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第二部3  『準備』

 伊里谷とジェフは射撃場シューティングレンジを確認した。上海の支部から車で走って数分のところに射撃場がある。ジェフ曰く、この店舗はMI6シックスと繋がっているらしく、職員だと判断出来れば安価に使用出来る場所だった。通常、銃の持ち込みは出来ず店舗の銃を使うことにしている決まりだったが、MI6シックスの職員は個人で銃の持ち込みは認められていた。もっとも、伊里谷が使っている銃がグロッグのため、取り立て騒ぐような代物でなく一般客も気にしていない様子だった。


 クロエは案外簡単に見つかった。射撃場で昼からずっと射撃を繰り返しているようであった。グロッグを両手で構えてテンポよく的に撃ち込んでいた。表向きは、キリエがクロエの保護者ということになっていた。今日もキリエが同伴になりながらの訓練だった。


 クロエの射撃は小刻みなテンポで撃ち込まれていた。着弾はまとまって的に当たっていた。


「いい腕だ」


 ジェフは感心しながら呟いた。素直にクロエの腕を褒めていた。


「ああ」と伊里谷は生返事をする。クロエの腕は認めているが、先日の件があってから素直に言えなかった。


「まだあんな子どもなのに」


 ジェフは柄にもなくボソッと言った。それは少女とも呼べる年齢であるにも関わらず異常な腕前を披露してるのは誰から見ても明らかだった。彼女クロエが使用しているグロッグはカーボン製の軽い銃だ。それこそ腕力のない女性でも手軽に使用できる銃として売り出している側面もある。素人が使っても着弾率も高い銃であるが、少女が黙々と銃を撃っている姿は異様であった。


「年は関係ない。腕はいい。そこは信頼はしている」


「信頼ねぇ」


 クロエは弾を撃ち終えるとボタン操作で射撃ボードを手繰り寄せていた。ほとんど急所を撃ち抜いていた。ボードを外して新しいボードに付け替えるとまた黙々と撃ちはじめる。近くにいたキリエは手元のタブレットで何かを入力していた。今日の訓練の記録を取っているのかも知れなかった。


「霧絵はどう思ってんだろう」

 

「クロエを現場に出したくないと思ってるのは間違いないだろうな」


「相棒も消えて満足ってわけか」


 ジェフの言葉に伊里谷は顔をしかめる。皮肉なのは分かっていたが、あまり気分のいいものではなかった。


「すまん。そう渋い顔をするな。お前を見てるとつい弄りたくなるだけだ」

 

 そんなやり取りをしていると、霧絵が二人の存在に気付いた様子だった。伊里谷とジェフが立っている入り口までやって来る。彼女もMI6シックス諜報員エージェントであり、同時に伊里谷を現場で作業をする諜報員エージェントとして雇っていた。つまり作戦では、伊里谷の直接の上司にあたる。


 伊里谷はMI6シックスの職員という形で雇用はされているが、要するに体の良いアルバイトのようなものだ。


 伊里谷は作戦の現地に赴き、毎回、危険な任務に携わっている。求められるスキルも高く誰もが出来る仕事ではないとは重々承知している。ジェフはそんな伊里谷の様子を見て「ジェームズ・ボンドも大変だな」と冗談を飛ばしていた。


 霧絵は黒髪で長髪の名前の通り日本人である。霧絵きりえ冬子とうこが彼女の本名だった。伊里谷と違い血筋だけではなく育ちも産まれも日本なのは彼女だけだった。だから伊里谷と霧絵は人種は同じでも、異なる人間だ。霧絵はきびきびとした表情をしている。


「ハーディ主任から話は聞いてるわね。あとで打ち合わせよ」


ジェフは「はいよ」と答える。いつものように軽薄な様子で答えるジェフを霧絵は無視して今度は伊里谷に聞く。


「伊里谷、いま大丈夫?」


「問題ない」


 そう答える伊里谷に霧絵がジェフに目配せする。表情が少し険しかった。


「ああ、分かったよ。俺も問題ないって。そう怒るなよ」


 霧絵は頷く。彼女は自分たち現場の補佐という立場ながら非常に上手くまとめている。伊里谷はそんな彼女の仕事ぶりを信頼していた。


 クロエが射撃場から出てきた。射撃用のヘッドホンを外している。銃やヘッドホンは彼女の身体に比べると異様に大きく見えた。


「何だ、皆で集まって」


「これから支社で打ち合わせよ。クロも来る?」


 霧絵は、ジェフには絶対見せない優しい笑顔で答える。ジェフは少し不貞腐ふてくされてれている。見慣れた光景だった。


「もちろんだ。ところで、伊里谷」


「何だ」と伊里谷は出来る限り、不愛想に答える。


「謝る気にはなったか」


「言っただろう。俺たちはもう相棒じゃない」


「つまらん男だ。もう少し気の利いたことは言えんのか」と、むすっとするクロエ。


 そういって霧絵の方に向かっていき二人仲良く手を繋いで先に向かってしまった。ジェフが嬉しそうに二人を眺めている。


「いいねぇ」


 ジェフがぼそりと呟く。そんな様子を見て伊里谷はあきれ顔をする。ジェフとはそこそこ長い付き合いだと思うが、この男の考えは未だに分からないことは多くある。


「あ、お前いま俺のことを馬鹿にしただろ! 俺には分かるぞ。付き合いの長さなめんじゃねぇ」


 ジェフは肩を掴んで寄りかかってくる。伊里谷はあまり寄りかかられるのは好きではなかった。振りほどこうとするが、ジェフはそんな様子を笑っていた。



                △▼△▼△▼△



『パシャッ!』と簡易的なシャッター音が室内に鳴り響いた。


 伊里谷は、スマートフォンのカメラで写真を撮られていた。写真を撮ったのはジェフだった。撮られているのは学生服姿の伊里谷。時間に余裕がないので、スマホで撮った写真を元に学生証用の写真を撮ることにしていた。


「ほんと写真写り悪いな。もう少しシャキッとしろよ」


 ジェフは写真の画像を見て愚痴をこぼす。


「シャキッとしているが」


 伊里谷なりに反論をぶつけているが、各自の反応は微妙なものだった。


「そんな間抜け面で学生証の登録にしてしまうのか? 少しは顔に気合いを入れろ」とクロエ。


「もう一回、撮ってみない?」と霧絵はフォローするように呟いた。


 次に支店の会議室を借りて、事前にキリエが用意した資料を眺めている。伊里谷にジェフに、そしてクロエも集まる。日本への滞在の際の打ち合わせだった。現地で偽名は使わない。


 偽名やカバーストーリーを使うのは、フィクションの世界ではよく見かけるが、実際には、偽造書や情報伝達に齟齬が発生し、そこから身元が割れてしまうというリスクは往々にして存在する。CIAでは現地に潜入した諜報員エージェントが現地の言葉を喋れずに身元が割れてしまったという冗談としか思えないような話も存在する。


「俺たち4人暮らしになるのか?」


 ジェフは与えられた資料を眺めながら言った。滞在は4人となってるが、それ以上の記載はなかった。キリエは呆れながらに答える。


「そんな訳ないでしょ。基本、伊里谷とクロエの二人で行動よ。私たちは短期留学生ってところで貴方達二人の知り合いって訳」


 ジェフはおいおいと突っ込みをする。


「んだよそれ、観光客じゃ駄目かよ」


「ジェフに同感だ。そもそも俺は日本語は得意じゃない」


 伊里谷は現地の学生として潜入する事に不満があり、つい口を漏らしてしまう。


「だから伊里谷を帰国子女で通すのよ。上はそういう判断を下したの」


「こいつが日本の学校に通うのかよ!? 冗談きついぜ!」


 ジェフはヘラヘラと笑っていた。伊里谷はへの字のむっつり顔をする。


「伊里谷が適任なのは間違いないわ。年齢的にも申し分ないし、このメンバーの中じゃ一番まともよ」


「そうかもしれないがよ」


 霧絵の言葉にジェフはそれ以上、何も言わず黙った。彼がある程度、納得したという意味でもあった。


 伊里谷は資料を確認するとパスポートや日本の学校への転入届が書かれていた。転入届を見ていくと伊里谷の保護者はキリエで遠縁の親戚ということになっていた。外国に赴任する両親の都合で日本の高校にやって来たという筋書きだった。


「日本で使う身分証よ。さっきジェフが撮った写真は日本で使うからね」


 伊里谷が何も知らないところで、どんどん日本に向かう準備が整い始めていく。


 要約すると、伊里谷は日本の学生、ジェフ、霧絵が大学からの留学生、そして霧絵が引率で預かって来日したという訳だった。だが、ここで問題がひとつあった。クロエだった。


「私も学生なのか!?」

 

 クロエは自分が大人として扱われることに嬉しそうに尋ねる。霧絵は少し反応に困りながら。


「クロはねぇ、ちょっと学生は厳しいかなぁ・・・・・・」


 霧絵が言葉を選ぶようにクロエに言った。


「俺たちも厳しいがな」


 ジェフが間を挟むが、霧絵は無視していた。


「日本で落ち着いたら、ちゃんと決めてあげるから」


「納得はいかんが、霧絵の言葉ならしょうがない・・・・・・。気長に待つとしよう」


 尊大に言い切るクロエ。伊里谷が初めて会ったときからクロエは霧絵と仲良くしている様子だった。面倒見の良い姉のような関係のためか、以前から二人は仲が良かった。


「なあ、さっきから気になっていたが何だよこれ」


 話を切り替えるようにして、ジェフは机に並べられた物を見て愚痴る。伊里谷が見るにおそらく日本に関連したものが並べられているようだった。日本語で書かれたパンフレットや本、他の職員が土産で買った日本語で書かれたTシャツ、中には日本製の酒やタバコ、果ては日本語で書かれたアニメのDVDや漫画などもあった。


「事務所にある日本っぽいものを集めたのよ」


 自信満々に霧絵は答えた。


「よく分からんが、これで日本という国が分かるのか?」


 伊里谷は口を挟む。


「当の日本人ふたりが大して持っていないんだから、こんなもんだろ」


 どこかトゲのある物言いに霧絵は顔をしかめた。


「それは悪かったわね。リュエリンさん」


 ジェフのことをリュエインと呼ぶときは霧絵が怒っている時である。数年、彼女と一緒に仕事をしてみて分かったことだった。


「そもそも日本っぽいものとは何だ」


 クロエが口を挟む。誰も答えない。それを見かねてクロエが自分で提案していく。


「男が先に風呂に入るとか」


「誰ですそんなことを教えたのはっ!」


 霧絵は、まるで母親のようにクロエを叱る。


「丹波哲郎だよ。日本の有名な俳優」


 クロエは平然と答えた。


「誰だその男は」


 伊里谷は何も知らないので質問する。


「コードネームはタイガー田中。有名な諜報員エージェントでもある」


 ジェフは面白おかしそうに答えた。何が可笑しいのか伊里谷には分からなかった。


「そうなのか。日本には俳優をしながら諜報員エージェントしているような奴がいるのか。変わった国だな」


「話を戻すわよ」


 話を遮るように霧絵は声を挙げる。彼女は少し怒っている様子だった。


「いい訳ないだろ、丹波哲郎だぞ」


 ジェフは反論する。彼の中の何かの琴線にでも触れたらしい。


「よく分からんがジェフは、その丹波哲郎という男に恩義でも感じているのか?」


 伊里谷の見当外れな返答に、霧絵は肩を落とした。ジェフとクロエは、けらけら笑っていた。

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