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二杯目



調理室に戻ると先ほどよりにぎやかで、ギリギリ片付けに間に合ったようだった。


「あー、泰知くんやっと帰ってきたぁ」


なんて、一部の女子が騒ぎ立てるけど、泰知は余裕がないようで明らかな作り笑いを返している。あからさまに無理をしているというのに、どうして彼女たちにはわからないのだとハラハラしてしまう。



彼が私のお弁当以外は食べないことは一部には知られていることなので、近しい友達は気を使って皿を空にしてくれていたようだ。「悪い、腹減っていたからつい食っちまった」なんておどける友人に、「今日は食欲ないから、別にいい」と笑う泰知に胸が痛む。

調理実習なんて、適当に参加しておけばいいと思うのだけれど、彼は時々こうして無謀なことをしては嘔吐する。


「もしかしたら、ふとした瞬間に食べられるようになるんじゃないかと……期待しているんだよ」


「…………」


「いつまでもこのままじゃ、困るだろ?せめて、すぐに吐き出さないようにならなきゃ」


散々非難していた言葉も、そんな思いを明かされてしまえば何も言えなくなる。

以前にそう語った泰知の顔は、少し疲れた様子を残しつつ、あまりに痛々しくて記憶に焼き付いてしまった。

私にはわからない彼だけの感覚があって……それをひどく恐れ敏感に反応しているのだろう。泰知ほどではないと言えど、自分だけの感覚や基準があるというのは理解できる。



例えば私で言えば、スプーンをはじめとする食器の口へ触れる個所には極力触らないようにしている。それは人が触れると不愉快になると言うだけではなく、自分で触れるのも抵抗がある。確かきっかけは、子どもの頃に泥だらけの手でスプーンを持っておやつを食べたときに、お腹を壊し苦しんだことだったけれど。何年もたった今も、その習慣は変わっていない。


お店では箸などの食器はペーパーナプキンを使って拭くし、なければポケットティッシュを使う。

家では食卓へ運ぶ前に一度洗って、拭くのが習慣となっている。それは、TPOに合わせて意識すれば我慢できることなのだけれど、彼の場合はもっと深刻で重大な状態なのだろうと、何となく理解している。


普段はなんてことないのに、意識した途端具合が悪くなることもあるし。

それは決して仮病なんかではなくて、世間でいう所の心が患った病のせいなのだろう。


「あんまり無理していると、体壊しちゃうよ?」


一緒に帰りのバスを待ちながら、思わずそんな言葉を口にする。

泰知はといえば、一瞬きょとんとした表情の後で「嗚呼、調理実習のことか」と頷いた。人が散々心配していたというのに、相手は忘れていたらしい。あれから、泰知はどうにも我慢が出来なかったようで、保健室に行って戻ってこなかった。


私が放課後迎えに行くまで大人しく眠っていたようで、最後に見た青白い姿よりマシになっていた。それでも、普段なら使わない遠回りで割高な路線に乗るのは、より家の近くまでバスで帰ろうとしているのだろう。いつも「15分くらいなら、智会と話してればあっという間だよ」なんて歩いているのにと、心配せずにはいられない。


「別に、体調が悪いからこっちの路線乗ろうと思ったんじゃなくて、いつものバスは智会が苦手な『あいつら』がいるから、嫌がるかなぁと思っただけだよ」


「げっ、『あいつら』いたの?」


私たちが口にする『あいつら』とは、度々私たちのことをからかってくる男子たちで、泰知のことがきにいらないのか、何かあるたびに絡んでくるのだ。今日も、泰知が女子からの手作りお菓子を断ったことや、授業中に二人で抜け出したことを理由にからかわれた。



先生は泰知の症状を知っているから、別段咎めたりしない。

けれど、それが彼らの行動を助長させているようで、「あいつらだけ、いちゃついていてもおとがめなしかよ」なんて、見当違いなことを言ってくる。大方リーダー格のやつが、空き教室でいちゃついていたのを咎められ、根に持っているのだろうけれど。それを言いつけたのは決して私たちではないし、気持ち悪いと思えど興味もない。だから、放っておいてくれるのが一番いいのに、不幸なことに同じクラスになってしまい嫌味や根も葉もない暴言は続いている。


「うわぁ、助かったよ泰知。私、全然気づいていなかった」


「まぁ、たまには智会の騎士ナイトらしいことしないとね」


「何それ?」


くすくす笑ったのをみて、嬉しそうに目を細めると、泰知はすっと私の手を取りあげる。

周囲で聞こえていた車の音が、一瞬遠ざかった気がした。


「いくら口さがないやつらが何を言っても、こんな僕に付き合ってくれるのも、一緒に居たいのも智会だけだよ」


思わぬ言葉にときめいて、ぐっとせりあがってきたものを何とか押し込める。

泰知は全然そう言うことをするタイプに見えないのに、意外とこういうキザな行動が似合っていて悔しい。今にもほっぺチューでもかましてきそうだ。いくら学校から少し離れた、人気のないバス停であっても、人通りはあるし車もバンバン通る。そんな中キスでもされてしまえば、真っ赤になる自信があるからなんとか誤魔化さなければ。


「そこまで言われたら、しょうがない。今晩は何か、好きなもの作ってあげる」


会心の一言だと思ったのに、泰知から思わぬ言葉が出てきて黙り込む。


「今日は『あの人』から呼び出されているから、気にしないでいいよ」


全然嬉しそうじゃない泰知は今日、彼の実の母親に会いに行くらしい。

そのせいで無理をしていたのかと思えば、ギュッと唇をかみしめることしかできなかった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾







ソファで寝ころびながらスマホをいじっていると、家の呼び鈴が鳴って飛び起きた。

もう、今日はずっと気になって何も手につかなかった。何時もならすぐ終わる簡単な課題も進まず、何度時計とにらめっこしたか数えていない。それなら、最近はまっているゲームをしようとしても駄目なのだ。一つのことが気になって気になってしょうがなくて、何度も最弱の敵にやられたところで、ようやく待っていた連絡がきてほっとした。


少し前に、もうすぐにこちらへ着くとメールが来たから、誰が来たのか容易に予想できる。なるべく足音を荒げないよう、早急に玄関の扉を開ける。


「―――いらっしゃい」


「うん」


離れていたのはほんの数時間だというのに、目の前の彼は一回り小さく見える。

どこかさびしげで頼りない様子は、久しぶりに実母と会った息子の反応とは到底思えない。少なくとも、弟が母親としばらく会わないでいたとしても、同じ状態にならないであろうことは容易に想像できる。


「食事は……」


美味しかった?一番の関心ごとではあるけど、それを聞くのはあまりに無神経かと口をつぐむ。ぱくぱくと音にできる存在を探しているのに気付いたのだろう。泰知は少し疲れたように、薄く笑った。


「あの人も、馬鹿だよねぇ」


「うん……?」


「こっちはあの人のせいで、他人が作った物を食べれなくなったっていうのにさ」


笑いながら言うにはあまりに重い言葉に、ただ聞いているしか私はできない。

さほど広くない家の玄関が、いやに重苦しく感じる。こちらを気にするふりすら見せず、彼はふっとため息を吐いた。


「嬉しそうに笑って言うんだよ。泰知は『筑前煮』が好きだったでしょう?って」


彼の母親は、彼が小学生のころに無理心中を図った。

幸い二人ともすぐに発見されたことと、使用された毒が遅延性のものであったことで命を取り留めた。しかし、母親の方は体に後遺症が残り、彼は私以外が作った料理を食べることができなくなった。


当時、ちょっと名の知れた料理研究家だった彼女は、あけすけな表現や批判が嫌われて、プライドの高さも相まってノイローゼになってしまったのだという。人気が落ちてからもメディアへの露出を抑えるどころか、なんとかやり直そうと下手な頑張りを見せたのが悪かったのだろう。

始めは好意的だったファンでさえも敵にまわり、ネットで叩かれ、その被害は実生活にも及んだ。以前にちらりと、彼の父親が話してくれたことによるとこうだ。


「俺の事はまだ我慢できるが、泰知まで記者に追いかけられてるんだからいい加減にしてくれ」


「そんなこと言ってもこのままじゃ、貴方だって仕事先で肩身の狭い思いのままなのよ!」


「……仕事なら、一週間前にクビになったよ」


「それじゃあ、尚のこと誤解を解かなきゃっ」


終始そんな感じで、彼女は諦めることなく。泰知が傷つこうと、夫がしつこい取材に追いかけまわされても、やめることがなかった。とうとう離婚という段階になって、あの事件が起きたらしい。いくら追い込まれていたからと言っても、その果てが息子との無理心中なんて、到底許せることではないけれど。



彼女はまさか、自身の犯した罪のせいで息子が一種の摂食障害を患っているとは思わないらしい。彼の父親がそれとなく伝えても、信じなかったという。

昔と変わることなく……いや、もしかしたらそれ以上に、あれこれ手料理を振舞ってくれるらしい。「親父がそういう、考えの足りない無神経さに嫌気がさしたって言ってたのを、痛感してるよ」なんて、疲れたように笑う泰知を見て、胸が締め付けられる。


「智会、また寝転がりながらスマホ見てたの?寝癖ついてる」


「うん……」


しばらく口を開け閉めしたけれど、それ以外の言葉が浮かばず黙り込む。

そんな私を知ってか知らずか、泰知は何をいう事もなく後ろ頭を撫でてくる。繰り返し行われる行為はまるで、子どもを褒めるときのようで、一番『これ』をされたかったのは泰知自身だったであろうことに胸がギュッとなる。


彼が浮かべているこの表情は、一時期しょっちゅう私が向けられていたものだった。




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