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三杯目



私が幼稚園に通いだすちょっと前に、我が家は泰知家族のお隣さんになった。

そのころの私は彼の家が抱える問題なんて全くしらずに小学校に上がり、気づけば泰知が入院していた。彼とはお隣ということもあって、他の子たちよりはるかに長い時を過ごしていた。それがどうだろう。いきなり泰知も彼のお母さんも入院してしまって、たまに見かけるお父さんは何時もお通夜のような暗さだった。


声をかけても「やぁ、智会ちゃん」なんて元気なく答えるだけで、「泰知くんと逢いたい!」と伝えても「もう少しで戻ってこられるから」なんてかわされてしまう日々が続いた。今考えれば、それが泰知のお父さんにとってどれほど酷なことだったか、想像に難くない。私の両親もそれを見かねたのだろう。

まだ幼かった私は彼らに起きたことがよく理解できず、大人たちに聞いた『食中毒で怖い思いをしたからご飯が食べられなくなった』という言葉を鵜呑みにした。




成長した今考えてみればそんな話聞いたことがないし、現実的ではないとわかるのだが。

当時は幼い正義感から、毎日彼のためにゼリーやお菓子などの簡単に食べられるものを作って食べさせようとした。


現在では、余計なお世話だったろうと思う。でも、これまで許されなかった一人での調理が母親から解禁されたばかりで、浮かれていたというのもあって、飽きずにいろいろなものを作って見せた。


「本当に、智会がいなきゃどうなってたか分からないのに、あの人はのんきだよなー」


「私は……ただお節介なだけだし。子どもの頃は、なかなか酷いことしていたけどね」


「そんな事ないよ」


彼は軽く否定して、私が作っておいたジンジャークッキーを口にした。

そんな姿を見ていると、どうしてか『あの事件』があってから、初めて彼に手作りの物を渡した日を思い出した。




私の作るものを口にしてくれた時は、それはそれは感動したものだ。

自分だけ特別だと言われているような、その行為は嬉しくて。あの日から私はさらに調子に乗って、感想までも求めるようになった。始めのうちこそ戸惑っていた様子だが、毎日続けるうちに諦めたのだろう。決して率先してと言った様子ではないけれど、あっさり食べてくれるようになった。


「ねぇ、これすっごく時間をかけて頑張ったの!食べて食べてっ」


「うん……ありがとう」


薄く力なく笑う様子に、微かな違和感を覚えつつも、感謝の言葉をうのみにした。

あまりたくさん食べないのは、これまで注射だけで栄養を取っていたからだと言われ、素直に信じた自分を今では殴ってしまいたい。




それを知ったのは、お菓子を食べさせるようになって三か月ほど経過した時だった。

たまたま午前授業だった私は、何時もより早く彼へお菓子を渡していた。一緒にお菓子を食べてから私の家で遊んでいると、見る見るうちに彼の様子がおかしくなった。


変な汗をかいているし、そわそわと落ち着きがない。

あるとき限界に達したのだろう。慌ててトイレに駆け込んだかと思うと、勢いよく胃の中の物をすべて吐き出し始めたのだ。あまりに青くなった泰知に驚いた私は、心配で後を追っていたから、便器を抱え込むようにして苦しむ姿に衝撃を覚えた。




その日の晩、私とお母さんは真実をすべて、聞かされることになった。

私と食事をした後は、いつも吐いていたのだと知ったときは、それはそれはショックだった。

今なら優しさの押しつけだったとわかるのだが、あの頃は自分の誠意や自尊心を踏みにじられたように思え、大層衝撃を受けた。


「ぜんぶ、吐いてた……」


想像以上に深刻な事態に、しばらくうちのお母さんも黙りこんでいた。けれどあまりに、私が絶望的な表情をしていたのだろう。泰知のお父さんと、慌てたようすでフォローしてきたのを覚えている。


「きっと、泰知くんは本調子じゃないだけだから、いつか智会の気持ちも届くわ!」


「おかあ、さ、ちがう。……だって、吐くのはとても苦しいって言ってたもの」


何とか慰めようとするお母さんの言葉も、気遣われているのは分かるのにイラついた。

だって、本当に気遣われるべきは彼の方なのに、無神経なことをした私をかばうなんておかしいではないか。初めて感じた親の過保護さも相まって、その日は色々な意味でショックを受けた。


これまで常に正しいと信じていた両親が、意外と間違ったことをするという事も。今回のように、私の行動が正しくなくても、必ず両親がとめてくれる訳でもないことも……知りたくはなかった。その行動は全く異なるはずなのに、泰知の母親を思い出して私は生まれて初めて、ストレスで嘔吐した。



それから私は、毎日続けていた料理をやめて、台所に入ることすらしなくなった。

うちのお母さんは「泰知くんに、会いに行ってあげないの?」なんて言ってきたけど、拒否した。次はどんなものを作ろうかと、たくさん付箋をつけていた初心者向けのレシピ本も、引き出しにしまいこむ。自尊心を傷つけられた私は、『無理やり嫌がることをしてしまった』という気まずさも重なって、彼をとことん避けていた。


そんなことが、一週間ほど続いただろうか?

ある日彼は、泣きながら私に助けを求めてきた。


「どんなに頑張っても、智会ちゃんの作るお菓子以外は口に入れることも出来ないんだ!」


泣きながら、頑張って作ってくれたのに吐いてごめんと謝られてとても衝撃的だった。

きっと彼は、自分のお母さんと違っておいしくないから、私が作るものなんて食べたくないのだと思い込んでいた。それなのに、泣きながら私が作ったものをまた食べたいなんて言っている泰知を、信じられない気持ちで見つめた。


「えっと……、私が作るお菓子がおいしくないから吐いてるんじゃないの?」


「違うよっ!本当は僕だって、ちゃんと食べたいのに……」


「でも、お母さんがたいちくんは、食べると気持ち悪くなるっていってたのは大丈夫なの?無理してない?」


「他の人が作るものは気持ち悪いけど、智会ちゃんが作るものは大丈夫」


私が一生懸命自分のために料理を作ってくれたのは、本当にうれしかったのだと言われて心底安心した。私のうちで囲む食卓は、楽しかったと。こんなおかしな状態は耐えられない。


自分だって、本当は普通に食事をとりたいのだと―――。


そんな泰知の熱意と、微かな優越感に浸った私はあれ以降、毎日なにかしらのものを彼に作っていっている。


何せ、私は当時から泰知のことが大好きだったのだ。

そんな彼に『君にしかできないんだ。どうか助けてくれ』なんて言われて頷かないなんて選択肢があろうはずもない。……それどころか、何をおいても彼を助けたいと思い、それは今も続いている。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾





突然、服の裾を引かれる感覚で意識が戻った。

どうやら、知らず知らずのうちに考え込んでしまっていたようだ。気づけば、リビングで彼と向き合い座っていた。どこか頼りない顔でこちらを見つめる瞳が近くて、今さらながら驚いてしまう。


「ねぇ、筑前煮作ってよ」


戸惑う私に気付いたのか、彼は何てことなさそうに言葉を重ねる。


「ここに来るまでに吐いてきたから、大丈夫だよ」


むしろ全部吐いちゃったから、お腹減っちゃったなんて笑って見せた彼に、苦笑しつつも腰を上げた。本当は、ここで素直に言うことを聞くより先にやることがあるだろうに、しみついた習慣というのは抜けないもので。彼がお腹を空かしていると聞くと、どうにかしてあげなくてはと考えるより先に体が動く。……いや、動いてしまう。こうして、今まで私はうやむやのまま、ろくに話し合うことも対策を練ることもせずにやってきてしまったのだ。




彼と母親のことを聞かされた時は、料理を作るにおいすら嫌そうにしていた。

それに慣れてからは、お皿に盛る段階で眉間のしわが深くなるだけになった。うちの母親と一緒に、あれやこれやと試行錯誤していたけれど、どうも『大人の……とくに女性が作った料理』というものに反応しているのだと気付いてからは、なるべく一から十まで私一人で料理するようにしていた。


できるだけ料理を作る作業を見てもらい、安心して大丈夫なのだと頭だけではなく、心にもわかってもらえるように慣らしていった。そんな努力が実ったのだろう。まず、吐くことがなくなり次第に手の震えや眉間のしわと言った拒否反応が出なくなった。その後、包丁さばきが様になってきたころ、何とか私の作った料理だけは食べてもらえるようになった。




―――気づけば普通に食事ができるまで、六年の歳月が経過していた。


筑前煮は、里芋やタケノコなど、具材にしっかり味が染みるようにコトコトに込んだ。

早く何か食べさせて、空腹を満たしてあげたいという思いもあるけれど、焦っては美味しい料理が出来ない。成すべく手順を省いたら、どうしても何時もの味は出ないから、空腹だという彼を待たせている焦りを抑えて鍋を見守っていた。


「はい、できたよ」


「ありがとう」


待ってましたなんて軽口をたたいているくせに、けっして嬉しそうじゃないのもだいぶ慣れた。この日ばかりは自分を偽るのが難しいらしく、決まって難しい顔で食事をする。散々吐いたと聞いて心配していたけれど、気持ちを落ち着けるために寄り道してきたのだろう。危惧していたより、すんなりと咀嚼している。


「やっぱり智会の作る筑前煮は、美味しいんだよなぁ」


不思議そうな顔をして、どんどん箸を口へ運ぶ様子にほっとした。

普段は気にすることがないのだけれど、散々吐いたと聞かされた後に彼へ料理を出すのは、ためらいがある。彼の症状を解明していない今、専門家からのアドバイスもあってないようなものだ。



なんでだろう……と、つぶやかれた言葉が、何よりも真実を語っているように思えた。





実母に毒を盛られるなんて、衝撃的な経験をした彼へしてあげられることは、わずかしか思い浮かばない。

まずは、彼の口にする物には細心の注意を払う事。これはなかなか自信がある。食べ合わせから賞味期限まで、一般家庭ではまず気にしないだろうことまで考えて用意しているのだ。これでだめだと言われたらへこんでしまう。

次に、可能な限り自然なものを使うようにする事。下手に加工されている物を使うと、どうしても自分ではわからない部分が出てくる。さすがに練りものなどの加工食品まで忌避したりしないけれど、冷凍食品や調理しやすいように加工されているものなどは使わない。



どうしても手間だと感じる時はあるけれど、幸い若宮家の冷蔵庫は、私の独断場と化しているからスペースに余裕がある。

暇なときにたくさん作り置きし、野菜を調理しやすいように冷凍しておく。そんなえらくガス代のかかりそうな作業をしていても、泰知のお父さんはお金を受け取らないどころか、「……いつも、すまないね」なんて食費をくれて、その時だけ目を合わせようとしない。だから、何と返せばいいのかわからないまま、ここまで来てしまった。


一度は私と彼を離そうと、泰知を別の学校に進ませたのだけれど、家へ毎日通っていてはさほど効果もないと思ったのか、高校では同じ希望校になっても、特別反対されることはなかった。



……例え離れていようといなかろうと、これ以上、彼が傷つけられるのなんて我慢ならない。



だから、もしも彼を傷つける要因となるものが私にあるなら、自分自身からも彼を守って見せよう。再び彼が苦しむことなんてないように。




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