138 お袋の味の裏側
その日は、朝から肌寒かった。
カネルラでは珍しいことであり、獣人にとっては喜ばしいこと。世界には1年を通して寒冷な国もあるが、カネルラは年中温暖。
人間にとっては過ごしやすい気候であっても、毛皮を纏い暑さを苦手とする獣人にとっては、お世辞にも暮らしやすい国とは言い難い。
そんなカネルラでも、亜季節は涼しさが増して獣人に優しい季節。今日は珍しく肌寒さを感じるくらいまで冷え込んだ。
そんな日に、ウォルトやサマラの故郷である【トゥミエ】の町には、心配事を抱えた猫の獣人の姿があった。
「ストレイ。昨日涼しかったよね?」
「む…。そうだな…」
ウォルトの両親であるストレイとミーナが、夕食の後のんびりお茶をすすっている。
ストレイは、ミーナがなぜそんなことを訊くのか思案した。
いつも突然だが…昨日と今日は確かに少し肌寒い…。だからなんだと言うのか…?
「心配っ!あぁ、心配になってきた!」
「…?」
首を傾げていると…ミーナが説明する…。
「ウォルトよウォルト!あの子寒がりでしょ?今頃1人で凍えてると思うの!」
「む…」
俺も…ウォルトが寒がりなのは…当然知っている…。だが…ミーナの考えは…ちょっと大袈裟に思えた…。アイツも…大人だ…。ずっと…1人で生活している…。心配いらない…。
「誰にも助けてもらえなくて、この世の終わりみたいな顔で死にかけてるのよ!こうしちゃいられない!様子を見に行ってくる!!」
「落ち着け…。アイツも…子供じゃない…」
「いや!ウォルトは子供よ!私が産んだんだもん!」
そういうことを言ってるワケじゃない…と思ったが…既にミーナの心は暴走を始めている…。こうなったら…俺には止められない…。ミーナの…心の動きについていけるスピードは…残念ながら俺にはない…。
「子供が体調を崩したときこそ、お袋の味で癒してあげなきゃ!……ん?」
ピタリと動きを止めて…考え込んでいる…。俺は…ゆっくり首を傾げた…。気になる言葉を口にしたな…。お袋の…?
「ストレイ!私のお袋の味ってなに?」
「む……」
しばし…考え込む…。お茶をすすりながら『なにか…ニャ…?』とか言いそうな顔をしてみるも…まったく思いつかない…。それもそのはず…ミーナは『秘伝の疲労回復スープ』しか作れない頑固一徹な猫…。
番になってから…一度もミーナの手料理を食べたことはない…。それは…ウォルトも同じはず…。つまり……ミーナのお袋の味は…まだ誕生してない…。超…大器晩成型の三毛猫…。
だが…わくわくした表情で俺の答えを待っている…。『早く教えて!ニャにかあるでしょ?』と言いたそうな表情だ…。実際…『ニャにもニャい…』が…。
大きな身体でデーン!と構えて…無表情に見えるだろうが……俺は内心焦っている…。なにかしらの答えを出さないと…しばらく消沈するミーナを見ることになる…。それは避けたい…。ミーナには…いつも元気で明るく笑っていてほしい…。
熟考して出した結論…。
「カーユ…だな…」
「カーユがお袋の味?なんで?」
首を傾げながら素朴な疑問をぶつけてくる。
「昔…ウォルトと一緒に作ったろう…?」
「う~ん?」
そんなことあったかニャ~?と…首を捻っている…。だが…俺は覚えている…。思い出してくれ…。
「……あぁ~!!思い出した!昔ストレイが寝込んだときだ!」
「そうだ…」
ウォルトが5~6歳の頃…。俺が…体調を崩して…寝込んだことがあった…。多少の病気ならなんとかなるが…その時ばかりは…動けないほど体調を崩した…。そんなとき…「私に任せて!」と…殺猫料理人が意気揚々と立ち上がった…。
止める元気もなく…かなり体調が悪かった俺は…『最後に…ミーナの料理を食べて死ぬのも悪くない…』と…生きることを諦めたのを覚えてる…。だが…幼いウォルトが「ボクに任せて!」と…俺が作ったカーユを…見よう見まねで作り上げた…。
それは…見た目も味付けも…完璧なカーユで…俺はウォルトを褒めた…。今思えば…ウォルトはあの出来事をきっかけに…料理に目覚めたのかもしれない…。そして…ミーナはウォルトが作るのを…隣で黙って見つめていただけだったらしい…。
「懐かしいなぁ。苦い思い出だよ。5歳児に負けた母猫の気持ちはわからないでしょ?…」
「……」
思い出して…元気をなくしたミーナ…。予想外の反応に少し戸惑ったが…このまま続ける…。
「あのあと…ウォルトは言ってた…」
「なんて…?」
「ミーナが見ていたから…カーユを作れた…と…」
「そうなの?!」
「ミーナが見守ってくれたから…美味しく出来たと…」
「そんな…」
「あの味は…ミーナが一緒にいたから…出せたと…」
「アタシは…いつの間にかウォルトにお袋の味を伝授してたの?」
コクリと頷く…が、そんなはずがない…。存在しない味を…伝授できない…。そもそも…ウォルトはなにも言ってない…。だが……そんなこともある……かもしれないとこの場は押し切るべき…。
「だから…カーユはお袋の味…。俺は…あの味を覚えてる…」
「ストレイ…」
ミーナはつぶらな瞳を潤ませ…俺はほんの少し回想する。
体調が回復したあと…幼かったウォルトに告げられた言葉を…今でもよく覚えてる…。
『お父さん!カーユが毒にならないように母さんに触らせなかったよ!父さんの命はボクが守る!だから心配しないで!』
笑顔で語りかけてくる…幼いウォルトを褒めていいのか…叱っていいのか迷った…。結局…礼だけを伝え…優しく頭を撫でてやると…嬉しそうにしていたことを覚えている…。
もし…あの時…ミーナの料理を食していたら…俺はここにいないかもしれない…。そう思えば…ウォルトを褒めるべきだったのか…。未だに答えは出ない…。
事実を伝えるわけにはいかないが…俺が教えて…ミーナが作れそうな料理といえば…カーユくらいしか思いつかない。ミーナが…ウォルトのところへ向かうのは…もはや決定事項…。天地の法則…。覆すことなど…できはしない…。
ならば…多少の改ざんも…仕方ないことだ…。噓も方便という…。ウォルトの命と…ミーナの元気な姿を守るタメに…。
「ストレイ?どうしたの?」
ミーナの声で我に返る…。
「なんでもない…」
「そうと決まれば、カーユを作る練習しなきゃ!作り方を教えてくれる?」
「む…」
ミーナの言葉を受けて…気合いを入れた…。今からが……本番だ…。愛する妻とともに…台所という名の戦場へと向かった。