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十一杯目


いざ逢おうとすると、何故か逢えない。

泰知と話し合おうと決意してから、数日が経過した。最後にきちんと会話したのは平手打ちを食らわせた時で、出会いがしらに軽く謝ることは出来ても、二人きりで話す機会は皆無だった。



話したい相手とは話せないのに、どうしてか意外な人物が私の横にいる。

学校近くのバス停でバスを待っていると、嫌というほど見知った顔の先輩が私の隣に並んだ。以前に呼び出された時と違い、彼女が一人であることにホッとする。囲まれる心配は、今のところしないで済みそうだ。だけど、彼女がこのバスを使っているのなんて初めて見たし、泰知がいない今、自転車通学の彼女がこのバスに乗る必要はないはずだ。


それなのに、こんな私たちのほかに人のいない寂しいバス停で、彼女は何をしているというのか。嫌な緊張感に、ドキドキと胸の音がうるさくて、さっきまで響いていた車の音が少し遠くなった気がする。


「あの……何か用ですか?」


以前にされた嫌がらせの数々を思うと、正直先輩の近くにいたくなかった。変な噂を流されたり、通りすぎる度に嫌みを言われたり。元々詳しい訳じゃないけれど、クラスメートとのSNSくらいしか見ないようにしている。そのせいでイタズラに傷つかずにすんでいる面もあるだろう。そんな風に、警戒対象でしかない存在が、私の隣にいて驚くなというほうが無理だろう。


気付けば隣にいたというのに、彼女はひたすら眉間にしわを寄せ、正面をみつめている。……いや、睨みつけていると言ってもいいかもしれない。



本当に、この女は何をしに来たのだろうと思いながら、じわじわ距離を開けていく。

気分は、お腹を空かせた野生の肉食動物から逃げる獲物だ。あと少し、あと少しで彼女の射程範囲から逃れることが出来る。ちょっと距離さえあれば、すぐに殴られるようなこともないだろうし、危険も減るだろう。そうすれば、彼女にもう少し詰め寄ることが出来るはずだと、前向きなのか後ろ向きなのか分からない事を考えながら、徐々にスペースを開けようとした私をちらりと見て彼女は声をかけた。


「ねぇ」


「はいっ!?」


「……そんなにビビんなくても、こんな所で手は出さないわよ」


「…………」


それは此処でなければ、手を上げるということだろうか?

全然安心できない言葉に、ズザッと大きく距離を開ける。じろりとこちらを睨んでくるが、私の心境を察してほしい。誰が、自分を害しようとする人間に近寄りたいものか。


「あんた若宮くんの彼女のくせに、最近いいこちゃんし過ぎてない?」


「何が言いたいんですか?」


人に散々嫌がらせをしておいて、挙句の果てにいい子ぶるなとはどういう事か。

私が本気で彼女たちに復讐をしようとしたら、大変なことになるのは彼女たちだろうに。何を考えているか本格的にわからなくなって、怖くなってきた。


「―――あの、松崎とかいう女は気をつけな。片っ端からお目当ての男に唾かけているって、マジ評判悪いよ」


「えっ……」


「彼女がいてもお構いなしに、お得意の『寝技』で男を誑し込んで、すぐに飽きてフッたとか色々最低なんだって。前の学校でも男がらみで問題おこして、ここに転入することになったらしいし」


松崎さんが思った以上に要注意人物だったことよりも、その情報をもたらしてくれたのが、この先輩だということに驚きを隠せない。何せ、この先輩は一番泰知の件でいろいろ言ったり、してくれた相手なのだ。話しかけられるのは十中八九泰知のことで、世間話すらしたことがないのに、どんな心境の変化があったのか分からない。


いくら考えても出ない答えに、しぶしぶ相手へ疑問をぶつけてみることにした。


「……どうして、わざわざそんな事を教えてくれたんですか?」


「ちょっと料理がうまくて若宮くんと幼なじみだからって、いい気になっているあんたのことは気に入らない。だけど、松崎のやり方は汚くて生理的にムリ」


以前に私の事をよって集って校舎裏に呼び出してきた先輩が言う言葉とは思えず、思わず顔を凝視してしまう。


「なによ。私は他に男がいるのに、若宮くんに言い寄ったりしないわよ」


やけに胸を張って言う言葉は、彼女にとってのプライドらしい。

私の事は同じ人に想いを寄せるライバルとして気に入らないけれど、アウトラインを超えた気の多く股の緩い女なんて、そもそも同じ土俵にすらあげたくないのだろう。


「そんな股の緩い最低女と、一緒にしてごめんなさい」


「大概、失礼なやつよねあんた。……でも、股の緩い女って。結構言うわね」


「泰知と一緒にいると、いろいろ言われるから暴言には事欠かないですよ?」


「あー、うん。私たちもちょっと言い過ぎたこともあるから、謝っておくわ。ごめん」


先輩はそういうと、少し気まずそうに笑って去って行った。

いつも彼女たちに呼びだされるたびに、少しきつめの香水がかおって苦手だった。……けれど、今日は何時もの取り巻きがいなかったせいなのかもしれない。普段感じていたより、香水が優しく感じ笑った。


あれだけ苦手意識を持っていたのに、人の気持ちなんて単純なものだ。

いやだいやだと思っていた彼女との会話で、まさか勇気をもらえるとは思いもしなかった。……そして、あの先輩は本気で泰知に想いを寄せているのだと、分かってしまって、小さく込み上げてきたものを飲み込んだ。




ぱたぱた走ってくる音がして、うしろを振りむく。

そこには、白い息を弾ませた歌胡がいた。


「ごめん、英語の谷口につかまって遅くなった!」


「谷口先生?歌胡、前も課題のことで怒られてなかったっけ」


「そう、友だち待たせているし、バスの時間だから帰りますって言ってんのにさぁ。将来のためとか言って、こんなにプリント渡すの」


歌胡が鞄から見せてくれたのは、これまでも何度か見たことのあるプリントだった。

確かあまりに英語が苦手な生徒のために、谷口先生が自ら選りすぐって考えた問題が載っていると言っていた気がする。正直、一枚解くのにも時間がかかるものだったのに、ざっと見ただけで10枚はありそうなそれに、ため息を吐くのも分かる気がする。


「もう、嫌になっちゃうよ!将来は海外旅行もせず、ずっと日本人に囲まれて過ごしますって言ってんのに、『これからの人生英語が出来ないでどうする!』って説教はじめんだもん」


私もさほど得意ではないけれど、歌胡はとりわけ英語が苦手で、しょっちゅう特別に英語の先生に課題を出されていた。正直、そうまでして進学させようとしてくれているのはありがたいと思うのだけれど、英語嫌いといってもいい歌胡にはなかなか辛いらしい。


もう何度、頭痛をこらえるような先生と、文句をいう歌胡の会話を聞いたかしれない。


「ほんっとに、英語なんてこの世から滅びればいいのに」


「それで、みんな日本語話せって?」


「そうそう、日本語オンリーでお願いします」


しょっちゅうふざけ半分で口にしている言葉を、お決まりのように口にする。

本当にそんなことが出来ると思っているわけでも、したい訳でもないけれど。あまりに強制されると、嫌になるものだ。


「でも、それでめっちゃ流暢な敬語とかで話しかけられたら、分かんなそうだよね」


「あー確かに。そん時は『日常会話で話せ!』って、怒っちゃいそうだわ」


くすくす笑いながら、バスを待つ。

ここ最近は心のどこかで、泰知が急に現われはしないかと、ドキドキしたりするのだけれど今日は違った。歌胡と話している途中で来た、ゲラゲラ下ネタで笑っている男子たちも、今ならスルー出来る。


人の足をじろじろ見たり、顔に点数をつけたりと何時もなら殴り飛ばしてやりたい感じだけれど、今なら我慢できるのだから先輩さまさまだ。あいにく、歌胡はそうはいかなかったらしく、おもいっきり冷たいまなざしを向けて男子を黙らせてくれたから、いいことづくめだ。


「何か、なぁーちゃん吹っ切れた顔してるね」


「うん、ちょっとね」


「んーそれは、今聞いても大丈夫な感じ?」


「えーと。例えるなら、怖いと思っていた豹が狩りに失敗しているのを見て、意外とかわいく思えちゃった感じ?」


「なにそれ」


まだ学校からほど近い場所で、さっきの事を話されるのは嫌がるだろうと言葉を濁した。

そんな適当な返しだったのに、問い詰めることなく笑ってくれた歌胡に感謝する。本当に歌胡は、こういうとき絶妙にこちらの意図を組んでくれて助かる。下手に先輩の話をしてまた睨まれるのも怖いし、何より優しさを欺くようで気分が悪い。

さっきあったことは、あまり人に言いふらさないでおこうと心に決める。


「それで、今日はどうする。どっか寄ってく?」


「ううん、ちょっと勇気が出たから逢いに行ってくる」


誰にとは言わなかったのに、分かってくれたのだろう。

歌胡は無言でにっこり頷いて、「あいつがなーちゃんを泣かしたら、私がぶん殴ってやるから安心して行っておいで」と、拳を見せた。私はいい人に恵まれたのだと、ちょっと涙が出そうになった。




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