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おかわり ~買い出し~


朝からどんより雨雲が立ちこめるなか、「あっ、買い忘れた」そんなめずらしいことばを聞いて、ふっと目を上げる。


雨がしとしと降りだした。

どうも最近は気温の変化が激しくて、六月なのに夏日だなんて冗談じゃないと思っていたから有難い。

僕はかすかに涼しくなったのが嬉しいだけだが、智会はそういうわけにはいかないらしい。


「雨が降ると買い物が億劫になるし、そもそも自転車が使えないと大変なの」


「一番に浮かぶのが買い物の心配っていう所が、主婦だよなぁ」


「そんなこと言っても、食事は特に私たちにとって大切な問題なんだからしかたがないでしょう?それに、雨で前髪がうまく整わないし、学校指定のカッパも可愛くない」


慌てたように付け加えた理由に、嗚呼智会も女の子だよなぁと思わず笑った。

たった数日間の間に、暑くなったり涼しくなったりを繰り返すたび、彼女の機嫌もころころ変わる。軽く体調を崩していることもあったのだろう。今日は朝から変な咳をしている。ゆっくり休んでいて良いと言ったのだが、これぐらいなら大丈夫と押し切られて今日も学校帰りに智会は我が家までやって来た。


今日くらい、残り物でも問題ない。冷凍しておいた食事だって、いつまでもおいておけるわけじゃないのだからそれを食べれば充分だ。なるべく傷つけないよう伝えたかったのだが、言い方を間違ってしまったらしい。

雨が降りそうだというのに、智会は頬を膨らませて買い物バッグを持ち出した。


「僕が一人で買い物に行ってくるって」


「最近は急に値上げしていて、いつものメーカーが一番安いとも限らないし、自分で選びたい。本当は、昨日買ってくるつもりだったのに……」


「いや、いつもならそんなミスしないんだし、疲れてるんだよ」


「えっ、雨が強くなっている……。こんな事なら、もっと早く買い物に行っていれば」


「いや、それは決して智会のせいじゃないから。待っていてって言っても、一緒に行きたいんでしょう?ほら、早く行こう」


「ううん、泰知は別についてこなくても……」


「それは僕が寂しいから却下」


心配されていると意固地になりそうだから、わざと茶化して智会を誘い出す。

滅多にないことだが、彼女は時々わがままになる。それは決まって体調が悪い時で、普段通りに動けなかったり、体がつらい苛立ちが思考を邪魔するのだろう。可愛らしい我がままだけなら問題ないのだけれど、こうして心配されるのを嫌がるのは困りどころだ。帰りがけにたまたま出くわした智会の弟からは、「今日の姉ちゃんは、ちょっとおかしいから気を付けろ」とわざわざ忠告をされて驚いた。

昔から智会に食事を作ってもらっているせいか、彼女の弟からうっすら嫌われているので、あちらから話しかけてくることはめったにないのだ。


「とっとと終わらせて、寝かせないとなぁ」


「ん、何か言ったぁ?」


「いや、別に何でもないよ。いつものスーパーだと手をつないでいけないから、近場のスーパーに行こう」


「えぇー、あそこだと調味料は安いけど微妙だなぁ……」


「ほら、智会が残りを気にしていた油と醤油も頑張って持つから、そんなこと言わないで」


「えっ、いいの?おじさんが急な出張で、次の休みに居ないから不安だったんだよね」


いつも重いものは決まって親父に車を出してもらっているから、思いのほか喜ばれて驚いた。別に親父の金だし、多少高くても問題ない。けれど、智会はそうは思わなかったらしい。普段から彼女の母親と一緒になって、少しでも安い物を買うため尽力してくれている。


「やった。あそこのスーパーだと、好きなメーカーが安くなっているから嬉しいんだよね」


「喜んでもらえるのは嬉しいけれど、そんなに傘を回すと雫が飛ぶよ」


「んー、小雨だから自分一人で買い物に行くって、さっきまで意気込んでいた人のセリフだとは思えないわ」


「いや、買い物に行くんだから、雨は強くない方がいいだろう」


なんだかんだ話ながら、智会の機嫌が直っていることにほっとする。

あまり機嫌を損ねていると、早く休めと言ってもなかなか受け入れてくれなくなるから心配していたのだ。彼女が僕を気遣ってくれるように、僕も智会を大事に思っているのだと知ってほしい。


『言っておくけど、今度しょうもないことでなぁーちゃんを泣かせたら、許さないからね』


以前に、歌胡という智会の友人に言われた言葉を思い出す。

わざわざ、二人っきりのタイミングを見計らって言われた言葉は、想像以上に重苦しく教室に響いた。すぐに智会が戻ってきて、鋭いまなざしは逸らされたけれど、あれにはひやりとさせられた。それまでは、智会に害を与えないならいいか位にしか認識していなかった。それがまさか、あんな風にけん制してくるなんて思わず驚かされた。下手な事をすれば、智会が僕と別れる後押しをしかねないと思えるほど、鋭いまなざしだった。


まったく、いくら僕が日々智会を独り占めする方法を考えているからって、みんな警戒しすぎだと思う。

佐藤のように単純な人間ばかりでも不安になるが、二人の時間を邪魔されるのならもっとうまくやらなければという気持ちにさせられる。


……そのはずだったのに、どうして目の前には不機嫌な智会がいるのだろう。


スーパーに入った直後は、終始機嫌が良かった。

思わぬ買い出しにあれもこれもと、楽しそうに商品を見ていた。それなのに、少し別行動をした途端、彼女の反応に違和感を覚えた。それからは、カートを進めるごとに不機嫌になっていくのが、手に取るようにわかる。問題は不機嫌になっていると分かっているのに、その原因に全く思い至らないことだ。原因が他人にあるならまだ良い。いや、宥め方ひとつで血を見るかもしれないが、それはいつものことなので別に良い。だが、もし僕の言動に問題があったとしたら、その原因に気づいていないなんて伝えた瞬間、大変なことになるのは目に見えている。


「どうして、日本の気候はこんなに異常になったんだろうね」


「いきなり、哲学?」


いや、どちらかというと科学だろうと、心の中でツッコミをいれる。知らず、不機嫌な智会に緊張していたらしい。とっさに出たのは、我ながらしどろもどろだった。


「哲学ではなくて、日照りが続いたかと思えばゲリラ豪雨で、野菜の高騰がとまらない。これじゃあ、泰知に栄養あるもの食べさせられない」


「いや、親父の金なんだしいくらだって使えば良いよ。それがいやなら、冷凍野菜とかなら大丈夫だし」


「新鮮な野菜でしか取れない栄養があるし、料理の幅が狭まるの!」


「そ、それはごめん……」


「どうして、天気を悪くした訳でもない泰知が謝るのよ!」


「う、うん……」


思わず出かかった、ごめんの言葉を飲み込む。

今日はとことん智会の機嫌が悪いらしい。日ごろから「意味も分からず謝られるのは嫌いだ」と注意されていたが、こんな勢いで怒られるのは珍しい。


しばらく、気まずい空気のまま買い物を終える。

どうやら、いつものメーカーの調味料も買えず、狙っていた雨の日に使える特別クーポンも、先ほど降り始めたばかりと言うことで使えなかったらしい。


「何だか、今日はうまくいかない……」


ポツリと呟かれた言葉が、あまりに弱々しく切なくなった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






家についてから、やはり智会は調子が悪かったらしく家へ帰ったとたん布団に潜り込んだ。どうやら、風邪なだけではなく、生理にもなっていたらしい。賞味期限の早いものを買ったからとわずかに抵抗していたが、腹痛には勝てなかったようだ。こんな時くらい、自分のことだけ考えて欲しい。彼女の部屋のクーラーをつけた状態で、布団をかぶせる。夏場でも、腹部は温めたほうが良いらしいのは、以前に聞いていた。僕は月のものに詳しくないが、幼馴染だし。そもそも誰もいない彼女の家に智会1人にさせるのは忍びなくて、細々と世話をやく。


毎月飲んでるルイボスティーに、繰り返し使えるホッカイロ。ほかに欲しいものがあるか聞いたけれど、薬が効くまでは、ジッと布団で横たわっているのが一番楽らしい。


何となくそうじゃないかと思っていたけれど、こちらから聞くことも出来ずにいた。

毎月必ず具合が悪くなる訳じゃないし、怒る気力もなく貧血でよろめいたのを見たときは肝が冷えた。「成長するにつれて、自分に合った薬や対処法を学ぶものなんだ」と智会の母親から聞いているが、心配なことに変わりはない。どうやらそんなこちらの様子が分かって、余計にカラ元気で乗り切ろうとしていたようだ。いつも食事の面倒をみてもらっている分、こうしてお世話出来るのが嬉しいと言ったら、怒られるだろうか。


「たまには、頼ってくれていいんだよ?」


彼氏なんだからさ。

そんな呟きは、穏やかに聞こえてきた寝息と共にそっと空気に溶けていった。




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