エピローグ 『帰路』
「一体、何の話だ」
伊里谷は開口一番、あきらに言い放った。
週明け、いつものように学校に通ったあきらは、先日、自分を助けてくれた伊里谷に声を掛けて、感謝の言葉を言おうとしたら知らない振りをされた。彼女は、何故、彼がこんな態度を取っているのか理解に苦しんだ。
「い、いや何の話ってことじゃなくて、君助けてくれたじゃない」
あきらの言葉を聞いても、伊里谷は心底、不思議な表情をしていた。まるで先日の端島の一件は何も知らないといった様に。
「シラを切るつもりなのね」
あきらの言葉に伊里谷は君は何を言っているんだの一点張りだった。
「私がどんな酷い目にあったのか。何も知らないって訳ね」
あきらの怒りにも似た言葉に、伊里谷はただ黙って首を縦に振っていた。
「伊里谷くん言ったよね。私を助けるって、そこから何でシラを切るの?」
あきらの言葉に、伊里谷は黙ってしまった。
「俺にも言えないことはある」
伊里谷の言葉にあきらは納得しない様子だった。
「いくら何でも嘘付くの下手じゃない?」
「君にだけだと思いたい」
伊里谷の真っ直ぐな返答にあきらは拍子抜けしたような顔になる。
「何か変なことでも言ったか?」
伊里谷の言葉にあきらは可笑しい様子で吹き出してしまった。
「いやぁ、何かさ、嘘付くのがここまで下手だと笑っちゃうよね。君スパイなのに」
あきらの言葉に伊里谷は答える。
「どう受け止めても構わんが、俺の考えは変わらない。それに俺はスパイじゃ無い。それに正しく言うなら諜報員だ。スパイなんて映画の世界で使うような言葉だ」
「はいはい、分かりましたよ。君が認めないってこともよく分かりました」
あきらの言葉に伊里谷は一つ付け加えた。
「だが、君に一つだけ言えることは、何があっても俺は君を守ることだ。これは嘘偽りない。安心しろ」
伊里谷の言葉にあきらは言葉に詰まり、そのまま顔を背けて黙ってしまった。
「どうかしたか?」
「別に」
そう言って、教室の扉がガラガラと開いていく。志帆が入ってきた。今の自分たちのやり取りは聞かれていない様子だったので、ふたりは少し安心した様子だった。
「あき、久しぶり。元気そうだね」
「まあね」
志帆の言葉にあきらは笑った。身体に大事がなかったとは言え、数日は学校は休んだため、志帆に授業のノートを見せてほしいと連絡していたりもしていた。
学校には体調不良による休みと言うことで話を進めていた。あきらも特に反論せず、それにはただ黙って従った。
「はい、英語のノート」
「さんきゅー。やっぱ頼りになるよ本当に」
あきらは嬉しそうに志保に渡された英語のノートを見ていく。また、彼女が休んでいる間に小テストの範囲が授業で話があったとのことだった。あきらは熱心に自分のノートに書き写していた。
「伊里谷くんもノート見た方がいいんじゃない?」
志保の言葉に伊里谷も頷く。伊里谷も家の都合で、数日学校を休んでいたという話になっていた。
「そうだね、いくら英語で話せるとはいえ、軽く勉強した方がいいんじゃない?」
「そうだな。榊原、悪いが彼女が終わったらノートを貸してくれ」
伊里谷の返答にあきらは意地の悪い顔をしていた。
「そういえば、伊里谷くんは何で数日学校休んでたのさ?」
「それは、」
伊里谷が話をしようとした途端、志帆が口を挟んだ。
「そういえば、伊里谷くんとあきって同じタイミングで学校を休んでいるよね」
志帆は、いつもの柔和な口調で話していた。あきらは息を飲み、伊里谷は何も感じていない様子だった。
「あ、あのね志帆」
あきらの声に被せるように志帆は話を続けた。
「ふたりが付き合ってるなら、それはそれで構わないよ。でも、黙って付き合い続けないといけないことかな。友達くらい話してくれたっていいじゃないかな」
志帆の見当違いの回答にあきらは困惑する。一方、伊里谷はよく分からないと言った様子で首を傾げる。
「ねえ、志帆・・・・・・」
あきらの言葉に志帆は柔和な笑顔で釘を刺す。
「私は、彼に話を聞いているの」
「はい・・・・・・」
あきらは、それしか答えられなかった。あの彼女がここで下がってしまうのは、志帆の態度に何かしら似たような経験があるのだろうと、伊里谷は察した。
「それで、どうなの伊里谷くん?」
「付き合っていないぞ。家の都合で、以前いた中東の友人と会っていた。それだけだ。彼女が体調崩して学校休んでいたのも、今日知ったくらいだ」
伊里谷の返答に志帆は拍子抜けする。そのまま硬直していくと、逃げるように教室から早足で出ていった。そんな様子を見て、あきらは少しホッとしている様子だった。
「追わなくていいのか?」
「疑いは晴れたわけだし、あとで私の方からも話しておくから大丈夫よ」
「そうか」と伊里谷は答えて、手近にあった椅子に座った。
「ところで付き合ってるという話だが・・・・・・」
「その話はしたくない」
「了解だ」
伊里谷は間髪入れずに答えた。
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午後休みが終わり、午後の授業もそつなく終えた。最後に担任から終礼があるが、そこから話があるようだった。
「急な話だが、明日から転入生が来ることになった」
担任の言葉で、いつもの退屈な雰囲気の教室から少し空気に緊張が走った。
「珍しいね。伊里谷くんに続いて二人目じゃん」
あきらはクラスメイトとそんな風に話していた。伊里谷は何か嫌な予感がしているのか身体が硬直したままだった。担任からの話が続く。
「海外からの転入だ。そうだな、伊里谷と同じだな。急な転勤で急遽、この学校で学ぶことになったそうだ。今日は案内だけの予定だったが、本人から挨拶もしたいとのことだったんで、急遽この場を設けたわけだ。じゃあ、ディズレーリさん宜しく」
伊里谷の顔がだんだんと険しくなっていく。壇上に無い胸を尊大に構えるように小さな少女が入ってきた。あきらはもちろん伊里谷が良く見知ってる少女の顔だった。
「クロエ・ディズレーリだ。訳あってこの学校に転入することになったので、よろしく」
どうみても外国人の少女にしか見えないのに流暢で完璧な日本語を喋っており、クラス全体で小さなざわめきが起こった。
「すごいな、伊里谷より日本語上手いじゃん」
横からクラスメイトが伊里谷に小突く。自分より日本語が上手いのは事実だが、問題はそんなことではなかった。
一体、上層部が何を考えているのか。何故、彼女をこの学校に入れたのか伊里谷は理解に苦しんだ。
そんな伊里谷の様子をクロエは気にしている様子もなかった。むしろ驚かせることに成功したイタズラめいた笑みを浮かべていた。
「そこにいる間抜け面の伊里谷という男だがな、訳あってそいつとは色々あってな。いわゆる相棒という奴だ。致し方ないが、こうしてまた会ってしまったという訳だ。よろしく頼むぞ」
クロエの誤解を招くようなことしか言わない態度に、クラス全員が一斉に伊里谷に振り向いた。
学校から帰ったらキリエに事の顛末についてキチンと確認するべきだろうと思いつつ、伊里谷は冷や汗をかいた。今は、彼女の発言が誤解だというを伝えるべきか考えなければならなかった。
恐る恐る、あきらの顔を見るとひどく詰まらなそうな表情をしていた。いつものように、もう知らないといった言葉が出てきそうな、そんな雰囲気だった。
反対にクロエは、そんな伊里谷とあきらの様子を見て喜んでいるような様子だった。