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十杯目


本当のことを認めたくなくて、気づけばずっと逃げていた。

だって私にも、彼の食生活を十年近く支えてきたプライドがあったし、何より。彼の母親のように、必要とされていながら泰知を害するものになりたくはなかった。それに気づいた時は本当に焦ってしまって、いろいろ試して、いろいろ悩んで……解決策を探して。ようやく行き着いた結論が、私のせいで彼が過去からの呪いと立ち向かうことが出来ないという、最低すぎるものだった。


カチカチとリビングに時計の音が響き、その音とともに思考はどんどん暗くなる。

きっとこれは、私の心を思えばとんだバッドエンドだけれど、彼にしてみれば人生という物語の一部でしかなくて。漫画やなんかだったら、間違いなく可愛い主人公なんかに『仲のいい異性の幼馴染がいたのね』なんていって、嫉妬されていちゃいちゃするという場面にしかならないのだろう。


「……想像しただけで、泰知をぶん殴りたい」


それこそ、本当に「ぶんっ」という音が出るほど、全体重をかけてぶん殴ってやりたい。頬が腫れるとか、後でどんな噂を流されるとか気にせずに、その時はおもいっきり殴るだろう。

だってそれは、あまりに自然すぎる光景に思えたから。やっぱり、以前に想像した通り、私は悪い魔女ぐらいにしかなれないのだろう。


「お姫様なんて、似合わないか……」


以前に歌胡と、泰知には西洋風の『王子さま』なんて似合わないと言ったけど、それは私も同じことだった。いや、むしろもっと悪いかもしれない。


とかげの尻尾を使わなくても、人魚の鱗を加えなくても。

『過去のトラウマ』というものを利用して、彼の食という生きる根本的な部分を握った最低な魔女だ。卑怯で臆病で、なお且つそうと知られないようにふるまって。



アンデルセン童話も真っ青な魔女っぷりに、自嘲しか浮かばない。


「……私は、悪い魔女ね」


鍋をかき回し、彼の胃袋を支配して。

これまで散々泰知の母親を非難してきたのに、本質的な身勝手さでは何ら変わらない。自らの醜さがたまらなく許せなかった。




一人、台所でどれほど座り込んでいたのだろう。

突然、「うわっ、あんたそんな所で何やってるのよ!」なんて母親の声と、目を刺激する眩しさに頭痛を覚えた。気づけばあたりは真っ暗闇で、こみあげる涙を拭いたティッシュボックスは、そろそろ底が見えそうになっていた。カーテンを閉めることもなく、挙動不審な私に思う所があったのだろう。



おかあさんは、心配そうに顔を覗き込んできたけれど、情けない姿を見られたくなくて顔をふせた。


「ごめっ、ごはん、まだ作ってない……」


「別にそんなのはいいけど、具合悪い?」


「大丈夫、今つくる」


うちのお母さんは週に何度かパートで働いていて、その日の夕飯は私が作ると約束していた。

何も無理に押し付けられたわけではなくて、疲れているお母さんに無理をさせるのも嫌だし。泰知に食べさせるために、新作を研究したいという気持ちもあって、週に何度かある機会は私にとっても有難いものだった。


いつもネットで検索しているレシピサイトには、試してみたい料理がいくつか保存されているけれど、それを活用する機会も、これでなくなるかもしれないとまた涙が出そうだった。静かな部屋に、私が鼻をすする音がいやに響いた。


「―――よし、たまには奮発してお寿司でも頼みましょう!」


「えっ」


「これから作るなんて面倒だし、何かを買いに行くのもかったるい。何時も智会には美味しいご飯作ってもらっているし、たまには許されるでしょう。なにせ、良く食べる育ち盛りがいないのよ?今日頼むしかないでしょう!」


確かに、弟は部活の合宿だとかで出かけている。

弟がいるかどうかで、ずいぶん食費も変わってくる。ガタイの良い弟は人一倍食べるし、回転ずしなんて、それこそ祝い事でもない限り行っていない。


「で、でも、お父さんが先週勝手にパソコン買っちゃったから、しばらく節約しなきゃってお母さん言っていたのに」


「そう、だからお父さんの分はいっちばん安いやつね!」


「そんなこと言っても、本当にいいの?」


「いいの、いいの。っていうか、私が単純にお寿司食べたい!」


嬉しそうに宅配のチラシを探している母は、本当に今日の夕飯を決めてしまったらしい。確かに、和洋折衷研究を重ねている私でも、お寿司までは握ったことがない。申し訳なさから期待に変わった私の目には、それはそれは嬉しそうにお寿司を選ぶ母親の姿が映っていた。




それからは、早かった。

どんどん決めていくお母さんに置いて行かれないように、自分の食べたいものを選んで、注文する。ちゃっかり、普段は頼まないお吸い物を二人前だけ頼んだところに、お父さんへの怒りがうかがえる。


スーパーの特売品とは違って、すしネタと酢飯のバランスが抜群で、「これなら二人前もぺろりと食べ終わりそうだ」と、お母さんと笑った。少々、お安いと馬鹿にしていたお父さんの物まで目が狙っているのを見て、それは「さすがに可哀想だからやめてあげて」と止める羽目になった。


満たされたお腹に一瞬悲しみを忘れ、お茶をゆっくりすすっている。

がやがやと騒がしいテレビが、今は有難かった。……そんな、油断している時に、突然言葉は降ってきた。


「あんたは昔っから努力家だったから、頑張るなって言う方が無理かもしれないけど、周りに頼ったっていいんだからね?」


「えっ」


いきなり脈絡もなく向けられた言葉は、理解するのに時間を有した。

数秒前まで話していたのは、熟年離婚したとかいう芸能人の話題で、「奥さんに、貴方のことでもう我慢はしたくないし、同じお墓には入りたくないって、言われちゃったんですよー」なんて笑っているのを見て、お母さんとぐちぐち言っている所だった。「おしどり夫婦と言われていても、分からないもんよねー」なんて、ちらりとお父さんのパソコンを見たお母さんにドキドキしていたのに、突然こちらへ話題を振られて反応できなかった。


「恋愛のことだっていいし、勉強のことだっていいけど。何も一人で抱え込んで、頑張らなくったっていいの。お母さんたちはいつもあんたの味方だから、何時でも頼りなさい」


「…………っ」


「まぁ、夕飯のメニューで悩んだら、間違いなくお母さんに相談しなさいね。お父さんは、自分が好きなこってりしたものばかり食べたがるに決まっているんだから」


まったく、こちらが栄養に気を使っているのに気付かずに、『男ども』は失礼しちゃうわよね?なんて、軽口にこたえることは、とうとうできなかった。


私はお母さんの言葉を聞いて、涙をこらえるのに必死だったのだ。

まぁ、結局は頬を流れるものをごまかすのに忙しく、お母さんが目線をそらしてくれているうちに「ちょっと着替えてくる」なんて自室へ慌てて逃げた。




泰知は、こんな事を言ってくれる存在を失っているのかもしれないと、考えただけで辛かった。高校生になった現在だって母親を失ったら辛いだろうに、それが小学生のまだ甘えたい盛りのころだったなんて、どれほどの苦しみを抱え、我慢を強いられてきたのだろうと想像すらできなかった。



無性に、泰知の事を抱きしめたくてたまらない。

もっと幼い頃には親切のごり押ししかできなかったから、その分も合わせて抱きしめて甘やかしてあげたくてたまらなかった。


「母親代わりなんて、成れないし成るつもりもないけれど」


彼を支えることなら、私にもできるかもしれない。

今度は、やり方を間違わずうまくやろう。心苦しさや、身にやましい所なんてできるだけ消し去って。こんな中途半端なところで泰知からにげだしたら、それこそ申し訳なさすぎる。たとえこれをきっかけに泰知に愛想を尽かされてしまっても、せめて彼が他の人同様、まともに食事をとれるようになるまできちんとしなければ。


嫌われることを何より恐れていた私からすれば、ずいぶん達観した考えが自然と浮かんでくる。たとえ嫌われてしまったとしても、このままにはしておけないという食を預かるものとしての責任感が、恋心によって曇らされていた私の目をクリアにしてくれたのかもしれない。




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