142 憧れだった女性
フクーベの街外れに、大きな屋敷がある。
フクーベで最大の商会を構えるランパードという商人の住居で、商品を取り扱う商会も隣接している。
若い頃から商才に優れていたランパードは、まだ40過ぎの若さにもかかわらず一代で富を築いた。
人間にしては大柄な体格と、それに見合った豪放磊落な人物で、成金と言って差し支えないが恨みを買うような所業は行わず、真っ当な商売で儲けてきたやり手である。
そんな男の、富の象徴といえる屋敷の一室で主は病床に臥せていた。
「旦那さん。大丈夫かい?」
ベッドの直ぐ傍に置かれた椅子に座る麗しい黒猫の獣人キャロルが訊くと、ランパードはベッドで横になったまま答える。
「俺は…もうダメかもしれん…」
「なに言ってんだい。そんなことないだろ」
「生まれてこの方、こんなに調子が悪くなったことはない…」
「弱気になっちゃいけないってんだよ」
「すまんな…。守ってやると…約束したのに…」
「死ぬと決まったワケじゃなし。死ぬ直前に謝りな」
キャロルが微笑みかける。ランパードの身体に毛布をかけ直すと、椅子から立ち上がって告げた。
「アタイが医者を探してくる。それまで待ってな」
「商会の伝手で探した医者でもわからないんだ。やめておけ」
「気が済むようにやらせてもらう。らしくないじゃないか。最後まで足掻きなよ」
「そうだな…。足掻いてみるか…。すまんが…頼む」
「はいよ」
しっかりした足取りで部屋を出た。
屋敷の門の前に立って人を待つ。さて…前もって便りは出しておいから、ちゃんと届いてたらそろそろ来てくれると思うけどねぇ。
待ち合わせの時間までは少し早いけど、屋敷に向かって歩いてくる獣人の姿が見えた。
ちゃんと届いてたか。それにしても、相変わらずでかいねぇ。近づく程に大きさを増す獣人。知り合いのAランク冒険者。
「久しぶりだね。マードック」
「おぅ。久しぶりだな」
「急に頼んですまないね。忙しいだろうに」
「気にすんな。お前には世話になってっからな」
ガハハハ!と豪快に笑ったかと思えば、直ぐ真顔に戻って訊いてくる。
「ランパードが調子悪ぃってのはマジか?」
知ってるのかい。まぁ旦那さんは顔が広いからねぇ。
「ホントさ。病気のことはわからないけど、本人はひどく落ち込んじまってね」
「医者はなんつってるんだ?」
「原因不明らしい。診た感じではどこも悪くないんだとさ」
「どこも悪くねぇのに具合悪いってのか?おかしいだろ」
「そうとしか言いようがないらしい。色んな医者に診せたけど皆お手上げだ」
顔の広い旦那さんの伝手で多くの医者に診てもらった。でも、返ってきた答えはもれなく「原因不明」だった。
「そうかよ。で、今日はどうすんだ?医者でも探しに行くんか?」
「当てがなくて思案してるのさ。アンタにも訊いてみようと思ってたんだよ。誰か知らないかい?」
「医者…ねぇ…。俺は世話になんねぇからな」
怪我だけなら治癒師で事足りる。身体の強い獣人は、そうそう医者にかかることはない。
マードックは、しばらく考え込むようにしてニヤッ…と笑った。
「大体お前がわからねぇなら無理だろ。行く当てがねぇなら、駄目元で行ってみっか」
「どこへ行くってんだい?」
「俺の知ってる薬を作れる奴のとこだ」
マードックと並んで街を歩くと、道行く男達はこっちを見ては鼻の下を伸ばしてる。うざったくて、いつまで経っても慣れやしない。
「ククッ!相変わらずだな」
「自慢にもなりゃしないよ」
認めたくはないけどなぜか男を惹きつける体質で、面識のあるマードックを呼んだのは面倒事に巻き込まれないよう護衛をお願いするタメだ。
「ランパードのおかげで、だいぶ暮らしやすいんだろ?」
「アタイは旦那さんに頭が上がらないよ」
ランパードの旦那さんとは、街で男に絡まれてるところを助けてもらったことが縁で知り合った。
男が寄ってくる体質のせいで街の生活に辟易してたけど、旦那さんは普通に接してくれて「よかったらウチで働け。商会なら人を集めるのも仕事の内だからお前は適任だ。なんなら護衛もつけてやるから心配するな!ワハハ!」と面倒を見てくれた。
その内にアタイが旦那さんの愛人って噂が流れて、手を出しにくくなったのか変な男に絡まれることも少なくなって格段に暮らしやすくなった。
事実じゃないのに「お前が嫌じゃないなら否定しなくていいぞ。その方が楽だろ?ワハハ!」と笑い飛ばすような男だ。
そんな男が、原因不明の体調不良で寝込み落ち込んでいる。なんとか力になりなってやりたいねぇ。
「旦那さんには治ってほしいのさ」
どうしたらいいのかねぇ。
「とりあえず、原因がわからねぇと話になんねぇだろ」
「王都の高名な医者に診せるしかないか」
「今から行くとこで話してみろや。なんとかなるかもしれねぇ」
「だから、どこに行くんだよ?」
「着いてからのお楽しみだ!ガハハハ!行ってたまげんなや」
「はぁ…。意味がわからない。アタイも暇じゃないんだけどねぇ」
マードックに付いていくと、フクーベを飛び出して動物の森を歩く。今日は天気もよくて気持ちいい。
「変なとこに連れて行くつもりじゃないだろうね?」
ジト目のアタイをマードックは鼻で笑った。
「連れてかねぇよ。俺にはお前の色気も効かねぇ」
「そういえば、彼女ができたらしいじゃないか。熊の子は可愛いねぇ」
「お前の情報網はどうなってんだ…?誰にも言ってねぇぞ」
「秘密だよ。会話のネタにちょっと調べただけだから、それ以上はなにも知らないのさ」
自分で言うのもなんだけどフクーベじゃ情報通だ。表も裏も関係なく幅広い情報と人脈を持ってる。特に女性絡みの情報については耳が早い。
マードックには冒険に関する情報収集を頼まれてることもあって、こっちも色々頼みやすい。
「この森に薬師がいるってのかい。噂すら聞いたことないけどねぇ」
フクーベの外までは詳しくない。知りたがりは死にたがりだ。頼まれたとしても、必要なこと以外は調べない。自ら進んで闇に足を突っ込むのは御免だ。
「ソイツは薬師じゃねぇ。しいて言やぁなんでも屋みてぇなもんだ。…っと、着いたぜ」
森を抜けた拓けた土地に立派な一軒家が建ってる。こんなところに誰が住んでるってんだい?
「行くぞ。向こうはもう気付いてるかもしれねぇがな」
「はぁ?」
歩を進めると、住み家の角から白い毛皮が見えた。遠目に見る顔に懐かしさを感じる。モノクルをかけた碧い瞳の…白猫の獣人…。
「まさか………ウォルト?!」
一目散に駆け寄ると、ウォルトも歩み寄ってきた。
「キャロル姉さん…。久しぶりだね…」
「…生きてたのか!?お前って奴は……」
「ココで暮らしてたよ…」
少しの間俯いて……バッと顔を上げると同時に思い切りウォルトの頬を張った。モノクルが外れて地面に落ちる。ウォルトは一切避けなかった。ただ申し訳なさげに俯く。
「お前がっ…!急にいなくなって……どれだけ心配したかわかってるのかっ…!アタイも……サマラもだっ!!」
声を張り上げ涙が零れないように堪える。マードックはしかめっ面で黙ったまま。
「ゴメン…」
なにを今さら…っ!!
「お前がっ…!1人で森に行ったって聞いてっ…!探したけど見つからなくてっ……!もう……ダメだって…!今頃になって……なんなんだよぉっ!!」
堪えきれず涙が零れた。しゃがみ込んで顔を隠し嗚咽を漏らす。
「うぅ~っ…!うぅぅぅ~っ!!うわぁぁっ…!!」
「キャロル姉さん……。ゴメン…」
アタイの人生で、唯一可愛がった弟分がウォルト。
出会ったとき、田舎から出てきたウォルトは路地裏で男共に殴られてた。それを介抱したのがきっかけで知り合った。
話してみるとすごく純粋で優しい奴だと思った。よく一緒にいたサマラも気に入ったアタイは、まとめて可愛がることに決めた。
同じ猫の獣人って理由もあったけど、男に悩まされる体質だったアタイは、獣人らしくなくても優しくて賢いウォルトを好ましく思って可愛がったんだ。
力がないってだけでゲスな男共に蔑まれていることを知っていたから、なんとかしてやりたいと思いながら大して力になれなかった。
ウォルトは女のアタイに守られるのは嫌そうだった。男のプライドだったんだろう。
アタイのことを「キャロル姉さん」と呼んで慕ってくれた弟分は……なにも告げずに姿を消した。別れの一言もなしに。
姿を消したあと、とにかく手当たり次第情報を集めたりサマラと一緒に探した。「森に行くのを見た」と聞いて探しに行ったり、冒険者の知り合いに見かけたら教えてもらうよう頼んだり。それでも見つからなくて、失踪から1年が過ぎた頃「もうウォルトは死んだんだ」と自分の中で踏ん切りをつけた。
忘れたかったんじゃない。もし生きていたら…許す自信がなかった。なにも言わず姿を消して、アタイやサマラを死ぬほど悲しい気持ちにさせてくれた可愛い弟分を。
「デカくなったじゃないか。チビだったくせに」
「うん…」
泣くだけ泣いたアタイは、ウォルトに抱きついて素直に再会を喜んだ。結局アタイはウォルトが生きていて…元気でいてほしかったんだ。
だから…。
「ウォルト!アタイに誠心誠意謝りなっ!」
「なにも言わず急にいなくなって本当にゴメン…。姉さんには一言伝えるべきだった…」
「許してやる!」
「えぇっ!?」
「勘弁してやるよ。アンタは死にたいほど辛かったんだろう?」
「…姉さん。ありがとう…」
「湿っぽいのは終わりだよ。もう忘れた」
ウォルトは苦笑いだ。身体は大きくなっても表情はあの頃と変わってないねぇ。
★
キャロル姉さんの突然の訪問に驚き、そしてあの時のことを謝罪できたことで少しだけ心が軽くなった。
「キャロル姉さん、もの凄い美人になったね」
「口が上手くなったじゃないか。お世辞言うんじゃないよ」
「ボクはお世辞は言わない」
見た目に似合わない姉御肌な喋り方。懐かしい気持ちに浸る。
キャロル姉さんは、同じ猫の獣人ということもあってフクーベにいた頃のボクを本当に可愛がってくれた。本当の姉のように慕っていて、恋愛感情はなかったけど憧れの女性だった。
なにも言わずに街を出たあと、心配してくれたのもわかってる。本当に心優しくて面倒見がいい姉だったから。
今さらなにを言っても言い訳にしかならないし、謝りようもない。だから、できることで恩返しをしたい。
「ところで、マードックと姉さんは揃ってどうしたの?」
会えたのは嬉しいけど当然の疑問をぶつけてみる。
「マードック…。話してみろって言ったのはウォルトにかい?」
「そうだ。訊いてみろや」
「話は家の中で聞くよ。入ってくれ」
連れ立って住み家に入る。まずはお茶を淹れよう。それぞれお茶を差し出した。
「花茶かい。いい香りだねぇ」
「…クッ!」
「…美味いじゃないか!茶葉からアンタが作ったのかい!?」
「そうだよ。口に合ってよかった」
「おかわりもらおうか」
「わかった。マードックは?」
「寄越せ」
マードックはコップを差し出す。気に入ってくれたか。
「アンタが茶をお代わりするなんて珍しいねぇ」
「けっ…!」
「マードックが飲んだのは、お茶というより酒のお茶割りなんだ」
「へぇ。美味しそうじゃないか」
お代わりを飲み終えた姉さんが口を開く。
「今日は、アンタに訊きたいことがあって来たんだよ」
「どうしたの?」
ランパード商会長の現状について、説明してくれる。
「医者でもわからない症状で寝込んでるのか」
「マードックからアンタは薬を作れるって聞いたのさ。もしわかればと思ってね」
信じてくれるのか。
「いくつか訊いてもいい?」
「なんでも聞きな」
「医者にはどこも悪くないって言われたのか?」
「そうさ。どこにも異常がないらしい」
「本人はなんて言ってる?痛いとか辛いとか」
「今まで経験がないくらい調子が悪いんだと。それしか言わない」
「どこも痛くないのに調子が悪い…」
さすがに情報が少なすぎる。素人だけどまったくわからない。
「詳しく訊きたいから、ランパードさんに会える?」
「必要なら会わせる。けど、アンタはいいのか?」
「なにが?」
「フクーベに行きたくないだろ。無理しなくていい」
気遣いが嬉しい。姉さんは昔から変わらないな。
「大丈夫だよ。別に住むワケでもないし」
「そうかい。なら、せめて夜に行くよ。人が少なくなってからだ」
「ありがとう。だったら晩ご飯を作る」
「昔より腕を上げたのかい?」
「多分ね。姉さんの口に合うといいけど」
「料理好きは変わってないか。会わなかった間の成長ぶりを見てやろうかねぇ」
「期待に添えるように頑張るよ」
酒のお茶割りをがぶ飲みしながら、マードックが忠告する。
「おい。面倒くせぇから晩飯食っても驚くなや」
「はぁ?アンタはなにを言ってんだい?」
「ちっ…!わかってねぇ奴に言っても無駄か」
晩ご飯を食べた姉さんは、「アンタは黙って料理人になりな!」としつこく詰め寄ってきて宥めるのに時間を要した。