第四部1 『帰国』
翌朝、伊里谷は学校に通っていくことにした。霧絵に夏目あきらとの件を報告した後に翌日の学校は欠席すると伝えたら、それは行きなさいと彼女からの命令だった。だが、正直、夏目あきらとあんなことになってしまった後、彼女に合わせる顔なんてなかったが、致し方なかった。
(クソッ・・・・・・)
伊里谷は内心、愚痴ぼした。
彼女との関係を仕事と割り切ろうと考えてる感覚に嫌悪を感じていた。今まで何度もやって来たことだったし今更、何を悔いているのだと考えていた。
昨日の件以来、クロエとも、とうとう口を聞かなくなってしまった。ただでさえ口数が少なかったが、昨日の彼女への発言が決定的だったのだろう。
(これは任務だ。私情を持ち込むな)
教室に着いて席に座る。あきらはまだ教室にいないようだった。伊里谷は柄にもなく焦っていた。
教室内も少しざわめきがあった。何気なく聞き耳を立てると昨日、物騒な人身事故があって塾に遅れた、バイトに遅れたと言ったクラメイトの声が挙がっていた。
伊里谷は手持ちのスマホで何気なく検索を掛けた。ネットニュースの見出しはすぐに見つかった。大きな扱いを受けた記事だったから簡単に見つかった。
伊里谷は記事の内容を確認する。
電車内で爆発事故。昨日、新大阪から博多間の東海道・山陽新幹線内で爆発事故があった。幸い死傷者や怪我人は出ていなかったが、容疑者は見つかってはおらず防犯カメラに容疑者と思しき外国人の姿が映り出されていた。
ニュースの動画では、その男と隣同士だった初老の男性の映像が映し出されていた。変わった人とは思っていたが、まさかあんなことをするなんて驚きましたとコメントを残していた。
伊里谷はニュースの記事を閉じて、教室を出て行く。すぐに霧絵に電話連絡すると数コールで彼女は出始めた。
「ニュースで出ている爆発事故の件ね。いまMI6はそれで大騒ぎだわ。間違いない透明人間よ」
「局長から何か連絡は?」
ネットが身近にありすぎる現代では昔のスパイ映画と違い、一般市民が情報を仕入れるのは、とても速くなった。MI6が情報を早く知れても数時間でネットに拡散される。今回のようにネットニュースで事件を発端を知ること自体珍しいことではなかった。
「局長から連絡はあったわ。でも具体的な行動の連絡は出ていない。待機中といったところ」
「俺は学校にいればいいのか」
「そうね。でも今日は早く戻ってきなさい」
「了解した」
透明人間は日本にいる。理由は不明だがMI6にしてみれば大きな挑発とも取れる行動だった。
「舐められてるな」
伊里谷の言葉に霧絵は相づちを打つ。
「透明人間の目的が分かっていない以上、詮索は無意味よ。それと、夏目あきらの安否も確認して。あくまで念のためではあるけど」
「了解だ」
そう言って、伊里谷は携帯の電源を切り、すぐに教室に戻った。あきらも既に登校しているようだった。伊里谷は、彼女の様子を伺った。クラスメイトと話している様子で伊里谷には気づいていない様子だった。伊里谷は様子を見てバツが悪そうに、あきらに話し掛けた。
「すまない、話がある」
動揺していたが、それでもいつもの調子で平静に話し掛けた。それを見てあきらはあからさまに無視を決め込むように反応しない。
「昨日の件ではない。頼む聞いてくれ」
「何さ」
やっと顔を挙げて話を聞く体勢になる。
「ここでは話しにくい。少し来てくれないか」
「来てくれないか?」と言いつつそれでも強制的に立ち話を強制させようとしている伊里谷の態度にあきらはイライラした様子だった。あきらは、しぶしぶ伊里谷に付いていく。
「昨日のこと・・・・・・懲りなかったの?」
人通りが少ない廊下まで来ると、あきらは言い放った。あきらの言葉には明らかに嫌悪の意味とも取れる言葉が混じっていたが、それでも伊里谷は無理を言って彼女にお願いをし始める。
「すまない、だが今回はそんなことじゃない。君の安全に関わる話だ。聞いてくれないか?」
「何それ? 昨日、話していたことは、どうでも良いみたいな言い方じゃない」
あきらは呟くように伊里谷んい対して怒りを露わにしていた。
「俺は真面目な話をしてる。君の身の安全に関わることかもしれないんだ」
伊里谷の表情からとうとう観念したようにあきらは話を聞くようになってくれた。ただ、その表情は強ばっていた。
「ねえ・・・・・・変なこと言わないでよ。冗談でも笑えないよ?」
あきらの言葉に伊里谷の表情は変わらない。淡々と話を続けていく。
「今日は学校が終わったらすぐに帰るんだ。どこにも寄るな。少しでも奇妙な感じがしたらすぐに俺に電話するんだ。いいな」
伊里谷の言葉にあきらは怪訝そうな顔をする。
「どういうこと? ねえ、教えてくれたっていいじゃない」
「駄目だ。君に伝えることが出来ない」
「何で教えられないのよ・・・・・・。人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ」
あきらはそう言って、そのまま教室に戻っていく。これ以上、話はないといった態度であった。今の伊里谷と彼女の関係を表していた。だが、伊里谷から彼女に伝えられることは伝えた。これでいいのだ。伊里谷は自分に言い聞かせるように納得させた。彼女を驚かせてしまったが、あくまで可能性の話だ。透明人間の出現で日本への滞在状況も変わるだろう。
△▼△▼△▼△
伊里谷は早退した。というよりも学校から抜け出すような形で、渋谷のアパートまで戻ってきた。
学校を抜け出すのは容易だったが、それでも誰かに後を付けられていないか適宜確認しながらの作業だった。結局、登校時に比べて倍近い時間を掛けて伊里谷は帰宅した。アパートに戻るとクロエやジェフ、霧絵全員が待っていた。イライラした様子で霧絵はタバコを吸っていた。空き缶にタバコの灰を捨てていく。
「ちょうど良かった。今ちょうど伊里谷にも確認したかったことがあるのよ」
早退したことを霧絵は特に咎めず、伊里谷にパソコンの画面を見せていく。内容はミルヴィナ・モーズレー局長からのメールでの連絡だった。伊里谷はメールの文章を確認した。
<<報道の件、確認されたと思います。今しがたMI6本部との協議の結果、貴方達は今日の夜の便で日本を発ちなさい>>
メールでは簡潔に伝言あり、その後どのような経路で帰るか、何時の便で帰るかといった内容だった。霧絵は重い口を開いた。
「仕方ないけど、今日の夜に上海に戻るわ。皆、準備をして」
しぶしぶ了解するジェフ。クロエは顔をうつむき何も言わない。伊里谷も何も言わずただじっとメールの文章を読み直していた。任務で来ていたのは重々承知はしていたが、いざその任期が突然終わってしまうのは何とも言えなかった。
まだ彼女に謝ってもいなかった。伊里谷は苦虫を押しつぶしたような顔をして席を立つ、自分に選択権がないことくらい分かっていたが、それでも気持ちを抑えるのに苦労した。
「気持ちは分かるけど、仕方ないことよ」
霧絵は伊里谷とクロエに冷たく言い放つ。伊里谷はそれには何も言わず、クロエは動揺していた。
「私は・・・・・・」
クロエはそう言い掛けて、そのまま言葉が詰まってしまった。
「今日の18時にここを出るわ」
問題ないと伊里谷とジェフは答える。それで会話は終わった。残りの数時間で出発の準備を行うのであった。




