第五部5 『因縁』
MI6の諜報員がモーズレー局長を見て簡単に挨拶を済ますと、すぐに本題に入った。伊里谷たちの功績など何もなかったかのように彼らは振る舞っていた。
「局長は別件で来られない。代わりに我々が来たというわけだ」
イギリスの諜報員が二人。どちらも壮年で経験豊富な雰囲気を醸し出していた。それでも透明人間の拘束を考慮すれば、心許なさ過ぎる人数だった。本部が事の重大さを把握していないのは丸分かりだった。
「後は我々に任せろ」
MI6諜報員の言葉に、ハーディ主任が何か言いかけるが、言葉が止まる。モーズレー局長は二人の職員に声を掛けた。
「ご無事を」
モーズレー局長なりの皮肉とも取れるような返答だった。MI6の職員が倉庫の中に消えるとハーディ主任は珍しく苦言を漏らした。
「イギリス本部に掛け合う気はないのですか?」
「今は透明人間を連行するのに多くの人間が必要です。必要なら、あの職員たちも利用するまでです。本部への苦言は、その後で構いません」
モーズレー局長の言葉にハーディ主任は渋々頷いた。
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椅子に紐で縛られた透明人間は表情を変わらずただ自分の足元を眺めていた。まるで、自分の状況が分かっていないようにも見えた。
「会えて嬉しいぜ」
透明人間の前に男が二人現れた。さっきのモーズレー局長やハーディとは違う雰囲気を醸し出していた。
透明人間はMI6の諜報員だろうと目星を付けた。スーツ姿の彼らはジャケットを脱いでワイシャツ姿になると、腕まくりを始める。
「悪いが君たちを知らない」
透明人間の言葉を返した瞬間に、MI6の諜報員は椅子を蹴り上げて透明人間は、そのままなすすべも無く倒れる。
「タダで済むと思うな。命令さえなければ、この場で殺しているところだ」
MI6の諜報員の言葉に透明人間は興味のない様子で話を聞いていた。
致命傷にならない範囲で自分を痛めつけるのだろう。諜報員が倒れた透明人間を椅子ごと乱暴に最初の形へ戻していく。
MI6の諜報員が透明人間の真横まで歩いていく。それこそズボン越しの股間を透明人間に押し当てるように。
「こういう趣味はないのだが」
透明人間は近くにいた別の諜報員に困ったように声を掛ける。
「俺を見るなよ。話し掛けてんのは、そいつだぜ」
諜報員は、そう言って笑っていた。
「恨むなら自分のしたことを悔いるんだな。捕虜としての扱いを求めるのは遅すぎる」
透明人間は執拗に殴られた。傷が簡単に治癒するくらい分かっているにも関わらず、諜報員は殴り続ける。殴られた反動で椅子が倒れる。
今度の衝撃は強く前脚が折れてしまうような形になった。諜報員は倒れたままの透明人間に容赦なく蹴りを入れていく。
諜報員は、蹴りが終わり気分が落ち着くと、今まで様子を伺っていた近くの諜報員に声を掛けた。
「少し待ってろ」
そう言って倉庫から一度出て行く。おそらく、新しい椅子でも取りに行くのだろうと、透明人間は判断した。残った諜報員は倒れたままの様子の透明人間に興味を示すようなそぶりはなかった。諜報員は手元からタバコを取り出して火を付けた。
「仲間が殺された時の話を聞きたくはないか」
透明人間は、息が耐え耐えながらも、タバコを吸い始めていた諜報員を挑発した。
諜報員はタバコを咥えたまま無言で透明人間に近づいていく。
「俺が奴と違って何もしないとでも思ったのか」
そう言うと、透明人間の顔にタバコの先端を押し付けた。透明人間は声を挙げないにせよ痛みで顔が一瞬、強張る。
「簡単に死にはしないが痛みは感じるのか」
可笑しそうに諜報員は笑った。
「さっきの話の続きだ。死んだ職員たちは、突然、自分の身に何が起こったことが理解できなかった様子だったよ。もちろん名前なんて知らなかったが、自分たちの本拠地にテロで押し入るなんて想像も付かなかったんだろうね」
「黙れっ」
諜報員は押し付けたタバコの吸い殻を透明人間の口の中に詰め込めた。
「相棒に任せるつもりだったが気が変わった。俺が相手だ」
諜報員は低く冷たい声で言い放つ。それと同時に透明人間は椅子の折れた前脚の柄の部分を縛られた手でしっかりと握っていた。