第三部4 『料理』
伊里谷達が拠点にしてるアパートに着くとあきらは少し緊張している様子だった。あきらは、アパートの前で立ち往生をしていた。
「早く入ったらどうだ? クロエも待っているだろうし彼女も喜ぶぞ」
「分かってるよ。急に招き入れたがるんだから・・・・・・」
あきらは、ローファーを脱いでアパートに上がり込む。伊里谷も続いて入っていく。霧絵やジェフは既に荷物を引き上げて部屋には誰もいない状態であったので伊里谷は少し安堵した。ただ、肝心のクロエはいなかった。まだコンビニから帰ってきていないのだろう。
「クロエいないじゃん」
「出掛けているだけだ。少ししたら戻ってくると思う」
「少し不用心じゃない? あんなに小さな子をほったらかしにして」
あきらは、怪訝そうな表情をする。
「俺が止めようにも、彼女は勝手にどこかに出掛けてしまうと思うがな」
伊里谷の返答に、あきらは顔をしかめるも心配そうな表情になる。
「そのさ、詮索しすぎな気もするけど彼女と上手くいってないの?」
あきらは、おそるおそる尋ねた。伊里谷は特に気にした様子もなく答える。
「そうだな・・・・・・君の指摘は正しい。上手くいっていないのは事実だ」
「理由、分からないの?」
伊里谷は首を横に振りつつ、言葉を濁すように答えた。
「俺が彼女への価値観を合わせないからだそうだ。俺にはよく分からん」
伊里谷の返答にあきらは黙ってしまった。伊里谷は話を続けた。
「子守なんて柄ではないのだがな。恋人じゃあるまいし何に気を使えというのだ」
あきらはムッとした表情になる。
「あんまり、そういうこと言わない方がいいよ・・・・・・」
「何故?」
「何故って・・・・・・そりゃぁ面と向かって言われるとあれだけどさ」
少し逡巡しながら伊里谷は、ふと思い当たった様子だった。
「そういうことか。安心しろ、俺にそういった性的嗜好はない」
脇腹にど突かれる。あきらは不審そうな表情で伊里谷を見ていた。
「ある意味、安心したけど、そういうことも大っぴらに言ったら駄目だからね」
「ああ、気をつける」
伊里谷は脇腹を押さえながら呟く。
「前に来たときも感じたけど、部屋綺麗よね。何ていうかこう清掃を怠っていないって感じだけど」
霧絵やクロエがいるので清掃は怠っていない。伊里谷も掃除自体は好きなので暇な時によく掃除はしていた。部屋を汚すのは、今のメンバーではジェフだけだった。
「定期的に掃除はするようにしているからな。大所帯だし掃除のしがいはある」
「でも、やっぱり引っ越したばかりであまり物はなさそうな感じ」
ふぅんといった様子で、あきらは部屋の周りの様子を探り始める。台所を眺め始める。
「ねえ、冷蔵庫の中にジュースと材料入れるからね」
「ああ、頼む」
あきらは、帰りがけのコンビニで簡単な料理用の材料とクロエ用に買ってきたというペットボトルのコーラを冷蔵庫に入れようとしていた。ガチャっと冷蔵庫を開けると、あきらは顔をしかめる。
「何で、こんなに缶ビールが大量に入ってるのよ・・・・・・」
「友人がよく飲むんだ。俺が飲むわけじゃない」
「友達って海外の人?」
「そうだ。ひとりはイギリス出身で、もうひとりは日本人だ」
「へえ・・・・・・日本にも知り合いの人がいたんだ」
「そんなところだ。実際のところ日本人の彼女がこの家の家主のようなものだ」
ジェフは、ともかく霧絵には後で事情を説明しなければならない。自分たちが日本に来ている事はもちろん秘密だが、この程度なら話しても問題ないだろうと伊里谷は判断した。
「冷蔵庫はビールくらいしかないのね・・・・・・それと買え置きしたらしい、おつまみ。これも友達のもの?」
「そうだ、俺のものはほとんど入ってない」
「何よそれ、自分の家でしょう・・・・・・本当にコンビニで弁当ばかりなのね・・・・・・」
「ああ。前にも言ったが、俺もクロエも料理が出来ないからな。同居人にも料理をする奴がいるが酷いものだった」
自信満々に料理を語っていたジェフだったが、いざ作らせてみると美味いとは言える代物ではなかった。俺は気にならなかったが、霧絵やクロエからの評価は散々だった。
伊里谷の言葉にあきらは表情を曇らせた。
「それは駄目じゃない」
あきらは少し頭を抱えると伊里谷に言い放った。
「今度、何か作ろうか?」
「それは悪いだろう」
伊里谷は即答した。あきらは眼を細めて話を続ける。
「私の心配はクロエちゃんなの。あの子に申し訳ないじゃん」
「彼女に迷惑を掛けていることもあるだろうが、君に言われる筋合いはない。自分の家の問題だ。これ以上、首を突っ込むことじゃない」
伊里谷の言葉に、あきらはそれ以上何も言えなかった。自分自身でも薄々、分かっていたが、それでもクロエを見過ごすことが出来ずに、そう答えてしまっていた。
「そうだけどさ・・・・・・」
伊里谷の言葉は正論だった。そう思うと、あきらは口を閉ざしてしまった。
「そう自分を責めるな、あきら。この男は性格がひん曲がっているからな」
玄関口から帰ってきたクロエが立っていた。
「良い子じゃないか、お前が決めることではないのだし、ないがしろにするでない。構わないだろう?」
伊里谷は、クロエの言葉に口をへの字に曲げて不満そうな表情をしていた。そんな彼を無視をしてクロエは話を続ける。
「私達がロクな食事をしていないということで心配してくれていたんだな」
「だそうだ」
伊里谷は素っ気なく答える。伊里谷は、それに気付いたクロエが伊里谷を小突く。
「お前、少しは人の好意を素直に受けたらどうだ」
「君がそこまで言うなら俺は否定しない」
伊里谷は顔をしかめる。クロエも知っているだろうが、個人としてはあきらと直接の接触は可能な限り避けたかった。クロエにも何か考えがあるのかとも考えたが、伊里谷には見当も付かなかった。
「彼女に料理をしてもらう。いい加減、コンビニ弁当もジェフの不味い飯にも飽きてきた頃だ」
クロエは今度はあきらに目配せをして問いかけた。あきらは毅然とした表情で答えた。
「言った通り、これからは貴方たちの料理も作ってあげるから」
「待て、俺の分もあるのか?」
「何言ってんのよ、クロエの分も作るんだから君の分も作った方が楽じゃない。伊里谷君だけコンビニ弁当って訳にもいかないでしょ」
「彼女からの好意だぞ、しっかり受けとらんか馬鹿者」
伊里谷は口がへの字になる。クロエに煽られてるときは、より彼女への態度が表情に出てしまう。
「分かったよ、君の言う通りだ。彼女の言葉に甘えよう」
「素直じゃないな。女から手作りの弁当を作ってくれるなんて、そう体験できるものじゃない。感謝しろ」
「なぜ、君がそんなに偉そうなんだ・・・・・・」
伊里谷は疑問を口にする。クロエはそんな伊里谷の言葉には何も答えず、あきらは気にした様子もなく答えた。
「了解、明日から作ってくるからよろしく。私の家からここまで歩いていける距離だし何なら伊里谷君に弁当は渡してあげるから」
あきらの対応に素直に頭を下げる伊里谷。一方、クロエは嬉しそうな表情であきらを見ていた。
それから、あきらと授業で使ったノートの写しをした後、アパートから出て行った。あきらは機嫌は良さそうな様子で帰っていった。
「今更だが、あきらの料理って美味しいのか・・・・・・?」
室内が静かになると、クロエが呟いた。
「俺たちが日本にいるのも、せいぜい後数日だ。彼女に会う口実を作ってしまったぞ」
「なあ、伊里谷」
クロエは柄にもなく伊里谷を名前で呼んだ。
「何だ」
「この生活は虚しいと思わないか、誰にも自分の正体や本音を明かさずに生きていく。そう考えると少し感傷的になっただけだ」
クロエの言いたいことは分かったが、伊里谷なりに彼女に返答する。自分でも酷い返答だとは思うが。
「仕方がない、俺たちの仕事だ」
「信じられんな。もう少しまともなことを言えないのか」
クロエは呆れを通り越して笑っていた。正直、伊里谷は彼女の言葉に賛成したかったが、それ以上何も答えられなかった。