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八杯目



時を止めているのは、間違いなくあちらのはずなのに。

いつまでも泰知と二人、過去にとらわれ苦しんでいると、まるでこちらの方が『時を止められている』気すらしてくる。


彼のお母さんは、まるで自分のしでかしたことなんてなかったかのようにふるまい、真実反省などしてない様子なのに。いつまでも泰知と、事件前の関係を続けているような錯覚をしている節があるのに。



―――どうして、泰知とこうして苦しんでいる私たちの方が、よっぽど進めていない気がしてくるのだろう。


あの人のように、過去なんて関係ないなんて、口が曲がっても言いたくない。こんな風に、嗚咽すら殺して泣いている大きな肩を抱きしめれば、きっと『あの人』も分かるはずなのに。


自らの犯した罪を真実認めていない彼のお母さんには、いつまでも十歳の泰知がぶーたれているようにしか見えないようだ。もっと昔なら楽に回った腕も、最近では背中まで手を伸ばすのも難しい。こんなにも成長し、私よりはるかに大きくなった体を必死に縮めて泣く彼を見て、彼女が自分の息子を見ようとしないことがとてつもなく悲しく思えた。




彼女に会った日は、泰知も彼のお父さんも様子がおかしい。

泰知が家に帰ってきて早々にトイレへ駆け込むことも珍しくなくて、「ほっとした瞬間に吐いちゃった」なんて言って、ドアを開けた瞬間にもどしても驚かなくなった。……そして泰知はいつからか、面会の日は玄関口へバケツを置くようになった。


どうしてそこまでしてお母さんに会うのか、本当に不思議だ。実際に、私よりも遥かに彼を案じているであろうお父さんとは、何度となく殴り合いの喧嘩に発展したらしい。無神経なお母さんの様子にキレたお父さんが怒鳴り込もうとして、それを泰知が妨害して喧嘩。それを毎度、うちの弟がとめるのも見慣れた光景だ。




今も、訪ねてきた泰知と弟が言い争う声が聞こえる。

何度となく送られてくる電話や通信アプリを無視し続けていたら、とうとう実際に家へやってきたらしい。でも、人一倍ガタイの良くなった弟にはかなわず、玄関から中まで入れてもらえないらしい。姉の身長を早々に越したのはちょっとむかついたけれど、毎日食事を作ってあげていた甲斐があるというものだ。歌胡に言わせるとシスコンの節があるという弟は、私が「しばらく放っておいてほしい」といった言葉を、忠実に守ってくれているらしい。


前から、歌胡と同様に泰知を「甘やかせすぎだ」といっていた一人でもあるので、嬉々として邪魔する声が聞こえる。

いつも頭のまわる泰知にやり込められていて、悔しかったのだろう。唯一勝てる力技という部分になれば、弟はまず泰知に負けない。




しばらくヘッドホンを付けた状態で曲を聴いていると、ガチャリと部屋の扉が開いた。

大音量で曲を聴いていたせいで、ノックの音にも気づかなかったようだ。軽く「姉ちゃん寝てたのか、ごめん」なんて謝って弟が部屋へ顔を出した。


「泰知は……?」


「帰ったよ」


「ちょっと骨が折れたけど」なんて、平和的とは言えない単語が聞こえたけれど、あえて無視する。グダグダ定まらない思考に負けて、気づけば寝てしまっていたらしい。どれだけ考えても答えなんて出るわけないのに、どうして考え続けてしまうのだろう。






カタリと音がして、しまったと思った時には遅かった。


「なんで、最近避けてんの?」


気付いた時には、泰知に後ろから抱え込まれていた。

ここ数日まともに会話していなかったから、油断していた。普段だったら安心するような体勢も、今は不整脈を起こしたかのようにドキドキしてる。ふわりと彼が使っているシャンプーの香りがして、身を任せそうになる自分の体を、叱責する。そろそろ彼の食事が心もとなくなる頃だろうと、冷凍できるおかずをこっそり冷蔵庫に入れておくつもりだったのに。まさかこの時間に住人がいるとは思わず、渡された合鍵で堂々と家に入ってきて失敗した。


「今日は、バイトのはずじゃ……」


「たまたま先輩にバイトの日を変わってほしいって言われて、今日は休みになったんだよ」


「そ、そう」


「今日の事は連絡しているはずだけど、それさえ見てねぇの?」


うしろから攻めるような言葉と共に、呆れたようなため息がかかる。

うなじの後れ毛がくすぐったかったけれど、それを抗議できるような雰囲気ではなかった。


「ほんと、どうしたんだよ。そんなに、馬鹿なやつらにからかわれるの嫌だったのか?」


「勿論、それもあるけど……」


決してそれだけじゃない。

泰知に言わなければならないことは山ほどあるはずなのに、そのうちの石ころ一個分も口にできない。何度も飲み込んだ石ころは、重いおもしとなって私の口を開かなくさせる。


「もしかして、松崎のこと?」


思わぬ名前が泰知から出てきて、どきりとする。

彼女の名前が出ただけで、無意識に硬くなる体に舌打ちしたくなった。確かに彼女は、私以外でいえば泰知に一番近い異性と言えるだろう。けれど、これまで彼の口からこんな風に彼女の事を聞く機会はなかったし、所詮事実を誇張しているのだろうと思っていた。


「あいつ、何度断ってもアピールしてきてさ。友だちとしてはいい奴なんだけど、ちょっと参るよな」


「ともだち……」


「そう。だから全然、智会が心配する必要なんてないんだよ」


二年から転入してきた彼女は、何時も必要以上に男子に近づいたりといろいろ浮いた存在だった。いつもクラスの中心にいるような華やかな集団の男子にばかり愛想が良くて、女子や相手にされない地味な男子には評判が悪い。



松崎さんは私のことをよく思っていない様子で、泰知といると不意に話に割り込んできたりする。彼は実母の影響もあって濃い化粧が苦手だから、彼女が傍に来るたび微かに眉をひそめていると思ったのは、気のせいだったのだろうか?それとも、化粧を薄くしたら、私なんか放って付き合いたいってことかと、どんどん思考はぐるぐる回る。


「か、のじょのこと……は、関係ないよ」


関係ない。

そう、関係ないのだ。今だって、泰知が私を大事にしてくれているのは分かっているはずなのに、こうして疑ってしまう自分の感情が何よりの問題だと分かっている。


「じゃあ、なに?」


「泰知には関係ないよ」


「そんな訳ないだろう、連絡だってずっと無視してるし、明らかに智会の様子はおかしいよ」


「食事は今までどおりつくるし、気にしないで」


「なんだよそれ。それじゃあまるで、僕が本当に智会のこと飯炊き女みたいに扱ってるみたいじゃん」


泰知の言葉に耐え切れなくなった私は、とうとう彼の頬を思いっきりひっぱたいて、泰知の家を後にした。



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