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第三部6  『隣人』

 結局、女性三人が料理をしはじめると短時間で料理が出来上がってきた。鳥肉と人参の和風だしの煮物、霧絵が気になっていた、だし巻き卵。大根と青ネギの味噌汁に白米だった。


 卵焼き用のフライパンなんてものが、この拠点にある訳がなく、近くのキッチン用品を取り扱っている店まで買いに行かないいけない状況だったが、別にないならないで構わないと、手元のフライパンで調理してもらうことになった。ただ、食材がなかったため、男性陣が近くのスーパーまで買い出しに行くのは言うまでもなかった。


「いただきます」


 このアパートに来て初めて皆で食事の前に一声を掛けた。彼女が料理をして、妙な緊張感はあったが、最初の数口を食べながら皆の表情が変わっていく。


「ふむ、美味い・・・・・・」


 伊里谷は呟く。


「普段、料理しないからあれだけど、結構教えてもらうだけでも何とかなるものなのね」


 今度は霧絵が言った。今回、作った物はあきらが霧絵やクロエに教えていったものだった。だから厳密にはあきらの料理ではなかったかもしれないが、それでも彼女の手ほどきで作られた料理であった。皆、口を揃えて美味いと言っていた。


「綺麗な女性に、こんな旨いもん作ってくれる。俺ぁは、幸せもんだぜぇ・・・・・・」


 ジェフはいつもの調子で呟いていたが、表情から見ると本当に感動している様子だった。


「いやいや、そんな大したことじゃないですよ。そんなに気に入ったんでしたら毎日は難しいですけど、定期的に作りに来ますよ」


 あきらの言葉に一瞬だけ表情が真剣になるジェフ。その目線は現場責任者であるリーダーの霧絵に向けられていた。


「いくら何でもそれは悪いわよ、大丈夫、私達だけでも料理をしていくんだから」


 今後、夏目あきらと積極的に接触していくのは間違いである。そもそも今この瞬間も一緒にいること自体も間違っていた。霧絵の言葉にはそういった意味も含まれていた。それに合わせてかジェフもこの件に関しては何も喋らず、この行く末を見守っていた。


「問題はないだろう。あきらは作りたいと言っているのだ。彼女がいてくれれば、賑やかなのは間違いないだろう」


 クロエは皆に言った。ジェフは「そうかもな」と言って笑っていたが、眼は一瞬、笑っていなかった。霧絵はあきらに諭すように返答する。


「あまり無理はしないでね」


 霧絵は喜んでいる様子で答えるが、内心困惑をしているのが現状だろう。彼女は俺たちとは住む世界が違うのだ。


 洗い物は伊里谷がしていた。霧絵とジェフは少し仕事の関係で席を外すと言った調子でアパートから出て行く。ふたりは何処かで今日の顛末について話し合うのだろう。


「もしかしてさ、私悪いことしちゃったかな・・・・・・?」


 洗い物をしている伊里谷に突然、あきらは呟く。


「急に何を?」


 伊里谷はいつもと同じような仏調面で答える。手はそのままのペースで洗い物をしていく。


「なんかね・・・・・・霧絵さんやリュエリンさんが、良い人ってのは分かるんだけどね。初めて会ったのに良くしてもらったしさ。今日すごく楽しかったけど、一瞬だけ少しだけ悲しそうな顔をしたの・・・・・・だからさ,何か悪いことしたかなってさ」


 伊里谷は何も答えられなかった。霧絵の表情の意味が分かるだけに尚のことだった。


「いや君は、何も・・・・・・」


 言葉にしようとしても喉の奥に詰まるように出なかった。認めたくはないが、この場にクロエがいれば事情も変わったのだろう。


「食事の手伝いはするが洗い物はせんぞ」というクロエの言葉に、霧絵は「自分の食べた物くらい洗いなさい」と反論されて、しぶしぶ自分が使った食器だけ洗ってそのままTVにかじりついていた。あきらはクロエを一瞥してから伊里谷に話を続ける。


「日本語も上手いしさ、すごいよね彼女」


「何の話だ」


 何も分かっていない様子で答える伊里谷。そんな彼の返答に律儀に答えるあきら。


「クロのことよ」


「君とまったく同じ事をジェフも言っていたよ」


「クロエは学校には行かせていないの?」


「そうだ。今まで通ったこともないと言ってる」


 伊里谷は、MI6シックスで定めたクロエの偽造工作カバーストーリーは知らなかったが、彼女の性格なら学校に通ったことがないと正直に言った方が都合がいいと思えた。


「クロエは通う意思はあるの? 本人に聞いてみたら意思はありそうな感じはしたけど」


「少なくとも俺は、彼女から聞いたこともないな」


 前向きな返答をしない、伊里谷の言葉にあきらは顔をしかめた。


「すごい他人事のように言うのね」


「それが出来れば苦労しない」


 断固とした伊里谷の発言にあきらは口を閉ざしてしまう。伊里谷の顔が暗く真剣な顔をしていたため、彼女は何も答えられなくなってしまった。


「でも何でさ・・・・・・日本に暮らしてるんだから学校に通わせることだって出来るのに何でしないの」


「それは言えない」


 伊里谷は済まないといった表情で答える。これが今の彼の精一杯の対応であった。部外者である彼女にこれ以上何も言えないからだ。


「教えてくれないの? そりゃあ他人様ひとさまの事情だから話せないこともあるんでしょうけど、話せないくらい重要なことなの?」


 あきらは念を押すように伊里谷に確かめていた。それでも伊里谷の表情は変わらなかった。


「今、君に言った通りだ。教えることは出来ないし教えることもないだろう」


 伊里谷の言葉にあきらは眼を伏せた。


「そっか、分かった」


 言い淀むようにあきらは答える。洗い物を終えると、そのまま帰り支度の準備を始める。伊里谷は彼女の様子をただ眺めることしか出来なかった。あきらが帰り支度を始めているのをクロエが気付き始めた。


「あきら、帰るのか?」


「・・・・・・うん、ちょっと用が出来ちゃって・・・・・・また今度ね」


「そうか、また来るんだぞ」


 あきらの些細な表情の変化をクロエは見逃さなかったが、それでもそれ以上何も言わず彼女を玄関まで見送っていく。バタンと扉締まり沈黙が始まった。伊里谷とクロエだけではこの狭いアパートも大きな屋敷に感じられるくらいの隔たりはあった。


「馬鹿者・・・・・・」


 クロエは怒りを押さえた口調で答えていたが、それでもひどく怒っているのは彼女の表情から容易に見て取れた。


「仕方ないだろう、彼女にそれ以上何て言えばいいか、これが俺たちの仕事だと前に言っただろう」


「仕事じゃない、伊里谷の気持ちに聞いているんだっ!」


 クロエは声を荒げる。今まで伊里谷に見せたことない表情で彼女は答えた。


「すまない」


 伊里谷はただそう答えるしかなかった。静寂がアパートを包み込んでいた。



                △▼△▼△▼△



 男は電車が嫌いだった。正確には飛行機や車など自分の足以外のものに乗り込むものが嫌いだった。男は指定席に乗り込み、混雑だけは何とか避けたものの完全に不快感は拭えなかった。彼は、落ち着かず少し指を顎に何度も当てていた。


「すいません、もしかして乗り物酔いか何かですか? もし違っていたら申し訳ないですが、私も電車に乗るたびに不安になるので気持ちが分かります」


 突然、隣に座っていた人の良さそうな老人が話し掛けてきた。流暢な英語だった。彼なりの好意で話掛けてきたのだろう。男は何となくそう理解した。ただし、こちらの体調を考慮しているのなら話し掛けるなという感情が込み上げてきたが男は我慢した。


「ええ、実はとても苦手なんですよ。飛行機なんかと同じですよ。自分の足で歩いている訳ではないので不安になります。例えそれが歩いている時より事故が起きないと言われようとね」


「もし良ければ私が乗り物用に服用している薬があるのですが」


 男は、この老人の提案に一瞬悩んだが、問題ないだろうと判断して、老人の好意を素直に受け取ることにした。


「ええ、もちろん。ありがたくいただきます」


 男の手に錠剤が数粒渡された。老人が渡したのは恐らく酔い止めの類いの錠剤だった。バックに入れたペットボトルの水と一緒に錠剤を飲んでいく。男の様子をみて老人は安心した様子だった。


「良いスーツ着ていますね。こちらにはお仕事で?」


 老人は話題を変えるように話し始めた。


「そんな所です。スーツはありがとうございます。気に入ってる物なんです」


「実はこれでも仕立の仕事をしていましてね。もうリタイヤした身ですが、貴方のように綺麗に着こなせばスーツも嬉しいでしょう」


「電車に乗って始めてですよ、あなたのようなユニークな隣人は」


 男の冗談に笑う老人。男は老人に小声で話を続けた。


「実を言うとですね、私はこの国を変えに来たんですよ。今この国は様々な問題に晒されているでしょう? 仕事柄、こういった話題には敏感なんですよ」


 男の言葉に老人は微笑みながら答える。


「お気持ちはとても分かります。気を悪くしないで下さい、貴方は外国の方なのに、とてもこの国のことを考えてるようですね」


 老人の言葉に男は頷くと少し体調が悪そうな様子だった。それを見かねて男は話をする。


「ただ、何と言うか乗り心地は悪いですね。乗り物は好きになれませんね」


「薬が効くまで少し時間が掛かりますからね、それまでの辛抱ですよ」


「そうでしょうが、それまで我慢できないですね」


「大丈夫ですか!?」


 男の様子を見て心配する老人。


「酷い運転だ。車長に文句でも言いますか。貴方の酷い運転で私のスーツケースに入った爆弾が爆発しそうだとね」


「はぁ」


「冗談ですよ」


 冗談にしては笑えない男の返答に老人は曖昧な返事をすることしか出来なかった。


「少し失礼」


 男は立ち上がってスーツケースを持ち運んでいく。窓際に座っていたため、通路側の老人の前を通っていく。


「お尻から失礼。それとも前の方が良かったですかな」


 そう言って、男はそそくさと車長室のある前方に向かっていく。老人は冗談と思いたかったが、それでも男の表情は窺い知れぬ雰囲気を漂わせていた。それは、あまりに何処にでもいそうな特徴のない顔をした男だった。

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