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五杯目


ある日、三限目の授業が終わって、ぐーぐーお腹がなってしょうがない時。ガヤガヤうるさい教室で歌胡と話しているときに、それは起こった。

何の気まぐれか、泰知は疲れて座り込んだ私の座席までやってきて、口を開いておもむろにこう言った。


「智会のつくるパンプキンパイが食べたい」


「えっ……」


「今日は特に、委員会とかもないんだろう?家帰ったら作ってよ。取りに行くから」


私の右手を軽く握り、ねだってくる泰知に頬が引きつる。

そんなことは家で言ってくれれば問題ないのに、どうしてこんなに同級生がいるところで言わなければならないのか。常ではベタベタくっつきたがるタイプではないのに、油断しているとこういうことがあるから恐ろしい。何を思ったのか、気まぐれに意味深な発言をして反応を見るのだ。


ガヤガヤと騒がしかった教室が、心なしか声が弱まり、注目されているようだ。さっきまであちらこちらで話し声がしていたのに、流行りの音楽を聞いたりしていたグループにまでみられている気配がする。



はたして、泰知に観察されているのは私か、周囲か。


人に明かしたくない秘密がある人間は大変らしい。ずっと一緒にいる幼馴染の本心を疑い、自分の行動に対する周囲の反応に怯え。いくら恋人が近くにいたはいえ、女の子に対し「手作りお菓子なんていらない」などと切って捨てる。その上、いった舌の根も乾かぬうちに、私へそれを強請るのはもしかしたら、とっさにその光景から目をそらしたこちらへの嫌がらせかもしれない。


一人思考を巡らす私の横で、たまたま近くにいた泰知の友達がいらぬちょっかいをかけてくる。


「いや。お前さっき三年のマドンナがくれるって言ったクッキー、いらねぇって断ってたじゃねぇか」


「僕は智会が作ったものしか食べないって言ってるのに、無理やり渡そうとするから断っただけだよ」


「あーはいはい、お前はそういう奴だよな」


呆れたようにこちらを見て「中井さんも大変だね」なんて苦笑する彼の友人へ、同情するなら放っておいてくれと主張したい。


むかし絶食状態になった泰知へ、無理やりお菓子を食べさせていた自分を殴ってやりたい。……いや、きっとそんなことを考えるのは、彼に対する負い目が理由だろうとは分かっている。それでも、どうしてこんな時にそれを口にするんだ馬鹿野郎!という気持ちをぬぐうことはできない。


「なぁ……?」


「分かった、わかった、分かったから!」


早く友達の所へ行きなさいよと背中を殴った私へ、彼のみならず周囲まで笑いをこぼしたのは納得がいかない。



どくどくと鳴る心臓の音は、これから起こることを予想しているようで苛立ってしまう。


「ねぇ中井さん、少しいいかなぁ?」


こちらへ問いかける体を装っているのに、ギラギラと光る眼差しは拒否する言葉を許してくれなそうだ。悲しいことに見慣れてしまったボスと傘下の女子数名に呼び出される図。女の子たちはどうして揃いも揃って同じようなことをするのだろうと、ついつい出そうになるため息を押し殺した。




連れてこられるのは、たいてい空き教室か使われていないトイレ。わざわざこんな所へぞろぞろ入っていったら、何かやましいことをしていますと言っているようなものだと思うのだけれど。彼女たちはどうも、バレなきゃ大丈夫だと考えているようだ。こちらとしても、教師に根掘り葉掘り聞かれるのは好ましくないのだから、もっと慎重にしてくれればいいのにと愚痴りたくなる。……とくに、大きな声を張り上げられているこんな時は。


「いい加減に、彼の優しさに甘えるのはやめなさいよ!」


「そうよ、みっともない」


「『飯炊き女』なんて言われているけど、所詮体で彼を落としたんでしょ」


「不潔な上に、卑怯ね!若宮くんが可哀想っ」


ステレオタイプの台詞は、何度か聞いたことのあるものだった。

真実や苦しい胸の内を知らない周囲は、決まって同じようなことを言う。「何も知らない癖に」と言えれば胸がすっとするけど、自分だけが特別だという感覚に酔ってる幼い心は口をつぐむ。そもそも、こんな誰が聞いているかわからない静かな所で、良く言えたものだ。それこそ彼女たちの立場の方が、よっぽど悪くなるだろうに。


そんなほの暗い優越感が、知らず滲み出してしまっているのだろう。

リーダー格の女の子が、ぐいっと髪の毛を引っ張ってきて眉をしかめる。


「あんたなんて、ただ彼の弱みを握って利用しているだけのくせにっ!」


これまでいろいろ言われたし、汚い床に挨拶することになったらどうしようかとひやひやしていた。けれど、殴られる以上の衝撃が頭に走って立ち尽くした。それからしばらく好き勝手言われていたけれど、言葉なんて少しも浮かばず、身動き一つできないでいた。


隙間風が入ってくる無人の女子トイレは、ボロボロで見るからに寒々しく感じる。

先輩たちはバタバタと音を立てながら去っていったから、こんな汚い所にいつまでもいる義理はないはずなのに。私の足は、さきほどの先輩へ言われた言葉に縫いつけられたように、その場から動かすことが出来ずにいた。


「―――なぁんにも知らない癖に、変に図星をつくのはやめてほしいなぁ」


静かになったトイレには、嫌な沈黙が満ちていた。

先程まで感じていた怒りや寒さはごっそり抜けおち、窓ガラスだけがガタガタとその存在を示している。

彼女に言われた言葉に、何の反論もできない自分がいた。悔しかったし、そんな事はないと言ってしまいたかったのに……私のこの口は、どんな音を漏らすことすらしなかった。


「――――分かっていたよ」


誰にともなく、ぽつりと呟く。

この関係が終わるのは、きっと彼が他の人が作る食事を食べられるようになった時だろうと、ずっと思っていた。


傍にいたいがために、まだ早い……まだその時じゃないなんて空々しい言い訳を己にしながら、彼がトラウマを乗り越える機会すら与えずにいた。誰より苦しんでいるのを知っていたのに、私はなんていやな女なのだろう。「無理をしないでいい」なんて甘い言葉、彼の人生には毒にしかならないと、分かりながらずっと目をそらしていた。


そんなやましい部分があるから、尚のこと私は彼への食事に気を使ったし、自身の体調にも注意して、欠かすことのないようにしていた。もしもの時のために、冷凍した食事のストックも切らしたことも一度しかない。


「泰知の作ったおかゆ……おいしかったな」


以前に、私が寝込んだ時に彼が作ってくれたものを思い出す。

普段風邪くらいでは休んだりしないのだけれど、ノロウィルスにはさすがに勝てずに寝込んでしまった。数日前から具合の悪かった私は、普段は欠かすことのない冷凍のストックを切らしてしまい、プチパニックに陥った。

熱や吐き気などの症状よりも、彼に食事を作ることができなかったということが悔しくて泣き出した私に、彼は困った顔をしておかゆを作ってくれたのだ。


塩と梅干で味付けしたそれは、とても優しい味がした。



私は一応、まともに包丁が握れるようになってから、料理を振る舞いまずいと言われたことはない。

人によって味の好みは分かれるし、創作料理などでは失敗することもある。……それでも、表面的な飾りや味ばかりにとらわれている私は、はたしてこんな風に人をほっと安心させられるような、料理を作れているのだろうか。



正直、私の作る打算まみれの料理が、そんな味をしている自信は欠片もなかった。



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