第四部4 『刹那』
伊里谷は芝浦ふ頭に向かってバイクを飛ばす。渋滞が続いている道なりだったが、車の間をかいくぐるよう走らせた。際どい運転をしていたため、伊里谷たちと合わせて走っていた車から多量のクラクションも鳴らされていたが、今はそれどころではなかった。
「悪い報告よ」
霧絵から通信が入った。伊里谷とクロエが付けているイヤホンには彼女の重い言葉が発せられた。
「どうした」と伊里谷は返事をする。
「局長の件よ。情報本部から支援は期待できないわ。貴方たちだけが頼りということよ」
「そういうことだと思ったがね。MI6が責任を取らないことは今に始まったことじゃない。当局は一切関知しないという奴だ。何度も聞いた台詞だな」
割り込みの通信でジェフから連絡が入る。愚痴が漏れていた。
「だからこそ、私たちが彼女を救うのよ。もう後には引けないわ」
霧絵の言葉があって会話が終了した。伊里谷はバイクのアクセルさらに回していく。
「飛ばしすぎるな、警察に見られたら厄介だ」
ヘルメット越しからクロエの通信が入ってきた。伊里谷は相槌する。
バイクを走らせていくと、すぐにふ頭が見えた。透明人間がここに向かってきた確証は持てないが、ジェフの検索結果を信じるしかなかった。
「この辺で降りるぞ」
伊里谷はそう言って、バイクを路肩にバイクを停めてふ頭の方に向かっていく。腰には日本へ持ち込んだ銃を隠していた。今回は装備も整えてきた。クロエも自分の銃を手に触れて落ち着くよう務めている様子だ。
伊里谷とクロエは、積み荷用のコンテナを遮蔽するように隠れて様子を伺う。夏目をさらった黒いバンが近くに停まっていた。ジェフの見立ては正しかった。
「いたぞ」
クロエの言葉の指す方向を見ると、数人乗れる大きさのモーターボートが置かれていた。そこには、まだ意識のないあきらが乗せられていた。隣に透明人間の部下も乗っていた。クロエが身を乗り出してボートの方に向かう。
伊里谷はクロエの行動を制した。
「いま向かってもどうにもならない」
「しかし、それでは・・・・・・」
クロエは戸惑っていた。
伊里谷は、クロエを何か説得する言葉を投げかけたかったが、上手く彼女に伝えられなかった。しかし、何処にも透明人間の姿が見えなかった。
(奴は何処だ・・・・・・)
あきらが目の前にいるにも関わらず、伊里谷たちは手を出せずにいた。透明人間からしてみれば、自分たちが追ってることくらい分かりきっている。奴の手のひらで踊らされている気分だった。
「脇から回ろう。連中、まだボートを動かす様子はない」
伊里谷は、自分にも言い聞かせるようにクロエに話した。
「急ぐぞ」
そう言って、クロエが横から回り込むように向かっていき、ボートに近づく。透明人間の仲間の男だ。彼女を抱えていた。透明人間含めて、他の連中は誰もいなかった。伊里谷はクロエに目配せを行う。
伊里谷は男の近くに寄るように、あきらの乗っているボートに向かっていく。瞬間、男が伊里谷の存在に気付いた。
男が銃を取り出す瞬間、クロエが男の首筋を強打させて、そのまま気絶させる。呻き声を挙げるのも伊里谷が口元を押さえて声が出ないようにした。殴られた男は死んだ様子はなかった。
「殺すつもりで殴ったのだがな。しぶとい奴だ」
クロエは手元に倒れた男を見ながら毒づいた。伊里谷はあきらの様子をうかがっていた。
「良かった、怪我もなさそうだ」
「連中が来る前に、早く彼女を運ぼう」
クロエは急かした。瞬間、目の前に大型のボートが向かってくる。あきらを乗せていた物より、遙かに大きい代物だった。ボートには透明人間の姿が見えた。
「奴だ」
透明人間が指示を出すまでもなく部下が、銃を構えて伊里谷に発砲。
伊里谷は素早く物陰に隠れて銃撃をやり過ごす。クロエは物陰に隠れながら発砲する。
伊里谷もすかさず応戦しつつ、大型ボートに飛び乗ろうとするも、既に岸から離れてしまっていた。奪った小型ボートのエンジンを入れる。何とか透明人間の乗るボートに近づかなくてはならなかった。奴のボートが離れていった。
伊里谷は急いで小型ボートの電源を入れて大型ボートを追いかけた。
追いかける瞬間、先ほどクロエが殴り倒した透明人間の仲間が眼を醒まし、伊里谷に飛びかかった。
「くそっ」
伊里谷と男が取っ組み合いになる。男は胸ポケットから取り出した銃が握られていた。
男がすかさず伊里谷の目の前で発砲。伊里谷は両手で押さえながら男を海に突き落とそうとする。男は銃でこめかみを狙うような形で発砲し続ける。乾いた音が耳元で鳴る。耳に鈍痛が走る。おそらく鼓膜が破れた。左耳がよく聞こえなかった。
男は悪態を付きながら伊里谷を殺そうと躍起になってる。銃を撃ち込んでいくが、すんでの所で伊里谷は銃を弾くような形で射線に入らないように動いていた。
「・・・・・くたばれやがれっ!」
男はそう呟くも伊里谷は、そのまま発砲。
「俺の台詞だっ」
撃たれた男は眉間に穴が開き、そのままぐったり倒れ血溜まりを作った。伊里谷は息を切らしながら透明人間の乗った大型ボートを追っていく。