136 雑魚猫と田舎狼
仲間を吹き飛ばされた銀狼達は、一気に警戒を強めた。獣人が突然魔法を放ったことに驚いているようでもある。
そんな銀狼を無視して兄ちゃんは私に手を翳した。すると私の身体が光を纏う。
「なに…?」
「膜のように『強化盾』と『魔法障壁』を張った。魔法も物理攻撃も防ぐからアイツらの牙も魔法のような攻撃も通さない。このままジッとしててくれないか?」
微笑んでいるのにいつもと雰囲気がまるで違う。前に立つと毛が逆立って寒気が止まらない。兄ちゃんのことを……初めて怖いと思う。
「銀狼達をどうするの?」
「ボクは祖先を侮辱されるのは許せない。アイツらは、猫をただの雑魚…生まれながらの弱者だと言った。チャチャの祖先の猿もだ。ボクは猫人であって猫じゃないけど、どちらが雑魚か確かめる。殺す気で来るのなら、殺し合うだけだ」
★
怒りが全身を駆け巡る。
こんなに猫を侮辱する言葉を並べ立てられたのは初めて。過去に他の獣人から猫を蔑まれたことは何度もある。けれど、これほどまでに貶められたことはない。
ボクは弱い獣人で、嫌でも認めざるを得ない。紛れもない事実だからだ。でも、猫のせいじゃない。ボクは猫が祖先であることを弱さの理由にしたことも恨んだこともない。優しい猫の両親の元に生まれてよかったと思ってる。
この世は弱肉強食。自然の摂理だと理解してるつもりだ。猫や猿も厳しい生存競争の中で生きてる。弱ければ強い者に食われる。銀狼と争って負けてしまったなら食われるのも当然。
それでも…ただの自己満足かもしれないけど、ボクは自分の血肉になる獲物に敬意を表している。彼等のおかげで自分は生きていけるのだから。
だが、コイツからは微塵も感じない。挙げ句、弱い者はただ蹂躙されるべきだと…猫や猿は食われるタメに生まれてきたと宣う。そんな生き物がいるはずがない。
幼い頃から弱さゆえに虐げられてきた。だからそんな驕った考えは認めない。弱い者は黙って強者にひれ伏せ…という傲慢な考えでボクらの先祖や獣人を侮辱するのなら…やってやる。
『森の守護者』と気が済むまで命のやり取りを。徹底的に。どちらが弱者かハッキリするまで。
「アイツらを……銀狼の仲間を殺したらペニーが悲しむかも…」
「……そうかもしれない」
少しだけ冷静さを取り戻した。頭に血が昇って、ペニーのことがすっかり抜け落ちていた。
すると銀狼が跳びかかってくる。今度は2頭同時に。
「不意打ちか。さもしい田舎狼が」
「黙れっ!!生意気なクソ猫がっ!!」
「バラバラに引き千切ってやる!!」
「お前らにはできない。『捕縛』」
魔力の網に絡め取られて暴れる銀狼を見下ろす。喚き散らす銀狼を一瞥して『睡眠』で眠らせた。やはりコイツらと話なんてできない。チャチャを遠くに避難させてサヴァンに問う。
「今のはお前の指示か?弱者と蔑む猫を相手に不意打ちとは、田舎狼は卑劣な手段を好むようだな。ククッ!」
軽蔑するように笑うと、サヴァンはギリッ!と歯を食いしばって悔しさを嚙み殺している。
「ところで、猫を相手に銀狼は全員でくるのか?それとも、お前が1人で狩られるか」
「調子に乗るなよ雑魚がぁ…!!俺がテメェを食らってやるっ!!」
食らう…か。面白い。
「だったら他の銀狼は黙って見てろ。誰かがチャチャに手を出したら、その時は……里の銀狼を皆殺しにしてやる」
「お前らは下がってろ!」
サヴァンに言われた銀狼達は離れた場所へ移動する。
「弱っちぃクソ猫の分際で、銀狼にケンカを売ったことを後悔させてやる…。八つ裂きにして、腑をぶちまけながら森に吊してやらぁ!」
「お前にできるのか?威勢だけの下劣な狼に」
「ぬかせぇっ!!」
互いに駆け出した。
★
「なんてことだ…」
「信じられない…」
ギレンとパースは信じられないモノを目にしている。息子の友人である白猫の獣人が、里でも1、2を争う強者を闘いで圧倒している。
「グォッ…!ガァァッ…!」
目に映るのは傷ついたサヴァンの姿。
サヴァンは攻撃的な性格で荒くれ者だが、仲間意識が強くて頼れる銀狼。銀狼の中でも強さは折り紙付きで、森で里の誰かが襲われたりすれば真っ先に駆けつけて助けて帰ってくる。兄貴肌とでもいうのか。
そんな強さと男気ある銀狼が…痩せっぽちの猫の獣人に一方的に殴られ蹴られ、吹き飛ばされている。
しかも、ウォルト殿はほとんど魔法を使っていない。チャチャの言葉を受けてサヴァンを傷付けないよう闘っているように思えた。
正直、驚き以外の言葉が見つからない。まさかこれほど強い獣人だとは…。ペニーの言っていた意味がようやく理解できた。
さらに…。
「クソ猫がっ…!!食らいやがれっ…!」
銀狼の代表的な『狼吼』である雷撃も、軽く躱され魔法で防がれる。炎を吐こうと雷を落とそうと全く通用しない。少しの動揺も誘えないでいる。
「コレが…『森の守護者』の実力…?」
息1つ乱していないウォルト殿は、ガッカリしたような口調でサヴァンに言葉を浴びせた。
「クソ獣人が…。テメェは……許さねぇっ!」
「だったらどうする?」
「お前ら!猿のガキを殺れ!コイツらを生かして里から出すなっ!!」
だが、銀狼達は指示には従わず行動するのを躊躇っている。それも当然。
「話を聞いてくれるから助かる。お前以外は確かに『森の守護者』に相応しい」
ウォルト殿は、チャチャに手を出したら里の銀狼を皆殺しにすると告げた。彼を見ていればわかる。脅しではなく警告だと。
散々侮辱され、与える必要もない条件を提示することによって自制して怒りを堪えているだけ。警告を無視してチャチャに危害を加えるつもりなら、俺達は覚悟しなければならない。どちらかが殲滅されるまで終わらない闘いが始まることを。
闘いを目にして仲間達は気付いている。目の前の獣人が本気かそうでないか、できるかできないかを判別できないほど銀狼は阿呆ではない。
戦闘中に焦る様子は微塵もなく、冷静に強者のサヴァンを手玉にとり底知れない力を秘めているのが一目瞭然。この猫人は、優しい表情の裏に凶悪な力を隠している。
仮に他の銀狼達がチャチャに手を出したとしても、俺が阻止してみせる。
それで彼が納得してくれるかはわからないが…やるしかない。
★
「…クソがぁ!どいつもこいつも気に入らねぇっ!!」
「根性と負けん気だけは認める」
「うるせぇ!雑魚の分際で!死ねやっ!」
サヴァンが駆けながら吐いた炎を『魔法障壁』で防ぎ、飛び込んできたところを『身体強化』で思いきり殴りつける。
「ウラァァッ!」
「グゥゥァッ…!」
ザザッ!と地面を滑るサヴァン。直ぐに起き上がって睨んでくる。
「お前が『森の守護者』とは笑えない冗談だ」
「黙れっ!!テメェらは…黙って俺らに食われてろ!俺らが森を支配してんだ!」
この銀狼は……どこで間違えたのか自分を『森の支配者』だと勘違いしている。そんな銀狼に問う。
「お前は食われる者の気持ちを考えたことがあるか?」
「食われるだけの雑魚に気持ちもクソもあるか!逃げることしか頭にねぇんだからな!テメェをぶっ殺したら、この森の猫と猿を皆殺しにしてやる…。そこのガキもだ!あの世で見とけ!」
溜息を吐く。コイツとは一生わかり合えない。そう確信して静かに覚悟を決めた。
チャチャとペニーには悪いけど、祖先を皆殺しにすると息巻くコイツを生かしておけない。守護者なんかじゃなく害獣だ。
理屈じゃなくて猫の獣人としての矜持。ただ純粋な怒りと衝動を以てコイツを殺してやる。
「だったらお前も逃げ回ってみろ。死ぬ直前に懺悔すればいい」
『火焔』
サヴァンに向けて翳した掌から、巨大な炎が発現する。灰すら残さず燃やし尽くしてやる。
「あぁ…あっ……。ひっ…!」
サヴァンは動かない。さっきまでの威勢はどこへいった?
「どうした?逃げないのか?だったら、そのまま燃え尽きろ」
魔法を放った瞬間……声が聞こえた。
「ウォルト!なにやってるんだ?」
気の抜けるような聞き慣れた声。かなり遠くから聞こえた。声のした方向を向くと、遠くから駆け寄る友達の姿。ペニーが尻尾を振り回しながら疾走してる。
元気そうな姿を目にして自然に表情が緩むと、『火焔』を解除して炎は途中で霧散する。サヴァンは泡を吹いて倒れていた。無視してペニーに向き直る。
「ウォルト~!」
一切の躊躇なく突っ込んできた。しっかり受け止めたけど、勢いを殺しきれず尻もちをつく。身体が一段と成長してるな。
「久しぶりだな!どうしたんだ?!」
ボクの上に乗って尻尾をブンブン振りながら訊いてくる。
「ペニーに会いに来たんだ。チャチャと一緒に」
「チャチャと!?」
ペニーは周りを見渡して、チャチャを見つけるとすぐさま駆け出す。
「チャチャ~!」
「ペニー!」
すぐさま魔法を解除したチャチャもペニーを受け止めきれず倒れてしまった。ペニーは尻尾を振りながらチャチャに頬擦りしてる。チャチャも尻尾がくねくね動いて嬉しそう。
「久しぶりだな!強くなったか!?修行してるか!?」
「多分ね。ペニーに負けないように私も頑張ってるよ」
「そうか!」
ボクらは状況も知らずに興奮するペニーとの再会を喜んだ。
その後、吹き飛ばしたり魔法で眠らせた銀狼の手当をする。気絶したままのサヴァンにも『治癒』をかけた。その間に、ギレンさんが仲裁してくれて興奮する銀狼達を丸く治めてくれた。
「ギレンさん。面倒をかけてすみません」
「お気になさらず。サヴァンもいい薬になったでしょう。根は悪い奴ではないのですが今回は度が過ぎています。祖先を侮辱するなど、同じ立場なら我々も激怒しています。それと、逆恨みで猫や猿を狩るようなことはさせません。安心して下さい」
「ありがとうございます」
ギレンさんの気遣いに深く感謝した。
★
実際のところ、ギレンは銀狼達を丸く治めていない。
「化け物みたいな獣人を相手に誰も死ななくてよかった」と銀狼達は胸を撫で下ろしていたのだが、ウォルト殿には言えない。
サヴァンが逆恨みで猫や猿を狩ったとして、そウォルト殿に知られたら次は里が滅ぼされかねないと皆が協力してくれることになった。
やはり皆が気付いていた。彼の本当の実力はあの程度じゃない。銀狼の力、速さ、狼吼、全てが通用しなかった。サヴァンは掛け値なしに全力だったのに。
最後の凶悪な炎を目にして誰もが驚愕し、強がりなどではなく里の銀狼を殲滅するだけの力を持っているのだと理解した。
必要ならば全力で対抗するが、敵対せずに済むならそれに越したことはない。ウォルト殿は理性ある知的な獣人で逆鱗に触れなければ友好関係を築ける。
我々は基本的に多種族を蔑むようなことはしない。ある理由から排他的になっているだけ。特に…獣人は。
ウォルト殿がこちらの心中に気付く様子は微塵もなく、住み処に戻ってペニーにも事情を説明した。複雑な表情を浮かべたが「皆が無事でよかった」と笑った。
「チャチャ。ゴメンね」
ウォルト殿がチャチャに謝る。
「なにが?」
「ボクは本気で『火焔』を放つつもりだった。チャチャの気持ちもわかってたのに。踏み留まれたのはペニーが名前を呼んでくれたから。ただそれだけなんだ」
「仕方ないよ。サヴァンは私達の祖先をバカにしすぎ。私も許せなかった。謝る必要ないよ」
「そう言ってくれると助かるけど、ボクのせいで銀狼の里にはもう来れないかもしれない」
すると…いきなりチャチャが正面から抱きついた。驚いているウォルト殿と、顔を埋めたままのチャチャ。2人は番なのか?
「別にいいよ。兄ちゃんの家で会えばいい」
「ありがとう」
「あと…猿のタメに怒ってくれて凄く嬉しかった…」
「ボクら獣人は祖先を尊敬してる。当然だよ」
「正直、さっきの兄ちゃんは怖かったけど…」
「怖がらせてゴメン」
「けど格好よかったよ。強かった」
「そんなことないさ」
チャチャの頭を優しく撫でると、抱きつく力が強くなる。
「くっついてどうしたんだ!?番にでもなるのか?!」
「違うよ。チャチャと話をしてたんだ」
「……別になってもいいけど」
チャチャはなにやら呟いた。
「えっ?なに?」
「教えないっ!!」
チャチャはしばらく胸に顔を埋めたままだった。ウォルト殿とペニーは揃って首を傾げている。
見ていた俺とパースは苦笑い。チャチャの耳は真っ赤に染まっていた。