この婚約、なかったことにしてください~幸福の王子の嫁探し。四人の花嫁候補のうち、だれが王妃になるのだろうか?~
月並みな書き出しで恐縮ではあるが、昔々ある国に一人の王子がいた。
名君と呼ばれる国王の世継ぎとして生まれた王子は、大変に聡明な人物であると国中に知られていた。中でも、人間観察については目を見張るものがあり、服のしわ一つ見ただけで、その人物の出自から生業まですべてを見抜いてしまうほどであった。また、この手の物語によくあるように、大変な美形であることも追記しておこう。
聡明にして慈愛あふれる若者は、すべての国民を愛していた。またすべての国民に愛されるよう努めていた。国民も――とりわけ若いご婦人たちもまた、この聡明にして慈愛あふれる王子を愛していた。
非の打ちどころのない王子であったが、一つだけ欠点があった。それは、妃がいないことである。常に国民のことを考えている王子は、政務に没頭するあまり、女性と触れ合う機会がなかったのである。
いい年をして浮いた噂一つない王子を案じた国王は、王子を呼び出しこう命じた。
「我が息子よ。妻を娶るのだ」
「妻、でございますか。父上?」
「左様。お前ももう、良い年じゃ。妃を迎え、世継ぎを設けることは、王族としての責務と知れ」
「御意」
王命とあれば、是非もない。恭しくうなずくと、父である国王に向かって王子はたずねる。
「して、陛下。我が妻には、どのような女性を選べばよろしいのですか?」
「そこは、それ。おぬしの裁量に任せよう。しかし、王子の選ぶ妻はいずれこの国の王妃となって、この国を導いていかねばならぬ身であることを忘れてはならぬ。そなたの慧眼をもってすれば、必ずや良き妻、良き妃を探し当てることができると余は信じておるぞ」
「ははっ!」
王に命じられた王子は早速、妃探しに乗り出した。
将来の花嫁を見つけるべく、王子はまず舞踏会へと向かった。
閉鎖的な貴族社会では、若い男女が出会う機会はそう多くはない。城内で夜ごと開かれる舞踏会は、若い男女が集まる数少ない社交の場である。
王子の狙い通り、舞踏会の会場には多くの女性たちがいた。着飾った女性たちは、いずれも若く、美しかった。
一見、華やかに見える舞踏会のその裏には厳格な規則というものが存在する。
まず、決してご婦人の方から声をかけてはならない。選ぶのは常に男性側。一曲いかが、などと声をかけるなど、もってのほかである。では、意中の殿方に誘われるにはどうすればいいのかというと、ただひたすらに待ちの一手である。壁際に控えて男たちの気を引こうと、愁眉を送るのである。
居並ぶ女性たちの中にあって、公爵家令嬢はひときわ輝いていた。
深紅のドレス。大きく開いた胸元には真珠の首飾りが輝いていた。豊かに波打つ髪は、ダンスの邪魔にならないように、高く結い上げていた。
王子に向けて熱い視線を送るその様は、まさしく大輪のバラであった。意味ありげな視線に導かれるように近づくと、公爵家令嬢に向かって王子は手を差し伸べた。
「一曲、踊っていただけますか?」
「はい、王子様。よろこんで」
差し出された手を取ると、二人は広間の中央へと足を踏み出した。
オーケストラの演奏に合わせ、二人は軽やかにステップを踏んでゆく。公爵家令嬢のダンスの腕前は、見事なものであった。押せば引き、引けば押す。王子のリードに任せつつ、自由闊達に自らのステップを踏んでゆく。その動き一つ一つが、彼女の性格を如実に表していた。周囲への気配りをしつつ、自己主張することも忘れない。まさしく、淑女の中の淑女である。
一曲踊り終えるころには、彼女の全てを知り尽くしていた。そして王子は、彼女こそ自分の妻にふさわしい女性であると確信した。
オーケストラの演奏が終わると同時、王子はその場で結婚を申し出た。
「あなたは素晴らしい女性だ。気高く美しいそなたこそ、私の妻にふさわしい。どうか私の妻となってください。そして、王妃となってこの国を共に支えようではありませんか」
「はい、王子様」
相手は一国の王子である。また、王子でなかったとしても、彼が素晴らしい青年であることは、公爵家令嬢も承知していた。断る理由などあるはずもなく、公爵家令嬢は二つ返事で王子の求婚を受け入れたのである。
早速王子は、未来の妻を伴って国王の元へと向かった。
「父上、私の妻となる女性を見つけました!」
「そうか、王子よ。して、どのような女性なのだ」
「彼女です。彼女こそが、未来の妻です」
そういって、王子は未来の妻を紹介した。美しき公爵家令嬢を一瞥するなり、国王は首を振った。
「駄目だ。二人の結婚を認めることはまかりならん」
「なぜですか、陛下。彼女のどこに、妃として不足があるというのですか?」
「その娘は、あまりにも美しすぎる」
「それのどこがいけないというのですか。美しい王妃は、国の顔として相応しいではありませんか」
「それがいけないというのだ、王子。美しすぎる妻は、家中に不和を招く恐れがある。巷間伝わる騎士物語にもあるように、美しき王妃と従士の道ならぬ恋というのはよくある話だ。わかってくれ、王子よ。国を預かる我ら王族にとって、王家を傾ける憂いは万に一つもあってはならないのだ。残念だが、王子。この婚約は、無かったことにするほかあるまい」
父である国王の命に逆らえるはずもなく、公爵家令嬢と王子の二人の仲は引き裂かれてしまった。
王国の未来のため、泣く泣く身を引いた公爵家令嬢であったが、しかし、この悲劇の女性を世間は放っておくことはなかった。その美貌と、舞踏の才あふれる彼女に、舞台監督が目を付けるのに、それほど時間はかからなかった。王子の元婚約者というスキャンダラスな肩書は、芸能界にあっていささかも枷となることはなかった。公爵家令嬢は舞台女優として人気を博し、王国の文化芸術の促進に尽力したと言われている。
一方、王子は失恋の痛手が癒えぬ間もなく、次の妃選びへと向かった。
次に王子が向かったのは、商業組合主催の晩餐会である。
商家の主催する食事会は、年頃の娘を持つ親にとっては大事な見合いの場でもあった。
良家へ嫁がせるため、商家の主たちは独身貴族たちを積極的に晩餐会へと招いた。首尾よく貴族と縁を結ぶことができたならば、商家の繁栄につながるのである。
晩餐会に備え、商家の子女たちは厳しくしつけられていた。特にテーブルマナーに関する礼儀作法は、専用の講師を雇って徹底的に仕込まれていた。庶民の間ではいまだ手づかみで食事をしている現在、カトラリーは上流階級の持ち物である。商家の娘たちは、テーブルに並んだフォークやナイフを巧みに操り、食事を口に運んでいた。
その中の一人、貿易商の娘に王子は目を止めた。
彼女の作法は完璧であった。今日のメニューは舌平目のムニエル。貿易商の娘はナイフできれいに骨を取り除き、フォークで身を一つ一つ取り分けてゆく。
優美に魚を獲り分けるその姿に、王子は大いに感服した。付け焼刃のマナーでは、こうはいかない。その作法には、漁師から料理人にいたるまで、すべての人々に対する敬愛に満ち溢れていた。
全てを食べ終えると、皿の上に見事な骨格標本が出来上がっていた。それを見て王子は、彼女こそ自分の妻にふさわしい女性であると確信した。
会食を終えると、その場で王子は求婚した。
「あなたは素晴らしい女性です。敬愛に満ち溢れたそなたこそ、私の妻にふさわしい。どうか私の妻となってください。そして、王妃となってこの国を共に支えようではありませんか」
「はい、王子様」
相手は一国の王子である。また、王子でなかったとしても、彼が素晴らしい青年であることは、商家の娘は承知していた。
王子の求婚に、貿易商の娘は一も二もなくうなずいたのである。
早速王子は、未来の妻を伴って国王の元へと向かった。
「父上、私の妻となる女性を見つけました!」
「そうか、王子よ。して、どのような女性なのだ」
「彼女です。彼女こそが、未来の妻です」
そういって、王子は未来の妻を紹介した。賢そうな貿易商の娘を一瞥すると、国王は頭を振った。
「駄目だ。二人の結婚を認めることはまかりならん」
「なぜですか、陛下。彼女のどこに、妃として不足があるというのですか?」
「見た所、彼女は商家の娘のようだ」
「それのどこがいけないというのです。商家と縁を結べば、王国の財政も潤うではありませんか?」
「それがいけないというのだ、王子。商家は己と使用人たちのために働く。断じて国のために働くことはない。一つの商家を肩入れすることになれば、人心をたちまち失うことになるだろう。わかってくれ、王子よ。民に対して国王は常に公明正大でなければならないのだ。残念だが、王子。この婚約は、無かったことにするほかあるまい」
父である国王の命に逆らえるはずもなく、商家の娘と王子の二人の仲は引き裂かれてしまった。
王国の未来のため、泣く泣く身を引いた商家の娘であったが、娘以上に嘆き悲しんだのがその父親である貿易商の主だった。王家と縁を結ぼうという目論見を打ち砕かれ、貿易商は大いに嘆き悲しんだ。失意に暮れる父に代わって、貿易商を切り盛りしたのは婚約を破棄された娘であった。家の大事に、いつまでも泣き暮れているわけにはいかない。幸か不幸か、新たに迎えた女主人の商才は父以上であったらしく、その後、貿易商は大いに栄えたと言われている。
一方、王子は失恋の痛手が癒えぬ間もなく、次の妃選びへと向かった。
次に王子が向かったのは馬上槍試合であった。
意外なことであるが、馬上槍試合は男女の出会いの場でもあった。馬上槍試合には、自らの武芸を誇るべく騎士たちが国中から集まってくる。そして、雄々しき騎士たちが死力を尽くして戦う姿を一目見ようと、貴婦人たちもやってくる。泥臭い馬上槍試合の裏では、華々しい男女の恋のさや当てが繰り広げられているのである。
来て早々に、王子は自分が来る場所をまちがえたことに気が付いた。馬上槍試合に集まる娘たちは、どれも軽佻浮薄な娘ばかり。騎士たちに向かって黄色い声援を送るその姿には、貴婦人としての嗜みなど微塵も感じられなかった。到底、妃にふさわしい女性は見当たらなかった。
嫁探しをあきらめ、王子は馬上槍試合見物を決め込むことにした。試合は、白熱していた。騎士たちの戦いぶりは素晴らしく、どの試合も見ごたえのあるものであった。中でも、一人の騎士の活躍が際立っていた。全ての試合をストレートで勝利をおさめ、瞬く間に優勝してしまった。
王子が真に驚いたのは、試合後であった。表彰式の壇上に立ち、面頬を上げると、そこにあったのは女の顔であった。むくつけき男たちをなぎ倒したのは、艶やかな女騎士だったのである!
勇ましき女騎士の姿を目にして、聡明な王子は彼女こそ自分の妻にふさわしい女性であると確信した。
表彰式の壇上に駆け寄ると、その場で王子は求婚した。
「あなたは素晴らしい女性です。古今無双の武芸の腕前をもつあなたこそ、私の妻にふさわしい。どうか私の妻となってください。そして、王妃となってこの国を共に支えようではありませんか」
「はい、王子様」
相手は一国の王子である。また、王子でなかったとしても、彼が素晴らしい青年であることは、女騎士も承知していた。
王子の求婚に、女騎士は一も二もなくうなずいた。
早速王子は、未来の妻を伴って国王の元へと向かった。
「父上、妃となる女性を見つけました!」
「そうか、でかしたぞ。王子よ。して、どのような女性か?」
「彼女です。彼女こそが、未来の妻です」
そういって、王子は未来の妻となる女性を紹介した。勇ましい甲冑姿の女騎士を見て、国王は静かにかぶりを振った。
「駄目だ。その娘との婚姻を認めるわけにはいかん」
「なぜです。一体彼女のどこに不足があるというのです」
「その娘は、武人のようではないか」
「それのどこがいけないのです。彼女の武芸の腕をもってすれば、王国の軍事はより盤石なものとなるではありませんか?」
「それがいけないというのだ、王子。武人が妃となれば、侵略の意図ありと隣国を刺激することになるだろう。わかってくれ。王子よ。王族として国民を戦火にさらすようなことは、万が一にもあってはならぬのだ。残念だが王子よ、この婚約はなかったことにするほかあるまい」
父である国王の命に逆らえるはずもなく、二人の仲は引き裂かれてしまったのである。
その後、失意の女騎士は、王子への思いを胸に秘め辺境へと旅立った。
盗賊たちが跋扈する治安の乱れた辺境の地は、彼女の武勇を振るうのに最適の場であった。失恋の痛手を埋めるように、盗賊退治に専心した。やがて女騎士は、盗賊退治の功を認められ辺境に領地を与えられ、女領主として領内の安堵に努めたと言われている。
一方、王子は失意を癒えぬ間もなく次の妃選びへと向かった。
しかし、舞踏会、晩餐会、馬上槍試合と、立て続けの婚約破棄に、さすがに当てがなくなった。
考えあぐねた王子は、あてどなく街を散策することにした。
城下には多くの人々が集まっていた。勿論、年頃の娘も多くいる。手当たり次第に歩き回れば、一人ぐらいは妃にふさわしい女性に巡り合えるだろうという目論見である。
果たして、城下には多くの娘たちがいた。市井の女たちは上流階級の女性にはない活力に満ちあふれ魅力的であった。しかし、王子の妻となると話は別である。王子の妻は、いずれは王妃となって国を導かねばならぬ身。そこいらの娘に、到底勤まるものではない。
街を行き交う人々を見つめ、王子は途方に暮れた。世の中にはこんなにも多くの女性がいるのに、相応しき女性がいないとは。一体、将来の妻はどこにいるのだろう?
無暗に歩き回ったところで、都合よく運命の人と巡り合えるはずもない。歩き疲れた王子は、とりあえず一休みできる場所を探した。都合のいいことに、一軒の居酒屋を見つけた。裏通りにひっそりとたたずむ居酒屋は、いかにも流行っていないらしく人目につかず腰を落ち着けるにはちょうど良い店であった。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、威勢のいい女の声が出迎えた。王子とほぼ同い年だろうか。この店は若女将一人で切り盛りしているらしく、厨房にいるのは彼女一人だけだ。
カウンターに腰を落ち着け、とりあえず酒と簡単なつまみを注文すると、ほどなくして注文の品を持って戻ってきた。
安酒はひとまずおいて、王子はまず、つまみの山菜の煮浸しに口をつけた。一口すると、王子は目を見張った。山菜を湯がいて、塩を振っただけの煮浸しだというのに、実にうまい。ゆで加減、塩加減、ともに絶妙であった。一口かじると、柔らかの歯ごたえと共に心地よい苦みが口に広がり、野趣あふれる山菜の香りが、口から鼻に抜けた。
一見簡単な料理であるが、これほどの味を出すには、とてつもない手間暇がかけられている。この山菜もおそらくは、自分で採ってきたものに違いない。自ら山奥に赴き、適度に育った山菜を選りすぐってきたのだろう。それを、根の部分だけ切り落とし、湯がいてあく抜きをして、煮浸しにする。
その丁寧な仕事ぶりに、聡明な王子は彼女こそ自分の妻にふさわしい女性であると確信した。
瞬く間に煮浸しを平らげると、王子はその場で求婚した。
「あなたは素晴らしい女性だ。その細やかな心遣いこそ、私の妻にふさわしい。どうか私の妻となってください。そして、王妃となってこの国を共に支えようではありませんか」
「はい、王子様」
相手は一国の王子である。また、王子でなかったとしても、彼が素晴らしい青年であることは、若女将も承知していた。
王子の求婚に、若女将は一も二もなくうなずいた。
早速王子は、未来の妻を伴って国王の元へと向かった。
「父上、妃となる女性を見つけました!」
「そうか、でかしたぞ。王子よ。して、どのような女性か?」
「彼女です。彼女こそが、未来の妻です」
そういって、王子は未来の妻となる女性を紹介した。
みすぼらしい若女将の姿を見て、国王は大きくうなずいた。
「見事だ、王子。彼女こそ、次代の王妃にふさわしき女性だ」
「おわかりいただけますか、父上。彼女のすばらしさが」
「わかるとも、王子よ。その娘、一見して大した器量ではない。これならば、臣下との浮気の心配もないだろう。そのみすぼらしいなりを見るからに、財産のある家柄にも見えない。それならば、王国の権勢を借りて私腹を肥やすこともないであろう。もちろん武芸の心得などあるはずもない。彼女を脅威とみなす国などあるはずもない。どこをどうとっても、何のとりえもない、ただの町娘にしか見えん。人畜無害な、我が王国に憂いを与えるものは何一つない娘だ。我が王国の妃として迎えるに、申し分がない女性だ」
「それでは、父上。私たちの結婚をお認めくださるでしょうか?」
「ああ勿論だとも。父として王として、二人の結婚を祝福しよう」
「よかった。愛しい人よ、喜んでください!」
そういうと王子は、未来の妻の手を取った。
「父上が二人の仲を認めてくださった。これであなたと結婚することができます」
「……え?」
若女将の反応は、王子が期待していたものとは違った。
小刻みに目を瞬かせ、視線を逸らすその様を見れば、王子の鋭い観察眼を用いるまでもなく婚約を喜んでいないことは明白であった。
「どうしたんだい。愛しい人よ。私と結婚できるのだよ。王妃になれるのだよ。うれしくないのかい?」
「だって、話が違うじゃありませんか」
「話? 話って、なんのことだい?」
「だって、私。あなたと結婚するつもりなんてなかったんですもの」
若女将は言うと、王子の手を振り払った。
「国民は皆、王子様のことを「幸福の王子様」と呼んでいます。王子様と婚約して、その婚約が破棄されると、その女性は皆幸せになれると。だってそうでしょう? 公爵家の令嬢も、貿易商の娘も、女騎士も、王子様の婚約が破棄された後、皆さん大層に出世されているじゃありませんか」
唖然とする王子に向かって、若女将はとどめの一言を投げつけた。
「私の夢は自分の店を大きくさせることなのです。王子様の元婚約者が経営する居酒屋だと知れ渡れば、きっと繁盛間違いなしです。お妃さまになんてまっぴらごめん。そういうわけですので、残念ですが王子様、この婚約はなかったことにしてください」
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