオンですか!?」
「そうだ」
リオンを知る者も少なくなった。今は冒険者パーティーを組んでいないが、一昔前はフクーベのAランクパーティーで前衛を務めた獣人で、勇猛果敢に闘う姿と風貌から【獅子王】の異名が付いた。
強さも折り紙付きで、当時の冒険者達…特に獣人にとって憧れの的であり、控え目に言ってもフクーベでは最強の獣人だった。
様々なパーティーを渡り歩きながら冒険者として活躍していたが、年齢とともに衰えを感じたのか10年ほど前に突然「もうパーティーは組まない」と宣言した。
その後しばらく1人で活動していたが、数年前に放浪の旅に出て行方知れずだった。
「知り合いなんですか?」
「一時期、俺はパーティーを組んでた」
「へぇ~!リオンさんはまたフクーベで冒険するんでしょうか?」
「どうだろうな。なにか目的があるだろうが、俺にもわからん」
現時点でわかることは、マードックと闘いたいということだけ。あの2人なら心配ないと思うが、再会したら果たしてどうなるのか。
「さぁ。俺は仕事に戻る。お前達も冒険に行くのなら気を付けろ」
「はい!」
仕事部屋に戻るなり直ぐにドアがノックされた。
「マスター。ちょっとよろしいですか?」
「む…。なんだ?」
入室したのはベテラン女性職員のラビ。ギルド女性職員のリーダー的な存在で、人望も厚く職場を上手くまとめてくれる信頼の厚い女性だ。団子のように頭頂部にまとめた黒髪と、幅の広い黒縁眼鏡がよく似合っている。
「聞き捨てならない話を耳に挟んだもので。お茶を淹れた若い子を、いやらしい目つきで舐めるように眺めたそうですね」
「なっ…!俺はそんなことしてないぞ!」
「そういった行為は控えて頂きたいと、常々申しておりますが…?」
掛けている黒縁の眼鏡を、指でクイッ!と持ち上げた。その仕草を見て焦る。
彼女は温厚かつ知的で、まず怒ったりすることはない沈着冷静な女性だが、怒らせるとギルドでも断トツで怖いと言われていて、俺も異存はない。
そして…彼女の眼鏡を上げる仕草は怒り始めているサインであることを知っている。今の発言を言い訳と捉えたのだろう。
「ラビ!誤解だ!俺はそんなことしていない!神に誓っていい!本当だっ!」
「リオンさんは気付いている風だった…と聞いていますが?」
「うぐっ…!」
「マスターを信じたいところですが、彼女は男性の視線に敏感な体質なのです。今後は気を付けるようお願い致します。彼女には私から上手く話しておきます。あと、お困りなら…早めに花街に行くのをお薦めします」
会釈をしてラビは去った。1人で頭を抱える。
またか…。全く心当たりがないが、リオンの言ったことが正しかったということ。正直ワケがわからん。アイツにはなにが見えてるんだ?それとも俺がおかしいのか…?
久しぶりに味わったリオンの洗礼。そして思い出した。理解できなくてもリオンの発言を信じて行動すれば危機を回避できることを。共に冒険していた頃、何度か味わっていたのにすっかり忘れていた。
恐らくさっきの一件も、直ぐ彼女に誤解だと伝えていれば回避できたかもしれない。今となってはあとの祭りだが。
随分長いこと女性と触れあっていないのは事実。部下に花街をすすめられるようなギルドマスターではダメだと、せめて恋人を作る努力をすることに決めた。