第三部5 『日常』
あきらは、自宅のマンションに着くと、電話の子機が点滅していた。学校の同級生やバイト先には普通スマホの方からしか連絡が来ないようにしていたので、彼女は連絡先の主を想像して怪訝な表情になる。
子機の方まで向かい登録先を見ると、あきらは「やはり」と合点がいった。彼女の母親から留守番の連絡が入っていた。
留守電を聞くかどうか悩んだが、留守電のメッセージを開いた。ここ最近は電話口でしか聞かない母の声だった。「最近、学校はどう?」と言った他愛のない内容だった。他愛ないが、折り返さないと面倒になると思い、あきらスマホから母親に電話をした。電話を掛けると、すぐに母親が出始めた。
<もしもし、貴方なの?>
母の声だった。あきらは、冷静に喋り始めた。
「うん、久しぶり」
<連絡しないと思っていました>
面白くもなさそうに、あきらの母は答えていた。あきらは動揺せずに淡々と答えていく。
「そんなことないよ。学校のことでしょ? 大丈夫だよ心配しなくて。成績表見てくれた? 悪くなかったと思うんだけど、どうかな」
母から悪くなさそうな反応があったのであきらは、簡単に挨拶を済まして、そのまま電話を切った。
あきらは、ため息にならない程度の疲労を抱えながら、買ってきた食材で簡単な調理を始めた。鍋に水を入れて沸騰させ、そこから昨日、下ごしらえしていたアルミホイルで包んだ食材で蒸し始める。食材を蒸してる間にテレビを付けて録画した映画でも観ようとした瞬間、自分と家族との置かれた状況を考えた。夕方まで話していた伊里谷が言った言葉だった。家のことを他人に言われる筋合いはない。あの言葉には内心、怒りが込み上げてきたというのが正直なところだったが、自分と家族の関係を思い出すと伊里谷の言葉は笑えなかった。
(私も人のこと言えないじゃん・・・・・・)
あきらは自己嫌悪に陥る。それと同時に白身魚が蒸し上がった。あきらは白身魚の蒸し焼きを皿に乗せ、それを頬張りながら録画した映画を見始めた。ただ、映画を観ても彼女の気持ちは紛らわなかった。
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伊里谷は学校の昼休みの際にあきらから呼び出しを受けた。委員会室に集まると、あきらは大きめの弁当箱の包みを持っていた。近くに座っていた志帆は和かに笑っていた。
「何よ、さっきから笑ってさ」
志帆は可笑しそうに答える。
「別にぃ、何でもないよ。そのお弁当は、クロエちゃんのお弁当作ったら余ったんだよね」
「そうだけど」
「うんうん、ほら伊里谷君も食べなよ、あきの弁当」
志帆に唆されるように伊里谷は弁当を食べ始める。
「美味い?」
「ああ、美味い。すまないなクロエに限らず俺まで」
志帆の言葉に伊里谷はそっけなく答える。あきらは呆れた表情をする。
「何で、アンタが聞くのよ」
「だって、あきの料理じゃん。羨ましいからね」
「食べたいって言えばいいのに」
「う〜ん、それは違うんだよね」
「なによ、それ」
二人の会話を余所に伊里谷はもぐもぐと食べ続けていた。
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「クロエの弁当も有り難くいただくぞ。彼女も喜ぶ」
「暇なだけよ。お節介だと思ってくれて構わないわ」
「気持ちは嬉しいが、あまり無理はするな」
「何というかさ。放っておけないのよ、あの子」
「子どもだからか?」
あきらは少し首を傾げながら答える。
「それも、あるんだけどさ。うまく言葉には出来ないんだけど、何て言うか可愛げの無い妹のような感じ」
「あき、すごい喩え・・・・・・」
隣にいた志帆が肩を落としながら答えた。
「あんま良い喩えじゃないってくらいは分かるんだけどね、彼女に対してはそんな感情なんだよね」
あきらの言葉に今度は伊里谷が反応する。
「クロエは喜ぶと思うぞ。君くらい強い女性のほうが彼女とは上手くやっていける」
「それは褒め言葉?」
あきら静かな調子で答えた。志帆はそんな様子をみてクスクス笑っていた。あきらは志帆の様子を見て、困っているようだった。
「ねえ、志帆も他人事にしないで何かコイツに言ってよ」
「ええ、いいよぉ・・・・・・」
志帆の返答に、あきらは見逃さなかった。
「なに言ってるのよ、私には志帆がいないと駄目なんだからさぁ」
勢い余って志帆に寄りつこうとするあきら。志帆は後ずさりしながらあきらから離れていく。
「もう、止めてよ、あき・・・・・・」
「うぅ、ごめん」
志帆に抱きつこうとするも、あきらはしぶしぶ諦める。
「あきもそういうの止めてよね。じゃあ、私はこっちだから」
そう言って志帆はふたりに声を掛ける。
「えっ、志帆来ないの?」
「前に話したじゃん。イベントの準備もしたいんだって」
そう短くあきらは答えて、志帆と別れた。
「イベントとは何だ。学校以外での祭りか何かか?」
「時期的にコミケじゃないかな。彼女そういった作品のグッズを作るのが好きなの。って、分からないか」
「いや、聞いたことがある。以前、空港の荷物検査で摘発されたアニメやコミックのポルノが大量に流れて問題になっていると報道で見たことがある」
「・・・・・・まあ、間違ってるとは言えないけどさ」
「ちなみに彼女は何のポルノを作ってるんだ」
「いやポルノじゃないし。志帆に好きな作品について聞いてみればいいじゃない。すごく雄弁になるんだから」
「そうか。少しは視野を広げろとクロエにも言われている。今度、榊原に聞いてみる」
伊里谷の姿勢に感心しつつもあきらは釘を刺した。
「あの、お願いだから。開口一番に、何のポルノ作ってるなんて言わないでね」
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あきら曰く、伊里谷に付いてくるのは、弁当くらい届けさせてよねよいう話だった。彼女の好意なので無下に断ることもできずに伊里谷はそのまま自宅まで一緒に帰ってきた。昨日の件もあったので彼女を拠点に招いても問題ないとキリエやジェフたちは判断していた。
「お邪魔しま〜す」
あきらは間延びした声で玄関に上がっていく。以前に比べて緊張がなくなった様子で家に上がり始める。
「あっ、いらっしゃい」
リビングの奥から子どもの声ではなく女性の声が聞こえていた。あきらはその声を聞いてふと伊里谷に質問した。
「もしかして、前に話していた?」
「・・・・・・そうだ友人だ」
そう答える伊里谷の声はあまり嬉しそうではなく、どことなく居心地の悪さを感じさせる声であった。
あきらが先陣で部屋に入っていくと霧絵とジェフが缶ビール片手に談笑していた。クロエも混じってジュースを飲んでいた。あきらを見ると姿勢を正して霧絵は自己紹介をする。
「貴方があきらさんね。霧絵です。宜しくね」
霧絵が答える。あきらはお辞儀をして、少し驚いた表情をする。
「伊里谷くんに話は聞いてました。日本の方と、」
「生粋のイギリス出身だよ。ジェフリー・リュエリン。宜しくお嬢さん」
流暢な日本語で握手を求めるジェフ。あきらは驚いた様子で握手し返した。
「日本語、お上手ですね」
「それはどうも。練習した甲斐があったよ」
「ふたりは彼が中東の時に知り合ったんですか?」
「そんなところ。彼の住んでいた地域でボランティアをしていてね。その時、知り合ったのよ」
「なあ、この唐変木、君に迷惑かけていない?」
伊里谷を指し、笑いながらジェフは言った。彼の質問にあきらは笑ってしまった。
「そうですね・・・・・・いつも楽しくさせてもらってます」
あきらの返答に可笑しそうに笑う霧絵とジェフ。伊里谷はへの字顔だった。
「そんなに可笑しいのか?」
伊里谷は、ヘの字顔のまま、そう答えたが、霧絵は真面目な様子で答えた。
「いいえ、学校で良い友達に巡り会えたじゃないって思っただけよ。それだけ」
「そうか」
伊里谷はそう言って着替えのため奥の部屋に引っ込んでいく。
「あきらの弁当、楽しみにしていたぞ」
クロエが、いつもの不遜な態度で話し掛けてきた。
「気合い入れて作ったからね」
あきらが、ぶら下げた弁当を見てクロエは嬉しそうな表情で答えた。
「素晴らしい仕事だ。ここの男どもは料理も出来ない連中ばかりなんだ。ひもじいので助かるぞ」
「いつも美味そうに吉野家の牛丼食ってるじゃないか」
伊里谷は近くにいるジェフに耳打ちした。
「俺とお前はいいだろうが彼女たちは許さないという意味だろうさ」
「そういうものなのか」
「そういうもんだろ」
「この話は彼女たちの前で絶対するなよ絶対だ」
ジェフは伊里谷に釘を刺すと、伊里谷は頷いた。一方、クロエは弁当の蓋を開けており、その中身を見て驚いていた。
「すごいじゃないこれ、毎回こんなの作ってるの?」
弁当を覗いていた霧絵の言葉にあきらは答える。
「毎回と言う訳ではないですけど、作るときは作りますよ」
「それにしても、これは・・・・・・」
そう言いながら、傍目でクロエは弁当に入っただし巻き卵に箸を付けた。黙々と食べ始めるクロエ。
「うま」
クロエは、ただそう呟いた。クロエのその表情を見て霧絵も少し弁当の具材を突き始める。彼女が食べたのは豚肉のアスパラ巻きだった。
「美味しい・・・・・・」
クロエも弁当の中身に箸を突き始めて食べ始める。
「あ、あの、もしそんなに良ければ今日作っていきますけど・・・・・・」
恐る恐る尋ねるあきらに霧絵はバツが悪そうに答える。
「そこまでは悪いじゃない」
「大丈夫ですよ、ご飯作るなら全然」
霧絵は一瞬、考え込むと彼女に言った。
「・・・・・・なら、お言葉に甘えようかしら」
あきらと霧絵は台所で準備を始める。それを見かねて手伝いに向かうクロエ。ふたりで冷蔵庫を確認して、食材を選んで料理を考え始めていた。ジェフは、別に悪いことをしている訳ではないのに罰の悪さを感じているのかソワソワしている。一方、伊里谷は何も気にせず国語の宿題を始めた。




